第14話 最・上・紅・花
末摘花の紅無なる古渡更紗に松葉の散りたるの、唐人円髷に鱉甲脚の宝相華の後簪、紅白をたっぷり引いては刷毛で馴染ませ、樺色の博多帯と矢飛白の透綾紋付とを體飾す。鉛筆を削る小刀を竈の前に見つけて取るや否やもしと土間から声がかかった。紙門に耳寄せれば一昨晩の声だ。顔を出さぬも不自然なので區分を薄く啓ければ彼方も意想外のことで四途乱に潤いてしぱしぱと瞬きした。面倒臭い。渋々、渋々私はルマ・ウィンチェスターですと名乗る。渋々。それで二人は奇しくも自ずと得心せしめたらしかった。
「その恰好は」
が、納得と好奇心はまた別らしい。
「なづさはれぬる岩つつじですわ」
「あな水くくるとは、姫御前に羨しくも並びゐれかも」
「ひやひや」
彼女ら二人とは前世で全く交流がなかったので、トリマキーズ姉妹という通り名しか私は知らない。姓が同じだが双子なのか姉妹なのか、他人なのかも分からない。どちらかがリリアで、どちらかがレオナだ。例によって例の如く厚化粧なので顔の判別もつかなかった。声まで似ている。この学院には訳ありの者ばかり通うので、この二人はどこかのご隠居の腹違いの落胤なのではないかと失礼窮まることが脳裏を巡る。何のご用ですかと話を進めた。これしきで広告が出ては堪らない。
「そう白地には、ねえ」
「はい、時雨も染めかねます。風騒ぐばかりだわ」
「吁。ああ、それならご自身で行ったら宜しいのです。私を渡りにつけさせて、上手くいったら礼もなし、意に外れたら責むるのでしょう。見ねば分かるる横車ざます」
二人がぴしりと凍り付いた。前世で良人を拝みに来る者が仕事柄多度あったので全く慣れっこである。畢竟するに姫御前と親しげだったから仲を世話してほしいと言っているのだ。一番つまらない人種である。
人の価値は、その最も傑出した部分が何で、それがどの程度かによって量られる。同じ階級ならば示度の違いが人の上下を表し、異なる階級ならば示度はどうあれ厳然と優劣が定まる。彼女らの人種で専らその最上級を占めるのは権力である。姫御前は男爵令嬢だ。好かれて幇間になればその権威を借る狐でいられると踏んだのだろう。正五位を受勲して勲五等相当官にもなった元奏任官である父のアキツグの、その姓であるウィンチェスター家は爵位も官職も現状ない。だからルマ・ウィンチェスターの価値は姫御前より低い、と。愚だ。浅はかだ。本音と建前揃ってこその大人だ。幸せとは楽に生きることであるからして、最上の級位とは即ち金力である。
ならばどうして睦れたのですと右トリマキーズ。切て何を話したかだけでもと左トリマキーズ。こう素直に好かれたがっているといじらしい。好きの対義語がそんな好きじゃないになる男を良人にしているとそう努めるのも楽じゃないのだ。しかしどう答えたものか。分からないのよ、と俯いてみる。気配が艴然と剣呑になった。急ぎ付言する。
「お話をご随意に戴いたのです。当学院が婦女に門戸を開く理由を仰って」
「それは、ええ、情に於いて最も濃やかなるのは婦人である。婦人は略ぼ美を以て凝まっていると言っても宜しい位で、音楽は感情を資本としているのだから、どうしても音楽院は、婦人を容れて在らなければならない」
「音楽は真に心の平和を失いたる人の妙薬にして、また平和なる家庭の滋養ある食物と言うべきなり。音楽豈に軽々に見るべきものならむや。あの、まだ入用ですか」
「充分です。従って賢母良妻たるの第一課とは広博易良、夫の胸を平らかに開くことなのだわ。来月になればこの国は隣国との戦端を開くのです。学院生たるもの、儕輩一人の雫の響きを奏でるに何の労がありますか」
さあさあと凄む。と、退避いで二人は帰った。用済みになったとも言う。やれやれと蒲団の下から紙を一枚引き出した。キギスの印影が入っている。
出入検査簿を発行しているのは舎監だ。検査簿を受け取るのも、外出予定の管理も、門扉の鍵の担当も舎監だ。だが出入りの監視は雇いの者であり、検めるのは検査簿の有無のみ。舎監は予定のある日にその人数と時間を伝え、検査簿の提出があればその者の出入りがあったと記帳する。そして商人の出入りがある以上門扉は日没までいつも開いていて、正確な人数の把握は困難だ。御召と化粧で見分けのつかない協力者さえいれば、不在の間の座学の出席を肩代わりするのも容易い。よって検査簿さえ偽造出来たなら、その検査簿を監視へこれ見よがしに出て行けば、出入り成功の公算は大きい。
薪を竈に強く押し込む。キギスの印章を浮き彫りに刻んだ面を奥にして。




