1-06 冒険者協会-③
「テメェ! ぶっ殺してやる!」
「あ! 生きてた! よかった〰〰」
「ああ!? ショット程度で死ぬわけねーだろボケが!」
埃にまみれながら男は建物の中に舞い戻ってきた。
とても怖い暴言を延々と吐き散らかしているが、一先ずは死んでいなくて安心である。
「あのー」とクロガネが背後の受付嬢を振り返ると、すかさず男は「余所見するたぁ余裕だなヴォケが!」と叫んでいたが無視した。
「あの人の名前ってなんていうんですか?」
「あ、あの人は……ヴォ、ヴォルガ……さん、です……」
男──もといヴォルガはクロガネが無視したことに腹を立てたのか、他の冒険者を押しのけながら一直線に向かってくる。
と、その時だ。
ヴォルガが腰に差した武器に手を掛けた。
瞬間、冒険者協会の空気が一気に張り詰めたのがクロガネにも分かった。
ずしん、と重くのしかかるような重圧。
誰かから、じゃない。この建物のロビーにいる全ての冒険者からだ。
それは当然ヴォルガも察したようで、すぐさま武器から手を離す。
なるほど、と思った。
素手はオーケー。だが武器の抜刀はご法度というところか。
……ショットは結構グレーゾーンではなかろうか。
仮にこれが駄目ならクロガネはタコ殴りにされて終わりである。
なんせまともに特訓したのも魔法ばかりで、体術はからっきしだ。
ヤタガラスから護身程度の体術の知識は貰っているが、実践したことは今だにない。
喧嘩はやめておこう。
色々とリスキーすぎる。
クロガネは両手を上げる。「あーい。降参、降参」
それでもヴォルガが襲い掛かってきたときにはショットもやむを得ないと考えたが、当の本人は先程の重圧で熱が冷めたらしい。
「ち……」と言って、静かに冒険者協会を後にした。
それを見届けると、まるでそれまでの騒ぎが嘘だったかのように冒険者たちの雑談や笑い声に包まれる。
そして誰も、クロガネに見向きはしなかった。
なるほど、とクロガネは思った。
なんとなく、冒険者という人種の性格が分かった気がした。
そうして気が抜けると、必然的にそれまで気が付かなかったことが見つかるものだ。
知識としては持っているが、実際に目にしたのは初めてだ。
亜人種。魔人、獣人、精霊人、土人。
ざっと見たところ、半数が人族に対して、三割の獣人、後はエルフとドワーフが一割ずつ程度。魔人とすぐに分かるのは二人程度だった。
「あ、あの〰〰……」
「え? あ、すいません」
などと余計なことを考えていると背後の受付嬢から申し訳なさそうに呼ばれた。
「さ、災難でしたね。えっと、治療証明書、確認しました……料金ですが」
「えっ」
「ん……? 何か問題が……?」
言われて思い出した。
実はクロガネ、現在一文無しである。
ヤタガラスは長い期間を森の中で過ごしていたため、基本的に自給自足だったようで、お金に該当しそうなものは一つもなかったのだ。
「…………働ける場所ってありますか」
「……あ、あ~、なるほど。一文無しと……」
「まぁ、その、はい」
「そうしましたらですね、一先ず働ける場所を探し──」
「治療費についてはこちらで立て替えるから問題ない。壁の修繕費もな」——突然の女性の声。
それはクロガネの背後からだった。
「あ!」と言ったのは受付嬢だった。「エフレイン支部長!」
支部長。
そのまま捉えるなら、冒険者協会カルファレステ支部の、支部長ということだろう。
つまり、偉い人だ。
……。なぜ立て替えてくれるのだろうか。
クロガネは振り返って、エフレインと向き合う。
でっか。
失礼極まりない単語が思わず口から出そうになったのを堪える。
真っ赤な髪、迫力のある眼光。間違いなく冒険者上がりなのは確かだ。体つきも筋肉質で、大剣であっても易々と振り回しそうな迫力がある。
そして。あれだ。
その。
胸がデカい。
「は、じめまして。クロガネです」
「ああ。カラステから話は聞いているよ。あとはバカ姉妹からもな」
バカ姉妹。クロガネ宛にメモを残したのはどうやらエフレインなのだとすぐに分かった。
「バカ姉妹からは好評だったな」
「それは、何よりです」ははは、と笑いながら、クロガネから話題を切り出す。「ところで、何故立て替えてくれると? 自分にはそんな価値はないと思いますが」
