49 タフネス
ドサッ! と、何かが地面に叩きつけられるような音がした後、
「イテテテテテッ!」
と、穂浪の苦悶の叫びが、逢坂のヘッドセットに届いた。
「穂浪キャプテン!? 大丈夫ですか!?」
「ごめん……逢坂さん……俺……」
穂浪の声は、痛みを堪えるように震えている。逢坂は青ざめた。
「直ちに救護室に要請を……!」
「だ、大丈夫です……」
「でもっ」
「いや、ホントに。足攣っただけなんで」
「……攣った?」
「はい」
「攣った、だけ?」
「受け身はうまく取れたんですけど、その後の脚の処理が下手で。イテテ」
「そうですか……」
逢坂は、「なんて紛らわしいことを」とも思ったし、「あの高さから飛び降りて、足攣っただけで済むってどういうこと?」とも思った。
「あ。今、心配して損したって思いました?」
だけど、一番強く思ったことは、
「いえ。ご無事で何よりです」
やはり、穂浪は逢坂の予想の範疇にはいてくれないようだ。
「でも、これでよく分かった。やっぱ俺には、作戦の立案は難易度高い」
「そんなこと考えてたんですか?」
「柄じゃないよね、アハハ。んじゃ、ターゲットと話してきまーす」
「そんな回覧板回しに行くみたいなノリで言うことじゃないです」
「俺の特技なんで。誰とでもすぐ友達になれるって」
「友達って……」
「あ。逢坂さんとは友達以上の関係になりたいと思ってますよ?」
「急に何の話ですか?」
「とりあえず任せてくれません? これは勘だけど、たぶん大丈夫なんで。……ダメですか、久我さん?」
穂浪は全体統括に直接交渉を始めた。
「久我……」
久我は制服のポケットに手を突っ込んで、睨むように前を見据えていた。その場にいる全員が、久我の決断を固唾を呑んで待つ。
「ハァッ……」
苛立ったように前髪を掻き上げながら、久我は短くため息を吐いた。そして、
「貸せ」
と、逢坂のヘッドセットを取り上げた。乱暴に掴まれたせいで、髪が乱れる。久我はヘッドセットのマイクを口元に近付けると、
「穂浪さん。勝手な行動は慎んでください」
と、静かに告げた。怒鳴ったり、嫌味を言ったりするでもない。ただ正論を言っているだけだ。それなのに、どうしてこうも威圧感があるのだろう。
『ごめんなさい、でもっ……』
「でもまぁ、ここまで来たら付き合います」
『へ?』
「へ?」
館内放送の穂浪の声と、逢坂の声が、重なった。
「制限時間は3分です。3分以内に交渉の余地有りと俺が判断できなかった場合、撤退です」
『いいんですか?』
「ただし、制限時間内だとしても、穂浪さんの生存が危ぶまれるなら、即刻撤退です」
『久我さんっ……!』
「一応聞きますけど、何か策はあるんですか?」
『とりあえず話し合ってみようかと!』
「ないんですね」
『ま、なんとかなります。なんとかします』
「馬鹿野郎」
『え? 今何て?』
「FPLナメんなよ」
『ちょ、久我さん?』
「こちとら伊達に『計画の専門家』なんて異名付けられちゃいないんですよ。そんなに話し合いがしたいなら、大筋は穂浪さんに任せます。が、計画の立案はうちの専売特許なんで、細かい口出しはさせてもらいます。で、完璧にバックアップしてみせます。だから……――」
久我はそこまで言うと、逢坂の無線機の操作ボタンに手を伸ばした。そして、『館内放送』をオフにした。
「――逢坂の指示無視してんじゃねぇぞゴラ゛」
それは、おおよそカタギの人間が出すような声ではなかった。
ブチッ! と乱暴に無線を切った後、
「穂浪さんが言うこと聞かなかったら、俺に代われ」
と言いながら、久我はヘッドセットを逢坂の頭に無造作に戻した。
