そのジュッテンゴ 「蛇ノ目」さん
「ピンポ〜ン!蛇ノ目さ〜ん、いらっしゃいますか〜」
ここは昴ヶ丘、日の出第三マンション。とぼけた声で呼び鈴の音まで口で言いながら、808号室に回覧板を届けに来たのは、マンションの管理人だ。待つことややしばし、「は〜い」と一声、若い女がドアの中から現れた。管理人はその顔を見てにこやかに。
「これね、マンション内回覧板。蛇ノ目さん初めてだから、最初はわたしからと思って。さっと読んだら管理人室に返しに来て下さい。次からは部屋番号順に隣から回ってきたら、読んで次のお隣にね。よろしく。
……どうですか蛇ノ目さん、こちらにはもう慣れましたか?」
そう、808号室に管理人が直接訪れたのは、どうやらそれを尋ねたかったから。
「ここはね、ホント、ちょっと変わった人とか人じゃない人が肩身の狭い思いをしないで暮らせるのがいいところだってね、わたしゃそう思ってるんだが……どうです?」
「ええホントに。こちらはとっても気楽でいいですね。越して来て良かったですわ」
と、808号室の新しい住人、その若い女も答える。
「でしょう?ところで蛇ノ目さんはアレですか?目以外は大分人間っぽいですが、半妖さん?」
「いえ、私は憑き物なんですの。先祖代々大蛇憑きで」
「ああ、それで蛇ノ目さん……だったらね、すぐ下の712号室の大上さん、あの方が狗神憑き。それと405号室の江利牧さんは狐憑き。きっとね、色々と話が合うと思いますよ!
あ、聞いてばっかりじゃ失礼でしたな。わたしゃね、ぬりかべ」
ふいと管理人は少し正体を出してみせる。垂れ耳と、額にもう一つの目。そしてニコリと自慢げな笑みを浮かべてまた元の顔に。
「あらまぁ、お上手に化けてらっしゃる!」
「はは、ありがとうございます。まぁ良かった良かった。いえね?ここもたまに普通の人間さんが越して来られてビックリされることがあるんでね。ま、そういう方もおいおい慣れるもんですが……おや、おかえり珠雄くん!」
「コンチワ!あ、今度越してきたお隣さんですね?昨夜はお蕎麦ごちそうさまでした、美味しかったです!僕は珠雄、ママともども化け猫です、ホラこれ!ヨロシク」
「あら可愛いおヒゲ。こちらこそ、よろしくね珠雄くん」
如才なく挨拶を交わして、珠雄はヒョイと自宅のドアの中に滑り込む。女と共に一瞬、その姿を見送った管理人はすぐに女に向き直って。
「それじゃわたしはこれで。ああ、そうそう!蛇ノ目さん、ポストにね、お手紙が入ってましたよ。取りに行ってらっしゃい」
「恭子へ
引越し先の住所、教えてくれてありがとう。早速手紙を書きました。
恭子が村から出るって聞いた時。わたしは本当に心配でした。正直、今でもちょっと。わたしたち朽縄村の人間は、生まれてから死ぬまでずっと、村の中で生きていくものだと、母さんは思ってたから。
でも恭子が決めたことですものね。母さん応援してます。体にだけはくれぐれも気を付けて。
でも、でもね?
つらいことがあったら、いつでも戻ってらっしゃいね。
母より
追伸。恭子の好きな梅干し、少しだけど送ります。待っててね」
「おっ母ちゃん……」
畳に座ったまま読む手紙にポツリと、涙が一粒。潤んだ蛇の両眼をそっと押さえて。
「アタイ頑張る、頑張るよ。村のみんなが白い目で見られないような、そんな世の中にするから。そのために」
女はダッと立ち上がると、小さなチェストの引き出しを開けた。取り出したのはあのリモコン。808号室の新住人、蛇ノ目さんこと八上恭子、さらにまたの名を!
「アタイの……この八ッ神恐子の力で!大蛇様を、大邪神・八岐之大蛇様をこの世に呼び戻す!そして世界を蛇の支配する世界に変えるのだ!
アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!
……ああ楽しみ、梅干し、早く来ないかな……」
「ママ?なんだかお隣の女の人、独り言の声が大きいね?」
「コラ珠雄ちゃん!他所様の事をそんな聞き耳立てたりしたらダメよ!……でも確かにそうね、ちょ〜っと変わった方みたいだけど」
化け猫基準で変わった女は今、築三十年の古マンションの一室で、怪しい企みと母の梅干しを代わる代わる妄想していた。
(続)