そのサンジュウロク スミちゃん(そのニ)
(さぁこれ、どうしようかな?)
横ざまに感じる、さつきの視線。珠雄はそちらには目を合わせないが、そこは同じ猫同士、見なくてもわかる。
それは獲物の様子をうががって、とびかかるタイミングを計っている目。
出会ったばかりの時はあんなに自分に愛想よく接していたさつき、いったいいつから自分を警戒し始めたのか。珠雄にはまるでわからなかったが。
(違うな。最初から、だね)
さつきが八岐大蛇の配下にある妖だとしたら、いやそれはもう確実だが。古い猫又の彼女の役割は、あえて外の世界に猫としてまぎれ住み、隠れ里の秘密に迫る者を監視し、そして排除すること。さつきは、最初からよそ者の珠雄を十分に警戒していたのだろう、それこそ、巧みに猫を被って。
(ふぅん……)
珠雄はスンと軽く一つ鼻を鳴らす。人に化けた体の中で、猫の気性がむくむくと。
猫。一面臆病で慎重、だが元は、牙を備えた肉食獣。
(ちょっとこれ、久々にカチンと来たかな)
普段からおだやかにこやか、爽やか男子高校生を演じている珠雄が、滅多に出さない今のそれは、すなわち闘争心。
(ここは簡単に尻尾は巻けないよ。八岐大蛇がどれだけすごいか偉いか知らないけどさ、僕だって……唐の蛇神の御子・小姫祝子様と、御大将土蜘蛛の遣いじゃないか!二人のメンツってものがあるんだからね……!)
それに。
あの日、ニコに言われたあの言葉。「私達にも、何かできることはありませんか?」
本当に耳が痛かった。彼が八ッ神恐子の住処を土屋に一つささやきさえすれば。今昴ヶ丘で起こっている事件など、すべてあっさり解決できるはずなのだから。
「自分に出来ること」。母のためとはいえ、これほど決定的な切り札をただ自分の都合で切れないのなら、もっと別の何かを掴んで帰るしかない。そう思ってはるばるやってきた出雲ではないか。
(僕はね、ここは!ただで帰るわけにはいかないんだよ、さつきさん)
もちろんさつきは、猫の妖としては珠雄などよりはるかに格上。まともに正面から当たって敵う相手ではない……
(いいや、ここはまともに正面から、だ……!)
「スミさん。ごめんなさい、僕、実は嘘ついてました」
「え?」
蕎麦をたぐっていた箸を置き、珠雄はペコリと頭を下げる。頭を掻き掻き、スミに向き直った顔にはまるで悪びれた色もない。さらに。
「ねぇさつきさん?せっかくさつきさんにお気遣いいただきましたけど、もういいや。バラしちゃいますね」
さつきには小癪なウインク一つ。ギョロリと剥いた相手の眼光に、まるで物怖じなし。
「僕、ホントはさつきさんの親戚の猫じゃないんです。ほらスミさん、これ」
さつきにも見せた、あの宅配便の送り状の写真。
「あらあらこれって、あたしが恭子に送った梅干しの?」
「そうです。僕、恭子さんの引っ越し先の、お隣の猫の子供なんです。恭子さんから聞いてませんか?」
「ああ、それじゃあの、昴ヶ丘の化け猫の身衣子さんの?あなた息子さん?」
「ええ、そうなんです。僕はその左波島身衣子の息子で、左波島珠雄」
スマホをひっこめ、代わりに珠雄がさっと差し出して見せたのは、学生証だ。
「あらあらまぁまぁ!」スミの両目の蛇の瞳孔が、まん丸に。そしてたちまち、にこやかだった頬をさらにほころばせる。
「ええ、ええ!恭子の手紙で読みましたよ、お隣にとっても親切な親子の猫さんたちがいて、恭子と仲良くして下さってるって……ああうれしい!
