0-09 宏大無辺-④
クロガネが目を覚ますと、ヤタガラスが覆いかぶさって寝ていた。
そんなヤタガラスの上にタオルケットが掛けてあるあたり、アマテラスにしてやられたことだけは確実に分かった。
雨はとっくに上がったようだ。
陽はおおよそ頂点か、そこを少し過ぎた頃だろうか。目覚めて間もないクロガネには、太陽光に照らされて輝く水滴が眩しい。
もう少し、寝ていてもいいのかもしれない。
今だ安らかな寝息を立てているヤタガラスを起こすには忍びなく──、いや、正確に言うのであればクロガネもまだ起きたくはない。
ヤタガラスと触れ合っていたい、と、言い換えてもいい。
クロガネはおもむろに、ヤタガラスの頭を撫でた。
どうあっても避けられぬ別れを理解したからこそ、彼女の存在が愛おしく、離れがたい。
「ほぉ〰〰〰〰ん。クロガネくんもそんな顔をするんだぁ。完全に恋人を見る目をしてたね?」
「………………」
「えっ、うわぁ、そのゴミを見るような目やばいね」
アマテラス。
本当に、こいつは。
思わず拳が出そうになるが、ヤタガラスを起こしたくない一心でどうにか堪える。
そうして我慢しているというのに、だ。
「えい」アマテラスは勢いよくヤタガラスの頬を突いて、そのままクロガネをあざ笑うかのように消えた。「悔いは残さないよーにね」
結局、突然現れたアマテラスについては何一つ言及出来ないままだ。
そうしてぽふん、と軽い音でアマテラスが消えたのと、ヤタガラスが寝ぼけまなこでクロガネを捉えたのはほとんど同時だった。
「……あ」
クロガネは思わず身構えた。今までの感覚でいけば、まず間違いなくヤタガラスは荒ぶる。
──そう、なると思っていた、のだが。
「……えへ」とヤタガラスは笑った。「もうちょっと、こうしてたい」
「な、なんか、……変わった、ね?」
「ん-ん、我慢するの、やめただけ」
ヤタガラスはもぞもぞと動き、丁度いい体勢を探している。
最終的にはクロガネに抱き着く様な格好で落ち着いたようだ。
クロガネも深く考えるのはやめた。ヤタガラスの背中に手を回し、もう少しだけ、このままで居ようと決めた。
その日の夜、クロガネは夢を見た。
「ありがとう」と男は言った。自分と同じ顔をした男は、川の向こう岸で笑っている。「本当に」
あなたは誰ですか。
そう話しかけようとして、声が出ないことに気が付く。
「俺はもう『終わった』、けれど」
「……」
「悔いはないよ」
それはまるで、呪縛から解き放たれたように晴れやかで。
見ているこちらまで、嬉しくなる。
白い鳩が空に向かって飛び上がった。
空に羽ばたく鳩に視線を向けた一瞬で、男は忽然と姿を消した。
じゃあね、とクロガネは誰もいない空間に向かって手を振る。
それに返答はもちろんないが、決して不快ではない。
クロガネは笑顔で願う。
彼の旅路に、祝福があらんことを。
◇
──クロガネが目覚めてから十五日目の朝は、雲一つない快晴だ。
ヤタガラスとの別れが明後日に迫るなか、いや、だからこそ特訓を再開した。
未だ基本となる魔法「ショット」しか満足に扱えておらず、このペースで進んだところで十分な実力を得るのは不可能と判断し、まずは知識を得るのが最優先だと決まった。
当然、『光球』だ。
知識の無いクロガネには知る由もないが、ヤタガラスの魔法に関する知識や技術は、並みのレベルを遥かに凌駕している。
それこそ世界でも十指に入るほどであり、となれば当然ながら光球で渡される知識の量は非常に多いということになる。
そこで問題になるのが、一度の光球による情報の取得限界だ。
光球は単に知識としてではなく、経験や感覚に近い情報が直接脳内に入り込む。それ故に使用する脳のリソースも多く、一度に情報が入りすぎては脳が混乱する。
ヤタガラスの知識を丸ごと全て光球で受け渡すとなると、これまでのヤタガラスの経験から試算しても最低三千六百時間は掛かるという。寝る間も惜しんでようやくだ。
休憩や睡眠を挟めば単純に二倍以上は掛かると考えて良いだろう。
