そのサンジュウキュウ S・L・P・N
(『土屋蔵人、茶道土屋流家元……』)
巌十郎が手元で繰っているのは、鴻神神社の氏子帳。
(奴め、そういえば。毎日参拝しておるくせに、これに名を入れるのはずいぶんと渋っていたわなぁ……)
あまりの熱心さに、是非お名前をと俊介が土屋に氏子入りを勧めたのは、確か土屋が初めて参拝に現れて三ヶ月程も経った頃。十六年も前のことだが、よく覚えている。その時の土屋の大袈裟な恐縮ぶり。
(なるほど、今にして思えば、じゃ。まさか土蜘蛛たるおのれが、蛇神様の氏子とは!恥ずかしくてのめのめ名乗りも出来まいて)
だがそこを、俊介は諦めず喰らいついた。毎日御参拝とは今どきお珍しい、お名前だけでも是非是非、と。とうとう土屋も断り切れなくなった……
(ああも言われてなお断れば、流石に怪しまれると思って折れたのじゃろうな。もう怪しまれていたのを知らずにの!)
巌十郎はあらためて思う、相変わらず、我が子ながら俊介は頼もしい。おそらくあの時すでに、聡明な息子は土屋を警戒していた。そして猫の首に鈴をつけたのだ、いざという時のために。
そしてその用意が今日、役に立つ。
(住所は『丘ノ上三丁目』の……なるほど、あの辺りか……)
手元の手帳に写し控えていく。ボールペンのごつごつとした筆跡は彼の常ながら、ことに今日はその筆圧に紙が悲鳴をあげるよう。
(よし、では行くとするか)
立ち上がった彼は、文机の上に置かれた古めかしい文書を見下ろす。それらは鴻神神社に残されていた、退魔術秘伝の書。
(早苗よ。お前に最後まで修行をつけてやれなくなるやも知れぬ。その時はこれで……今のお前ならば……奴の呪縛さえ解いてやれれば!)
巌十郎のその決意。勘違いは滑稽、しかしそれ故、なお悲壮。
玄関を出た彼は、一度社に向かって深く首を垂れて、そしてきっぱりと振り向かずに敵地に歩き出して行った。
ちょうどその頃。
「やー、おんもしろかったぁ!これ、思ってたよりスリルあったね!」
アトラクション終了。場内の照明が点くなり、仁美がゴンドラから立ち上がって叫ぶ。
「ふええん……でもぉ、ちょっと怖すぎでしたよぉ……」
オバケライドのゴンドラは、二名掛けが縦に連なるジェットコースター風。ノッコたちのグループは、最前列に仁美とノッコ、次が珠雄とニコ、その後ろに早苗と、相席になったもう一人の中年女性客。
「なぁにノッコぉ、オバケ怖いの?キミがぁ?」
「だってだってぇ!本物のお化けさんたちと違って、キャストさん、本気で脅かしにくるから……」
からかい顔の仁美に、答えるノッコは涙目。
「映像がすごくクオリティ高かったですね。ちゃぁんとお金かかってる感じでした。構成演出もしっかりしてますし。地元でこれが観られるのは得した気分です」
「なのにキャストの飛び込みお化けは、格好もメイクとかも昔のままなのが良かったよね、レトロでさ。ハイテクと懐かしお化け屋敷の融合がコンセプトってとこ」
中列の二人はアトラクションをレーセーに評論。高評価合格という顔つき。
ところが。
「ちょっとあなた、大丈夫……?ねぇねぇ前の君たち、この子君たちのお友達でしょう?様子が変なのよ……」
ちょうどゴンドラの扉を開けに来た係員も。
「お客様?どうかいたしました?ご気分でも?」
早苗の様子は、確かにおかしい。真っ青な顔に流れ落ちる脂汗、傍目ではっきりわかるほどの全身の震え。自分の両肩をギシギシと抱くその腕の異様な力。係員がどうにか安全ベルトを外し、ゴンドラの外に降ろすも、今度はたちまち膝から崩れるように座り込んで動けない。
「早苗?どうしたの?!」「……むむ仁美、ここはちと某にまかせよ」
ノッコの口を使ってひそひそ声を掛けたのは、槌の輔だ。そして介抱するような仕草で早苗の体に密着すると、彼はノッコから早苗に憑き替える。たちまちしゃっきり立ち上がる早苗の体、だが無言。なるほど、今は槌の輔が体を操っているのだ。彼がしゃべったらボロがでる、機転を利かせて仁美が。
「ああ……えーと!ご心配おかけしました皆さん、この通り、このコもう大丈夫ですから、ありがとうございましたぁ!」
いかにも怪訝そうな相席の客や係員、そしてその他の客たちの視線を振り払いながら、五人は早苗をアトラクションの外に連れ出していった。
「大丈夫ですかセンパイ?ツッチー、センパイはどうしたの?」
オバケライドの施設から少し離れた、木陰の休憩ベンチ。皆はそこに早苗を連れてきて座らせた。自由に動いているように見えるが、わかっている、それは槌の輔が動かしているだけ。異様な形相も体の震えも依然元のままだ。
