問題編 第一話
登場人物一覧
直毘 火那子 (31) 探偵 警察から捜査協力を請われるほどの逸材
木花 咲耶 (19) 助手 能力者 本作の語り手
禍津 神之介 (42) 依頼主
大国 主李 (26) 八十村を担当する配送業者
禍津 日人 (18) 神之介の甥
伊豆 能史 (45) 神之介の友人
飯井 金繁 (33) 駐在所の巡査部長
岩長 姫春 (38) 八十温泉岩長荘の若女将
遠津 松樹 (51) 岩長荘の料理長 趣味は川釣り
十二月某日。
しんしんと降り続いた雪は、夕方の五時過ぎには止んでいた。空は幾分か雲っていたが、天気予報によれば明日、日が昇る頃には晴天に恵まれるそうだ。
とはいえ、現在氷点下を下回っていることに変わりはなく、
「寒い。寒すぎる。……あのときヤツが現れなければ、こんなことにはならなかったのに」
かき抱いたトレンチコートの隙間から、寒気が肌を撫でる度に身震いをする。
僕こと――木花咲耶は、路上にうずたかく積もった雪に辟易しながら歩き続けていた。千鳥破風が特徴的な目的の邸宅。通称、禍津邸。その敷地を仕切る二メートルほどの板塀を迂回していく。身長が百六十センチメートルの僕では向こう側を伺う術はない。ややあって、雪水に黒光りする鉄製の門扉の前に着いた。
ここから三十メートルほどの前庭があり、ようやく家の玄関となる。敷地内には蔵や池が設えられ、まるでドラマや映画で見るような、大正期の重厚な家屋。古き良き富裕層のお手本のような造りである。
「……さっと確認していきますか」
ふぅっと白い息を吐き出して、震える身体に気合いを入れた。
こんな状況下にいるのは、宿泊先の旅館の布団に寝っ転がりながらミステリ小説を読んでいるとき、ふと感じた気配に端を発する。つまり自業自得とも言えるのだが、……訳を話そう。
温泉地ランキングになぜか載っていない温泉宿にしては、露天風呂は格別の心地よさだった。これが隠し湯というやつなのだろうか。
夕食も申し分なく、予約と宿泊代まで見繕ってくださった禍津さんには、感謝の念しかない。しかも、先生と僕の二客分なのだから尚更だ。
「ふぃ~良いお湯でしたね~先生。血行促進に滋養強壮、お肌もスベスベ。寝る前にもう一度入りましょうよ、ね!」
僕は部屋の戸を開けると、用意されていた布団に満悦し、火照った体をダイブさせる。
「うむ。そうしようか。仕事として訪れた場所で、思わぬ幸運に恵まれたようだね」
顔を見ずとも、先生も上機嫌なのが伝わってくる。
言葉を返したのは、共に宿泊している我が探偵事務所の所長、直毘火那子だ。僕は敬意を込めて先生と呼んでいる。とはいえ小さな事務所で、人員は彼女とアルバイトの僕の二人だけである。現在は、とある依頼でこの村に滞在しているのだった。
「なんなら明日の朝も入りましょ。悔いのないように!」
僕は手を伸ばして旅行鞄をたぐり寄せ、ミステリの文庫本を取り出しパラパラと捲る。無意識の癖になっていて、内容が頭に入らなくても気持ちが落ち着く。
「おいおい、仕事が成立すれば、もう一度この村を訪れるのだから、欲張る必要はないだろう」
「タダで入る温泉は別格なのです」
先生は広縁にある和の椅子に座り、浴衣がはだけるのを気にせず長い足を組んだ。長身の彼女は浴衣姿も様になる。
「君が無一文で泊まれるのは、誰のおかげだろうね。そうだな、次からの宿泊料は君のバイト代から引かせてもらおうか」
「えーーそんなご無体な……」
年末年始のミステリは注目の新刊が多く出版される予定なのだから、僕にとっては死活問題である。
無心しようとしたそのとき、
「…………あ」
ふいに脳裏をよぎる既視感。僅かに上がった心拍数と発汗の症状が、それが現れたことを告げた。