……でも、坊っちゃんどうしてここに?」
傍らで押し黙って聞いているさつきの視線が、珠雄に刺さる。珠雄のとったこの暴露戦術、目的はスミの懐柔。スミを味方につけて、さつきを黙らせるのが目的だ。もちろん、それはさつきにもバレている。風向きが変わってきたとみて、さつきの目が険しさを増したのだ。
珠雄は緊張をぐっと飲み込み隠し、しれっと明るいほほ笑み顔のままで。
「今日はその、僕、その恭子さんのことでお使いに」
そして珠雄は、スミに土屋のことを説明した。曰く、昴ヶ丘の怪異妖怪を取りまとめる、地元の裏名士であると。
「昴ヶ丘が、僕たちお化けも人間と上手く暮らしていける土地なのは、その土屋先生のおかげなんです。土屋先生が人間にナイショでいろいろ影でお手配してくださって、かくまってくれたり、人間と付き合うための身分を用意してくださったり、付き合い方を教えてくださったり……
もちろん僕も母も、先生にはとってもお世話になってて」
ここまでは、まったくの事実。
(さぁ言葉選びを間違っちゃいけないのは、ここからだ……!)
珠雄はその時、ワクワクしていた。
普段から人間たちに正体を隠し、学園生活に溶け込みながら。珠雄が日々磨いてきたのは、そのために必要な当意即妙のウソの術。これは自信がある、さつきさん、ロープレならあなたにだって負けないよ、と。
「スミさん、今日は僕、その土屋先生に言われて来たんです。恭子さん……昴ヶ丘でとっても……」
さつきがグイとこちらに身を乗り出してくる、その吐息を感じる。今にも食らいつかれそう、それを珠雄は!
「……一生懸命頑張ってて」
体は身動ぎもせず、だが心でさらりと受け流す。さつきも体はじっとしたまま、魂だけがつんのめる思い。
(何だって?スミに何言うつもりだお前!)
(まぁまぁ、慌てない慌てない!聞いててくださいよさつきさん)
ビシバシと飛んでくるさつきの殺気を、スウェーにダックでかわしていなす珠雄。猫対猫の無言の腹芸対決、虚々実々。
「でも先生言うんです。恭子さん、ちょっとせっかちだって。
『大蛇憑きの恭子君たちが、普通の人間たちと何の摩擦もなく暮らせる世の中、それを作ろうというのはね?それはつまり、私が普段やっていることと同じだ。私と彼女は同じ気持ちだよ。その気持はよくわかる』」
(ウソだけどウソじゃない。土屋先生ならきっとこう言う。でもさつきさん、僕の本気のウソはここからですよ)
「……『だがそれは、一朝一夕に出来ることじゃない。急いては事を、だよ。恭子くんの今のやり方は少し危なっかしいね。一度私が彼女とよく話し合ってみよう。相談に乗れると思うから』」
ホントは「少し」どころではないし、話し合いなら、すごいのが一度あったけど!
「『さてそこでだ、珠雄君、君にも一働きしてもらいたい。出雲にお使いに行ってほしいんだ。恭子君と懇意にしている君がいい』、って」
ここで珠雄は思わせぶりに一呼吸入れる。芝居の手応えは十分、そう見てとって。
「『恭子君のお母さん、その方にね?君が直にお会いして、私のことをお伝えして欲しいんだ。恭子君のことは私が責任を持って後見する、必ず力になれる。だからお母さんあなたは安心して、故郷から娘さんのことを見守っていてあげて下さい、とね』って。
……スミさん。僕の先生って、そういう方なんですよ」
「ああ……」
ふるふると震えるスミの声、頬、肩。見て取れるのは、真正無垢な感動と感謝。ここまでいけしゃぁしゃぁと嘘の皮を重ねてきた珠雄、さつきには対抗心からからかいの気持ちもあったが、スミに対してはひしひしと疚しさを覚えてきた。
(……ごめんなさい。でももう一枚だけ)
どうしても言っておかなければならない、あと一言。
「ただねスミさん、もう一つ!先生言ってました。
『恭子君は大分プライドが高い性格のようだ。いやいいんだ、若者はそれでなければ!世に大事を成そうと大志を抱いているならなおさらだ。彼女のその気持は大切にしたい。だから話し合うにしても、もう少しの間だけ、私にも彼女のしたいことを見極める時間がいる』
って。ですからね?
