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解決編


「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」

 旅館の大広間を借りて、僕、先生、巡査部長の三人が集う。と述べれば多少は格好が付くが、僕達の泊まる岩長旅館に、呼び出した飯井巡査部長が合流しただけである。

「名探偵殿! 本当に、犯人が分かったのですか!? まだ半日経ったばかりですよ……」

 自称先生のファンといえど、その双眸には本職で磨き上げたらしき疑いの色が隠しきれていない。常に先生のもとでその真価を目の当たりにしてきた真のファンこと――僕とは、共に踏んできた場数が違うのだった。

「飯井巡査部長。君のおかげもあり、手掛かりは充分に出揃いました。ともすれば、後は論理の道を辿るだけのことです」

「ほぉー……。さすが名探偵殿ですな。それで、犯人は誰なのですか」

「そう焦らずに。土砂崩れが復旧しない以上、犯人に逃げ場はありません」

 先生は飯井巡査部長にニコリと笑むと、立ち上がり、おもむろに広間を巡る。

 先生は容疑者を集めて、さて――と始めるのが好きだ。探偵らしいからだろう。服装といい形から入るものの、推理は折り紙付きなところに僕としては好感が持てている。

「さて――本題に入りましょう。AからFの足跡全員に話を伺った後、私が脳内で論理立てた犯人は、飯井巡査部長あなたでした」

「へ?」

 飯井はぽかんとした表情で返す。

「足跡の状態を調べたのはあなたです。窓の施錠を全て確認したのもあなたでした。ゆえに偽装工作を施せる唯一の人物ですが、土砂崩れが誰にも予想だにしない天災である以上、犯人にとっても青天の霹靂だったはず。本来であれば正式な手順のもとに鑑識が徹底的に調べあげます。二重に足跡を辿ることは勿論、足跡を消し去った証拠も見落とすはずがありません。それを警察官である巡査部長が、念頭に置かないはずないしょうね。――ならば残る方法は、自身の足跡の残し方で策を弄した……そう私は考えました」

「名探偵殿、私にはどういうことかさっぱり……」

「先生、凡庸な僕にも分かるように教えてください」

 僕は形式的な言葉を返した。E・クイーンに倣うが如く、先生は特に理由なく紆余曲折な推理を披露する癖がある。エラリーがそういう捜査や話法を採るには、真に忸怩たる理由があるのだが。

「ギリシャ神話のヘルメスが、アポロンの牛を盗んだ話はご存じですか?」

「ギリシャの……アポロンの……なんと言いましたかな?」

「簡潔に話しますと、生まれたばかりの悪戯っ子ヘルメスが、五十頭もの牛を盗む為のアリバイ工作として、牛たちを後ろ向きに歩かせたという逸話です。残った足跡は小屋に向かうものだけ。問い詰めるアポロンにたいしてヘルメスは、私は生まれたばかりで揺りかごの中にいましたよ、と言って欺こうとしたわけです。最古の足跡トリックとも言われていますね」

 先生は弁舌を振るう。

「つまり、禍津神之介を殺した犯人は、後ろ向きに歩いて現場の禍津邸を去った。そのルートは裏口から遠回りしたルートの可能性が高い。なぜなら、遺体発見後に飯井巡査部長と伊豆さんが帰るルートと被らせ、更には私達が邸宅を訪れる際に付けた足跡とも混同し、有耶無耶に出来るからに他なりません。だからこそ、飯井巡査部長を容疑者から真っ先に除外する為、最後に伊豆さんを訪問して確認を取ったのです。

 ――彼曰く、裏門から裏口の間に、足跡は全くなかった。そう証言を得て、私はようやく飯井巡査部長犯人説の可能性を潰すことが出来たのです」

 先生は一旦立ち止まり、僕達を交互に見遣る。

「しかしこれも、二重の足跡や隠滅と同様に、鑑識捜査で発覚してしまいます。前歩きと後ろ歩きでは、体重のかけ方の違いがある為でしょうね。私と木花、巡査部長、伊豆さんの足跡が入り乱れたとしても、日本の警察は優秀です。見合わない足跡には気付いたことでしょう。誰もが土砂崩れを予期できない中、それを見越して、警察官である飯井巡査部長が博打のようなトリックを使ったとは到底思えません。

 ゆえに、このパターンの終着点としては、飯井巡査部長は犯人たり得ません」

 飯井巡査部長は胸に手をあて、小さく息を吐く。

「ほっとしました。……が、名探偵殿。今までの推理は何だったのですか」

「些細な可能性も潰さねばなりませんので、もう少しお付き合いください」

 歩みを再開した先生の口からは、矢継ぎ早に可能性の話が飛ぶ。

「事件現場でお話ししたことの繰り返しにはなりますが、遠隔的な殺人も凶器の観点から有り得ません。鍵を邸宅内に戻す方法も、リビングと玄関が離れている現場の状況から不可能です。

