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第9話

 リリスとアンナベルタの仕事を手伝ってから数日。

 王宮内での雑事には少しずつ慣れ始めたとはいえ、特別使用人としての調査は、まだまだ手探りだった。


 朝の業務が終わったあと、シシィは資料室の隅にある長机で、魔道具のリストと古い納品記録を突き合わせていた。

 ページをめくるたび、紙の端がかさりと音を立てる。

 年代も、記録者もバラバラな帳簿たち。同じ物品が別名で記載されていたり、資料がなくなっていたりと、読み解くにはかなり時間がかかりそうだった。


 「流魔の鏡……?逆流鏡とは違うのかな……?」


 曖昧な記述と格闘しながら、シシィはメモを取り、少しずつ情報をまとめていった。


 数日前、アンナベルタと共に温室長に報告した、薬草の誤差。

 こっそり裏取りをしたところ、内容はすぐに処理され、昨日のうちに「ポーション課の追加発注による移動。記録済み、問題なし」とだけ書かれたメモが戻ってきていた。

 念のため追加発注のメモも確認したが、問題ないようだった。今回の数値のずれは、純粋な業務上の移動らしい。

 

 どこか、少しだけ拍子抜けした気持ちもあった。それでも、「違った」と分かっただけでも前進だ、とシシィは自分に言い聞かせた。

 《違和感を覚えたら突っついてみて》――ニコラスの言葉を思い出す。空ぶってもいい、そう言ってくれたからこそ、シシィはこうやって動けている。


 調査は、魔道具の記録確認にとどまらず、使用人が管理していた備品の棚卸、王宮内の設置型魔道具の配置図との照合、使用人のプロフィールなど……多岐にわたった。

 日々少しずつ、控えめに――けれど確実に。次の定期報告までには、何かを掴みたいという気持ちがあった。

 シシィの目は、王宮という巨大な場所の一角を掘り下げ始めていた。




 ――別の日の午後。

 ニコラスは側近とともに、執務棟から外庭へ抜ける回廊を歩いていた。

 風が抜ける回廊の先。角を曲がったその瞬間、視界の端をすっと横切る人影があった。


 シシィ・バルト。


 手には小さなメモのような紙を持ち、建物の方角をちらちらと確かめながら、速足で廊下を駆けていく。

 よほど急いでいるのか、ニコラス一行にはまったく気づいていないようだった。

 側近が小さく眉をひそめる。


 「……殿下に気づかぬとは、なんとも無礼な」


 ニコラスは苦笑まじりに口角を上げた。


 「見逃してあげてよ。忙しいんじゃない?」


 その言葉に、側近は「暇を持て余すよりはいいですが……」と小さく首をすくめた。

 

 ニコラスは歩みを止めず、一瞬目に入ったシシィの姿を思い出す。

 午前中にも別の場所で、似たような場面を見かけたばかりだ。

 きっと今日は、調査のためにあちこちを回っているのだろう。


 「……期待通りだな、あの子は」


 誰に聞かせるでもなく、ぽつりと呟いた言葉が、窓から差し込む光のなかへと消えていった。


 一方その頃。

 午後の陽が差し込む資料室は、古い紙とインクの匂いに満ちている。

 高く積まれた帳簿の山を前に、シシィは小さくため息をつきながら椅子に深く座り込んだ。


 ここ数日は、ずっと王宮内を動き回り、古い資料と現場の照合を進めている。

 その合間に、他の書類の整頓も進め、もちろん雑務係としての仕事もこなして……。

 正直、身体は疲れていた。それでも、同僚であるリリスやアンナベルタの働きを目の当たりにしたシシィは、やる気に溢れていた。

 

 「ちょっとだけ、休憩……」

 

 ポケットから取り出したのは、午前中にリリスとアンナベルタから受け取った小さな紙包み。

 中には、焼き菓子が入っていた。


 ――「シシィちゃ~ん!リリスちゃんが焼いてくれたよ~!」

 ――「え!私もいいの?」

 ――「ったく……アンナが持ってっちゃったんだから、仕方なくよ!」

 ――「でも~、私たちの髪の色に揃えたリボンでラッピングしてくれてるんだよ~?」

 ――「なんで分かったの!?あーもう、調子狂うじゃない……!」

 ――「リリスちゃんありがとう!」

 

