そのサンジュウハチ 恐子と巌十郎と土屋先生
それは、夏休み三日目の朝のこと。
「う〜ん……」
八ッ神恐子は悩んでいた。
鴻神神社攻略作戦、すなわち鴻神巌十郎暗殺計画が、いまやすっかり煮詰まっているのである。
「やっぱり、情報と方針の整理が必要ね……マスターすみませ〜ん、オーダーお願いしま〜す」
モーニングタイムの喫茶店「若葉」。店内で一番奥まった角の席に恐子は陣取った。他に客はまだいないのだが、一応用心。この女にも、自分が過激オカルトテロリストであるという自覚はあるようだ。
さて考え事には脳に糖分がいる、まずは注文。
「はぁい、ただいまお伺い〜」
「ええと、このキャラメルバニラロシアンティーを」
「ありがとうございま〜す、少々お待ちを」
おや珍しい、蛇ノ目さん、いつも紅茶のしかもストレート派なのになぁ?と。こっそり軽く小首を傾げつつ、マスターはにこやかにカウンターに戻る。彼が程の良い距離まで去ったのを確かめてから、恐子が肩掛けポーチからおもむろに取り出したのはメモ帳と鉛筆。
「まずは新しい情報から。お邪魔娘2号……」
そう言って、鉛筆でつついた先にはボールペンの字。
「『昴ヶ丘高校2-B組、十七歳、鴻神早苗』……鴻神!」
昴ヶ丘高校に真夜中に忍び込み、生徒の名簿をどうにかパクってようやく判明した。早苗の御札霊力センサーにひっかかり、夜中のこととて代わりに出動した口裂け女たちと、ちょっとしたバトルがあったことは……また別の機会に。
「まさかあの娘が、あの爺さんの孫だったなんてねぇ」
もちろんそれは彼女の事前の調査が杜撰だったからわからなかっただけだが、恐子はそこは完全に無かったフリ。
「あの娘は鴻神一族、だからあの力が使える。そうね、当たり前の話だわ」
知ればナットク、そんじょそこらの無関係な女子高生が、あんな力を持っているはずはない。
「無能力の神主は放っといてもいいけど、あの娘はグリグリ要注意。グリグリよ!」
と、鉛筆で早苗の名前をグリグリしてから。
「でもそうなると……1号は?」
そこがわからない。恐子から見ても、謎の少女1号は2号早苗よりもさらに強力な霊力の持ち主。それも人間離れしたレベル……いや違う。
「お待ちどうさま〜、キャラメルバニラロシアンティーです〜」
「ありがとマスター」
丸盆を手に下げ戻っていくマスターの、うなじだけ髪を長く伸ばした後ろ姿。それを見送りながら、恐子は思う。
「そもそもあれは人間じゃないわ。1号はかなり高級な、しかも蛇の妖怪。そして大蛇様の御力にそっくりな力を持っている……」
さてしかし、そこからは流石の八ッ神恐子にも判別は難しい。考え事には脳に糖分が必要だ。恐子はテーブルの砂糖壺を手元に引き寄せ、すでにいかにも甘そうなそのドリンクに砂糖を投入していく。スプーンで、一杯、二杯……
「偉大な神、八岐大蛇様の御力の痕跡はこの国の北から南至る所に残っている。私たち出雲の八ッ神一族とは別に、大蛇様の血を受け継いだ者がどこかにいても、全然不思議じゃない。もちろんそれが妖怪であっても何もおかしくないわ。
……ただ、この昴ヶ丘にいるとなると」
三杯、四杯……もう一つ、可能性としてありそうだと考えられるのは……いやそれは、別の意味でとても考えにくいのだが。五杯六杯七杯八杯……考え事に夢中でその手が止まらない。
「まさか……蛇神が?子孫血族と言える存在をこの世に残していた……?」
砂糖壺に砂糖スプーンを戻し、ドリンク用のティースプーンで手元の飲み物をグルグルと掻き回す。これまた無意識。
