1-39 歯には歯を-③
『詰み』
地面に顔を押し付けられて、見上げる景色は最悪だった。
同じ顔、同じ背格好の老爺が五人。戦わずとも、その全てが同じ実力であることは明らかだ。
すでにマナに、戦うだけの力などない。意志も、ない。
【狂化】も、例え拘束から抜け出せたとてその先はどうする。逃げればいいのだろうか。どこに。戦えばいいのだろうか。どうやって。
マナは下唇を強く噛み締めた。現状を理解するほどにどうしようもないことだけは確かで、思わず涙が出た。
泣くものかと堪えようとも溢れ出る涙の粒が憎たらしい。
【狂化】を解除し、脱力する。
それを待っていたかの如く、老爺はマナの頬を掴んで無理矢理に顔を上げた。
「なんだ、泣いているのか」
「……」
「死ぬのが怖くなったか? なに心配するな。すぐには殺さん。俺の分体を一人殺せるとは思いもよらなかったからな」老爺は気色の悪い笑みを浮かべた。「犯してからにしてやる」
その言葉に、血相を変えたのはミナだった。
「やめろ!! このゲス共!! そんなことやってみろ! お前らを──」
だがその言葉の途中で、老爺の手がミナの髪を掴んだ。そして息つく間もなく三度、その顔面を地面に打ち付ける。
「……っ、が、……ぁ」
「言葉は選んだ方がいい。それともなんだ。痛めつけられたいマゾか?」
別の老爺の足が、ミナの頭を踏みつけた。いたぶるように、ゆっくりと体重をかけられる。
「ぐ、うう、ぅ……あ……!」
「どうした。マゾ女らしく鳴いてみろ」
「やめて」マナがそう言った直後、老爺の鋭い蹴りが側頭部を捉える。「……っ」
「言葉を選べと、言っただろう」
「……やめて、ください」
「んん?」
「私のことは、どうしたっていい、です、から……ミナを、傷付けないで……ください」
「お、姉ちゃん……」姉の言葉、いや、その表情を見れば分かる姉の本音を聞いて、ミナもまた脱力した。
『詰み』、だった。
生きる気力も、助かる希望も失くしたマナの瞳は、酷く空虚だった。
「ごめん、クロガネ……」今にも消え入りそうな、老爺にさえ聞き取れない声。
マナの心は、既に折れかけていた。
再起不能なほどに壊れてしまうのも時間の問題と思われた、その時だった。
『ごめんね~。これ以上は看過できないかな~』
不思議な声だった。
声帯から発せられるものとは全く別の、声というより不思議な音とでも言うべきそれは、突如としてその場に響き渡った。
『その二人を壊されると、クロガネくんが立ち直れなくなっちゃうからさぁ。その辺で勘弁してよ。パヌルくん?』
……パヌル?
聞きなれない単語に、ふとマナが頭上を見上げる。
最初に気が付いたのは、頭の上に光輪を携えた光り輝く女性がいつの間にがすぐ目の前にいたことだった。
それから少し遅れて、老爺の目が見開かれていることに気が付く。
すぐに分かった。
それが老爺の名なのだということは。
「……貴様、何者だ」
『──失礼な人間だな』
瞬間、その場の空気が明らかに変わったのが分かった。
『神の御前だぞ』
その言葉を言い終えるや否や、老爺──もといパヌルの身体を何かが縛り付けた。
それは半透明で、薄っすらと輝く綱。
一見して容易に引き千切れそうですらあるそれは、だが予想に反してパヌルの動きの一切を固定した。
『ちょっとの間そうしててね。私に君を裁く権利はないから、これぐらいしかできないんだけど』
「……! …………!!」
パヌルは、身体はおろか、声の一つも出せないようだった。
というより、呼吸もしていないように見える。
身体を縛り付けるというより、全ての動きを封じていると言い表した方が的確な気がした。
突然の出来事に唖然とする他ないマナとミナの元に、その女性はゆっくりと近付き、そして。
『えい』と、拍子抜けする声と共に、マナを上から押さえつけていたパヌルを蹴飛ばした。
身体を丸めて押さえつけていただけあって、呆気なく地面を転がる。
『せい』と、次はマナの頭を踏んづけていたパヌルを蹴飛ばす。ごつんと、受け身を取ることもできないまま頭を打ち付けて倒れる。
『とりゃ』と、今度はミナを押さえつけていたパヌルを蹴飛ばす。当然、同じように転がっていった。
仰向けで、手足を持ち上げた格好で地面を転がるその姿は、あまりにも滑稽だった。
『怖かったね、よしよし』
と、その女性はマナとミナの頭を撫でた。
全く状況を把握できないでいた二人だが、不思議と、頭を撫でられているうちに心が安らいでいくのを感じた。
『あ』と突然何かを閃いたように立ち上り、そのまま女性はパヌルの顔を覗き込んでニタ〰〰っと笑うと、どこから取り出したのか、ペンキと筆でおもむろにその顔に落書きを始める。
