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第23話 はじめましょう 無料で求人

 学院の使者は翌朝九時にここを捜しに来た。私の府内保証人、且つ言名号だ。妥当だろう。私はと言えば昨晩より定めし言うに困ってうち伏したぎり、彼は彼で張り合いの抜け切り(すひ)未了(さし)を燻らせてこれまたばったりと、然るに室内は一切腑抜けの態である。戻された。彼と両親も招かれた。舎監や門衛や校長や、警察まで私の部屋に来た。まるでお白洲だ。摂理の目授に眇めて、良人のある身の憂きに双方自ずから駆け落ちしましたとしゃあしゃあと語った。当然、校長が小さくなった。誰よりもタイが恐い貌をしていた。とまれ、咎なくも毒婦なるには相違なく、私は学院中退の運びと極まった。両親と良人にはその場で散々に貶された。貶し貶されつつ、一家揃って必死に笑いを堪えていた。母の貌が寸毫とも怒色を帯び得ぬためであった。

 あの夜タイに吐き出したことは四人で生家の卓を囲んで再び語った。件の何一つ上手くいかなかった売春の話も微細に吐かされた。こればかりは三人の不興を買った。が、肝心の彼が真っ先に許すと手を叩いて、それで終わった。終わってみれば現在四六歳の父が最も動揺が深かった。年上の実子という事実が未だ受け入れ難いらしい。学院はと言えば、中退は突然のことだったが文通で親交は続いていて、ラブからは校長の頭が挿げ替わった等との達筆が、姫御前からは数式ばかり連なった厚い束が毎度返ってくる。タイ曰く水流を数字で記述したものらしいが私にはまるで分からない。ここ一年など私を交換手にタイと直截やり取りしている。数字だけで。()変態共め。

 タイは去年の長月で三年生になった。後架の横で母とすっかり習慣になった美容術を終えて萵苣(ちしゃ)の味噌汁を啜る。私も中退していなければ今月末で卒業していた年だ。一応、他の男を捕まえる気持ちはまだ萎んでいない。まだ。年明けの皇太后崩御もそこそこに前世で最後の求婚へ来たバストラ・モン=リッヒを袖にしたけれど、一応。先に済ませたいことがあるだけで。

「玄人も令嬢も良妻賢母も可厭なら結婚せず職業婦人になるが可いだろう」

 一家で卓を囲んだあの日、婚約解消を極めつつ、彼は言った。それで応となれるなら苦労はないのだ。停車場での看護はこの二年半にも続けていた。従軍しないかともあった。都度、断っていた。家族を遠方で亡くすのは二度と堪えない。これが一体何処で働くのだ。

鳥渡(ちょいと)、そんな白粉を取ってどうします。充分白いじゃない」

「あらまあ。ほほほ、ルマさん使う」

「そう使いません。だから白粉紙を使ってと言うのじゃない、不健康な」

 何分この母は少し目を離すと直ぐ死にそうである。私に会いに帰っていたタイが廊下を通りがかりに苦笑した。

「だって白粉紙では勿体ないわ。屑の出ない白粉紙は未来にもなかったの」

「使い減りしない紙などあって堪りますか。それじゃ紙でなくて」

 そうか、粉が乗るなら紙でなくてもいいのだ。

 白粉の成分は新聞広告で知っている。脂肪(ステアリン)酸亜鉛と滑石(タルク)だ。無機物と油だから基材は有機物が望ましい。極言すれば油の染みるものなら、そう、そうだ、水を絞った糸瓜の滓で可い。白粉を高圧で溶いた油を強化した糸瓜に吸わせて油分を飛ばせば、指先の強弱で白粉の量を調整出来るし染みた白粉がなくなるまで使える。無機物だから劣化もしない、何日でも保つ、理だ。だが実験しないことには。亜鉛華と滑石は鉱石の残渣だからタイから手に入る。脂肪酸、これは白色わせりんだから私の一存で天幕の管理下から引き出せる。糸瓜は父が育てている。アキュラシー家の財力とウィンチェスター家の不動産で生産能力も安泰だ。脂肪酸亜鉛の湿式合成は、粒子形を問わないなら学院で習った金属石鹸の析出手順そのままである。脂肪酸が簡単に揮発して呉れない懸念はあるが、新鮮な刺身より腐った刺身に蠅が集るのと同じ理屈で、見目の悪い野菜ほど虫が付くのは屋敷畑を見ていれば想像がつく。石油由来のわせりんが食害されるのは考え難い。すると残る懸案は二つ。

「タイさん。憚り様だけれど姫御前に分散媒の加圧方法をお尋ね為さって」

「は。何だい出し抜けに。いいとも、彼女は装置を所有しているようだから詳しいだろうね」

「もう一つ。結婚しましょう、なるべく早く」

 二人が見たことのない貌をして動かなくなった。仕方ないでしょ、と胸中ぼやく。この仕事にはタイの伝手と名義が必要なのだ。愛情の故ではない。

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