僕がこうしてスミさんに会いに来たことは……そのぉ……スミさんからは、まだ当分恭子さんにナイショで。スミさんのお胸の中だけに置いといて下さい。土屋先生が動いてるって恭子さんに知られちゃうと、恭子さん、意固地になっちゃうかもしれないですから」
これはかなり苦しい。スミに黙っておいてもらいたいのは、実は自分と母身衣子の立場を守りたいから。理屈は不自然だし、動機は不純、なによりスミに対して騙している疚しさMAX。もうさつきは眼中にない珠雄だが、しゃべりながらだんだん猫背に、視線は正座の膝に落ちる。それでもなんとか言い終わって、恐る恐るスミの反応を上目遣いに伺うと。
「恭子……ああ恭子……」
スミが懐から取り出したのは、どうやら一葉のハガキ。誰からの、とは、考えるまでもないだろう。それを自分の胸に押し当てて、スミはしばし咽び泣く。
そして。
「……坊っちゃん!ああ坊っちゃん、坊っちゃんからどうか、その先生によろしく申し上げてちょうだい!くれぐれも恭子の事を……お願い致しますって……
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!」
珠雄の手をがっしりと掴み、何度も何度も頭を下げながら、子供のように泣くスミ。その姿には、珠雄もさつきも、なすすべもなかった。
「ちっ、してやられたぞ小僧……」
お互い押し黙ったまま、とぼとぼとあの鳥居の前に戻ってきた二人。
「このこうるさい余所者め、食い殺してやろうと思ってたのに!……スミちゃんのあんな顔見せられちゃ、お前にゃもう手出しもできねぇ」
さつきはすっかり様相を変えている。牙をあらわに剥きうってかわってワイルドな口調に、ズンとトーンの低いダミ声。
だが珠雄は動じない。
(食い殺す、ねぇ……もともとそこまでの気はなかったくせに)
珠雄にはわかる。さつきもやはり、こののんびりした隠れ里の住人、根っから人情家なのだ。だからこれは彼女の最後のハッタリ。スミの涙にほだされたさつきだが、大蛇の手前、珠雄の口だけは封じておきたいのだろう。
珠雄もバツの悪い顔でペコリと頭を一つ下げて。
「さつきさん違うよ。負けは僕の方ですよ。ああ困っちゃったなぁ……」
首をちょっと縮めてバタ臭く肩をすくめながら。
「いい方ですね、スミさんって……僕だって同じです。スミさんのあの顔見ちゃったら僕もね、先生やみんなに恭子さんの居場所バラしてコテンパンに、なんてねぇ……とっても出来ませんよ。僕の負け、スミさんに負けました」
それは、嘘つき化け猫高校生珠雄の、まったく素直な正直な気持ち。
「さつきさん、僕言ったでしょう?僕は、僕のママのために、つまりお母さんのためにわざわざここに来たんですよ?どのお母さんも、泣かせるなんてできません。
……約束しますよ。僕これからも、恭子さんの居場所は、昴ヶ丘のみんなにはナイショにしておきます。ここのことも、スミさんのことも。
でもそのかわり!」
ここで珠雄はぐっと思わせぶりに一つ黙る。
「そのかわり、なんだ?!」
じれるさつきに。珠雄はさっと真摯な顔に改まって。
「さつきさん。僕は昴ヶ丘のみんなをすっかり全部裏切るわけにはいきません。だから最後の最後、いよいよって時だけ!……あなたのお力をお借り出来ませんか?恭子さんを説得していただきたいんです。あなたのお顔を見たら、恭子さんも無体なことは出来なくなるはず……違いますか?どうですか?」
「……フン!このあたしと取引?ちくしょうめ、いよいよ生意気な小僧だ!
