第20話 とてもよく消えるので大評判です
生物学的に男は女から選ばれる立場にある。男は女へ売り、女は男を量る。審美眼の優劣は措くとして、そこにあるのは伴侶たる彼我の価値を天秤に載せる機械的論理だ。ならば、より価値ある者の妻となれば、それだけ己の価値も釣り上がる理だ。そして私は今の許嫁より優れた価値の相手を探している。男の価値とは金力だ。つまり、より金力ある相手との結婚こそ私を、また私の価値たる美貌を、高めるものとして善なる美である。にも関わらず私はゴーシュ先生を振った。釣り合わないから、と。彼の眼中に老いゆく私はなかったのに。
「いま少し勿体のう存じますわ、ルマさん」
「嗚呼、ええ、そうざますね。貴女はそうでしたわ」
がっくりと肩を落とす。談話室なんて今の二人には使えないのでここはラブの部屋である。萎黄病らしく東道は背骨を抜かれたようにしなだれて伏せっていた。でも、と言が紡がれる。人の価値とは何ですの。それは。彼女がむっくり身を起こす。四八の大願、初にまず一切凡夫のため、兼ねて三乗の聖人のためにす、と申します。一寸の虫にも五分の魂とも申します。烏毛むしくさき世を争で見ます。固い唾を呑んだ。こんな貌も出来たのか。
「否だわ、ええ、その。吁、ですから、人の家に有たきは梅櫻松楓それよりは金銀米銭ぞかし、庭山にまさりて庭倉の詠め四季折々の買置、是ぞ喜見城の樂と思ひ極らば」
「腰抜け」
絶句。
「何を三舎を譲りますか、そう戈を倒に偏頗して。然りながら戴きたる価値を糸瓜とも思ふにこそ、ですわ。良くってルマさん。仰有る通り秀でて優なるが人の価値なら、斯くあめりと量るも人、差し出す価値を天秤に載せるか極めるも人でしてよ。悪女の為すが悪のみなら私も貴女も同じ人、さては同じ悪役令嬢だわ」
ラブさんは私と違って咥え込んでいますから実に悪じゃなくて。屹。おどおどと目を伏せる。分からない。私は誰に、何に脅えている。中身は一回りも二回りも年下のものを。アタャ・ホライゾン様。ぎくりとする。何故ここでタイの名が出る。
「彼はルマさんの何です」
私に二の句を継ぐ間を置かせず、直に悪いことが重なりますわと吐き捨てると彼女は再び横臥して背を向けた。放屁した。
私の価値はこの美貌だ。彼の価値はウィンチェスター家の存続だ。家名を継ぐだけなら婚約破棄をして他の男で済ませても可い。だから。でも。否、許嫁だから。でも、けれど、なら私は。どうして前世で強いてまで彼に整形手術を施させた。彼の価値は彼が家名を継いだ時点で全てだ。別の評価軸で彼の価値は量れない。彼の貌は天秤に載らない、理だ。彼の薄情なるを詰るにつけ瞑目して女々しく笑うから。それがどうした。それは彼の価値ではない。なら、どうして。前世の私はどこから間違えていた。今世の私は何を間違えている。私は。何を恐れている。
月末の祝祭日、私は大浴場へ回る生活舎東の廊下で院長に呼び止められた。螺旋階段を挟んで向かいにある院長室に招かれる。先年妻を喪った彼は金満なれど四〇を超えていた。仇なる恋にはあらで、夫婦の契りを望む心を打ち明かした。微笑む。知っていた。前世と同じだ。が、時機が悪かった。他評はもっと悪かった。確たる証拠はなくとも噂だけは蔓延する。男漁りの報い。賣女。潔白と程遠い我を弁護する道理もない。ではと今更にお国の賢母良妻も目指せない。然してお嬢様らしく振舞うには老いに過ぎていた。億劫なので憫笑しつつ病欠と偽った。せいせいと高砂の浦なる旭日千歳の松を照らす心地して、美容術に励んだお蔭で病どころか暇なのが失笑を誘う。読むものが盡きて葉書を積んだ。可笑しいことに新しい日付は先月初めのものだ。君は天然石。君は。
違う。
瞼の裏で赤が滲む。唇を噛む。口角を上げる。君は。僕は。聞こえない。聞きたくない、天然石。違う、私は金色だ。宝石だ、貨幣だ。天然石なんかじゃ、ああ、あ、違う。違う。優れた一値なる美を以て売り抜ける。抱き合うことを畏敬して祭めらる。美貌という私の価値。彼にとっての、きっと、私の価値、天然石じゃ、最早、ない。私は。はらはらと頬が熱い。
美は移ろう。