第23話
シャドウ・コルドン……。
影の包囲網……。
そのような名前のゲームは今まで一度だって聞いたことがない。ただ自分が最近のゲームに疎いだけだと思っていた。だけど今になって思えば、本当に「シャドウ・コルドン」なんてゲームは存在するのだろうか。
ゲーム……。
もしかしたら、今のこの状況自体が「高橋」の仕組んだゲームなのではないのか。私は、「高橋」が交番で口にしたシャドウ・コルドンというゲームのように、「高橋」のチームに追い詰められているのではないのか。「高橋」が気まぐれのようにH駅前交番を訪れ、そこにたまたまいたという理由だけで、私がそのターゲットに選ばれたのではないのか。私は「高橋」によって、404号室という包囲網の中におびき寄せられた。そして追い詰められた結果……。
「高橋」は交番で、シャドウ・コルドンは「敵となったプレイヤーを少しずつ追い詰めて殺していくゲーム」と言っていた。もし今のこの状況が「高橋」の仕組んだゲームなのだとしたら、そのゲームに沿って「高橋」たちはその追い詰めた相手を、最後には……。
篠原は突然誰かの視線を背中に感じたような気がして、はっと後ろを振り返る。
居間のドアが閉められずに開けっ放しになっている。
そのドアの隙間から、薄暗い通路が見えた。居間の電灯が、開け放たれたドアの隙間から闇の中をかすかに照らしている。しばらくその闇を見つめていたが、何も動くものは見えなかった。やけに息苦しかった。
篠原は再び視線を部屋の中に戻す。
その途中、部屋の隅に備え付けられている白いエアコンが目に留まる。その上のカメラも、エアコンの上から篠原のことを黙って見下ろしていた。
そのカメラのレンズを通して、「高橋」の視線を感じた。
おそらく「高橋」はこのカメラで撮影されている映像をどこかで見ている。もしかしたら隣室の403号室に設置されていたカメラも「高橋」が設置したもので、そのカメラを通して、403号室の様子を見に行った篠原のことも観察していたのかもしれない。
「高橋」は交番で篠原に、自分はゲーム配信者なのだと言った。
これが「高橋」の仕組んだゲームなのだとしたら、篠原を追い詰めていく様子を映したその映像は、「高橋」だけが見るのではなく、この世界のどこかにゲーム実況として配信されているのだろうか。
篠原の頭の中で、色々なキーワードが一つに結びついていく。すべてが一つの線上に繋がれていく。
「お前は逃げられない。私はいつでもすぐそばにいる」
机の上に書き殴られていた血のように赤い言葉が、篠原の頭の中で鳴り響いていた。
逃げなくては……。
とにかく、今のこの状況から逃げなくては……。
篠原は追い詰められた兎のように、机の前から後ずさっていく。そして後ろを振り向き、居間のドアに向かった。ドアにぴたりと身体を寄せ、居間の外の様子を伺う。
部屋の外は薄暗い闇に覆われていた。短い通路を隔てて玄関ドアがその闇の中に見える。その通路は五メートルほどの短いものだった。だけどその時の篠原の目には、それが五キロメートルも離れているかのようにやけに遠くに感じた。篠原の額に汗が吹き出す。
この部屋のどこかに、「高橋」は隠れている。この闇のどこかに紛れて、獲物を狙う肉食獣のようにじっと機会を伺っている。部屋の中のどこにも人の気配は感じられなかったが、篠原にはそのことが一つの事実として感じられていた。居間の入口に立っている篠原の背中はまだエアコンの上のカメラの視界に入っている。スマホで見たこの部屋の映像には、このドアもしっかりと映っていた。つまり、「高橋」もそのカメラの目を通じて、篠原の背中を見ているはずだ。
自分は、この通路を通って、本当に玄関ドアまで辿り着けるのだろうか……。
だけどもう迷っている暇なんて無かった。
篠原はそっとドアの外に身体を押し出す。そして後ろ手で居間のドアを閉めた。これで少なくともエアコンの上のカメラからはもう自分の姿は見えないはずだ。
音を立てないように通路に右足を踏み出す。フローリングの床が小さくきしきし鳴る。その小さな音にすら篠原は心を冷やしながらも、その薄暗い通路を進んでいった。通路に澱む空気が篠原の足にまとわりついてくる。ひどく息苦しかった。
ようやく上がり框までたどり着く。
ここまでくれば大丈夫だ。
なぜか「高橋」は姿を現さなかった。
篠原はほっと息をつく。そして自分の靴に足を入れようとしたとき、玄関ドアの上方に何かがあるのが視界の端に入った。なんだろうと思い、視線を上に上げる。
これは……。
篠原は言葉を失う。
玄関ドアの上方。闇の中に隠れるようにして、小さなカメラが設置されていたのだ。居間のエアコンの上に設置されていたカメラよりは小型のもので、今までは玄関の暗さもあってそれに気付かなかった。そのカメラのレンズが篠原の方を向いていた。
まさか……。
「高橋」は、居間の入口から玄関まで歩いていた篠原のことも黙ってじっと観察していたのだろうか。
きしきし。
篠原の背後で、小さな物音が聞こえる。
ついさっき似たような音を聞いた。通路を歩いたときに、フローリングの床が小さく軋む音。なぜかその音が自分のすぐ背後で聞こえた。
篠原はゆっくりと後ろを振り返る。
自分のすぐ後ろに、黒い影が立っていた。「高橋」だった。口元には不気味で冷酷な笑みを浮かべている。あの映像の女が口元に浮かべていた笑みとそっくりだった。
「な……なんで……」
篠原の声はひどく掠れていた。
「高橋」はその声が聞こえなかったかのように黙って篠原ににじり寄る。そして突然右手を上に振り上げた。
篠原はその動作につられるようにその右手を見つめる。その手には、クローゼットの床に転がっていたはずのアイスピックが握られていた。
「お前は逃げられない。私はいつでもすぐそばにいる」
(了)