「……どうした?」
先生も、声のトーンを一段階下げて問うた。
「感じてしまったんです。……死神の彷徨う気配を」
どうにも僕の『感』は、時と場所を選んではくれないらしい。
「ほう。すると君は、この長閑な村でも何かしらの事件が起きるというのかい?」
「……間違いありませんよ。先生も、嫌ってほど経験してきたでしょう」
先生が探偵として優秀なことは確かだ。だが、今まで事件に遭遇する頻度が多かったのは、自ら言うのは少し恥ずかしいが、僕が助手として付き添っていることが多分にあるだろう。
「死神ねぇ……」
浴衣姿で椅子から立ち上がると、顎を手でさすりながら沈思黙考の様子を見せる。
「えぇっ……、信じていないんですか!?」
これまで事件解決の一助になっていると自負していたのに、実は君の力は信じていませんでした、なんて言われたらそれなりにショックが大きい。そんな僕の心中は杞憂とばかりに、
「まさか。むしろ頼りにしているよ。事件を早期に察するなんて芸当は、警察の初動捜査に比類するくらい重要なことだ」
ふぅ、と僕は緊張した体を弛緩させた。先生の役に立てているなら何よりである。
「けれど、以前から引っ掛かっていたことなら、あるぞ」
「……と、言いますと?」
僕は浴衣の着崩れを直し、無意識に正座しながら向き合う。
「そもそも死神というのは、西欧を襲ったペストなどの疫病――往々にしてパンデミックが由来だ。貴賤上下の差別なく蔓延った『死』そのものが、擬人化で現されたわけだね。各国での死神の呼び方も『la Mort』『Tod』『Death』など――死と同義だろう?
それを元に、両手に持つ大鎌や、黒いフードをアイテムとして取り入れられながら、現代の誰もがイメージする姿になっていった」
僕は彼女の言いたいことが分からず、首を傾げるのみ。
「君がソレを感じるようになったのは、中学生からだと言っていたね。既に死神のイメージは君の脳内に固定観念として刻まれていたはずだ」
「そう、ですね……。美術の教科書で、禍々しい死神の姿を見たのが最初だったと思います」
本当はカードゲームのイラストが初見だったが、少しだけ見栄を張った。
先生は僕を見下ろすように、
「仮定の話をしても仕方ないのだが、もしもだよ。君が『死』のイメージを死神とリンクさせてしまう前に、予兆を感じ取っていたならば、いったいどんなイメージを抱いたのだろうね。黒いモヤだろうか、はたまた目映い光だろうか。この脳の中におそらく答えが……」
両手で頭(脳)を鷲づかみにされるのを、僕はさっと文庫本でガードし、やや冷たい目を先生に向ける。
「私はそれが興味深くて仕方ないのだよ」
彼女は愉悦を覚えるように、口許を歪めて目を細めた。
「……はぁ」と僕は溜め息をつき、「良くないところが出てますよ、先生。概念なんかの興味よりも、今現在、この町で危機が迫っている人がいることを心配してください」
先生は熱が入ると、見境なく語ったり触ったりするのが厄介だ。
「それもそうだな。今のところ、君の感は100%当たっているからね。では、村の東側はよろしく頼むよ」
「えっ、僕が東側ですかぁ……」
こうして、旅館や除雪された通りの多い比較的楽な西側を先生が、家々が点在しているそれなりに面倒な東側を僕が見廻ることになったのだった。
今頃、二度目の温泉に浸かりながら、ゆったりと就寝する準備をしていただろうに……。口惜しく思うも、誰かに危険が迫っていることを考えると、軽々しく言えない。
僕はかじかんだ手で、縦格子の門扉を軽く押した。ギィィと鈍く小さな音と共に内側に動く。
前庭では、すでに幾筋かの足跡が、玄関ポーチにまで伸びていた。……今夜は来客が多かったのだろうか?
