1-05 冒険者協会-②
鳥の囀りが聞こえて、ああ、朝なのだと気が付く。
ぱちりと目を開けて、天井を見る。それまで何か、とても心地のいい夢を見ていたという感覚。
内容は思い出せなかったが、久々に──心地のいい朝だっ
「おあよーざまーす」
「……」
「なんですかその顔」
……心地のいい朝だった。過去形だ。
残念。最悪の朝に訂正。
「目覚めて最初に美少女の顔を拝めるなんて中々ないですよ」
「ミナさん、自分で美少女とか言わない方がいいですよ」
そう。突然医務室にやってきたのはマナの妹であるミナだった。
昨日のカラステとの会話の最中、医務室の角でマナに頭を叩かれながらも何かを話している様子を、クロガネはそれとなく観察していた。
決して長い時間の観察ではなかったが、それでも分かったのは、マナと比較して喜怒哀楽の表現が豊富だということだ。
とはいえそれは普通の範囲内なのだろう。寧ろマナが無心すぎる所がある。
「え。なんでぇ」
「ちなみになんですけど」
「はい」
「俺ってイケメンですよね」
「何言ってんだお前キショいな」
ちょっと泣きそうになった。そんな容赦なく棘を突きささなくてもいいだろう。
普通にキツイ。
「……そういうことです」
「え? あ。あ〰〰〰〰。うん。はい。ごめんね。君のこと殺して今の会話なかったことにしていい?」
「暴虐非道にもほどがある!?」
姉に似た顔立ちながら、その言動は姉と違って結構騒がしいうえに、棘がなかなか鋭い。
酷いものである。
「まぁそれは置いといて」
……いきなり無表情になる辺りはマナの妹らしい部分だと思った。
会話の寒暖差で風邪を引きそうだ。
「朝ごはん、持ってきたよ」
「あ、ありがとう」
「起きられる?」
「多分……」
上体を持ち上げようとして、ぴき、と痛みが走る。思わず「うげぇ」と声が漏れた。
赤竜の攻撃が直撃したわけでもないのにこの有様だ。心底がっかりしている。自分という存在の貧弱さに。
何とか起き上がろうとしていると、いつの間にかすぐ隣にミナがいた。
「ごめん。手伝う」
「……ありがとう」
既視感がある。
そういえば昨日も似たようなことがあった。口調やノリはあれだが、他人を気遣う心は姉と共通なようだ。
「ということで」
「ということで?」
「私にいくらか朝食を恵んでください」
「ナンデ?」
律儀なのかそうでないのかよく分からなくなってくる。
仮にも見た目から冒険者であろうことは分かるのだが、クロガネには分からない色々な事情があるのかもしれない。ないような気がしなくもないが、決めつけるのはよくない。
クロガネは食事を一瞥したのち、いくつかの皿をミナに渡した。
何故かは分からないが、今回の朝食は明らかに病人が食べるよりも多くの量がある。
腹は減っているから食べられないことはないのだろうが、ミナに譲渡して丁度いいぐらいだ。
「……え、ほんとにくれるの?」
「要らないなら別にいいけど」
「あ、いや、食べます。頂きます」
そうしてミナは周囲を見回し、クロガネのベッドの横にあった椅子に腰かけた。
それからは、やけに静かな朝食の時間だった。
◇
「はい。退院です」
「ええ……?」
朝食を終えて、僅か一時間後のことだった。
真っ白な衣服を着た、いかにもな医者がやってきたのだ。その医者はクロガネを触診したのち、パパッと魔法を使ってクロガネの怪我を完治させたのだった。
一瞬の出来事だった。
それからはクロガネが戸惑っているにも関わらず勢いよく着替えさせられ、そのまま医務室から追い出された。そう、追い出されたのだ。
「それでは、このまま通路を進んでいただいて、突き当りを右に向かいますと冒険者協会の正面ロビーに繋がっておりますので、そちらで受付ください。はい。これ治療証明書。受付嬢に渡してください。お大事に~」
「あ、ちょ……」クロガネが何かを言い返す前にそそくさとその医者は去っていった。「ええ…………?」
医者がいなくなった直後から、廊下はしん、と静まり返る。
廊下に出てみてやはり、となったのは、医務室は建物の端にあるということだ。
誰も近付かなそうな廊下の端。