「だとしたらとんでもないゲームチェンジャーだわ。私の計画にとってはイレギュラー過ぎる!上手くこちらに引き込むか、どうにかして黙らせておかないと。
……何コレ甘ぁぁぁ!」
そりゃそうだ。悶絶することしばし、
「マスター、エスプレッソ追加で!めっっっちゃ苦いのお願い!」
「はぁい、エスプレッソかしこまり〜」
(蛇ノ目さんおっちょこちょいなんだよね)と。カウンターでプッと一つ吹き出してから、マスターはいそいそエスプレッソマシンの用意。一方恐子は自分で錬成してしまった甘味の呪物に顔をしかめながら、それでもチビチビすする。この女、食べ物は無駄にできないたちなのだ。
「か、考え事にはカフェインも有効だもの」と小声で負け惜しみを言いながら、次に肩下げポーチから取り出したのは何やら畳んだ紙。
「う〜ん、こっちはどうしようかな?」
今日のもう一つの、重大な懸案事項。広げたそれは、ママさん茶道教室のチラシだ。前々から身衣子に誘われていたものの、今まではのらくらと断っていた。だが最近急にメンバーが何人もやめてしまったらしく、今度は是非ね、と強く頼まれてしまったのだ。
「楽しそうだけど、正直今はそのヒマないのよね。困ったわ、身衣子さんになんて言って断ろうかしら……ええええええええ?!」
突如、テーブルから立ち上がる。腿が当たって卓上の食器からガチャンと大きな音。
「蛇ノ目さん?」ちょうどエスプレッソを運んで来ていたマスターが驚いて尋ねる。ちょっとただ事ではないぞ。
「マママ、マスター?あの、この方ご存知?!」
恐子が指差す先に、チラシの荒い印刷でボヤけた、一人の男の顔。
「はい?ああ何だぁ、土屋先生ね!あの方がお茶の先生してるの知らなかった?」
あの方、とマスターが言う声に特別なニュアンス。
「蛇ノ目さんもちょっと人じゃないクチだから。モチ、土蜘蛛様のことはもう知ってると思うけど。まさかねぇ、伝説の妖総大将がお茶の先生ってけっこうイメージ違うよね〜」
マスターのとぼけたその返事に、恐子はさらに愕然と。ええそりゃもう、この顔だけは忘れようったって!だが顔がわかっても、人間としての名前や住所が分からなければ身辺に迫りようがない。学校で彼と戦ったあの日から、彼女がずっと探し求めていたそのデータ、それがこんなところに!
驚いたその勢いで立ったまま、マスターのお盆から直にエスプレッソのカップをとり、ガブリと一気飲み。
「熱苦ぁぁぁぁ!」
そりゃ熱いし苦いよ。
「……蛇ノ目さん大丈夫?」
流石に様子がおかし過ぎる恐子に、恐る恐る尋ねるマスター。
「アバババ、い、いえ大丈夫ですわ、ごめんなさいねうるさくて、オホホホホ♪」
(ホントかなぁ……)
大きく首を傾げる様を、今度はまるで隠さずカウンターに下がって行くマスター。一方恐子はカップを手にしたまま、どさりと席に座り落ちる。
「『講師:茶道土屋流家元・土屋蔵人』!そうだ、あの時あの爺さんも確か『土屋さん』って……間違いないわ。
フフフ……アハハハハ!とうとうやつの尻尾を掴んだ!これでやっと対策が進む……あっ、でもでもちょっと待ってそれよりもぉ!」
今度は何に気付いたのか。またしてもチラシに食い入る。
「茶道教室の初日……明後日ェェェ?!そんな、困るわ!」
そう、恐子は思うのだ。
「身衣子さんに、もし断り切れなかったら……お教室で逆に私の本名とか居所があいつにバレちゃう!」
いや?そもそもその場合、お前は律儀に行くつもりなのか?
「かくなる上は……茶道教室の開催前に、土蜘蛛を始末するしかないわ!!」
そして解決策はソレ。これぞ八ッ神流四次元思考。
「もう多少雑でも強引でも、計画決行Goよ!こうしちゃいられないわ!!