積雪の下は、普段は砂利と石畳が綺麗に敷き詰められているはずだ。積もっている雪は足のくるぶし程度。僕はなんと無しに既にある足跡を避け、慣れない雪によろめきながら邸宅に向かった。風が無風といってもいいほど吹いていないことがせめてもの救いだ。
ポーチに上がり、古めかしいベルを鳴らす。
曇りガラスの奥に明かりはない。昼間に先生と訪問したときとは違った静謐さが漂っている。
「こんばんはー! 夜分遅くに失礼します! お昼にお邪魔した直毘探偵事務所の、えーっと……助手の木花です!」
強めに声を掛けるが、応答はない。
腕時計を確認すると、二十二時を過ぎていた。夜も遅いと言える時刻だ。すでに寝床に就いているのかもしれない。
明かりの灯っていない窓の暗闇を見ていると、邸宅ごと眠りについたような感覚を覚えた。
ふと視線を落とす。昼間と同様に、頭に朱色の帽子を被った人工的な雪だるまの飾り付けが置いてある。その真横には宅配ボックスが置かれているのだが……。
「……昼に来たときは、置き配の蓋って外れていたっけか? 中身は何も無さそうだけど」
回答が得られないことを承知の上で、誰にともなく疑問符を投げ掛ける。先生に似てきてしまったな。
それはともかく、
「禍津さん寝てそうだな……。他に向かうかぁ」
もう一度だけ玄関ドアに向き合い、先程の言動を繰り返す。やはり応答はない。失礼かと思いながらも玄関を開けようと試みたが、施錠はしっかりされていた。それを確認すると、僕は再び雪を踏みしめて元来た道を引き返した。
禍津神之介の遺体が発見されたのは、新雪解けきらない翌朝の七時台のことだった。
最寄りの駅に着く電車は二両編成。そこから一日二本のバスに乗り継いで辿り着く、安穏とした土地。遠くには白雪に覆われた山々が重畳と聳え立っている、そういう村に依頼主は居を構えていた。
「どうにもスランプでね」
依頼の主、禍津神之介は、腰が低いと表現するよりも、プライドの高かった人間が無気力状態化した雰囲気を醸し出している人物だった。
彼の作家歴を簡潔にいうと、デビュー作はミステリ界に残る名作であり、映画は人気を博しロングセラーとなったタイプの中堅作家だ。見方を変えれば、二作目からはつまり、伸び悩んでばかりと言えよう。
豪邸に住んでいるからといって、著書の印税で賄っているわけではなく、親が不動産業で財を成したお金が、この家には多く費やされているらしい。妻とは諸事情により別居中で、子供はいない。
「なるほど。それで私が関わった先の事件を、小説のモデルにしたいというわけですね」
先生が携わり、見事に解決した事件は多岐にわたる。二億の値打ちがある彫刻作品が鍵となった『スレイプニル強奪未遂事件』、推理小説並の大々的なトリックを犯人が弄した『二重螺旋の森の殺人』、具体的に述べれば枚挙に暇がないが(ちなみに事件は僕が勝手に命名している)、その中でも去年、一週間に及ぶ熾烈な頭脳戦の果てに、爆弾犯を特定確保した『メリクリあけおめ連続爆破事件』を題材にした長編ミステリを書きたいとのこと。
「どうかお願いできないかね」
「知見が深い作家の禍津さんに、敢えて言うのも恐縮ですが、事件自体に著作権はございません。ですが、一連の出来事の中で関わった人々が作り出したもの、例えばメールや手紙、あるいは飲食店独自のメニューなどは、著作権侵害の恐れがありますので、少なくとも、今お返事を返すことは出来かねます。管轄の警察署、ならびに現場となった各ショッピングモールの店舗にも確認を取るのが得策かと」
禍津は鹿爪らしい表情で頷く。
「ふぅむ……こちらも一度、都心に出向いて担当の編集と打ち合わせるよ。事件の軸を変えずに改変するのは、私の仕事か。また連絡させてもらってもいいかね」
「真実に嘘を交えるのは、作家先生の十八番でしょう。好ましい進展を楽しみにしていますよ」
禍津と先生は互いに笑みを交わす。仕事の交渉は順風満帆と思えた。
「さて、こんな家に泊まるよりも、岩長旅館に泊まってくだされ。小さい村といっても、あそこの料理は絶品ですし、温泉も旅の疲れが癒やせますよ。勿論、宿泊費は私の方で出させていただくのでね」
依頼の為に遙々足を運んだとはいえ、付き添いの僕の分まで用意してくれる好待遇だ。有り難く申し出を受けることにしたのだが……ただそれが、彼と話す最期になろうとはつゆ知れず、現在に至るのであった。
毎日投稿していき、一日空けて解決編を載せる予定です。よければ推理してみてください。また、トリックやロジック、ガジェット等々に疑問がある場合は、突っ込んでくださると僕としても勉強になりますので、そちらもお気軽に。