1-38 歯には歯を-②
──マナとミナ、【狂化】発動から二分後、冒険者協会。
「支部長! しっ、失礼します!」
「なんだ」
酷く慌てた様子の受付嬢が、エフレインの執務室にノックもせずに扉を開け放つ。
「先ほどの衝撃の詳細が分かりました──禁忌魔導です!」
「……なんだと?」
「禁忌魔導、恐らく魔導式名は【狂化】、それも反応が二つありました」
それを聞いた瞬間に、エフレインは正体がマナとミナの二人であることを即座に理解した。かつ同時に、それほどに切羽詰まった状況であるということにも。
イスを倒しながらエフレインは立ち上がり、執務室の床を勢いよく足で踏み抜く。すると、床下に隠されていたエフレインのかつての主武器が床を突き破って現れる。
エフレインの身の丈の二倍はある長さの大剣。持ち上げることすら出来なさそうなそれを軽々と片手で肩に担ぐと、受付嬢に向かって大声で言った。
「ダリルとアレクがいれば禁忌魔導の発動区域へと向かうように伝えてくれ。そのほかA級以下は戦闘には参加せず、住民の避難誘導を最優先で行わせること」
「し、支部長は……!?」
「私は──一足先に向かわせてもらう」
そういうや否や、エフレインは何の躊躇いもなく建物の三階から飛び降りた。
そして、武器を担いだ姿のまま着地する。地面は破砕するも、エフレインは何ともなく、そのまま戦闘が行われている区画まで向かって駆けた。
「……死ぬなよ、バカ姉妹──!!」
──【狂化】発動から、三分後。爆心地。
あっという間に住民は周囲から居なくなり、その区画には三人だけとなった。
それ故に、マナとミナもいよいよ周囲への被害を完全に無視して戦闘を行っていた。
「──ぁあッ!」
ミナの投擲した瓦礫は、亜音速で老爺に迫る。だが、当然の如くそれを躱していく。投擲する瓦礫の速度も尋常ではないが、難なく躱す老爺はその一歩先を行く。
老爺の位置に注意しつつ、ミナは一撃離脱の構えを崩さない。老爺を中心に円を描いて移動を続けながら、足元の瓦礫を拾っては投げる。
「くそ、どういう動体視力なの……っ」
瞬き一つでもすれば老爺は一瞬にして距離を縮めてくるだろう。片目ずつの瞬きを行いながら、ミナは足元に転がっていたナイフの破片を手に取り──
「ふっ──!」
魔力を纏わせ、全力の投擲。
それまでの亜音速とは比べ物にならない超音速、秒速にして六百メートルにも達する速度で投擲されたナイフは、通常であれば耐え切れずに粉砕する。
だが、魔力で纏わせることにより形状を保ったままそれは老爺に向かっていく。
「……つまらん」
だが、それでさえも老爺はつまらなそうに片手で弾く。それを認識した次の瞬間にはマナの進行方向に老爺が移動していた。
「う!?」
反応はしたものの、右目の瞬きの死角に潜り込まれたことで僅かに老爺を見失う。
右目を開くのと、老爺の手がミナの首を掴んだのは同時だった。
対処する間もなく、それまでのミナの移動速度がそのまま運動エネルギーとなって喉にのしかかる。
死ぬ。
そんな予感がミナの脳裏に迸る。そこからが【狂化】の真骨頂だ。
一瞬でミナの意識は【狂化】に飲み込まれる。だがそれは暴走などではなく、人間としての生存本能を極限まで高めることによる副作用でしかない。
瞬間的であれ、【狂化】による身体能力向上は老爺をも上回る。
「……またか」
カッとミナの目が見開かれた刹那、老爺の腕にミナの左手がめり込む。一撃ではない。コンマ数秒間に五度の打撃。かつ、【狂化】による最大威力に、ミナの左手が粉砕するのと同時に老爺の腕も粉砕し、骨が表皮を突き破って血を撒き散らした。
「ぐ……」
手を離さざる得ない老爺は、咄嗟に後方へと飛び下がる。
と、それを見計らったように物陰から姿を現したマナは一瞬で老爺の背中に肉薄し、両手による十一連撃の打撃、そして魔力を纏わせたナイフを深々と突き刺した。
「……っ!」
