1-20 幕間/ある気付き
赤竜と相対して最初に思ったことは、アレには勝てない。そういうシンプルな感覚だった。
ライカンスロープとの戦闘の有無に関わらず。
三十数名の冒険者で一斉にかかったところで。
例え士気が最高潮であったとしても……だ。
あれは、そういう存在だった。
S級冒険者であったマナとミナ、そしてダリルにより迎撃するも、赤竜には弄ばされている感覚が強かった。
当たったとてさして効いている素振りはなく、空を飛ばれれば成すすべもない。
実際、マナとミナはモンスターとの戦闘というより対人型モンスターとの戦闘が得意であり、言い換えれば硬い装甲や人型から乖離した姿であるほど実力を発揮しづらい傾向がある。
ダリルに関しては対モンスターとの戦闘として不得手である部分は少ないが、そもそも竜種はそれ以外とはまったく別種だ。他のモンスターと同列に語ることは出来ない。
結果から言えば赤竜はどこか上の空であったため死者は出なかったのだろうが、もし明確に敵意を向けられていたとしたらこうはならなかっただろう。
とはいえ、それであっても部隊の半数以上が怪我を負い行動もままならなくなったのも事実。
どうということはない、明確な敗北だった。
──クロガネの帰還から二日。
いまだクロガネは眠りから覚めず。
冒険者協会、医務室。
クロガネにとって二度目の医務室であり、マナとミナにとってもここでクロガネの目覚めを待つのは二度目だ。
だが、今回は今までと少し違った。
「……」マナは無言のまま、眠るクロガネの顔をじっと見つめている。「…………」
ベッドのふちに顎を乗せ、脱力しているその姿はどこか子どものようだ。下唇を突き出しているのがそれを余計に助長する。
マナが目覚めたのは一昨日の昼過ぎ。言い換えるなら、クロガネが意識を手放してから少し経った頃だ。
ミナはクロガネと街に戻る道すがら何度も言葉を交わした末の爆睡──気絶ともいう──であるからか特に気に留めてはいないようだったが、マナはそうはいかない。
なにせ、マナの最後の記憶はクロガネの部屋に朦朧としながら辿り着いたところで途切れている。
何も伝えていない。助けても何も言う前に、気絶してしまった。
だというのにクロガネはその直後に宿を出て、流れるようにライカンスロープ討伐戦、そして赤竜との戦闘に身を投じた──というではないか。
「……ずるい」
ぽしょ、とマナは言った。自分以外には誰にも聞こえない声量で。
「ほんと、ずるいぃ……」
マナはベッドに顔をうずめた。
自身の顔に、確かな火照りを感じたからだ。
「ううう……っ」
正直なところ、クロガネを頼るのはお門違いだった。
普通に考えれば意識朦朧としながらでも向かうべきは冒険者協会であるべきであるし、そもそもクロガネがマナの助けに応える保証もない。
何せ、この街に来る直前に襲われたあの赤竜だ。
いい思い出であるわけがない。
それでもクロガネを頼ってしまったのは、赤竜との戦闘経験があったこと、そして……数日、共に過ごしたからだ。
隠さず言うなら、打算は確かにあった。
だが蓋を開けてみれば、クロガネはマナが声を掛ける必要すらなく宿を出た。
マナの心を揺さぶるにはそれで十分だった。
「……」マナはベッドの下を確認した。ミナは呑気に寝ている。
大きく息を吸って、吐いて。意を決したマナは、音を立てずに立ち上がり、静かにクロガネの眠る布団の中に身体を忍ばせた。
気付かれないように行動するのには慣れているのだ。
暖かい。
クロガネの体温で温まった布団の中は、これ以上ないほど心地がいい。
そしてそのまま布団の中を突き進めば、当然ながらクロガネの身体がある。少しの逡巡の末、マナはクロガネを起こさないようにゆっくりと、クロガネの腕に抱きついた。
「……、…………」
あれ、とマナは思った。
既に一度、クロガネにくっついて眠ったことはある。そのはずなのに、どうしたのものか。
顔が熱い。心臓が速く動きすぎる。
何なのだろう。これは何なのだろう。
クロガネの腕の太さ。ごつごつした感触。匂い。温もり。
まるでアルコールに酔っているみたいに、ふわふわとしていて、どきどきしている。
マナの知らない未知の感覚。未知の感情。
頭がぽわぽわとしていて、うまく思考できない。何も考えられない。
マナの顔は、ゆでだこのように真っ赤だった。
「……何してるんだ?」
「……………………?」
だからこそ普段なら気付くはずであったのに、今日に限っては声を掛けられるまで本当に気が付きもしなかった。
惚け顔のマナは声の聞こえた方へとぎこちなく顔を向けると、困惑した様子のエフレインとばっちり目が合った。
いや、困惑だけではない。疑問と、驚き。そして興味。そういった複数の感情が混ざった、そんな顔。
「…………んん?」
「…………………………………………」
「ああ。なるほどな。やっと色恋沙汰にも興味が出てきたか」
マナは必死に言い訳を考えようとした。
だが、突然のことにまだ脳はこの現実を理解しようとはしていないらしい。魚のように口をパクパクと動かすので精一杯だ。
「………な………………なな……………………な、な………………………な、な、ななななななななななな」
「なに、クロガネは目を覚ます気配もないし、これを知っているのは私とお前だけだ。安心しろ。私はバカなことをしているのには厳しいが、色恋沙汰には寛容なんだ。見ていて面白いからな」
「ななななななななななななななななななななな」
「ははは。口外もしないから安心しろ」
「〰〰〰〰〰〰っ」
エフレインは言いたいことを言うと、満足したような笑顔を携えて医務室を出て行った。
取り残されたマナは、ただただ顔を押さえて悶える他なかった。
「うっ、うああ……あああ……っ」
マナは勢いよく布団から抜け出すと、途轍もない速度でベッドの下に潜り込み、そのまま丸まって羊を数えた。
「…………」
不思議な感覚だった。こんなにも、ミナ以外の誰かを気にしたことがあっただろうか。
言葉に言い表せない不思議な感覚に翻弄されている状態で、眠れるわけもない。羊が百匹ほど頭の中を横切っていった辺りで、数えるのをやめた。
だが、別のことを考える余裕が出来たなら、その隙間を埋めるように浮かび上がるのはクロガネの顔や声ばかりだ。
結局、人の気配を警戒しながらマナはおずおずとベッドの下から出てきた。
そして床に座り込むと、またそれまでのようにベッドへと顎を乗せ、じっとクロガネを見つめた。
本当に、不思議だ。
マナはゆっくりと息を吐く。
「早く起きて~。クロガネ……くん」
どうにも堪えきれず、手を伸ばし、無防備な頬をつついた。
「……ん」とクロガネが顔を逸らしたのを見つめて、マナはくすりと笑った。
「……ふふ」




