1-15 圧倒的な熱
ゲホ、とむせた。
口の中で血の味がする。
耳は爆音でやられ、耳鳴りで何も聞こえない。
だが、寝ていては駄目だ。
そんな予感からクロガネは何とか立ち上がり、後ろを振り返って、唖然とした。
赤竜を中心とした半径約三百メートルほどが真っ赤に溶け、まるで火山地帯のような有様だ。
なるほどなと思った。エフレインがあそこまで慎重に考えるほどの何かが赤竜にはあるのだろうと考えてはいたが、確かに、底が見えない。
「勘弁してくれ……」
ぐつぐつと煮え滾る溶岩の中心で、赤竜はいつの間にかクロガネのほうに身体を向けている。
動く様子はないが、何か企んでいることだけは明確に分かる。
さてどうしたものか。
なるべく顔は動かさずに周囲を見渡す。
街の外の景色はかつてクロガネが見たものとだいぶ違う。大地の亀裂がないことから、少なくともクロガネが来たのとは別の方角なのだろう。
結構離れてはいるが、森のようなものも見える。ライカンスロープが向かう先といえばあの森の方角ぐらいしかない。
必然、ミナの捜索をするならあの森だ。
クロガネの居た宿からマナとミナが出て行ったのが昼過ぎ、そしてマナが帰ったのが夜。
時間にして恐らく六時間から長くても八時間程度。
往復の時間と戦闘を考えれば、遠方に向かったとは考えづらいことからも最有力はあの森だ。
となればクロガネは森を目掛けて移動すればいいのだろうが、最悪なのはクロガネの現在地から見ると赤竜を挟んだ反対方向なことだ。
「い〰〰、だっる……」
これからの赤竜は、これまでの舐めプ赤竜とは一味も二味も違うことだろう。
それを表現するかの如く、身体中が先ほどの前腕のように赤く——。
赤く?
「——やッ、べぇ!!」
クロガネは勢いよく左方に疾走する。街の方角に今の赤竜を向けるわけにはいかないため、そこしか逃げ道はない。
直感で後方に移動しなかったのはブレス攻撃を警戒してではあったが、それはある意味正解だったようだ。
ジュッ。という音がした。
少し前までクロガネが立っていた位置を目掛けて、レーザー光線が通り抜けた。
「ひぃ」
威力がそれまでと桁違いすぎる。
戦えるビジョンが一切わかない。
当然クロガネが移動しているのは赤竜も分かっているのだろう。レーザー光線はそのままクロガネを追尾する。
「ああああああああ!! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ無理無理無理無理」
だが、土壇場で魔力操作を理解したクロガネの脳内は、いまだ高速回転しながら最適解を即座に導き出し、考えるよりも先に身体が動いた。
「だらしゃー!?」
素っ頓狂な掛け声とともに飛び上がったクロガネは、拡散ショットをあたかも軌道修正するスラスターの如く操り、バク宙するような格好でレーザー光線を避けた。
自身の行ったアクロバティック回避を理解するよりも早く、今度は前方から迫る。
「いいいいい」
次、同じ避け方をしたとして赤竜がそれに対応してくるのか、定かではない。
かといって裏をかいて下を潜り抜けるのもリスクが高すぎる。
「ちぬ……」
思わず涙声になった。
——その時だ。
『まったく、危なっかしいなぁ、クロガネくんは』
「へ?」
聞き間違えるはずもない。
その声は確かにヤタガラスで。
『大丈夫、守ってあげる』
言葉の意味を理解するよりも先に、クロガネはレーザー光線へ突っ込むように疾走した。
何故か、大丈夫な気がしたのだ。
「信じるからなぁ!!」
レーザー光線が眼前に迫る。
あっつ。
凄く熱い。
眩しい——。
突っ込む間際にクロガネは目を閉じ——そして次に目を開けた時、いつの間にやらレーザー光線を貫通していた。
「………………ぶぇ」
もう駄目だと思ったのに、クロガネの身体は無傷だ。
そういえば、前にもこんな不思議なことがあった。
ライカンスロープに吹き飛ばされたとき、不自然に一つも怪我をしなかった。もしかすると、それも含めて何かしらヤタガラスの加護か何かあるのやもしれない。
