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奇妙な隣人  作者: 鷺岡 拳太郎
第2章
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第8話

 

 その日も朝、ネットワークカメラの「SDカード録画スイッチ」と「モーション検知アラームスイッチ」をオンにしてから家を出ました。

 その前日は結局カメラが部屋の中で動体を検知することはなかったし、家に帰ってから、私が家を空けていた時に録画されていた映像を早送りで確認してもそこには誰の姿も映ってはいませんでした。空っぽの私の部屋がまるで静止画のように映っているだけでした。

 ただ、見知らぬ誰かはいつ私の部屋に侵入してくるか分かりません。数日の間隔を空けてやってくるかもしれないし、一ヶ月後にやってくるかもしれない。私は長期戦になることも覚悟していました。たとえ長期戦になったとしても、私は、「見知らぬ誰かとは誰なのか」その謎をはっきりとさせたかったのです。

 午前中の講義中は、カメラからいつ通知が来ても分かるようにノートの横にスマホを置いて講義を受けていました。教官がホワイトボードに数式を書き出し、私はそれをノートに書き写す際にもちらちらとスマホ画面を見たりしていました。ですが、「動体検知」の通知がそこに表示されることはありませんでした。

 私は教官の話を聞くとはなしに聞きながら、「本当に見知らぬ誰かなんて存在したのだろうか」ということを一人考えていました。それまでに部屋の中の違和感が二日続いていたのに、それ以降は誰も部屋に侵入した形跡はなかったし、カメラを設置してからもその相手をカメラが捉えることもありませんでした。

 やはり、私の何かの思い違いで机の上のカップと時計の位置が移動していたと考えたほうが妥当な判断ではないのか。そんなことを考えたりもしていました。かといって、「それならどうして入れ替わったのか?」と問われても、私は何ら合理的な説明はできませんでした。

 あるいは、私の部屋に侵入した二日間で、その誰かは私の部屋ですでに何かしらの目的を果たしてしまい、もう私の部屋を訪れることはないのではないのか。そんな考えにも思考は飛んでいきました。だけどそれに関しても、「もしその誰かが私の部屋で目的を果たしているのなら、その目的って何なのだ?」という質問に私は自分を納得させることができるような答えを何一つ見つけ出すことはできなかったのです。逆に、正体の分からない「目的」というものに、どこか薄ら寒いような思いすらしました。

 色々な考えが私の頭の中を行き交い、その結果、結局私は、「きっと見知らぬ誰かなんていない。全て私の思い違いなのだ」と無理やり自分に言い聞かせていました。机の上にスマホを置いて講義を受けるくらいカメラからの「動体検知」の通知を心待ちにしておきながら、本音では、そんな恐ろしい「動体検知」の通知なんて本当は来て欲しくは無かったのです。私は午後の講義からは、机の上にスマホを置くことを止めました。

 その日は、機械系数学の講義で出されているレポートを書くためにいくつか調べ物をする必要があったので、午後四時に最後の講義が終わると、私はキャンパスの片隅にある図書室に行きました。図書室には私と同じようにレポートを書くためになのか、多くの学生が机の上で本を開きながら、必死に何やら書き物をしていました。私は空いている席を探し、いくつか参考図書を本棚から抜き出してきて、彼らに混じってレポート作成をしていました。

 集中して作業をしている中で時間は流れていき、ふと窓の外を見ると外がすでに暗くなっていることに気づきました。スマホで時間を確認すると午後六時でした。その時、カメラからの通知が何か来ていないかと確認したのですが、カメラからの通知は一通も来ていませんでした。私はどこかほっとして、スマホをジーンズのポケットの中に戻しました。

 私はレポート作成の作業を終わらせ、図書室を後にしました。

 五月になり日もだいぶ長くなったとは言え、その時間になると外は夜の闇に包まれていました。私はいつものように大学前の駅に向かい、他の大学帰りの学生たちと一緒になって電車に乗りました。

 私のマンションのある最寄り駅はH駅でした。

 はい、そうです。このH駅前交番のあるH駅です。

 私は電車を降りると寄り道すること無く家に向かいました。レトルトのカレーが家に余っていたので、夕食はご飯だけ炊いて、そのカレーを食べるつもりでした。

 お巡りさんもご存知だと思いますが、H駅は駅前から少し行くと人の姿はぐっと減り、どこかわびしい感じのする住宅街が広がっています。私の住むマンションは、そんな住宅街の一角にありました。

 周りに人の姿は見当たりませんでした。

 私は早く家に帰ろうと、すでにすっかり闇に包まれた狭い道路を等間隔に設けられた街灯が白く切り抜くように照らしている中を一人歩いていました。

 目の前の十字路を左に曲がれば私の住むマンションが見えてくるというところまで来たときです。ブルブルと、ジーンズのポケットの中で何かがいきなり震えました。私は一瞬、何が起きたのか分かりませんでした。立ち止まり、ジーンズのポケットの上を右手で触りました。そこには四角い硬いものが入っていました。そこになってようやく、それはスマホが何かしらのメッセージを私に伝えるために振動したのだということに気付いたのです。

「まさか……」

 私は頭の中で呟いていました。

 ただ、カメラから「動体検知」の通知が来ているとまだ決まったわけではありません。私の親が何か私に連絡しようとメッセージを送ってきただけかもしれません。いずれにせよ、ポケットからスマホを取り出し、その画面を見れば分かることでした。

 私は呪われた四角い箱を取り出すかのようにポケットからスマホを取り出し、ホームボタンを押して画面を表示させました。そこには、ひどく事務的で、そして冷酷に、「動体を検知しました」とだけ書かれた一通の通知が表示されていました。

 私は震える指でネットワークカメラ用のアプリを起動させ、リアルタイムの私の部屋の映像をスマホ画面に表示させました。

 私は呼吸することすら忘れるかのように、そのスマホ画面を食い入るように見つめました。その時の私は、人気のない狭い道路の真ん中に立っていました。その私が立っている位置から五十メートルも離れていない自分の部屋の様子を、私はじっと見つめていました。

 周りがすっかり夜の闇に包まれた私の部屋は、暗闇だけが映されていました。ただ、その暗闇に同化するように、何かが動いているのです。その何かは部屋の入口にいました。そしてゆっくりと部屋の中に入っていき、その入口の横の壁に近づきました。そこには部屋の電灯を点けるためのスイッチがありました。

 次の瞬間、私の部屋は突然白い光に覆われました。その何かが電灯のスイッチをオンにしたのだと分かりました。そして、その何かの姿が白い光の中にあらわになったのです。

 その何かはまだスイッチの設けられた壁の方を向いており、カメラにはその後ろ姿だけが映っていました。喪服のような黒い裾の長いワンピースの服を来ていて、真っ黒い髪は、腰まであるくらい長いものでした。その姿から、その「何か」とは女性なのだということが分かりました。

 女性は、彼女の周りだけ時間の進み方が違うと錯覚してしまうくらい、本当にゆっくりとした動作で後ろを振り返りました。それとともに、カメラは徐々にその顔を映し出していきました。

 私は完全に言葉を失ったまま、スマホ画面に映るその女性の顔を見つめていました。青白い顔に、どこか生気が失われたような目。

 一週間前の深夜に私の部屋を訪れ、そして「藤岡」と名乗った、あの隣人でした。



挿絵(By みてみん)


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