パヌルは何か言いたげに睨みつけていたが、表情もまた固まったまま微動だにしていなかった。
時間にして約三分間。
一人残らずパヌルの顔にびっしりと落書きをすると、その女性は子供のような笑顔でマナとミナを振り返る。
『ぶい』
ピースサインを向けながら、その女性はゆっくりと消えていった。
『あとは任せたよ〰〰。エフレインちゃん』
そう言って女性の姿が完全に消えたのと、エフレインがその場に到着したのはまさに同時だった。
かつ、パヌルの拘束が解けたのも同時ではあったが、パヌルと言えども対応する間もなく動きを封じられたためか、動き始めは明らかに緩慢だった。
それを見逃すエフレインではない。
肩に担がれた大剣を勢いよく振るう。避けきれないパヌルは容赦なく腹部から真っ二つにされた。四名のパヌルの分体が下半身とお別れして、地面に転がる。
捉えきれなかった残り二名に向かって追撃するも、一足で十メートル以上飛び下がったパヌルを捉えきることは出来なかった。
そのまま、マナとミナを庇うようにエフレインは武器を構える。そして振り返らずに聞いた。
「……無事か!? 生きてるな!? バカ姉妹!」
「…………うん」
「それなら良し。いいか、とにかくなにがなんでも死ぬな。分かったな」
「……………………うん……」
それから間もなく、更に三名の冒険者が到着する。
「アレク、現着で~す」
「ダリル現着。無事、ではないな、マナ、ミナ」
「酷い怪我だ。治療しますよ~っと」
内二人は、S級冒険者ダリルとアレクだ。
アレクはすぐさま二人に近寄ると、手を構えて治癒を開始した。そしてダリルは、そのアレクを庇うように一歩前に立ち、剣を構える。
「早かったな。冒険者協会には?」
エフレインの言葉に返したのはアレクだった。「行っていません。たまたま外から戻ったタイミングだったので。あ、A級以下はヤバそうだったので避難誘導に回しときましたが間違いなかったっすか?」
「ああ、大正解だ。休む間もなく申し訳ない」
「いやぁ、これが仕事っすからね~。やるこたぁやりますよ」
アレクは男性にしては珍しい治癒士であり、かつ同時にS級というのもまた珍しい異色の冒険者だ。
S級たる所以はその治癒能力に留まらず、ダリルやマナたちと比較しても見劣りしないほどの剣術の腕を持っているからでもある。本来であれば治癒士はそもそも等級を上げること自体が難しい職業であるため、実質的に彼は本職と兼用しているサブの職業でS級に到達している。
カルファレステ街での冒険者協会の中でも、名実ともにトップに君臨するのがこのアレクである。
「ところで、どうして彼を連れてきた?」
そんなS級と共にやってきた男。それは──バルト。
シユウのパーティから脱退したはずの盾士の姿がそこにはあった。
「止めたんすけど、聞かなかったんで」
「邪魔なだけだ。ここはお前の居ていい場所ではないことぐらい分かっているだろう、バルト」
「覚悟の上です。それに、必ず役に立ちます」
「だから──」
「まぁまぁ。正直、自分的にはかなり役に立つと思うんで、連れてきたのはそれも理由の一つですよ。それに、あんまり悩んでもいられないでしょ?」
「……ち。バルト、分かっているとは思うが」
「死ぬ気はありません。微塵も」
「……ならいい」
エフレインの武器を握る手が一層強まる。
視線の先、パヌルの目が鋭くなったのを見逃さなかったのだ。
「話はそれで終わりか?」パヌルの挑発的な口ぶりに、だがエフレインは鼻で笑う。「なんだ、こっちが話し終えるまで待っててくれたのか? 老いぼれのくせに中々器のデカい奴だ」
「全く、腹立たしい奴らばかりだなここの冒険者は」
「お前も大概似たようなもんだろうが。少しは鏡見た方がいいぞ」
最初に動いたのはパヌルからだった。
マナとミナでさえ【狂化】を使ってようやく戦えるほどの高速移動。だが、予想に反してダリルの刃はパヌルの喉元を的確に狙った。
「……!」
ただダリルはロングソードを空中に構えただけだ。そこにパヌルが迫っていく。それだけの話。
咄嗟にパヌルは軌道を変え、軸が大きくブレる。だが、それを問題視したことはなかった。
例え体勢を僅かに崩したとて、それでもコンマ数秒の世界。それを狙われたことはこれまででも数えるほどしかなく、更には目の前の冒険者がそれに匹敵するとも思っていなかったのだ。
そんなパヌルを嘲笑うように、視線を向けもせずに放たれたエフレインの裏拳は、パヌルのうなじをしっかりと捉えた。
完全に死角から放たれたその一撃によりパヌルは宙を舞い、建物に勢いよく突っ込んでいった。
運よくその標的にならなかったもう一人のパヌルは、思わずその場で立ち止まる。
「……なんだと」




