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第12話 ああウグイスは舞う(すすすすすす)

 微熱が続いて二日寝込んだ。明らかに体力の枯渇がためである。うろ覚えの美容術に、こんなだったろうと両腕を前後にぶんぶんと(いご)かしつつ踵を上げ下げする。途端に息が上がり膝を突いた。これは是が非でも始めねばならぬ。さもないと婿探しの途上で倒れてしまう。母にも後で書き送ろうとぐっと胸の前で拳を作るとラブが見ていた。そろりと手を背に隠して微笑み交わす。私の貸したご本を読み終えたのかしら。此方も返す準備はしていてよ。

「ふふ、質素なる生活、高遠なる思索は既になし、の観ですのね」

「全体ラブさんの有仰る通りだわ。見ても心の慰まなくに」

「ごめんなさい返して下さい」

 こんな時ばかり素早く彼女は総身を畳んで指を突く。股は緩いし支度は遅いが頭は回るのだ、この娘は。寝台横の収納からカリストとメリベアの悲喜劇を抓み出して手渡し、引き換えにしたフランクリンの自伝を取って返して代わりに納める。土間でラブがほへえと鳴いた。いかにも愚だ。内証にして頂戴と念を押す。こくりと頷いて、それでも目を放たず、令嬢の間に相応しからぬその一角を見遣る。二手目天元だわと伝えた。教える気がないということは分かったようだった。次は何を読みます。私が読める本がありませぬ。そうならマノン・レスコオでもピェールヴァヤ・リュボーフィでも物語りますわよ。

()()ましいのは可厭だわ」

 ラブは常々伏籠(ふせご)の雀でありたいと放言する女である。趣味は推して知るべし、だ。(かの)(おや)(あまつ)()(つぎ)の御末にて其中頃は兎にも角にも、あ。

「ラブさんは今日は学舎に行くのですか」

「今日は一・六の日、明日は安息日ですわ」

「それは可うございます」

 二人が忍んで向かいの部屋へ行李を一つ持ち出したのはそれから少しく後のことである。

 却説(さて)。学院は東西に伸びる網代(あじろ)垣の長方形である。正門である南の冠木(かぶらぎ)門の正面に壺があり、これを囲うように、東の辺に生活舎、北から北西にかけてに二階建ての学舎、南西の角に寄宿舎が建つ。大食堂や浴場は生活舎にあるから、門前を横切って直截行ければ楽なのだが、私の住む寄宿舎東側の一番南の、舎監室の客間から雇いの監視が目を光らせているのでそれは叶わない。故に私達は日に何度か、敷地内を大周りに移動せねばならなかった。もしもその動線が絶えればどうなるか。そのもしもが、今だ。板廊下は石山詣でであった。キギスが大喝一声に前方へ飛んでいった。んぎゃああああああっ。居並ぶ院生らが粟立って顔を見合わせる。犬猫の(まぐわ)うには時季が早い。では何の声だ。知っている。

「姫御前です」

 私の呟きにざわとする。疑氷(こほりをうたがふ)之意(こころには)取信(しんをとること)寔難(まことにかたし)。流れ出した列の彼方から萎れた影がとぼとぼとやって来る。まさに件の姫御前である。再び、辺りがざわめく。こんなにも晴れ渡っているのにその姿はしどとに濡れそぼった洗い髪で異摩話武可誌(いまわむかし)のあやをちばばあのようである。無論、腕を齧っているのではない。捧げ持っているのは鈍色の管である。より意味が分からない。誰もが行逢神を見たかのように目を逸らす。だからただ一人その姿を凝視めている、換言すると知らぬ顔の半兵衛を忘れていた、私へと彼女はぽやぽやと寄ってくる。御機嫌よお、ウィンチェスターさあん。

「ええ今日は。姫御前(おひいさま)、早く屋外に出て下さる。今の今で廊下にそのような雨降りではキギス様に頭と尾を断ち斬られますわ」

「ああ、ああ、全き善ね。飛頭蛮(ひとうばん)じゃ雷雲に巣食えても天水桶は掬えないもの。直ぐそうしますう」

 どこか真剣さに欠けた声音で彼女が出て行く。通行に遭った部屋の主らしい子が私に目授(めまぜ)していた。知れたことではない。姫御前ことファール=トラン・(オレンジ)・ウァレリウス・マクシムス男爵令嬢はこの学院唯一の大名華族で、学生の身分ながら院長に次ぐ権威のある本当のご令嬢で、何より金箔付きの変人なのだから。

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