確かに老爺の顔が歪む。だがそれでも老爺の動きは鈍らない。
一瞬で身を翻すと、マナの腹部へと閃光の如き二十連撃の拳が突き刺さった。ミナによって粉砕された腕を使わず、片腕でだ。
マナは前かがみによろめき、がぼっ、と大量の血を吐いた。
思わず両目を閉じてしまい、目を開けた時には目の前に老爺の膝が迫っていた。
「──が」
マナの顔が勢いよく弾かれる。
視界に火花が散る。ヂカヂカと光が爆ぜ、老爺の姿を認識できない。
だからこそ、【狂化】がマナの意識を飲み込む。
追撃せんとマナに迫る老爺の顎にマナのつま先が直撃する。そのまま流れるように、回し蹴り、老爺の髪を掴み肘を打ち込む。
そしてマナはバッと手を大きく広げると、その瞬間ナイフが手元に出現する。それを見ていた老爺はチッと舌打ちした。
「アイテムポーチ……!」
俗にそう呼ばれるその魔法は、魔力量に応じて内容量が可変する収納魔法。
冒険者にとっては喉から手が出るほど欲しがる魔法だ。
だが、マナが目を付けたのはただ収納するという部分ではなく、その収納の方法だ。
アイテムポーチは別空間に物質を収納する。
そしてそれは、心で念じた任意の座標に出現させることができる。
「……ばーか」
マナの目が老爺を睨みつける。その視線は一切ナイフには注がれておらず、僅か数瞬であっても老爺の脳裏に疑問を浮かばせた。その一瞬が命取りだと気が付いた時にはすでに全てが終わっている。
手元に武器が出現すれば、当然その武器を掴み、振るってくると考えるのが自然だ。
だがマナにとってはそれがフェイクであり本命は別にあった。
アイテムポーチから取り出す物質の出現座標は、マナを中心とした半径三メートル圏内だ。
「──小娘が」
そう呟いた老爺の顔面を貫通する位置に、ナイフが出現する。
脳を貫通する位置。ぐりんと老爺は白目を剥き、崩れ落ちるように倒れて絶命した。
「…………」
倒れ伏す老爺を見下ろして、マナは息を吐く。
……倒した?
あまりにも実感が湧かない。だが、目の前で確かに死んでいるのだから、この手で殺したということのはずだ。
だというのに。
胸騒ぎは一向に止まない。
「姉ちゃん!!」掠れた声で、ミナが叫んだ。「うし──」
「え」
緊張の糸が僅かであっても緩んだマナには、その者の接近に対応することは愚か、気付くことさえできなかった。
「小娘が」
「──!?」
突然背後に現れたその声の主は、振り返る必要性すらなく老爺だと分かった。だが、目の前で老爺は確かに倒れている。
そこまで考えて、はたと気が付いた。
マナがアイテムポーチの真価を隠していたように、老爺もまた、一人ではないということを隠していたにすぎないのだということを。
マナが動くよりも遥かに早く、老爺はマナの腕を背中に回した。
そのまま。
ゴキ。バキ。グキ。ペキペキ。グキャ。
「────────あ、あああ゛あ゛ッ!」
肩を外し、関節を逆側に曲げた。
「お姉ちゃん──!!」
ミナは怒りを隠さずに叫び、疾走する。
だが、数歩進んだところでうなじに衝撃を受け、そのまま体勢を崩して地面に倒れた。
その直後に、ミナの上にまたがる男。どうにかミナが顔を動かしてようやく見えた顔は、これまた老爺だった。
「……最悪」
ミナもまた両腕を背中に回させられた。左腕は粉砕骨折しているというのに、構わずだ。
「う……ぐ、ぁ……」そしてマナと同じく、肩を外し、骨を折った。「う、ぐ、ぅぅぅううううああああ…………!」
「やはりな」と老爺は言った。「【狂化】がより一層強まるのは死を感じた時か。とすれば、死なない程度に嬲ればいいわけだ」
「ははは」と老爺が笑った。「ははは」とまた別の老爺が笑った。「ははは」「ははは」「ははは」
「易々と死ねると思うなよ、小娘が」
その場に集まった老爺、実に五名。
マナは強く歯ぎしりした後、がくりと項垂れた。
ここで終わりなのだと、強く実感したのだ。