「小姫様」と槌の輔は、早苗に取り憑いたままその口で。
「巫女殿はそう……何かを恐れておりますな。予知の力でございます。某は、巫女殿がそういった術にも長けていたとは知りませなんだが……いやおそらく今、急にこの力に目覚めたのでございましょう。何かを強く強く予感し、恐れて。ただ、術が未だ未熟な故に、その何かが何であるかはかわからない、見えない……」
「ツッチーにも?いっしょにいたら、読み取ってあげられない?」
「申し訳ございません。今の巫女殿の心は乱れきっておりますれば、どうにもしんくろ出来ず……某にもそこは何が何やら……」
「予知能力、ね。早苗だもの、それ絶対確かなヤツ。つまり何だかわからないけど、これからまずいことが起きるってことだよ!……ケバケバかな?」
「でしょうね」相槌を打ったのは珠雄。
「……ごめんタマ。わるいけど、ニコを連れて二人で先に帰ってくれる?」
もちろん、珠雄はそうくると思って水を向けたのである。
「はい、でもみなさんも気をつけて。行こう弐ノ口さん」
「え、あの……ハイ、でも!」
ニコの表情は一瞬で様々に。何か危険なことが起こりそうなこの時に、自分たちだけ?……いやしかし、あの勉強会の時自分は誓ったはず、足手まといにはならないようにすると。今はそれが自分に出来ることと観念し……なお一つだけ食い下がる。
「だったらみんなで一緒に安全なところに?」
「いやダメだよ。やつらが狙ってるのはノッコちゃんだから。一緒にいたらどこに逃げても結局君も……僕も危険なんだ」
「僕も」、その一言に滲む悔しさを、繊細なニコは聞き逃さない。珠雄とて、そこは自分と同じ気持ちなのだと。
「もちろんニコ、あたしたちも逃げるよ。今は早苗がこんなだしね、あいつらの相手なんか一秒だってしたくない!ただ、二人はここで私たちと別れて先に逃げて欲しいんだ。そうすれば、何があってもキミとタマだけは絶対確実に安全だから」
仁美の言葉は、ほぼ正論だ。ただし。
(でも凡野さん、あなたは?)
口に出しかけて、珠雄の視線に阻まれる。それを言っても……聞く人じゃない!
ついにニコは無言で頷いて、そして珠雄に手を引かれてその場を去っていった。
「さて仁美よ、いかが致す?」
「相手はしたくないって言ったけど、すぐ逃げたいけど!やつらがここに現れるのか、それを確かめてから。だってここって……」
遊園地だ。無関係の、大勢の客やキャストたちがいる。そう、自分たちが今ここから、ただ先に逃げてしまったら?これから起こりうる敵の無法から人々を守ることは出来ない。
「センパイ……わかりました。つまりわたしが一旦囮になるってことですね?やります!」
敢えて一度姿を見せ、敵を引きつけ、その隙に他の大勢の人々を避難させる。自分たちが逃げるのはそれから。いつも無邪気で年齢より子供っぽく見えるノッコ、だが彼女も場数を踏み、そして覚悟もしっかり固まっていた。
その言葉の凛々しさに、仁美は感激し目を見開きながら。
「そうだよ、お願いノッコ!ツッチーも、特に今は早苗をお願いします!」
「心得た。仁美、御伽衆と土蜘蛛殿に連絡を」
「はい!」
たちまちスマホに齧り付く仁美の顔を、早苗の目を使って見つめながら。しかし槌の輔には一抹の疑問。
(……だが妙だ。覚悟ならば巫女殿とてとっくに定まっておるはず。学園にても工場跡にても怖じず怯まず、あれ程の働きを見せた巫女殿が、今更彼奴等に斯様に恐れをなすものか?もしや他に何か……?)
そう、早苗が感知したのは、全く別の脅威なる事態だったのだ。だが槌の輔がその疑念を噛み締め吟味する余裕もなく!
「ええ?!センパイ、ツッチー、大変!何かいっぱい落ちてきたぁ!」
「何アレ?!」「むむむこれはなんと?!」
「アハハハハ♪さぁ行くわよヤスデ、作戦開始ィ!」
「うええ……マジ?やだなぁ……」
オバケライドのすぐ近く、しかしノッコたちから見えない物陰にこっそり現れた(そして自分たちもノッコたちの存在にまだ気づいていない)のは、ご存知恐子&ヤスデの悪玉コンビ。そして。
「いいからホラ、スイッチオンよ!!」
「あーもぅヤケだよ!ポチッとなぁぁぁ!!」
ヤスデが使っているそのリモコン、ボタン類は、念力操作が可能になったためプチの操縦には使われていない。その代わりに、八ッ神恐子が加えた機能はと言えば。
「カプセル転送装置、カンペキね!」「うぇぇぇ、ホントに来ちゃったぁ……」
そう、どこからともなくバラバラと上空に現れ落ちてきたのは、小グロゲロの圧縮カプセル!