 ささやかな会話を思い出しながら、一口かじる。甘さ控えめのビスケットに、心も少しほぐれていく。

 もうひと頑張り、と立ち上がったシシィは、手近な書類棚を引いた。

 

 バサリと崩れるように出てきたのは、使用人の健康診断に関する記録だった。

 「第3保管庫から移動済み」と記された付箋のついた分厚い束。日付を見るとかなり古いもののようだ。

 どうやら過去の検診履歴が詰まっているらしい。


 何の気なしに数枚をめくっていたそのときだった。

 

 「……って、あれ!?検診って今日!?」


 椅子から飛び上がるように立ち上がったシシィは、書類を散らかしたまま、廊下へと飛び出した。

 

 初めての定期検診。

 すっかり忘れていたそれが、自分の身にも適用されるということを、今ようやく思い出したシシィ。

 

 特別使用人に課されている定期健診は、月に一度、王都の大病院から派遣される老医師によって行われる。

 過去の特別使用人にも、原因不明の発熱や虚脱といった症状が現れるケースがあったのだという。

 そして、30年前に起きた「蒼炎の悲劇」――平民のひとりが突如として魔力を暴走させ、多くの犠牲を出したその事件は、今も語り継がれている。

 魔力は、強ければ強いほど人の体を蝕むこともある――それが今の王国内の通説だった。

 「高い魔力量ゆえの体調不安に備える」、そして「長く王宮で務めるためには健康が第一」という王の方針により、こうして義務付けられているのだった。


 なんとか時間内に間に合い、医務室の前にたどり着いたときには、シシィはすっかり息が上がっていた。

 診察受付の札が立てられた机には数人の使用人が並んでおり、リラックスした雰囲気だ。


 「はあ……間に合った……」


 思わず腰に手を当てて呼吸を整えていると、見覚えのある女性使用人が声をかけてきた。

 数日前、庭園でホースとジョウロの置き場について話をした、あの使用人のうちの1人だった。


 「ねえ、この間はありがとう。シシィ・バルトでしょ?今から検診?」

 「あ……!はい、今日だったなって今思い出して……!」


 はにかむように頭を下げると、先輩は「あるある」と笑って、隣の棚から小さな瓶を取り出した。


 「じゃあ、今回はこれ飲んで待っていて」


 渡されたのは、ほんのり乳白色の液体が入った小さな瓶。

 中身はややとろみがあり、封を開けるとハーブのような、独特な香りが鼻をくすぐった。

 

 「これを……飲むんですか?」

 「うん。特別使用人だけが飲むやつなの。魔力の流れを整えるとか、魔力量を増やすとか……その時によって効能は様々。ない時もある」

 

 そう言いながら、目の前の使用人は自分の空き瓶を指先で振ってみせた。


 「要するに協力ってこと。新薬とか、新しいポーションの最終チェックなんだって。世に出す直前、ここで実地データを取ってるんだってさ」

 「そうなんですね……!ありがとうございます」


 ――診察待ちの椅子に座ってしばらく。

 先ほどのドリンクを飲みきって5分ほどで、扉の奥から名が呼ばれた。


 「シシィ・バルトさん、どうぞ」


 返事をして立ち上がり、扉を開けると、中にはやや背の曲がった老医師が座っていた。

 白髪に覆われた頭、分厚い眼鏡。シワの刻まれた笑顔が優しく、見た目も、話し方も柔らかい。

 年齢を感じさせる所作ながらも、動作にはどこか手慣れた職人のような正確さがあった。


 「やあやあ、お待たせしました。どうぞ、そこの椅子に座ってね」


 にこにこと穏やかに笑いかけられて、シシィも少し緊張をゆるめる。

 

 「シシィさんは……初めての定期健診でしたね。どうですか? 王宮の生活には、少しずつ慣れてきましたか?」

 「はいっ。なんとか……仕事も少しずつ覚えてきました」

 「それは良かった。慣れない環境というのは、それだけでも心身に負担をかけるものですからね」


 老医師は軽い世間話を続けながら、手際よく診察を進めていく。

 口腔内、心音、瞳孔の動き、反射の有無――どれも一般的な検診項目だ。

 それでも、時折記録をとるその手が少しだけ止まるたびに、シシィの胸には、ほんのわずかに緊張が戻ってくる。

 

