1-16 ぶっ叩き落す
ヤタガラスにクロガネは救われた。
そんなクロガネが、他人の死に鈍感であっていいわけがない。
もしそうやって他人を見捨てた先にヤタガラスと再会して、クロガネはどんな顔でヤタガラスと話せばいい。
ミナの安否は確かに気になる。
だが、だからと言って防ぐことができる惨劇を見過ごしていいわけがない。
「あ〰〰〰〰! もう!!」
クロガネ勢いを全力で殺し、その場に立ち止まる。
「こんのくそ赤竜!!」
そして、一気に魔力を貯める。
まだ実戦では使っていないが、純属性魔法を放つしかない。
失敗するなよ、俺。
「ぶっ叩き落す!!」
クロガネが何かをしようとしているのだと、すぐに赤竜は勘付いた。
空中であるからか、身を翻すのが早い。あっという間に赤竜の顔は真っ直ぐクロガネを見ている。
ヤバ。間に合わないかも。
いや。
迷っている時間はない。
「あああああああもおおおおお!!」
手が震える。
間違ったら死ぬ。失敗したら死ぬ。間に合ってもレーザー光線撃たれたら死ぬ。避けられても多分死ぬ。
怖い。
普通に、怖い。
魔力が溜まるのがやけに遅く感じる。
早く。早くしてくれ。
頼む。
スローモーションの世界の中で、赤竜が口を大きく開けた。
ブレス攻撃が来る。
死ぬ!
死ぬ!!
死ぬ!!!
——パアン、と、何かが赤竜の顔面で弾けた。
「あ」
赤竜は大きく怯み、顔を振るった。
イケる。
「——氷雪一閃」
クロガネの構えた手の先から、氷柱の如く氷が伸びていく。
そんなに早くはないが、赤竜が立て直して何かをするよりは早い。
赤竜が魔法に気が付いて身を翻そうとするが、それよりも早く氷柱は赤竜の身体に触れた。
氷雪一閃は、決して派手な一撃ではない。
触れた瞬間に赤竜を氷漬けに出来るほどではないし、アイシクル・ショットのように翼を粉砕できるわけでもない。
だがそれでもこの魔法を選んだのは、比較的ショットと手順が似ているという理由と。
継続的なダメージを確実に出せるというところだ。
ギャッアッ!
赤竜は思わず叫んだ。それもそうだろう。胴体に触れたその氷柱は、だがその勢いのまま体内を貫通していく。
背中から氷柱が突き出すとそこで成長は止まる。
代わりに、赤竜の体内の氷柱が『かえし』の役割をするために、枝分かれする樹木の如く四方八方へと延びる。
かなりの激痛だろう。赤竜は空中で大きくもがく。
この氷雪一閃の真価は、この先だ。
熱を加えられようとも内部から絶え間なく生成される氷柱は中々溶け切らず、体内に残留する。
ヤタガラス曰く、素人が放ったとしても生物の体内に最低一年は残留するという。
赤竜相手ではそこまで持たないだろうが、だがクロガネの魔力親和性の高さはすでに並みの魔法士のそれを遥かに超えている。
どれだけ少なく見積もっても、一日は余裕で残留するだろう。
何とか成功したことで、クロガネは思わず腰が抜けた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
心臓がドッコドッコと鳴っている。
そうしてクロガネが地面にへたり込んでいるにも関わらず、赤竜は今まで経験したこともないであろう痛みに悶えるので精一杯な様子だ。
なんせこの氷雪一閃、ヤタガラスのオリジナルであり、誰にも共有したことのない魔法だ。
経験があるわけもないだろう。
空中でもがく赤竜は次第に高度を落としていく。
と。その時だ。
突然、赤竜の身体が大きく弾かれた。魔法ではない。だが、何かと戦っているようだった。
クロガネの視力では何も見えないが、もしかすると近接戦闘職の冒険者が何かしているのかもしれない。
仮にそうだとしたら、かなり凄い。
少なくとも地上から百メートルまではいかずとも、それに近い高さを赤竜は飛んでいる。どうやって辿り着いたのか、どうやってその高さを維持しているのか気になるが、ともすればクロガネに出来ることはもうない。
「はぁ…………」
己の胸をさすって、心を落ち着ける。
まだこんなところで座っていられない。クロガネにはミナ捜索という本来の目的を達成していないのだから。
◇
朝を迎えた。
朝日が眩しい。
赤竜はその後、冒険者たちと戦ったのち、厳しいと判断したのかどこかに飛び去って行った。
これは勝利と呼んで差し支えないだろう。
それを見届けながらクロガネはずっと走っていた。
ずっとだ。
一人で走り続けるのはかなり堪えた。
そうして一応森までは何とか着いたわけだが、冷静になって考えてみればこんな暗い時間に森に入って何が出来るのだろうか。
そんなことを思いながら森の始まりといった位置でクロガネは座り、朝を待っていたのだった。
「うお~、朝だぁ」
ぐいっと身体を伸ばす仕草をするが、寝ていないので正直とても眠い。
