0-07 宏大無辺-②
夢を見た。
何もかもが無くなった風景、瓦礫に押し潰された生活感。
今では生物の気配を感じない、かつて自分が生きていた場所を歩く。
あの日から太陽は一度も人々を照らしてはいない。
あの日から月は一度も顔を覗かせてはいない。
多くの人がここを去った。
多くの善意を貰ったけれど、それを上回る多くの悪意にも出会った。
虚無感。
喪失感。
気が付けば市街地を抜け、水平線の見える丘の近くまで来ていた。
何となくその丘に登った。
そこから見える海はまるで何事もなかったかのように綺麗で、そこだけはあの日以前と何ら変わりない。
声を殺して泣いた。
今もまだあの日に囚われ続けていることを、海に知られたくはなかったからだ。
この景色の向こうに、まだ居るような気がしたから。
クロガネが目覚めてから十三日目の早朝。
悪夢か何かに魘されたクロガネの寝起きは最悪だった。しかも窓の外はまだ暗い。夜明け前だ。
二度寝をする気分でもない。顔でも洗おうと身体を起こしたクロガネを、だが一本の手がそれを引き止めた。
「…………また?」
「んむ……」
魔法を使えるようになってから、魔力の残滓を知覚することが出来るようになった。
それもまた特訓なのだとヤタガラスは様々な行動に敢えて魔法を使い、クロガネに魔力の残滓の感じ方を覚えさせ始まったのが今から四日前のことだ。
その特訓の甲斐もあって今では魔力の残滓を自然に感じ取れるまでになったが、それ故によく分かる。
クロガネの布団にヤタガラスが入り込む為にもわざわざ魔法を使っている。
どういった系統の魔法を使っているのかまではまだ判別出来ないが、大方クロガネを起こさないように配慮したのだろう。
……どういう配慮? と、思わなくもない。
「あの……」と声を掛けようとして、やめた。「……」
あまりに心地良さそうに眠っているヤタガラスを起こしたくはなかった。
そうしてなるほど、とクロガネは理解した。ヤタガラスがわざわざ魔法を使ってまで布団に入り込んだ理由が分かった気がした。
いや、とはいえ布団に入る必要性があるのかが怪しいところではあるのだが。
今日でクロガネの布団に入り込んで来たのも五回目だ。心臓に悪いのは変わらないが、徐々に慣れ始めているクロガネもそこにはいた。
もう一度布団に横になり、熟睡するヤタガラスの顔をまじまじと眺める。
「……んふ…………ん、にゃ……」
ヤタガラスの寝言を聴いたのは初めてだった。「……ふふ」とクロガネに笑みが溢れる。
そうして次第に眠気がクロガネを覆う。
気が付けば安らかな寝息が増えていた。
──。
朝起きたら何故かヤタガラスはクロガネを膝枕していた。
微睡みながらも次第に状況を把握し始めたクロガネが身体を動かし、ヤタガラスを見上げる。
「……? あ、あの?」
「クロガネくんも案外大胆なんだね……」
「え? ……えっと、何の……」
「まぁ、布団に潜り込んだのは私ではあるんだけど……ちょっと悔しい」
「……? ……??」
「う〜。覚えてないならそれでいいよぅ」
戸惑い、説明を求めようとするクロガネを阻害するように、その頬をヤタガラスの細い指が駆け巡る。
少しだけ見えたヤタガラスの表情は、まるで照れているようだった。
この話題には触れないのが吉だろう。
ヤタガラスが満足するまでクロガネは目を閉じて抵抗しないようにした。
◇
朝食、そして支度を終えればすぐに特訓だ。
初めこそは闇雲に振るっていた剣も、稚拙な『ショット』も、ヤタガラスの“光球”によって飛躍的に向上した。
初めから光球によって知識を得ればそれは確かに楽なのだろう。
だがそうして得た技術はどこか薄っぺらくなることをヤタガラスは知っている。
「──ショット」