……甘ぁぁぁ!!」
律儀で食べ物を大切にする女妖術使い、八ッ神恐子は最後にあの呪物を一気飲みして、慌ただしく「若葉」を後にした。
「ややぁ……ホントに大丈夫なのかな蛇ノ目さん?」
大丈夫じゃないけど大丈夫ですよマスター、彼女は最初から大丈夫じゃありませんから。
さて一方、ちょうど同じ頃。
「ややや、困ったのぉ……」
鴻神巌十郎は慌てていた。
「一体どこにやってしもうたか……?」
朝行ののち、今日も友達とどこへやら遊びに行くという早苗。その出ていく音を確かめた後、巌十郎もあたふたと玄関を飛び出す。
「あれを誰かに拾われたら、見られたら一大事じゃ!」
孫娘のあの重大シーン。彼がそれを墨で念写した和紙を、どうやら紛失してしまったことに気づいたのは、不覚にも!
「あれから何日も経っておるのに……」
なんと今朝、行の途中でふと思い出したのだ、そういえば。
「あの時は……」
あの時、すなわち社の周りに黒い怪物の大群が出現し、そしてあの女と対峙したあの朝。
「土屋さんが急に現れて、おまけに早苗までこっちに来て、それですっかり慌ててしもうて……早苗を学校に行かせて家に戻った時に……」
どうやら自分はあの紙を持っていなかった。持っていれば他の念写紙と一緒に自室の押し入れに厳重にしまい込んだはず、だが、そのアクションに覚えがないのだ!
内心おおいに焦りながらもひとまず何食わぬ顔で行を済ませ、そして急ぎ確かめてみれば、案の定そこにはあの紙だけが無い。
「むむむむむ……あの時は確か……」
巌十郎は社の参道正面の鳥居をくぐって外に、そして外塀を北にやや回り込んだ。その辺りで自分はあの女と話していたはず。だが見回しても何もない。いや、それは当然。毎朝、社の外周りは他ならぬ彼が掃き清めているのだから。神主の座を辞してからも「これはわしがやろう」と、俊介には譲らない日課。もしそんな紙が落ちているなら、とっくに見つけているはず。
「あれから雨は降っておらぬから……」
いやいっそ、強い雨が降っていてくれれば!念写も紙ごと崩れ消えてくれていたはずなのだが。恨めしげに天を仰いだ、その時。
「……おお、あれじゃ、あそこに!」
風で高く舞ったのか、白い紙が一枚、境内の中から張り出した木の枝に引っかかっているではないか。すぐさま社に引き返して、やがて戻って来た彼が携えているのは物干し竿だ。
「届くかのぅ……むむギリギリか……いやダメじゃ」
なるほど、彼の身長&リーチとその竿では、微妙に届きそうで届かない。ならば何か踏み台をと、彼が竿を地面に置きまた社に引き返そうとした、まさにその時。
そこに現れて、ひょいと竿を拾った人物は!
「先代様?あれがお要り用ですか?どれ私がやってみましょう」
今朝も神社に参拝にやってきた、それはご存知土屋蔵人だ。巌十郎が止める間もなく竿で枝を叩く。紙ははらはらと舞い落ちる……
「おおお……ややや、こりゃこりゃ!」
風にひらめき落ちてくる紙を、すっかりうろたえた様子で追いかける巌十郎。遠くに飛んでいってしまったら一大事、そしてもし、土屋にその紙を先に拾われ見られたらもっと一大事!なんとしても、わしが自分で拾わねば!
一方その必死の形相に、見ていた土屋先生は。
(おやおや、あれはそんなに大切な?ならばここは一つ、慎重に……)
バレないように!妖力を極限まで絞った超極細の蜘蛛の糸を一本、紙に放つ。そしてこれまた最小限のテンションで、落ちてくる紙の軌道が巌十郎の頭上から大きく外れない程度にチョンチョンと引く。そのナイスサポートの甲斐あって。
「そりゃ!……ハアハア、捕まえたぞい!やったやった!」
その様子を見届けた紳士の土屋先生、もちろん、人の大事な書類の内容を詮索などしない。ここはさりげなく退散に限る。
「ではこれで……」と、にこやかに微笑んで去っていくその後姿に。
「やぁ土屋さん、お手数をおかけ……ハッ?!」
礼を投げながら見送ろうとした巌十郎が、何かに気づく。
……似ている!