確かにこれはサボり場所としてはこれ以上ないように思えた。
そしてこの医務室の配置とマナの言動から察するに、そもそも冒険者は医務室に来たりはしないのだろう
先程の医者の魔法のように瞬く間に治療できてしまう魔法があるなら、確かに医務室など必要とはしていないのかもしれない。
クロガネは頭を掻きながら廊下を移動する。
突き当りを右に行くと、すぐに大きな扉があった。いや、頑丈そうな扉と言い換えてもいい。
そしてその扉の向こう側からは人の気配がある。
「……」
今まで感じたことのない多くの人の気配。
ドクン、と胸が高鳴る。
深呼吸。
そして扉に手を当て、ぐっと押し開く。
扉が開くにつれ、人の喧騒がぶわりとクロガネの頬を撫ぜる。
そして扉の向こうを窺おうとした──その時だった。
「死ねやァ!!」
「ぎぇ……ッ」
クロガネの目の前に血まみれの男が飛ばされてきた。
コワ。
治安悪ぅ。
「ええ……」
第一印象は最悪である。
冒険者協会って怖いところなんだ。
「アッ」と、血まみれの男がクロガネを見た。目を逸らしたが、一瞬とはいえ完全に目が合ってしまった。「あのぉ! 助けてくれやせんかぁ」
どうするのが正解なのだろうか。
人違いですと言って扉を閉めるのが、恐らく最も安全なのだろう。
だが懸念点を挙げるならば、こちらがそんな及び腰を見せた時の周囲の反応だ。
冒険者がどういった性格なのかは把握していないが、血まみれの男が飛んでくるようなところが真っ当なところである訳がない。
であるならば。
強気に、そして、軟弱者だと思われない行動をすればいい。
つまり、こうだ──。
「なんだお前」
「へ?」
「知るか」
とクロガネはゴミクズを見るような目で睨みつけたのち、その男を踏んずけてロビーに出た。
周囲には冒険者らしき人がいる。
クロガネを見る目は──、やばい奴を見てしまった感じの目だ。
あ。
うん。
これ、間違えたな。
深く考えたら負けである。虚勢であっても見てくれは堂々としているべきだ。
そのままクロガネは歩みを止めず、一直線に受付へと向かう。
当然受付の場所など分かりはしないが、それっぽいところに堂々と進んでいくことに意義がある。
受付には、女性が一人いた。受付嬢で間違いないだろうか。間違っていれば正しい場所を案内されるだけだ。
問題ない。
「あの、ここ受付で合ってます?」
「あっ、はい、合って、ますが……」
正解だったようだ。一先ずクロガネは胸を撫でおろす。
だが、どうにも受付嬢の言葉がぎこちない。
「治療証明書、渡すように言われたので」
「は、はい……承知し、まし…………」
「ん?」
「あ、あの……」
そこでようやく、受付嬢の視線がクロガネではなく、クロガネの背後に向けられているのが分かった。
少し怯えたような受付嬢の声。
とても嫌な予感がした。
こんなに振り返りたくないことは中々ない。
ゆ────…………っくりとクロガネが振り返ると、とても顔の怖いお兄さんがそこには立っていた。
コワ。
頬についているのはなんだろうか。
赤い。どう見ても血だ。恐らくは返り血。
「……どうしたんっすか」
噛んだ。
どうしたんですか、と言おうとしたのに、結構やばそうな噛み方をしてしまった。
殺されるかもしれない。
ごめん。ヤタガラス。
こんな不甲斐ない俺で。
「お前」
「?」
「もしかして、赤竜滅士、か?」
「えっ? 何それ」
「あ?」
「ん?」
「違うのか?」
「多分違うと思う……」
その直後だった。
突然男は殴りかかってきた。あまりに唐突で避けられない。
クロガネの顔面に重い一撃が入った。
ぐわん、と揺れる視界。
何故?
理由も分からないまま殴られて、思わずクロガネはほぼ無意識にショットを放ってしまった。
「──ガッ!?」
やば、と思った時には、その男は壁を突き破って飛んでいってしまった。
いや、より正確に言うなら、クロガネが吹き飛ばしてしまったのだ。
「……………………やっちゃった」
と言いながらクロガネは受付嬢を振り返る。
「ひえ」
と受付嬢は少し怯えていた。
本当に、すみません。




