64 二人の過去
台詞に目的語のないことを、久我は視線で補った。わざわざ言葉にして言うのはあからさま過ぎるからだ。
「久我……?」
意図のなかった逢坂の瞳が、微かに見開いた。察したのだと気付いたが、久我は気付かないふりをするために、素っ気なく「なに」と返した。
「久我が守りたいものって、……私?」
「そうだよ、バカ」
「なんで?」
「なんでだろうな」
とぼけたことを言いながら、久我は逢坂の頭をポムポムと叩く。小馬鹿にするような仕草は、「どうせ分かんねぇだろ」とでも言いたげだ。だけど、逢坂には心当たりがあった。明確な、心当たりが。
「もしかして……10年前のことが原因?」
この話題について二人が話すのは久しぶりだった。だからか、一瞬、久我の顔が引き攣った。逢坂の頭の上でバウンドしていた手が、ゆっくりと下ろされる。
あの事件は、逢坂にとって過去であり、ただの通過点でしかない。しかし、久我はあの事件を結果的な楽観をもって受け止められずにいた。それどころか、己の進んでいく指針としていた。
「あれは久我のせいじゃないよ」
「違う」
逢坂の言葉を擁護と受け取った久我は、はっきりと否定した。しかし、逢坂の言葉にそんな意図は微塵も含まれていなかった。ただの真実だった。
「まだ自分のせいだって思ってるの? 罪滅ぼしのために私を守るなんて言ってるの?」
「違う、そうじゃない」
久我は否定したかった。10年前の事件の原因についてではない。お前を守りたいのは、罪滅ぼしなんかじゃなくて――……
「久我がそんな十字架背負わなくていいよ」
その言葉に、逢坂は救済の意図を乗せた。事件の原因は久我じゃない、だから、久我が気負う必要はない。もう罪悪感から自分を解放していい。そういう意味だった。しかし、久我はそういう意味では受け取らなかった。不意に、久我は呼吸の乱れを感じた。一瞬、喉の奥に何かが痞えたような感じがして、息が吸えなくなって、でも、言いたいことは腹の底から湧き上がってきて、
「違うって言ってるだろっ!!」
久我は自分でも驚くほどの音圧をもって叫んでいた。それは迫力というには軟弱だった。ビリビリと肌に感じるのは、威圧感を孕んだ狂気。何があってもムカつくくらい冷静な呼吸が、浅くて、荒い。それほどまでに久我を追い詰めてしまっていたのだと、逢坂はやっと気付く。
「……ごめん、」
呼吸を整えてから、久我がボソリと呟く。
「う、うん、私も、ごめん……」
なんとなく気まずくて、顔を上げられない。
「……ホント違うから。お前を守りたい理由、あの事故じゃないから」
「うん」
「ごめん……」
「分かったよ、もういいから」
「そうじゃなくて。守れなくて、ごめん」
「え……?」
「あの日、俺が一緒に出勤していれば、お前は攫われなかったかもしれない」
「何言ってんの、あれはラシェたちの仕業だったんだから、何の問題も……、」
「もし相手がアドマだったら?」
「なぁに〜? 私のこと心配しちゃったの〜?」
「そうだ」
「も〜、やめてよ、久我らしくない」
なんだか歯痒くて、逢坂はわざと茶化した。しかし、
「言っておくが、俺は罪滅ぼしのためにお前を守りたいんじゃない」
久我は茶化されてくれない。
「……うん」
逢坂は俯いて、口をもごもごさせた。すると、久我が腰を屈めて、顔を覗き込んできた。
「俺に守られるのは迷惑か?」
そっぽを向いてしまえばよかったが、そんなことをする前に、久我の視線に捕まってしまった。蛇に睨まれた蛙とはこのことだ。真っ直ぐに見つめてくる瞳は、逢坂に選択の余地を与えない。
「ううん」
と逢坂に言わせた後、久我は、
「だったら大人しく守られてろ」
と言うと、逢坂の額にデコピンを食らわせ、「イタッ」と逢坂が喚いたのに気も留めず、さっさと給湯室を出て行った。
「結局、私を守りたい理由って何?」
逢坂の声が聞こえてきたが、久我は答えなかった。当然だ。答える気すらないのだから。こんなところで、さらっとバラシてたまるか。
「少しはテメェで考えろ」
久我は学生の頃からずっと、逢坂に秘密にしていることがある。隠し通せているのは逢坂が鈍感だからか、久我の性格が捻じ曲がっているからか――いや、違う。全てはあの事件が原因だ。10年前に起きた、悲惨な事故。あれをキッカケに、久我は逢坂を守り続けると誓った。それが償いになるかは分からなかったが、当時17歳だった久我にはそれしか思い付かなかった。
逢坂せつなの報告書「地球外生命体の能力とその効果及び想定される被害について」 【完】