手元の紙の表に齧りつく。孫娘に覆いかぶさり、唇を奪っている黒い毛皮の男、大妖怪土蜘蛛。その髪型、後頭部の形、首から肩へのライン、背中のボリューム……
今彼の目の前を去っていく、初老の男にそっくりではないか!!
そして鴻神流退魔術を極めた男・鴻神巌十郎は、つねに肉眼の目のみで世界を見ているわけではない。その研ぎ澄まされた霊感の目が、いまやまったく開かれて。
彼には確かに見えた。土屋の体からひらりと風にそよぐ、細い細い妖力の糸の痕跡を。そう、土屋も油断していたのだ。今朝の巌十郎のそのうろたえようなら、まさか気付かれることもあるまいと……だが、しかし!
「……うかつじゃったわ。このわしが、なんたるうかつなことよの……」
土屋蔵人、すなわち。ついにその正体は、彼に捉えられてしまったのである。
今、巌十郎の手の中で、紙は固く固く握りつぶされていく……
「イエーーーーーーイ!昴ヶ丘行楽園なーーーーぅ!みんな、くねくねしてるぅ?」
「いえ〜〜〜〜〜い♪」
仁美のあおりに、輝くニコニコ笑顔でくねくねダンスのノッコ。
ノッコ、仁美に早苗、そしてニコと出雲帰りの珠雄。この日、五人が揃ってやってきたのは。
「『昴ヶ丘行楽園』かぁ……近くにあっても、ここに来るのは久しぶりだわ」
「私もです鴻神さん。小さな頃一度来たきり」
「地元唯一の遊園地ですけど、何しろ古いし小さいし。アトラクションも今までぱっとしなかったしなぁ」
昴ヶ丘行楽園。昴ヶ丘の町から、電車で約一時間半。流石にジズニーランドやVSJなどとは比べようもない、ちょっと寂れた地方遊園地だ。
だがこの夏休み、五人は敢えてここに遊びに来た。お目当てがある、今年からここに出来たのだ。地元で今、ちょっとした話題になっている新アトラクション……その名も!
「昴ヶ丘オバケライド」。
ゴンドラをスクリーンで囲み、映像と連動して動かす室内型体験アトラクション。同タイプのアトラクションは各地の遊園地にあるが、ここ昴ヶ丘行楽園では、それを旧来のお化け屋敷と組み合わせたのがミソ。流れるオカルト映像に、時々飛び込んで脅かしてくるリアルキャストの演技。稼働以来、ここでは近年稀な大好評なのだ。
そして当然。
「これはさぁ、私達昴ヶ丘高校オカルト研究会としては!体験しとくしかないじゃん?今度みんなで行ってみようよ!」
と。休みに入る前からずっと、仁美は狙っていたのである。
「それじゃさっそくいってみよーーーーー!ノッコ、競争!」
「負けませんよぉセンパイ、それーーーーーーー!」
「ああ、まったくもう!ごめんね二人とも、私達もちょっと急ごっか?」
バタバタと駆けて行く仲良し五人組、今日は楽しいバケーション……
の、はずだったが。
「オバケライド……ちゃちな見世物!アハハ、しゃらくさいわね!今日は私達が、本物のスリルを味あわせてあげる……ねぇヤスデ?」
「……ていうか恐子ぉ?聞いてないんだけど?いきなり何始めるつもり?」
先にその場にいたのは、凸凹悪玉コンビ。「若葉」を出てすぐに、八ッ神恐子はソーサーウッズでヤスデをピックアップ、全速でここに来ていたのだった。もちろん、ノッコたちが来ていることなどまるで知らない。
「いいから!『善は急げ』よ、今日ここで、最終計画開始!」
「えええええ……?」
かくて。なんともいきあたりばったりにそれは始まったのだった……
(続)