「なにを言う。赤竜との戦闘経験は貴重だ。治療費と修繕費を払ったところでお釣りが来る」
「……逃がす気はない、ということですかね」
「はは。話が早くて助かる」
カラステと話した時点からおおよそ検討は付いていたが、やはりそういうことなのだろうか。
「……赤竜討伐をお考えで?」
「考えているだけだがな。実行に移すには何も足りてはいない。まぁ、ここで話すのもなんだ。付いて来てくれ」
「了解ですっと」
そうしてエフレインの後を付いて行く。
受付カウンターの奥に扉があり、その先の階段を上がっていく。
三階ほど上がっただろうか。まだ階段は続いているが、廊下に出る。
窓があった。
初めて見る景色だ。
基本的には建物は石造りと木造が入り混じっているらしい。
一見栄えているようには見えるが、よく見れば建物が無い区画がある。いや、区画というより、倒壊しているようにも見えた。
恐らくそこは、赤竜の襲撃を受けた場所という認識でいいだろう。
街の中とはいえ、空を飛ぶ竜が来ないという確証はない。
というより、クロガネは街のすぐ近くで襲われている。
寧ろ赤竜はこの街の周辺を餌場か何かと考えている可能性すらあるのだろう。
「随分珍しそうなものを見る目をするんだな」
「……カラステさんから聞いているんでしょう?」
「そうだな。お前が無知であるということ……。どうだかな。私は無知というより、そもそも記憶を無くしているとみているが」
「……!」
「この部屋だ。入ってくれ」
豪奢な扉がそこにはあった。
エフレインが手を掛けると、軋んだりはせず、緩やかに開いた。
力を掛けている様子もない。高級品なのだと分かる出来だ。
支部長室、ともいうのだろうか。
感覚的には立派な応接室という方が納得できてしまいそうだが、びっしり詰められた本棚を見るとしっかり使われている部屋なのだと感じる。
「ソファに座っていてくれ」
「……失礼します」
ふかふかだ。
こんなにふかふかなソファに座ったことはない。
エフレインは机にあったベルを一度鳴らすと、すぐにいくつかの書類を持ってクロガネの対面へと座った。
それとほぼ同時に部屋の外から声が掛かる。
『紅茶でよろしいでしょうか』
「問題ないかね」
「大丈夫です」
「それで頼む」
『承知しました』
エフレインは書類をいくつかクロガネの前に差し出す。
「一先ず、治療費と修繕費の立て替えのためにこちらの書類にサインを……と、字は書けないし読めないんだったか?」
「恥ずかしながら」
「であれば拇印で構わない」
「助かります」
そうして書類二枚ほど拇印を押したのち、エフレインは真っ直ぐにクロガネを見た。
「……。単刀直入に聞こう。ヤタガラスは元気かい」
「ヤタガラスさんをご存じで?」
「ああ。かつて共に旅をしたことがある。数ヶ月程度の短い期間ではあったがな。彼女ほどの実力者を私は他に知らない」
「やっぱり、ヤタガラスさんはすごいですよね」
そこで一拍おいて、クロガネは口を開く。
なんとなく、話してもいい気がしていた。
「ヤタガラスさんのことを、どこまでご存じで?」
「彼女は、少なくとも人間などよりは上位の存在である、ということ」
「あ。それを知っているんですね」
「勿体ぶるな。ヤタガラスは今、どうしているんだ」
「……正確に言うなら、消失しました」
「………………、そうか」
エフレインは目を伏せた。
何か言おうとしたが、言ったところでなんになるというのだろうか。クロガネはエフレインが視線を上げるまで口を噤んだ。
「……ヤタガラスは、無意味なことはしない。結果的に消失したとはいえ、だ。それに対して私から何か言うことはないが、そうだな……」
「……」
「もしヤタガラスの居た場所に戻ることがあれば、いくつか持って行ってほしいものがある。その時は声を掛けてくれないか」
「ええ。分かりました」
その時、部屋の扉がノックされる。
『紅茶をお持ちしました』
「入ってくれ」
扉が開くと、ふわりと紅茶の香りが漂った。
気が休まる、いい香りだ。
「紅茶でも飲んで一休みしよう。話はそれからでも問題ない。君も、ヴォルガとかいう奴に絡まれて災難だったろうからな」
「……お言葉に甘えて」