それは今度アマテラスに聞いてみるとして。
今は生き残ること優先だ。
クロガネの後方でレーザー光線は消失した。
あれだけの威力と熱量だ。当然制限時間はあるだろう。思ったよりも長かったが、死んでいないなら問題ない。
赤竜に視線を向ければ、何かえずいているようだった。
おおかた、喉が熱量に耐え切れなくなったとかそういう感じだろうか。そうであってほしい。
デメリット無しにレーザー光線を放たれてはこちらの身が持たない。
一先ず——この隙に距離を稼ぐ。
先ほどは赤竜の半径二百メートル程度を基準にしていたが、それでも攻撃範囲内なのだから末恐ろしい。
余裕をもってその二倍近く離れた位置をクロガネは移動しているが、それはそのまま移動距離も長くなるということだ。
「きっちぃ!!」
拡散ショットで補助しているとはいえ、流石に走り続けるのは厳しすぎる。
何か、赤竜の気を惹く手段はないか。
そう思っていた矢先だった。
「ん!?」
街の方角から何かが宙に放たれた。一つや二つではなく、数えきれないほどだ。
魔法だろうか。それは放物線を描きながら、いまだえずく赤竜に降り注ぎ、直撃と同時に——爆発した。
「うお……」
止まらない。
絶えずに発射され続けるその魔法は、まるで流れ星のように輝きながら赤竜の周囲を殲滅せんと降り続ける。
流石の物量で赤竜も苦しそうにもがく。
だが、それでも赤竜は相変わらずクロガネを見ている。
執着しすぎである。女性に嫌われそうな執着っぷりだ。
次第にクロガネは冒険者たちの位置から赤竜を挟んだ対角の位置に差し掛かる。
このまま赤竜がクロガネを見続けていれば、冒険者の格好の的だ。
そろそろ諦めてくれるといいんだけどな。
そんなクロガネの想いとは裏腹に、赤竜は大きく翼を広げた。
あー。もう嫌な予感しかしない。
その翼は、以前の前腕よろしく真っ赤に発光しているのだから。
「もう勘弁してくれ……!」
赤竜と相対すればするほど、真正面から戦って勝てるビジョンが湧かない。
くそ! クロガネが思わず悪態をついたとき、ピカ、と夜空に光が瞬いた。
「——!」
いまだ赤竜に降り注ぐ魔法と比較しても数倍、いや数十倍はあるサイズ感。
それが、今まさに攻撃を放たんとする赤竜の直上で破裂した。
「氷魔法!」
白銀に輝く粒子が赤竜を覆い隠す。
直後、一気に水分が蒸発する音が鳴り響いた。効いている! 赤竜の翼がみるみる光を失っていることからそれは明らかだ。
ナイス!
クロガネが内心ガッツポーズした、その後も冒険者達は一切容赦なかった。
同じサイズ感の魔法が、休む間もなく降り注いでいる。
このままいけるか。
そんな淡い希望を、だが赤竜は一瞬で打ち砕く。
これだけの魔法攻撃を受けながら、それでもなお赤竜はまだまだ余力を残していたのだ。
強力な翼の羽ばたきが白銀の粒子を吹き飛ばし、かつ次弾が炸裂するよりも早く赤竜は宙に舞い上がった。
完全に赤竜の視線はクロガネから冒険者、そして街の方角へと移っている。
ゾク。と、クロガネの背筋が凍る。
空中からレーザー光線を放たれたらひとたまりもない。
だが、冒険者たちが街へ逃げればそのまま街に被害が及ぶ。
まずい。それだけは分かる。だが。
仮にクロガネがもう一度翼を狙って撃墜したとて、もう一度あの赤竜の攻撃を掻い潜ることができるだろうか。
まだ森までは遥かに距離がある。
いざ走ってみて理解した。これ以上、クロガネには赤竜に割けるほどの余力はない。
……別に、ミナの捜索が最優先なのだから、別にいいじゃないか。
と、心の中の悪魔が囁いた。
……顔も知らない冒険者も、死ぬかもしれないことを覚悟のうえでここにいるんだろう。
……なら、別にいいじゃないか。
確かにそうだと思った。
でも同時に、本当にそれでいいのかと自身に問い返す。
自身の利益のためだけに、他者を平気で蹴落として、それで屈託なく笑い合えるだろうか。
「…………それは、無理だなぁ」




