第14話
男はジーンズのポケットからスマホを取り出す。
ホームボタンを押して画面を表示させると、「あっ」と声を上げた。
「届いている……。
動体検知のメッセージが一通届いています……」
「本当ですか? そのメッセージは何時に来ていますか?」
「ええと、ちょっと待ってください……。
八時十三分です。午後八時十三分に届いています」
篠原は腕時計で現在の時刻を確認する。時計の針は午後八時十五分を示している。
二分前……?
二分前と言えば、篠原がちょうどこの居間に入ったときくらいだ。その時刻に一瞬混乱する。だけどすぐにその理由について思い付く。
「おそらくその通知は、私がこの部屋に入った際に、センサーが私の動きを検知したときのものでしょう。その前には動体検知の通知は来ていないのですか?」
「……来ていません」
男が申し訳無さそうに答える。
女がこの部屋に侵入したときも、そして篠原がたった今この部屋に入ったときもカメラのセンサーはその動きを検知して、男のスマホにアラームのメールを発信している。だけど女がこのクローゼットの中から出たときだけ、センサーはその動きを検知することができなかった。
そんなことは、ありえるのだろうか?
篠原はそれほど機械にもセンサーにも詳しいわけではなかった。ただ、いくら技術が進歩し機械が精巧になったとしても、所詮ただの機械なのだから、百パーセント検知することができるというわけでもないのだろう。篠原はそのように自分に言い聞かせるしかなかった。
女がクローゼットの外に出たときだけ、センサーは女の動きを検知できなかった。なぜそのようなことが発生したのかは分からない。偶然そうなったのか、あるいは、女が何かしらの方法を用いてセンサーの検知を逃れたのか。ただ、「センサーは女の動きを検知できなかった」という仮説を元にして考えを進める。
おそらくクローゼットの中に隠れていた女は何かしらの異常に気付いて、クローゼットの外に出た。そしてこの404号室の外に逃げたのだろう。男がこの部屋に戻ってくるまでに404号室の外に出る必要があって、焦って、部屋を出るときに手にしていた合鍵で玄関ドアの鍵を閉めるのを忘れてしまった。
それであれば、全てに辻褄が合う。
「うわっ」
篠原のすぐ近くで、男の悲鳴のような声が聞こえた。何事かと、その声が発せられた方向に目をやる。男は机の前に立ち、呆然とその机の上を見つめていた。
「どうしました?」
男の背中に言葉をかけると同時に、篠原の頭の中に、先ほど交番で見た映像の中のワンシーンが蘇る。映像の中で、この部屋に侵入した女は机の上で何かの作業を行った。映像では女の身体が邪魔して、その机の上で女が何をしているのかは分からなかった。
そう言えば、女はあの机の上で何をしていたのだろうか。
男は篠原の言葉に返事をすることもなく、依然として黙ったまま机の前に立っていた。
篠原は男の横に歩み寄る。
「これは……?」
机の上を見た篠原の口から、言葉がこぼれた。
マウスやキーボードは脇に押しやられ、その机の中央には次のような殴り書きがあった。
「お前は逃げられない。私はいつでもすぐそばにいる」
その文字は赤の油性マジックで書かれたのか、血のように赤かった。そして自分の中の抑えきれない怒りをその文字に込めているかのように、荒々しく狂気を感じさせる文字だった。
「お前は逃げられない……。私はいつでもすぐそばにいる……」
篠原は小さな声でその文字を口に出して読んでいた。
女がこの部屋に残したメッセージ。このメッセージは意味があるはずだ。そうでなければ、わざわざこのようなことは書かないはずだ。でも、その「意味」とは一体何なのか。
「高橋さん」
篠原は隣に立つ男に話しかける。じっと机の上を見ていた男はやっと目をその机の上から篠原の方に向けた。その顔は痛々しいくらい青ざめていた。
「これが女の書き残したメッセージなのだとしたら、女は明らかにあなたをターゲットにしていると考えられます。そうでなければ『お前は逃げられない』なんて書くことはないはず……。
隣人の女に、このようなことをされる心当たりは、本当にないのですか?」
男は首を横に振りながら、「心当たりなんてない……」と呟く。
「心当たりなんて……ある訳がない……。
だって、あの夜、隣人の女がこの部屋に引っ越しの挨拶に来たときに、私は初めて彼女と会ったんです……」
「……」
男が嘘をついていて過去に会ったことを隠しているのか、あるいは、本当にその夜に初めて会ったのか。それともそれ以前に男は女と会っていたが、男はそのことを覚えていないだけなのか。そのいずれかであるのは間違いない。
その中のどれが真実なのか……。