ああわかったよ!友達のスミちゃんのためだし、恭子だってあたしにとっても娘みたいなモンだ。他所様にあんまり迷惑をかけさせるわけにゃいかない。こんな顔なら、いつでも貸してやるさ!」
「ありがとうございます!!」
「……そうだねぇ」勢いよく直角に頭を下げる珠雄に、ここでさつきは思い出したように。
「一応聞いとくか……会った時うっかりまごついたらみっともないからな。
小僧、お前のボスなぁ?その、お前が『先生』とか呼んでる妖怪だけど?強いのか?なんて名前のどんなやつだ?」
「ええと……さつきさん、『蛇神伝説』ご存知ですか?」
「馬鹿にすんな。蛇神だって?ありゃまったく、大蛇様と紛らわしくって困るヤツだよ。それが?」
「僕の『先生』って実は、その蛇神と千年前に戦った、妖総大将土蜘蛛」
「つ、土蜘蛛?……ニャゴワァァァァァァァァァァァ?!」
いかにしたことか?途端にびっくり仰天大騒ぎのさつき。変化もほとんど解けてただの人間大の猫姿に。この狼狽ぶり、只事ではない。
「さつきさん?」
「つ、つつつ、土蜘蛛様は、いまだこの世にお命をお留めであららら、あららせられるのかい?!」
「え?ええ、はい、今は昴ヶ丘でご健在ですけど?あれさつきさん、もしかして先生と何かご縁でも……?」
「その総大将土蜘蛛様にね、あたしの、ひひひひ……ひぃひぃ……ええとひぃが幾つだったっけ……ああもういい、あたしのう〜んとご先祖様の猫又がね、お側でお仕えしてたんだよ!
……大々婆様のその猫又は、蛇神との戦で亡くなって。土蜘蛛様もお姿をお隠しになったんで、それからあたしの一族は出雲に流れて今度は大蛇様にお仕えすることに……でもずっと言い伝えて来たんだよ!
『もし御大将の後のゆかり辿りあてし時は、必ず身許に馳せ参じ御恩返しをすること、ゆめゆめ忘れること勿れ』
って!ああ大変だ、こりゃ一大事だ!!」
唖然として聞いていた珠雄、やがてにっこりとほほを緩ませる。
「ちょうどいいじゃないですか!
恭子さんは、さつきさんの今のご主人、八岐大蛇さんの血を濃く受け継ぐ人。だけどさつきさんは土屋先生にも一族の昔からの御恩がある……
だったら!さつきさんが二人を無事に手打ちさせてくれたら!それってどっちにとってもご奉公で恩返しじゃないですか!」
「小僧、じゃない、珠雄さぁん!」
揉み手でペコペコ、途端に下手に出るさつき。
「どうかこのあたしを、土蜘蛛様にお顔つなぎして下さいませぇぇぇ!」
かくて。「いざという時に」と再会を約して、さつきと別れ帰路についた珠雄。
(どうなることかと思ったけど……大収穫。まぁ僕の手柄じゃないな、流石は土屋先生ってとこ。それにスミさんのおかげ)
どうやらこれで一つ、事態の安全装置が出来た。
……ただしまだ万全ではないだろう。列車の車窓に飛び流れていく景色を眺めながら、珠雄の目の奥に浮かぶのは。
(でも、あともう一人いるんだよなぁ……)
【3秒……2秒……1秒……1秒……1秒、ブレイク】
「……ぷは、まだこれっぽっちかぁ」
ガラガラとヤスデの体から外れ崩れ落ちる、スーパーコーデ・アーマー。
そこは、あの山の廃棄物不法投棄所。一度暴かれたアジトなら、かえって警戒されていないはず。それに以前のように入り浸るならばともかく、こうして真夜中たまに訪れてちょっと練習するだけなら、やつらに見つかりはしないだろう……
「でも、先に恐子のスマホに通知がいかなくなる方法が見つかってよかったよ。隠れて練習してるの、ばっちり気付かれてないもんね。
……ととさま見てて、あたし、強くなるから……!」
そう、八ッ神恐子も知らないのだ。執念のヤスデが今、禁断の術の鍵を掴みかけていることを……
(続)