 更に先ほどの飯井巡査部長が犯人でないことから、残された足跡に偽装がないとすると、犯人の体重以上に重いものを背負って邸宅を往復したパターンも潰えます」

 それの意味するところは、外部で殺害した禍津を背負って邸内に入った等の可能性だろうか。何れにせよ凶器のハサミがネックになるのだろう。

「それからもう一つ、潰しておくべき解の話をしましょう。汎用的に挙げられる可能性の一つとして、内出血密室というものがあります。致命傷を負った被害者が……今回でいえば、外部で犯人に刺された禍津さんが、逃げ延びようと玄関に入り鍵を掛け、リビングまで辿り着いたところで事切れる。被害者自身の施錠によって、結果的に密室になるパターンですね。しかし凶器は邸内の物であり、被害者の足跡にも乱れはない為、この事件には該当しません」

 先生は仲居が用意してくれたお茶を啜り、一息入れた。

 推理は後半戦だろうか。待てずに問う。

「これで容疑者は、足跡AからDの人物に絞られるわけですね! 先生」

「厳密には足跡AからD、プラスFだが、そういうことだ。さて、容疑者をアルファベット順に見ていきましょう」

 僕は先ほど以上に意識を集中させ、傾聴する。

「足跡Aが犯人のとき、つまり禍津神之介が自殺だった可能性ですが、ハサミで運良く致命傷に至るには難しく、失敗すれば苦しむだけであり、他の方法を採るでしょう。

 ハサミに拘る理由があるとすれば、私怨のある誰かの持ち物で、他殺と見せ掛けた自殺を行なった場合ですが……今回の凶器は禍津邸にある禍津さんの所有物でした。ですので、この線は消えます」

 自殺の可能性は僕の脳内にはなかった。先生の推理を聞く度に、認識の甘さを痛感させられる。

「次に足跡Bの大国主李。彼女の配達時刻ははっきりしていますが、証言は彼女自身でしかなく、時間は定かではありません。岩長旅館で二十時半頃にチェックインした証拠はありますがね。肝心な部分は、Bは正門から入っていること。玄関は開いていないこと。そして足跡BはCに踏まれている為、禍津日人が嘘を付いていない以上、大国は犯人たり得ません。

 足跡Cの禍津日人は、更に複数の友人という証人までいます。Bと同じく正門から入って、玄関は開いていない。邸宅の外周にやや足跡を残しているものの、裏口までは行っておらず、窓については現場で二人が確認したように内側から施錠されていて入れません。そして運良く、我が社のアルバイトである木花に足跡を踏まれています。友人複数名の証言からも、往復した時刻は二十一時頃で確定と言えるでしょう」

「先生、そろそろ助手と呼んでくださいよ……」

「君が助手らしい働きをしたときに考えておこう」

 僕は押し黙った。

「さて、次は足跡Dの伊豆能史。彼は翌朝、犯人によって偽装されたハガキを見つけ、禍津邸に赴いた。そこでリビングの遺体を発見、通報という流れです。これに関しても不自然さは見当たりません。

 そして最後は足跡Fの木花咲耶。彼女は偶然とはいえ足跡AとCを踏んでおり、私と旅館の従業員の目撃証言からして、二十二時頃に邸宅に行き、BCとほぼ同様に踵を返しています。木花も犯人ではありません」

 先生の振るう長広舌が止み、旅館の広間には静寂が流れた。やはり犯人候補がいなくなってしまった。僕の考えと同じ結論に辿り着いたはずの先生は、これからどう推理を展開するというのか。

 先生はここが論点とばかりに顎を撫でる。

「一連の聞き取りをしていく中で、私が最大の疑問としたのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、でした。

 ハサミによる刺殺、犯行は衝動的だったと思われます。天候は明日朝には晴れて雪は降らない。捕まらない為にはどうすれば? 苦肉の策だが、足跡を足して容疑者を増やせるだろうか。禍津神之介のスマホを見ると、運良く配送の時間が迫ってきていて、一人は確保出来る。そこで犯人は、更に容疑者を増やそうとアプリでとある連絡を送った。――遠出をするからお年玉を早めに渡したい、と」

 そういえば現場にはスマホが見当たらなかった。先生の推理通りならば、指紋が不自然になるから犯人が処分したのだろう。

「かつ、自身を容疑者から極力逸らすため、邸宅に用意されていた年賀ハガキを利用して工作を練った。ポストに入っていたことにする為にね。

 しかし犯人は致命的なミスをしてしまった。眠気が影響を及ぼしたのだろうか? それとも最近は鍵の開いた裏口から入っているせいだろうか? うっかり玄関の施錠のことを失念していたのだろう。彼らが去った後、もしくは朝方の通報前に、玄関の鍵さえ開けていれば、他の容疑者にも犯行は可能だったと工作出来たのですがね」

