1-03 怪我人
クロガネの目が覚めた。
目が覚めたということは死んではいないということだ。
思わず飛び起きると、ビキビキ、と身体中に激痛が走った。
「……い゛っ、てぇ〰〰」
痛みの中、何とか見回した周囲を見て分かったのは、ここが屋外ではないということだ。
というか寧ろクロガネはベッドにおり、周囲には恐らく薬品か何かの棚、さらには消毒液の匂い。
屋外ではないどころか、ここは普通に病院のような場所らしかった。
それ自体に文句はあるわけもないが、仮にここが病院なのならば十中八九クロガネは荒野を歩いたのちに見つけたあの街の中に既にいる、と考えるのが妥当だ。
記念すべき最初の街の入り口をくぐった時、クロガネは気絶して意識のないままだった、ということが残念でならなかった。
痛みは次第に収まった。今度はゆっくり辺りを見回す。
いや、何度見ても新しい発見は無いのだが、正直歩く気力もない今のクロガネに出来るのは周囲を見回すことぐらいなのだからしょうがない。
と、その時ベッドの脇の棚に一枚の紙切れがあるのが目に付いた。
手を伸ばして届く距離だ。この位置にあるということは、自分宛てなのだろう。違ったらその時は、まぁ、そっと元の位置に戻しておけばいい。……はず。
「…………ん?」
さて。
ここで新たな問題にぶち当たった。
この世界の言語に関しては問題ない。ヤタガラスの光球によって理解出来るようにはなったのだが……筆記体は、ちょっと、分からない。
さらに言えばこれが達筆なのか、それとも普通なのか、というところも分からない。
「んんんん……」
何度見ても分からない。
「ふふ……」
意味ありげにクロガネは笑い、紙切れを元あった位置に戻した。
あ、すみません気付かなかった、で通す気満々である。
「なんで元の位置に戻すの?」
バッとクロガネは顔を動かす。気が付けばクロガネのベッドのすぐ隣に彼女は座っていた。
黒髪短髪の少女だ。見たところ、身体の要所に防具が付けられているため、少なくともただの住民という訳ではなさそうだ。とはいえ、防具を付けている割に衣服の露出は多めでよく分からない。
それまで見回した時には居なかったはずだ。
ということは、どこかに隠れていたのか。
「んんんん……いつからここに?」
「あなたがここに運び込まれた時から」
「まじでいつからここにいるんだよ」
そこは普通、『いってぇーと言っていた辺りからいました』とかそういう返答をする部分じゃないのか。
「このベッドは私の格好のサボり場所だった。でもあなたに奪われた。悲しい」
「奪われたってそりゃ不可抗力だよ」
「だからベッドの下で寝てた」
「なんでそんな所に……」
「知らない男と一緒のベッドに寝るよりはマシ」
「なんでだよ別の部屋いけよ! 知らない男の寝てるベッドの下で寝るのも大概だよ!」
この少女、顔は間違いなく可愛い部類であるはずなのに、性格に難アリである。
それに、基本的に真顔で表情がほとんど動かないからいまいち感情も読み取りづらい。本気なのか冗談なのかの判別が出来ない。
「……?」と、その時彼女は首を傾げた。「普通はベッドの下では寝ないの?」
あ、これ、本気の顔だな。とクロガネは素直に思った。
なんだ。
もしかして俺がおかしいのか?
