第5話
深夜に私の部屋を訪れた「藤岡」と名乗る隣人。
その隣人を目にした時に感じた気味悪さと、未来に対して不吉なことが起こるのではないのかという嫌な予感。ですが、その予感に反して、次の日からは、いつもと変わらない日常が過ぎていきました。マンションの入口や通路で、あの隣人の女と会うことはありませんでした。夜、大学から自分の部屋に帰った後に、意味もなく左隣の部屋に耳を澄ましたりもしたのですが、空室だったときと同じようにその部屋はいつもひっそりと静まり返っていて、物音一つ聞こえてきませんでした。私はいつもと変わらない日常を過ごす中で、いつしかあの隣人のことは忘れていきました。
私が始めに異変に気付いたのは、それからしばらく経ってからです。異変、というよりも、違和感と言ったほうが近いのかもしれません。大学から帰って自分の部屋に入ると、私はその違和感を感じました。朝に家を出る前と、今、家に帰った後。その二つの光景の間に何か相違があるような感覚を覚えたのです。大学に行く前後で、部屋の中の何かが変わっている。そのような感覚でした。
私は「なんだろう」と思い、自分の部屋を見回しました。
大型ディスプレイが載せられている机。ゲーミングチェア。ベッド。一つ一つ確認していくのですが、その違和感の正体はわかりませんでした。私は正体の分からない不安を感じながらも、「気のせいだろう」と自分に言い聞かせました。
次の日の午前中、大学に行くために家を出ようとした直前に、昨夜の違和感のことを思い出しました。
それは本当にちょっとした気まぐれでした。
私はジーンズのポケットからスマホを取り出し、部屋の入口からスマホで部屋の様子を何枚か写真に撮りました。もし夜に家に帰った時に同じような違和感を感じることがあっても、その家を出る前の部屋の写真と目の前の光景とを見比べることで、その違和感の正体を突き止められると思ったのです。
大学でいくつかの授業を受け、昼食を学食で食べ、午後は眠気を堪えながら再びいくつかの授業を受け、そして帰りに本屋に寄り道をして私は家に帰りました。鍵を開け、部屋に入ります。
私は部屋の入口で立ち止まりました。
やはり「何かが変わっている」という違和感を感じるのです。部屋の入口から部屋の中を確認していくのですが、その違和感の正体はわかりません。そのとき私は、家を出る時にスマホで部屋の様子を写真で撮っていたことを思い出しました。私はスマホを取り出し、写真フォルダーから朝に撮った写真を開きました。そして写真の中の部屋の中の光景と、目の前に広がる部屋の中の光景を見比べていきました。
「あれ……?」
私は自分でも気づかないうちに呟いていました。
部屋の入口から入って正面の壁には、壁に沿うように机を一つ配置しています。その机の中央には大型ディスプレイが置かれ、そのディスプレイにゲーム画面を表示しながら、毎晩、ゲームの実況配信をしていました。スマホ画面に映る写真の中では、ディスプレイの右に目覚まし時計が置かれており、そして左側に朝にコーヒーを飲んだ白いカップが置かれています。ですが今、目の前の机の上には、右側にカップがあり、そして左側に目覚まし時計があるのです。本当にちょっとした差異でした。朝の部屋の写真を撮っていなかったら気付くこともないような差異です。だけどスマホ画面に映った朝の部屋の画像は、痛々しいくらい明確にその差異を私に突きつけてきました。
私はすぐには、その目の前の光景が意味することを考えることができませんでした。いや、考えるのが怖かったのです。
きっと、この写真を撮った後に自分でも気づかないうちに時計とカップを動かしてしまったんだ。私はそのようにして自分を納得させようとしました。だけど私の中には、写真を撮った後に部屋の中に入ったという記憶はどこを探しても見つからなかったのです。
きっと、地震で時計とカップが動いてしまったんだ。
そのようなあり得ない言い訳すらもしていました。だけど私は、この地域に時計とカップが動いてしまうくらいの地震なんて発生していないことは分かっていたのです。大学でも地震を感じることもなかったし、帰宅時にスマホで見たネットニュースにも地震のニュースは一切報じられていませんでした。
ここに来て、私は最後の可能性を考えざるを得ませんでした。
私が大学に行っている間に、誰かがこの部屋に入った。そして私の机の上で、何かしらの作業をした。その結果、時計とカップの位置が朝のときとは変わってしまった。
そのようなことが私の部屋で起こった、という可能性です。
だけど私にはそのようなことをされる心当たりもなかったし、そのようなことをする相手にも心当たりはありませんでした。私にはその机が、何か気味の悪いものに見えました。その机を見つめながら、両足が少しずつ泥の中に沈んでいくかのような不安が私の中に込み上げてきました。
「誰かが私の留守中に、この部屋に入った……?」
そんなことなんてありえるのだろうか。
部屋の入口に立ち尽くしたまま、私はその可能性について考えました。
例えば、マンションの大家か管理会社であれば、この部屋の合鍵を持っているかもしれません。あるいは、私がこの部屋に入居する前に、前の住人が退去した際の鍵交換が行われていなくて、前の住人が持っている鍵でこの部屋に入れるようになっているのかもしれません。
私は急いで玄関のドアに向かいました。そしてチェーンロックがかかっていることを確認しました。見知らぬ誰かが合鍵を持っているとしても、チェーンロックがかかっていればこの部屋の中に入ってくることはできません。
いや、待てよ……。
その時、私はあることに気付いたのです。
その見知らぬ誰かは私の部屋に入って、机の上で何かしらの作業をしたのかもしれない。その見知らぬ誰かは、その後、この部屋から出ていったと本当に言い切れるのだろうか……。
まだ、この部屋のどこかに隠れているという可能性は本当に無いのだろうか……。
私は恐る恐る後ろを振り返りました。
薄暗い廊下の先に、電灯に照らされた居間の入口がまるで恐ろしい世界への入口であるかのように口を開けていました。