「続いてぇ!……ヤスデ、さぁホラ!早くぅ♪」
八ッ神恐子、なんだか妙にはしゃいでいる。成り行きでバタバタと初めてしまった「最終作戦」だが、この女、そもそもアドリブにも強い。始めてしまえばオール何とかなるの精神、無根拠なアタシカンペキ感。もう全て上手く行ってる気なのだ。
「あ〜ん、だから押したくないってばぁ!恐子がやってよコレぇぇぇぇ!!」
一方ヤスデ、これまでに無いグズり様。手にしたリモコンを握る手が、いかにもばばっちそうだ。そう、特に真ん中の大きなボタンだけは、絶対触りたくないのぉぉ!泣きべそ顔で相棒にリモコンを押し付ける。
一方恐子はやったという顔。ホントはそれ、自分で押したかったんだろコイツ。
「仕方ないわね、ハイ貸して貸して!
……それじゃ代わりに♪ポチッとなぁぁぁぁぁ♪♪」
それは起爆スイッチ。バラ撒かれたカプセルは全て破裂し、たちまちその場は群れなす小グロゲロの海だ!
「ストック全開放、その数約六百体よ!……ホラ見て見てヤスデ、すっごいわよ〜?」
「やだやだキモイィィィィィィィィィ!!」
「うっわ……あいつらやっぱり!!」
「うぬぬ!やはり彼奴めらか!!」
あまりのタイミングの良さ(いや悪さというべきか)に、「早苗の予知するものが他の凶事である可能性」がすっかり槌の輔の頭から飛ぶ。
「こんなにたくさん!センパイ、ツッチー、どうしましょう??」
「そうね……」と相変わらず司令官顔の仁美だが、槌の輔もそこは突っ込まない。主導権で揉めてる場合ではないし、この女子高生、常から変に頼れる感がある。いや少なくとも少姫様にははっきり頼られている。加えて今、自分は早苗も守らなければならない。ならばここは任せて自分はサポートに徹しよう、余程妙なことや無茶を始めなければ……
「ぶっちゃけ奴らのこの作戦、今のところは見掛け倒しだよ。グロゲロは進化しなければ、どんなにたくさんいても危なくない。カカシみたいなものよ、ほっといても大丈夫。ただそれ他の人たち知らないから、パニックになったら大変。避難誘導はこれから口裂けさんたちを呼んで頼むとして、あたしたちの役目は!
……グロゲロをこっちに引きつけて、みんなの逃げる道を作る、だね」
なるほど、仁美の言うことは理にかなっている。ふむふむこれならと槌の輔が早苗の首で頷いていると。
「……だからノッコ!今こそ『S・L・P・N』よ!バシッと決めて目立っちゃって!」
「ハイセンパイ!『S・L・P・N』ですね!よおし!!」
「え、えす……??これこれ、仁美それは一体?……少姫様ぁぁぁ??」
尋ねる間も止める間もない。謎の合言葉を聞いて、ノッコはたちまちベンチからグロゲロの群れなす広場に駆け出して行く。そして!
「エース!エール!ピー!エーヌ!!」
駆けながら大音声で叫び!そしてそして!
「TSU・CHI・NO・KO ☆ちぇーーーーんじ!!」
掛け声とともに天高くジャンプ!そして空中でピタッと止まり、シュバシュバシュバっと決める謎ポーズ!たちまち髪は桃色に萌え、顔は白玉のよう。ポーズの振りに合わせた動作で、パンツの後ろポッケからスルッと取り出したのはピンクと白のミツウロコ模様のバンダナ、さっと首に巻き付けて。
「キラめくウロコのラヴィンU!チュッ(投げキッス)♪
見参!スネーク・リトルプリンセス……ノッコぉ!!」
パキっと決めた決めポーズ、ピキーンと謎効果音にピカッと謎背景フラッシュは、妖力で作った幻影!
あのいまいちカッコ悪い「ヤットッハッ」の代わりに。「ヒーロー味七割魔法少女味三割」、ノッコのオーダーで仁美が考え二人でナイショでコッソリ練習した、これぞノッコの新変身&名乗りポーズ!
「きゃ〜〜〜〜〜ぁ!ノッコかンわいい〜〜んんん!」
「しょ……少……姫……様……タハハ……」
「「何アレ?!」」
それは仁美を悶絶させ槌の輔を唖然とさせ、そして悪玉コンビを仰天させる。
やったね!演出効果テキメン、目立ってる目立ってるぅ!!
(続)