思わずそう考えたが、そんな常識をヤタガラスに教わった覚えはない。
「…………普通は寝ないと思うよ……」
「……そっか。ミナも一緒に寝てたから普通だと思った」
そう言って彼女はベッドの下を蹴った。「ぐぇ」と声が聞こえた。二人いたのか、このベッドの下に。クロガネは思わず頭を抱えそうになった。
やばい場所に連れてこられてしまったのか、そもそもこの世界の倫理観が狂っているのか、分からない。
未知とは恐ろしいものだ。
「そう……すか……」そこでようやく、挨拶も何もしていない事に気が付く。本当に挨拶していいのかという不安も無いわけではなかったが。「あ、俺はクロガネって言います。よろしく……?」
「む……」と、彼女は身構えた。「私の名前を聞いて一体何をするつもり」
ここで身構えるのはまぁ正しい反応だとしても、他人の寝てるベッドの下で寝るような奴が何を身構えるんだと思った。
口には出さなかったが。
「もう一人の名前は勝手にバラしちゃってますがね」
「ふ、不覚……!?」
ミナ、というらしいもう一人はいまだにベッドの下から出てくる様子はない。
微かに寝息らしきものが聴こえる。本当に寝ているのだろう。少し怖くなってきた。
「……、私はマナ」
「よろしく、マナさん」
マナとミナ。双子のような名前だ。
というか、それならある意味納得出来なくもない。二人してベッドの下で寝ていたという話も、感性の似た双子であれば。
……いや。そもそもその感性はどうやったら身に付くのか。
「ところで、ここってどこなんですかね。知ってたら教えて欲しいのですが」
「ん」と言ってマナは紙切れを指さした。「それに書いてあったけど。あ。もしかして、文字読めない人……」
ぐ……! とクロガネは胸を貫かれる痛みを感じた。
無知ですみません。
「まぁ、文字読めない人よくいる。そんな落ち込まなくていい」
「……そなの?」
「うん。冒険者とかだと特に」
「ほーん……ちなみに、この紙切れのこと翻訳してもらえたりする?」
といってクロガネは紙切れに手を伸ばし、その途中で身体中に激痛が走った。「……いっ……」
さっきは届いたというのに。
しかも、痛みが思ったよりも引かない。クロガネは思わずその場で固まり、動けなくなってしまう。
赤竜に吹き飛ばされた怪我は思ったよりも大きそうだ。
「あ、配慮が足りなかった、ごめん……」
とことことマナは移動し、紙切れを手に取った。
優しいところもあって安心した。
「えっと。『ここは冒険者協会カルファレステ支部。その一階にある医療室。目が覚めたら近くの人に声をかけるか、サボってるであろうバカ姉妹にでも頼んで、事務員へ連絡いただきたい』……だって」
「なるほど」
「気にしてなかったけど、もしかしてこのバカ姉妹って私たちのとこ言ってるのかな」
「もしかしなくてもそうだと思うけど……」
「む〰〰。あの性悪女、むかつく。今度あったらスカート思いっきり捲ってやる」
この字体を見てピンとくる人物ということは、もしかするとこの紙切れの文字は達筆なのかもしれない。
そしてどうやらその性悪女とやらはマナ姉妹と面識があるうえに、サボっていることも把握しているらしい。把握した上で放置しているということは、何となくこの姉妹はその性悪女の手の平の上で遊ばれているのやもしれない。
「……まぁ、その。とりあえず、事務員さんに目が覚めたこと伝えてきてもらってもいいてすか……?」
「……………………」
「わぁ。凄く嫌そうな顔」
「ごめん。何となく君はそんなに悪い人じゃなさそうだけど、あの性悪女にここまで予測されていたことがむかつく」
「どうどう……」
その後、それはそれは嫌そうな顔ではあったが、マナは事務員のところへ行ってくれた。
マナがいなくなったことで、必然的にクロガネは一人になる。静まり返る医療室。
話せる人が居ないという寂しさに慣れるのは、まだまだ先になりそうだ。
と。そこまで考えて。
いや? そういえばこのベッドの下にもう一人いたっけな?
ということを思い出した。その直後だった。
「むにゃ……チーズケーキィ!」
という声と共に下から蹴られた。
思ったよりも威力があったようでベッドが若干浮いた。当然クロガネも浮き上がる。それはつまりだ。浮き上がった後は重力によって下に引き戻されるということだ。
どしん、とベッドに着地する。
しびびびびびびびびひびび。
あ。とクロガネは思った。身体中に電撃が走ったかのような感覚。今はまだ痛くない。だがこれは間違いなく、遅れて痛みがやってくる類いのや──
「痛ッッッッッッだぁぁあああい!」
「いってぇ〰〰〰〰!!」
寝惚けてベッドを蹴ったのだろう。
勘弁して欲しい。本当に。