「名探偵殿。その見解からして……犯人はもしや」

 驚きの表情を見せる巡査部長に先生は向き合い、

「ええ、ご明察のとおり、この事件の犯人は足跡Dの人物である伊豆能史さんですよ」

 と犯人を名指しした。

「で、でも、彼に犯行は無理じゃ……。そもそも、死亡推定時刻は十七時から二十三時と名探偵殿はおっしゃっていませんでしたか。彼が犯人なら、往復と朝に邸宅に赴く合計三筋の足跡が残ったはずでは……」

「飯井巡査部長は記憶力も抜群ですね。本当に、なぜこの村の駐在所勤務に収まっているのでしょう」

「私は、自ら望んでここで働いているんです。生まれた村ですから」

「そうでしたか。ご両親も喜んでいることでしょうね」

 巡査部長は恥ずかしがるようにスポーツ刈りの頭を掻いて、小さく笑んだ。

 ちょっとした和やかな空気の中、僕は高速で思考を巡らせていた。

「死亡推定時刻の夜に邸宅に居て、けれども足跡は行きの一筋だけ。それって、それって……」

 僕の考えを読んだかのように、先生は双眸を細め断言する。

「ああ。君の想像通りだ。大凡十二時間、犯人は遺体と共に過ごしていたのだよ。真っ暗な闇の中、静まりかえった禍津邸でね」

 僕は深夜の邸内を想像する。一人の遺体。一人の犯人。明かりを灯さないようにして、伊豆は何を思い、何を考えながら、じっと朝日を待ったのだろうか。

「傍証ではありますが、彼には妻子が自宅におらず、現在一人暮らしです。旅館や友人宅にいた容疑者と違い、彼の姿を見た者は現状確認されていません。

 それから普段使っているSNSアプリではなく、ハガキで自分宛に怪文書を作成したのは、容疑者から逃れるための一つの策だったのでしょう。伊豆さんにとって、自分と禍津神之介さんがアプリで連絡を取っていることは誰も知らない可能性があると、自身で答えていましたからね。毎朝のルーティーンの方が不特定多数の住民が知っている可能性は高く、それゆえハガキという手段をとったのだと考えられます。

 また、仲の良かった二人ですから、遠出やお年玉の件はオセロをやりながらでも聞いたのかもしれません。時刻は禍津神之介が旅館での夕食から帰ってきた十九時以降。ここら辺は憶測ですが、あながち的外れではないはずです。そして日人に連絡をしたのが伊豆ならば、置き配の回収も伊豆だったかもしれませんね」

 先生は終幕とばかりに座椅子に戻り、茶櫃に手を伸ばした。

 代わりに推理を聞き終えた飯井巡査部長が立ち上がり、感謝の意を述べる。

「管轄に連絡の上、伊豆能史を直ちに事情聴取します。名探偵殿、この度はご助力いただきましてありがとうございました! ああそれと、お伝えし忘れるところでした。土砂崩れの復旧工事ですが、明日には片付く見通しだそうですよ。それでは、私はこれにて――」

 素早く敬礼してみせた後、警察官らしい目付きを再び漂わせた飯井巡査部長は、足早に広間を去っていった。今回の事件も無事解決となるだろう。

 伊豆は長年の友人に、どういう理由で殺意を抱いたのか。後日、飯井巡査部長から受けた再度のお礼の電話では、数年前に亡くなった伊豆の妻に関する事故を推理小説のモデルにしたいと、オセロをしながら懇願されたという。先生との仕事だけで、わざわざ都心に出向くというのは不自然に思えていたが、禍津神之介は他の起稿も検討していたようだ。

亡き妻の事故。それを友人からモデルにしたいと言われたときの、伊豆の心境はいかほどだったのか。結果は、事件に発展してしまったことからも想像に難くない。

 広間をお借りした礼を従業員に伝え、僕達は客室に戻った。

 後は土砂崩れの復旧を待つだけだ。

「お疲れ様でした、先生。今回も見事な推理力に感服です。ところで~、脳の疲れを癒やしつつ、復旧工事を待つことも出来る一石二鳥の素敵な案があるのですが」

「ほう? 予想は容易いが、あえて訊いてみようか」

 そう返すということは、先生も吝かではないらしい。僕はにこやかな笑みで言う。

「早速、入りそびれた温泉に行きましょう! 助手としてお背中を流させていただきますよ」

「私の求めている助手像とはかけ離れているが、折角なら頼もうか」

「ああそれと、夜にも当然入りますからね! それから朝、帰る前にも」

 今度こそ死神に煩わされることはないだろう。フォーマルな探偵装束から一変、浴衣に着替えた先生と僕は脱衣所へ向かうと、赤い暖簾をくぐるのだった。


死神は足跡なく彷徨う 了


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