そうしてクロガネの手から的に向けて放たれたそれは、速度、連射性共に申し分ない。
ほとんど間をおかずに放たれた三発のショットは綺麗に一列に並んでいる。だが的から僅か数メートルの距離でぐわんとブレると、弾道予測を裏切るかのようにバラバラの挙動のまま、だが的確に的を射抜いた。
それを確認した後、即座にクロガネは身体の向きを変え別の的を標的に定める。
「ショット!」
身体を動かしてから発射するまで僅か二秒足らず。 当然ショットは的から外れた方向に反れている。
だが連射性を捨て追尾性に振ったことで、中間付近から方向を変え楕円軌道を描きながら的を射抜く。
そうして更に向きを変え、三度目──「ショット!」
何の変哲もないかに見えたショットは、的から一メートルを切った地点で突然分散し、散弾となって的を木っ端微塵に粉砕する。
休みなく、四度目──「ショットォ!」
明らかに巨大なショットは、通常の三倍以上の体積を誇りながらも速度は落とさない。
的に触れた──刹那、押し込められた力が解放されたかのように、通常の威力とは比べ物にならない衝撃。
それは爆発と呼んでも差し支えないだろう。
まだ止まらない。
最後の的に標的を定め、五度目──「ショッ──、トォ!!」
クロガネが耐えられず尻餅をつくほどの反動と共に放たれたショットは銃火器の弾丸の如き円錐形状であり、螺旋の軌跡を残してする。
それまでとは一線を画す速度を誇るその一撃は、目視で視認することすら不可能な速度で的を穿った。
「…………」
そして僅かに時間を置いて、空気を切り裂いた破裂音が周囲に響き渡った。
「さ、才能ありありだね……、クロガネくん」
「光球のお陰ですよ」
「とはいえ、だよ。何も教えずにここまで発展させられるのは立派な才能だよ。ちゃんと」
「ですかねぇ」
ヤタガラスは少し考える素振りをして、すぐにクロガネに向き直った。
「そしたらそろそろ各属性の魔法を練習した方がいいかもね」
「お! 待ってましたぁ」
その後だ。少しだけヤタガラスは寂しそうな顔をしたのを、クロガネは見逃さなかった。
「もう二週間ぐらいかぁ。早いような、短いような」
「……」クロガネの頭の中を、嫌な予感が駆け抜ける。往々にしてこうした予感は外れない。「ど、どうしたのさ、急に」
「……、実はね、私の顕現限界はもう間もなくなんだ、よね」
顕現限界。
聞き返す必要もなく、その単語の意味を自然と理解出来た。
「……これ以上隠すのはダメだよね。正直に言うと、私の顕現限界はあと四日なの」
それは想定よりも遥かに短く。
クロガネの心が大きく揺さぶられる。
「……え」
「ごめんね、ほんとうに、クロガネくんと暮らすのが楽しくて、いつ切り出すかすごく迷ってたんだけど……」
「……、……」
言葉が出てこなかった。
ヤタガラスはこうなることが嫌で、この会話を切り出せずにいたはずだ。
となれば、クロガネが取れる最善の行動は間違いなく、なんとか平静を保って会話を続けることだ。
だが頭では理解出来ていても、そこから先に進めないことなど、いくらでもあるものだ。
「…………、っ」
遂にクロガネは何も言うことが出来ないまま、その日の特訓を終えることとなった。
後悔をするべきではない。
後悔のない選択をするべきだ。
今は存在しないかつてのクロガネは、今のクロガネに間違いなくそれを望んでいる。
だが、記憶を失くしたクロガネは言わば生まれたばかりの赤ん坊。
初めてこの世界で出会ったヤタガラスという存在は、この短い期間であっても紛うことなき家族と呼べる唯一の存在なのだ。
別れを告げるのはてっきりクロガネ側からだとばかり思っていたが故に、この突然の宣告はクロガネの意識の外からの攻撃であり。
初めての“痛み”だ。