第2話
私は高橋、高橋健太と言います。
K工科大学に通っています。大学二年生です。
大学では友達は一人もいません。口下手で、生身の人間と会話をするのが苦手なのです。おそらく大学では「何を考えているのか分からない暗いやつ」と思われているのでしょう。ですが、私はそんなことは気にしていません。リアルの世界ではどこまでいっても私は孤独で暗いやつでしかなかったのですが、私にはもう一つ別の世界がありました。
私は大学から家に帰ると、いつも深夜までゲームの実況配信をしていました。お巡りさん、ゲームの実況配信って知っていますか? 知っている? そうですか。それは良かった。
自分の好きなゲームをプレイして、その様子をライブ映像としてネット配信するのです。私は特に、他のプレイヤーとチームを組んで、敵となったプレイヤーを少しずつ追い詰めて殺していくゲームが好きでした。「シャドウ・コルドン」というゲームです。知っていますか? そのゲームは知らない? 今、世間でとても流行っているゲームです。日本語で「影の包囲網」という意味で、文字通り、敵に気づかれぬよう、影のように徐々に包囲していく戦略が大切となるゲームです。
ゲームの実況配信の世界は完全に匿名が確保された世界だったし、見た目も年齢も学歴も気にする必要はありませんでした。ただ、そのゲームが好きかどうか、それだけが重要だったのです。
私は同じゲームが好きだという一点で繋がった、顔も名前も知らない人たちに配信画面を通して語りかけ、そして彼らはチャットで文字を介して私の言葉にリアクションを返してくれる。その世界であれば、私は「人から嫌われる」ということを気にせずに、好きなゲームをして、そのゲームに関する会話を延々とし続けることが出来ました。もし配信を見ている人が嫌なことを書き込んだとしても、ブロックしてしまえばその人を私の世界から消すことが出来ます。ボタン一つ押すだけで、その人の存在を消し去ることができるのです。
毎日配信を見てくれる固定メンバーも何人かいて、「ながら見太郎」さん、「無音リスナー」さん、「見守り隊7」さんです。これは配信アプリ上のニックネームです。もちろん私は彼らの本名も年齢も、性別すらも知りません。だけどそれでいいのです。何も知らない誰かだからこそ、私は自分の思ったことを自由に話すことができるのです。私も配信アプリ上は「影の住人」というニックネームを使っていて、それ以上のプロフィールは公開していません。
すみません。話が少し脱線してしまいました。
話を戻します。
今から一週間くらい前の事です。
その夜も私はいつものようにゲームの実況配信をしていました。
相手チームのプレイヤーをうまく追い詰めることができ、一人ずつ殺していっていました。私たちのチームも何人かはやられてしまいましたが、それでもまだ私も含めて三人のプレイヤーが残っていました。相手チームは最後の一人になっていました。ゲームの大詰めです。私はゲームの実況配信なのに、ゲームをプレイすることに集中してしゃべるのを忘れてしまうくらいでした。
深夜零時を回ろうとしていたと思います。
ふと、ゲーム音楽に紛れるように、何かの物音が聞こえるのに気づきました。ゴト、ゴト、と、小さいけれど、何かと何かがぶつかるような音が聞こえました。ですがその時はゲームがちょうど大詰めを迎えていたので、私はゲームのプレイに集中しようとしました。そしてチームプレイヤーの二人がやられて私一人になったところで、なんとか相手チームの最後の一人を殺すことが出来ました。私はホッとするのと同時に、チームの仲間と協力して相手を倒すことが出来たことに達成感を感じながら、プレイ終了後の得点集計画面を見ていました。
その時、再び、ゴト、ゴト、という音が聞こえたのです。
私は何だろうと思い、ゲームの音量を下げて耳を澄ませました。
ゴト、ゴト。
その音はどうやら、左側の壁の向こう側から聞こえてくるようでした。
私は怪訝に思いました。私の部屋は角部屋となっていて、右側の壁の向こう側には部屋はなく、確かに左側の壁の向こう側は隣室になっています。ですが、私が大学に入学する際に入居したそのマンションで、その左側の部屋はずっと空室だったのです。当然、その部屋から物音が聞こえたことなんて一度もありません。だけどその時は、「隣の部屋に、誰か引っ越してきたのかな」くらいにしか考えなくて、すぐに忘れてしまいました。気付くと、その物音もいつの間にか聞こえなくなっていました。
私は再び、ゲームの世界に没入していきました。
そんな時に突然、部屋の中にピンポーンという音が鳴り響きました。
私はそれこそ椅子から飛び上がるくらい驚きました。一瞬でゲームの世界から現実世界に引き戻されました。まるで首根っこを掴まれて暗い穴から引きずり出されたかのように、私は気付いたら一人だけの薄暗い部屋にいたのです。
何が起こったのか、すぐには理解できませんでした。
そして十秒くらいの時間をおいて、ようやく私は自分の部屋のチャイムが鳴らされたということに気付いたのです。
私はディスプレイの右下に表示されている時間を確認しました。午前一時半でした。普通の人なら、こんな時間に他人の家のチャイムを鳴らすはずがありません。深夜に部屋に押しかけてくるような親しい友人なんて私には一人もいません。午前一時半に他人の家のチャイムを鳴らすという行為に、何か狂気のようなものを感じました。
私はそこはかとない恐怖を感じながら、居間の電灯が届かずに暗闇の中にぼんやり浮かんでいるドアを見つめました。