「また今みたいに脅すの?」
逢坂はずれたまま被されたヘッドセットを装着し直し、マイクの位置を整える。
「脅してねぇ」
「わざわざ館内放送切っておいてよく言う」
「ただの牽制だ」
「それにしちゃ顔怖かったわよ」
「穂浪さんに顔は見えていない。万事大丈夫だ」
何が大丈夫なんだか。恐怖のあまり腰を抜かして、穂浪さんが任務どころじゃなくなってないといいけど……と思いながら、逢坂は安否確認のため、穂浪に無線を繋げた。
「こちらFPL。穂浪キャプテン、ご無事ですか?」
「お、お、お、逢坂さん……?」
案の定、穂浪は涙声だ。
「怖かったですね。もう大丈夫ですよ」
「あぁ……逢坂さんの声、すごく安心する……俺、やっぱり逢坂さんのこと好きです」
「久我に代わりましょうか?」
「スミマセン! 任務に集中しマス!!」
効果覿面。それはまさしく、小学生が「先生に言うよ~?」と相手を脅す原理と何ら変わりないが、まさか大人にも有効だとは思わなんだ。久我もたまには役に立つじゃないか。
「志田さん。監視カメラでもドローンでも何でもいいので、穂浪さんとターゲットの様子が分かるライブ映像の撮影を、情報収集室へ依頼してください」
「了解」
「荒木は、そのライブ映像を全部署に転送するよう制作室に伝達」
「了解です」
久我はしれっと『館内放送』のボタンを押すと、研究員たちへの指示を始めた。
「松本はCILに、ターゲットの特性が分かり次第報告するよう要請してくれ」
久我の指示に、美樹が「了解です」と頷く。
「安藤さん。撤退することになったら、一号機で穂浪キャプテンを保護しに行きます。直ちに一号機を出動させ、ターゲットの死角で待機させてください」
「了解した」
久我の指示で、みんな一斉に動き始める。逢坂も穂浪に無線を繋げた。
「こちらFPL、穂浪キャプテン応答願います」
「こちら穂浪、どうぞ」
「情報収集室から映像が届き次第、作戦をご提案します。現時点でのそちらの状況を教えてください」
「ターゲットは透明化を続けたまま、動きはありません。攻撃してくる様子も見られません」
「ターゲットとの位置関係は?」
「12時の方向、距離は約80mです」
「では、常にその距離を保ったままでいてください」
「了解です」
そのとき、逢坂のパソコンに3つの映像が送られてきた。同時に、ラボの大型モニターにも同じ映像が映し出された。情報収集室がドローンを飛ばし、撮影している映像を送ってくれたのだろう。どの映像も、先程穂浪から送られてきたものとはアングルが違う。1つ目は屋上全体を撮影したもの、2つ目は穂浪の様子を上空から撮影したもの、3つ目はターゲットの様子を上空から撮影したものだ。
「始めるぞ」
さっきまで、一号機の待機場所について安藤と議論していた久我が、いつの間にか逢坂の隣に立っていた。飄々とした顔をしているが、どうせ見栄を張っているだけだ。緊張しているのが雰囲気で分かる。それに気付いているのは、きっと逢坂くらいだろう。だから、逢坂は気付いていないフリをしてやることにした。まぁ、久我は、逢坂が気付いていないフリをしていることにも気付くだろうが、それはそれでいい。
これから大仕事を始めるというのに、逢坂と久我は目を合わせるどころか、お互いの顔も見ない。「頑張ろうね」なんて励まし合うようなこともしない。ただ、自分の目標を真っ直ぐに見据えるだけ。そして、隣のヤツがヘマしても即座に援護できるように、ほんの少し気にかけるだけ。逢坂と久我は、学生時代からそういう関係性なのだ。
「穂浪キャプテン、お待たせしました。交渉を開始してください」
「了解です」