明らかに森に入っていいコンディションではないのだが、ええい知ったことかとクロガネは自身の頬を思いっきり引っ叩く。
そうして森に入ろうとしたところで、おや? と空を見る。
「……煙」
煙が見えた。
明らかに目印だ。
「…………朝まで待ってて正解だったかも」
そうしてクロガネは、その煙に向かって一直線に森を走り抜けた。
思ったほど距離は離れていないようだ。案外簡単に合流できるのかも? と希望を持ったところで、見計らったかのようにライカンスロープが木陰から飛び出してきた。
「——!」
咄嗟に剣を抜き、ライカンスロープに突きつける……と。
キュウン……。
と、縮こまってイカ耳になっていた。
あ。昨晩お世話になったライカンスロープですね。そうと分かればこちらのものだ。
剣には雷を纏い、バチバチと破裂音を響かせる。
そして。
「うああああああああおおおおお!!」
叫ぶ。
それだけでライカンスロープはいっそう縮こまり、後退りする。
しっかり恐怖が植え付けられているようで何よりだ。このまま上手くいけば、周囲の人里にも近付かないライカンスロープになるかもしれない。
「だああああああ!!」
パシャアアン。落雷のような轟音を響き渡らせると、流石に耐え切れなかったのかライカンスロープは一目散に逃げだした。
向かう先は——煙の立ち上がっている方向だ。
「っておい! そっちダメ!!」
慌ててクロガネはライカンスロープを追いかける。も、流石は四足歩行。
あっという間に引き離されてしまった。
「あーもう! 何となく曲射ショット!」
その名の如く、何となく曲射させてみたショットである。
木々の生い茂る森の中で直線的に進むショットが当たるとも思えず、上空に向けて放ったショットだが、冷静になればどこに何がいるかも分からない状況で放つのは明らかに愚策だった。
「やべ!」と言ったのと、森のどこかでキャゥン! とライカンスロープが鳴いたのは同時だった。
「あ、当たったの? あれ……まぁ、人ではなさそうだし、いっか……」
そんなこんなで森を突き進むこと約一時間後。
時刻およそ午前八時頃。
ライカンスロープを五匹ほど追い払った直後に、クロガネはいきなり現れた更地に辿り着いた。
「ん!?」
いきなり視界が開ける。
かなり広い範囲が更地になっている。というより、木々が焼失していると表現したほうが正しいだろうか。
その景色は、まさしく赤竜との戦闘痕とみて差し支えないだろう。
すでに大半は炭化している。
そんな空間には、何体ものライカンスロープが横たわっていた。
流れ的には、赤竜がライカンスロープを追い立てていたのだろうから、最初にライカンスロープと戦闘になり、それから少し経った頃に赤竜が来て……という感じだろうか。
焦げたライカンスロープが何体も目に付くのもそれなら理解できる。
そして、その空間の中心付近には人の姿があった。
そこそこ人数がいる。が、半数以上が横たわっていて動かない。
残りも座っているのがほとんどで、戦闘を行えそうなのはざっと見ても五、六人といったところか。
周囲にライカンスロープをはじめ、モンスターの気配はない。
クロガネはそのまま中心に向けて走った。
「おーい」
なるべくにこやかに手を振りながら近付いたら、とても怪訝そうな顔を向けられた。何故なのか。
冒険者の普通が分からないのでそこは大目に見てほしい。
「……なんだお前」
と聞いてきたのは、ゴツゴツの全身鎧を纏った男だった。
手には大剣。どう考えても両手で持つようなそれを片手で持っている。凄い。
そして、結構歳も取っているようだ。少なく見積もっても四十台だろうか。だからこそ大剣を持っていることが余計に凄いのだ。
「……冒険者、か?」
「いえ、厳密にはまだ冒険者じゃないです。すいません」
「何しに来たんだ」
「え? あなた方の安否確認に。あなた方も冒険者でしょう? 協会からの依頼で、ライカンスロープの群れを何とかしに向かった」
「……そうだな。この有様だが……。ところで街はどうなった? 赤竜は?」
「あ。全然無事です。赤竜も取り敢えず何とかなりましたよ」
「どうにかなった……のは、やはり本当なのか」
どこか半信半疑といった雰囲気だが、話を聞く限り逆方向に飛んでいく赤竜を確認したのだろうことは想像できた。
「まぁ、取り敢えず今の状況を——」
とクロガネが話しているときだった。
「ああ〰〰〰〰!? くっ、くく、クロガネ君!? どっ、どうしてここに!?」
「ん? んん!? ミナさん!」
そこには、森で集めてきたのか山菜やキノコがたっぷり詰まった袋を担いだミナがいた。
鎧の男が「なんだ? 知り合いか?」と話している途中でも構わずミナは全力疾走してクロガネに飛び掛かった。
抱きついた、というより突進だった。
「なるほどな。知り合いらしい」
鎧の男はやれやれと首を振った。




