39 奪還
ぼんやりとした意識の中で、遠くから名前を呼ぶ声が聞こえた。発音からして、地球外生命体ではない。聞いたことのある声だ。それに、逢坂を「逢坂さん」と呼ぶのは……
「逢坂! そのまま伏せてろ!」
先程と違う声が、逢坂を呼んだ。誰かが走る足音も聞こえる。こちらに近付いてくる。一人じゃない。たぶん、二人。
ボンッ! という爆発音が聞こえたのは、突然だった。途端、目の前に白いもやがかかり、何も見えなくなった。それが煙幕だと気付いたそのとき、逢坂は誰かに抱き起こされた。
「よし、生きてるな」
大きな手が逢坂の肩を抱き寄せる。痛いくらいに肩に食い込む指先が、ぼんやりとしていた意識を覚醒させる。頬に掠れるシャツからは、昨晩寝た布団と同じ匂いがした。
逢坂を見下ろす久我は、見たことない顔をしていた。「世話が焼ける」とため息を吐きたげにも見えるし、「生きていてよかった」と安堵しているようにも見える。
「穂浪さん、逢坂頼みます」
煙のせいでよく見えなかったが、久我が振り返った先に穂浪が立っていた。
「無事でよかった……俺がぼんやりしてたせいで逢坂さんを危険な目に……」
「お喋りは後にしてください。今のうちにここから離れます」
「あ、そうでした。逢坂さん、ちょっと失礼しますよ」
そう言うと、穂浪は突然、逢坂を抱きしめた。
「ぅエッ!?」
逢坂が奇声を発するのと、穂浪が逢坂の体を抱き上げたのは同時だった。
「よかったな~逢坂。好きだろ? お姫様抱っこ」
「好きじゃなぅぶっ……!」
茶化す久我に、逢坂は声を荒らげて言い返した。しかし、穂浪の腕に抱き寄せられ、顔面が胸にぶつかったせいで言葉が途切れてしまった。久我の顔は見えない。だけど、どんな顔をしているか長年の経験から大方想像はつく。……うわ、想像しただけで腹立ってきた。
「逢坂さん、この先揺れるよ。掴まってて?」
掴まるって、どこに? どうやって? と逢坂は疑問に思ったが、尋ねる前に、穂浪は久我とともに走り出してしまった。
「おい、煙から出る前に俺たちを透明化しろ」
「ワタクシの煙幕ありきの作戦なのですから、言葉遣いを改めるなどして敬意を払ってもよろしいのですよ?」
「口から煙を吐き出すなんて気色悪い能力を生かしてやってんだ。むしろ感謝しろ」
ミッシュはどこにもいないのに、久我はミッシュに話しかけ、どこからかミッシュの返事も聞こえてくる。
「ニーナ モ 付イテ 行ッテ イイ?」
いつの間にか、ニーナは穂浪の肩によじ登っていた。
「え? 誰?」
初めて会う地球外生命体なのに、穂浪は警戒心がない。
「ニーナ オウサカセツナ 助ケタイ」
「逢坂さん、知り合い?」
「えっと……」
穂浪の質問に、どう説明しよう、と逢坂は悩んだ。
「コイツ ダレ?」
「そいつ、誰だ?」
重なったのは、ニーナと久我の声だった。ニーナは穂浪を、久我はニーナを指差している。
「大丈夫。ニーナは危険じゃない」
久我は「何を根拠に……」と言いたそうな顔をしたが、今は議論をしている場合ではないと判断したようで、特に何も言わなかった。
「穂浪さんも久我も、私の仲間よ。ニーナ、私と穂浪さんを透明化してくれると助かる」
ニーナは頷いた。そして、みるみるうちに姿が消えていき、穂浪や逢坂の体まで透けて見えなくなっていった。隣を見ると、久我もいつの間にか見えなくなっていた。しかし、芝生を蹴る足音が聞こえるため、そこにいるのは間違いないようだ。
煙幕を抜けたところで、角の地球外生命体のいた場所を見てみたが、その姿はなかった。煙幕のせいで見えないだけなのか、どこかに逃げた後なのか、それは分からない。とりあえず、今のところ逢坂たちを追ってくる気配はなかった。
「逢坂さん、お願いがあるんだけど」
「ひぃっ!」
突然、耳元で穂浪の声が聞こえて、逢坂は驚いて声を上げた。吐息が耳たぶを掠めて、くすぐったい。
「あ、ご、ごめん。距離感分からなくて……」
すぐ近くで、穂浪の焦ったような申し訳なさそうな声が聞こえた。姿は見えないけれど、前髪に吐息がかかったことから、穂浪の顔がすぐ目の前にあることが分かる。
「だ、大丈夫です。私こそ大きい声出してすみません。お願いって、なんですか?」
「俺の首に腕回してください」
「えぇっ!?」
「走る方に集中したいんだけど、全力で走ると振り落としちゃうと思うから。自分で掴まっててくれると助かります」
まさかこのタイミングで、先ほどの疑問に答えてもらえるとは思わなんだ。
「つ、掴まるって、どれくらい?」
「首締まらない程度の力で」
「そうじゃなくて、どれくらいの時間ですか?」
「局に着くまで」
「え? 局に戻るんですか?」
「そうだよ。いいから早く掴まって」
穂浪は強引に逢坂の腕を掴むと、自分の首元に掛けさせた。ぎゅっと抱き寄せられて、透明化のせいで見えないけれど、体が密着しているのが体温で分かる。
「そのまま、俺から離れないで」
耳元で穂浪の声が聞こえる。いつものおちゃらけた雰囲気とは違う。意識があるときに、こんな風に男性に抱きしめられるのは初めてだった。照れ臭いやら恥ずかしいやらで、顔が熱くてたまらない。透明化していてよかった。この醜態を久我に見られずに済んだのだから。もし見られていたら、盛大におちょくられる。
逢坂は言われた通り、穂浪の首元に(首が締まらない程度に)抱き着いた。すると、穂浪の走る速度が格段に上がった。