となれば当然取捨選択せねばならない──が、そこはヤタガラス。
実力者だからこそ見えてくるクロガネの向かうべき到達点は既に、ヤタガラスの中では明確になっている。
「──と、言うわけで、クロガネくんには氷と雷の属性を覚えてもらいます!」
「了解! ……と言いたいところだけど、ちなみに理由を聞いても?」
「えーと、半分は魔力の動き、半分は勘」
「魔力の動きと、勘……カン!? 勘なの!?」
思っていたよりも想定外だった。
「ん〜、本当に得意属性を明確に区別出来ればいいんけどね。本来、得意な属性っていうのは何年も魔法を使っていく中での気付きだったり、他の魔法士に詳しく何日も掛けて調べてもらってようやく分かるものなんだよ?」
「あー……」
「日数も無いから、正直ほとんど勘なんだよなぁ。ごめんねぇなんかテキトーで……」
「いっ」クロガネは大きく顔を振った。「いやいや!? まじで助かってますから」
ふふ、とヤタガラスは笑った。「ありがと! まぁ後は、単純に使い勝手の部分もあるかな。私も氷と雷をよく使ってるから、教えやすいというのもあるし」
そう言いながら、ヤタガラスは手をくるりと回す。すると、今回は見覚えのない色の光球だった。
それは淡く青色に輝いている。
「それじゃあ行くよクロガネ」ピシ、と雰囲気が切り替わる。声のトーンが一段階下がり、伴ってクロガネの背筋も自然と伸びる。「今回はこれまでよりも情報の量も密度も高いから、まぁ──気合で」
「うす!」
ヤタガラスの手から放られるようにして宙を舞う光球は、一直線にクロガネの額へと向かう。
そして、光球がクロガネの額に触れ────、
────、た?
「あえ?」あれ? と言うつもりが、呂律が回らない。
などと思っているうちにぶしっ、と鼻血が噴き出し、同時に膝から力が抜けて地面にへたりこんだ。
「……、 。 ……、 …… ……?」
「……?」何かが聞こえた。それがヤタガラスの声なのだと気が付くのには、実に五分以上かかった。「や、やは、があす?」
「クロガネ、大丈夫?」
「え、あ、は……はい」
この時クロガネは光球が触れた瞬間の立ち格好のまま十分間たっぷり棒立ちした末に、ようやく意識が戻ったかと思えば力なく倒れたのだった。
「横になろう」
「……、……」
だが、当のクロガネの感覚的にはその十分間はたったの一瞬にしか感じられていない。
それはまさに、光球による情報の取得限界そのものだ。
だが、ヤタガラスはこうなるであろうことを予測し、あらかじめ少しだけ手を加えている。
遅延性の光球。
「……っ、ぐ、あ……!?」
例えば骨は折れることでより強靭になる。筋肉でもそうであるし、人の心だってそうだろう。辛い経験は精神を強靭にする。
それと同じく、脳の記憶に関する部分も同じく作用することをヤタガラスは知っていた。
多少強引ではあるが、数分から数十分程度での自然治癒が可能な限界ギリギリで痛めつけた後に、自然治癒を待ってから情報を流す。
故に、遅延性の光球。
「お……、ぉ!?」
ハイリスク・ハイリターン。痛み・苦痛を伴うのと引き換えに、通常であれば二日に分割するべき情報量を一度に取り込む――これこそ多用厳禁な、光球の荒業だ。
そして、ヤタガラスの卓越した技術が無ければ決して成り立たない、諸刃の剣でもある。
「う、あ――――!?」
頭蓋の内部でカマキリのような化け物が脳を切り裂いている。
かと思えば、重量のあるハンマーで叩かれる。
思わずのたうち回るほどの激痛。
だが、諦める訳にはいかない。
痛みの最中、クロガネは無意識にヤタガラスを思い浮かべる。
ヤタガラスの為なら。
そう思えば、地獄のような痛みも和らぐような気がした。
ヂカッ。
ヂカッ。
視界が明滅する。視野を徐々に閃光が埋め尽くし、遂に目の前が文字通り真っ白になったその時だ。
「クロガネ」
「ごめんなさい」
「ありがとう」
誰かがそう言った。
クロガネは痛みの最中であっても、その言葉に返さねばならないような気がした。
「……泣かないで、ください」