 「最近、疲れやすさはありませんか? 夜、眠りが浅くなったり、夢を見やすくなった……なんてことは?」


 ふと差し込まれた質問に、シシィは少しだけ目を瞬かせた。

 

 「……ええと、とくには……」

 「そうですか、そうですか。よかった。少しでも異変があれば、早めに対処しないといけませんから」


 にっこりと笑った老医師は、手元の記録用紙に何かをさらりと書き込む。


 「では、最後に魔力量の測定だけしておきましょうか。はい、手をこの水晶の上に乗せて」


 言われた通りに手をかざすと、水晶球の奥がわずかに光を放った。

 明確に数字が見えるわけではないようで、シシィには、その輝きが意味するところは分からなかった。


 「……はい、結構です。では、本日の検診は以上です。お疲れ様でした」

 

 眼鏡越しの視線は、どこまでも和やかだった。

 深々と頭を下げて退出するシシィの背を、老医師は微笑みを浮かべたまま見送っていた。




 ――夕食を終えたあと、シシィはひとり、共有部のテラスの隅に腰を下ろしていた。

 制服の上から羽織った上着が、ひんやりとした夜気を受け止める。日中は暖かいが、夜はまだ冷える時期だ。

 今日まとめきれなかった資料のメモ。

 部屋にこもってしまうと気が抜けて、そのまま眠ってしまいそうだったシシィは、あえて風に当たっていた。


 「……シシィ。冷えるぞ」


 聞き慣れた声に振り返ると、そこにはテオスカーがいた。


 「テオスカー?どうしたの?」

 「いや、こっちのセリフ。まだ寒い季節だぞ、こんなところで」

 「仕事、できるだけ進めておきたくて……。部屋にいたら、きっと寝ちゃうから」

 

 テオスカーは何も言わず、シシィの隣に腰を下ろす。

 手を伸ばせば届く距離。けれどその手は、そっと膝の上に置かれたまま動かない。

 言葉は交わさずとも、人がいる気配が心地良い。

 シシィの心はふっと軽くなる。


 「最近、あちこち駆け回ってるだろ?たまに見かける」

 「えっ、ほんとに?なんだか恥ずかしいな」


 シシィが頬を染めて笑うと、テオスカーも目を細めた。

 

 「王宮には、もう慣れたか?」

 「うん。まだまだだけど……やれることが、少しずつ増えてきた気がする」


 机に置いてあった手帳のページが、夜風にふわりとめくられる。

 テオスカーが咄嗟に手を伸ばしかけて――すんでのところで、指先を止める。

 シシィが自分で押さえたのを見て、彼は何も言わずに手を引っ込めた。

 ほんの少しだけ、視線が紙ではなく、シシィの手に留まっていた。

 

 「……あんまり無理するなよ」

 「えっ?」

 「無理してるとき、なんとなく分かるからさ」


 地元で何度も聞いた言葉だった。

 雪の日、夏の収穫、草むしりの午後。

 どんなときも、テオスカーはこうして声をかけてくれていた。


 「……ありがとう」


 テオスカーは何も言わない。

 触れないけれど、すぐ隣にいるというその存在が、なによりもあたたかい。


 「……こうやって話すと、一緒に地元で過ごしていた頃を思い出すね?」

 「だな」


 その言葉に、二人は顔を見合わせて笑った。

 風が一際強く吹き、木々がざわめくように動く。

 

 シシィが肩をすくめるように小さく身震いした。

 それに気づいたテオスカーの手はわずかに動いたが、すぐに何事もなかったように膝に戻された。


 「さて。……そろそろ戻るぞ」

 「え、でもまだ少し……」

 「送る」

 「えっ」


 目をぱちくりさせるシシィに、テオスカーは淡々と言葉を重ねた。


 「部屋に戻ったら、寝ちゃうよ……」

 「寝ちゃうってことは、疲れてるってことだろ。休んだ方がいい」


 ごく自然に、けれど有無を言わせぬような口調で立ち上がる。

 シシィは慌ててメモを集め、テオスカーに続いて立ち上がった。

 

 あたたかくて、頼りになる、少し過保護な幼馴染。

 シシィがその認識を改めるのは、まだまだ先になりそうだった。

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