第4話 村の支配者 1
祭の夜で別れて以降、勇翔は茜音に会えないまま無為無策の時間を過ごしていた。
紅葉村を離れる前日の夜、勇翔のスマートフォンに茜音からメッセージが入る。
指定された場所―焔室神社―を訪れた勇翔と陽咲は普段と雰囲気のまるで異なる茜音に連れられ、神社裏手の洞穴を通り、初めて入る開けた空間に足を踏み入れる。
第4話 村の支配者 1
祭りの夜以降、勇翔は紅葉村での残り旅程を無為無策で過ごしていた。
茜音のスマートフォンに電話を入れても応じることは無く、送信したメッセージにも反応は一切ない。
興味本位故に一部始終を見聞きしていた陽咲も、勇翔にこれといった落ち度があった訳でない事を理解しており、適切なアドバイスを出すことも茶化すこともできないでいた。
「このままここにいても仕方がないし、茜音ちゃんの家に行ってみようよ」
状況が一向に改善を見せない状況を変えようと陽咲の提案で一度は焔室神社を訪れたが、社務所で茜音が外出している上に引き取るよう伝えられてしまった。
「小さな村だし、歩き回ればバッタリ会えるかもしれないよ」
陽咲が勇翔を半ば強引に連れ回して村の隅々まで丸一日探し続けたが、茜音とは遂に出会うことができなかった。
「このまま会えないのかなぁ......」
紅葉村から離れる前日を迎えると、陽咲の口からも諦めの言葉が漏れ出るようになっていた。
「2人とも、明日には帰るんだから、そろそろ荷物をまとめておきなさい」
「はーい」
夕食を済ませた後、2人はロフトに設置されていたベッドに横になっていた。
陽咲の独白と壱成の小言を、勇翔はスマートフォンの画面を見ながら聞き流す。
「まとめるか」
覇気のない声を出すと、勇翔はスマホをベッドに放り投げる。
特段やる事も無いので、大した量でもない荷物をこれでもかと時間をかけ、ゆっくりと鞄にしまい込んでいく。
「......ん?」
荷物を全て詰め込んだ頃合いだろうか、力なく捨て置かれたスマートフォンから、軽快な着信音が鳴る。
勇翔は飛びつくように画面を見る。
時間は20時を過ぎていたが、茜音から必要最低限の言葉で、待ち合わせ場所を指定するメッセージが届いていた。
「陽咲、茜音から連絡がきた」
「......えっ!」
一向に進まない片付けに嫌気が差してベッドで横になっていた陽咲が飛び起き、勇翔のスマートフォンを奪い取り、メッセージに目を通す。
「ここ、どこ?」
「関係者以外立ち入り禁止で、地元の人もいかない場所だったような気がする」
茜音から指定された場所は焔室神社の本殿のさらに奥、記憶の限り、今まで2人が足を踏み入れたことのない場所だった。
「どうする?」
「もちろん、行くさ」
陽咲の問いかけに、勇翔はやや食い気味で即答する。
「よく分からないまま終わりたくはない。お前の言う通り、茜音は何かを隠しているんじゃないかと、俺でも思えるんだ」
勇翔の言葉に、陽咲は小さく頷く。
「父さん、ちょっと出てくる」
「こんな時間に?片付けは済んだのか?」
「俺はな」
勇翔はロフトから梯子をつたい、急ぎ気味に降りてくる。
「私も、戻ってきたらすぐにやるよ」
陽咲は部屋着から外着に着替え、梯子を上手に滑り降りてくる。
「陽咲まで行くのか......いいか、あまり遠くまで行ってはダメだ。早く帰って来い」
壱成は呆れたようなため息をつき、扉を開けたままにしてロッジを飛び出した兄妹の背中に心配そうな視線を送る。
陽咲が勢いよく開け放った扉を閉める、そして壱成が兄妹に背を向けると同時に、山影から雲が現れ、星空を覆い隠した。
兄妹は焔室神社までの道のりを急ぎ足で踏破する。
街灯が殆どない暗い道程ではあったが、慣れているが故に臆することはなかった。
「兄ちゃん」
「あぁ、見えている」
焔室神社の境内に入ると、参道の中央付近に白髪の少女が兄妹に背を向けて立っていた。
「茜音......」
夜空に月は浮かばず、星々も薄く広がった雲の向こう側に隠れてしまっている。
勇翔はゆっくりと近づき、ぼんやりと浮かび上がるような背中に向かって、少し距離を置いた場所から声をかける。
茜音は白のワンピースにレギンスの出で立ちで、左手首には愛用のミサンガ3本がいつも通りつけられていた。
「勇翔......陽咲も来たんだね。2人とも明日帰るってタイミングで......しかも、こんな遅い時間にごめん」
茜音は聞こえるかどうかの声量で言葉を紡ぎ、振り返ることなく歩み始める。
「行こう」
「うん」
兄妹は顔を一度見合わせた後、茜音の後をついて行く。
見慣れた境内だが、夜も更ければ異なる雰囲気を醸し出し、緊張も相まり鳥肌が立つ。
「人が立っている」
本殿の裏手、境内の一番奥に到達すると、普段は閉ざされた扉が開け放たれ、小さな洞窟の入り口が顔を出していた。
墓参りの際には巫女として茜音をサポートし、つい先日は兄妹に引き取るよう伝えた女性が入り口の脇に門番として立っている。
「お勤め、ご苦労様です」
相変わらず表情の見えない巫女は恭しく頭を下げ、茜音を迎え入れる。
茜音は特に返答することなく歩を進め、兄妹はそれに従い洞窟に入ろうとする。
「これより先、足を踏み入れることは認められません」
巫女は足音なく間に割り込み、兄妹の行く手を遮る。
「構わない、私が認めます」
「畏まりました」
茜音が顔を僅かに振り返って進路を開けるよう指示すると、巫女は感情の起伏などなく静かに後方へと下がり、最初の位置に戻る。
「ここから先に進めば、元のような関係も戻ることはできなくなる。それでも、来る?」
茜音がようやく振り返って言葉を投げ掛けるが、洞窟内も明かりは乏しく表情を認めることはできない。
「もちろん、今年は前に進むためにここに来たんだ。断られた理由を茜音から聞けなければ、俺自身は前に進むことはできないと思う」
「私も行くよ。今の茜音ちゃん、私たちが知っている茜音ちゃんには見えないもの。茜音ちゃんが何かを知らないと、帰るに帰れない。スッキリしないよ」
「......分かった」
茜音は少しだけ俯くと、表情を見せることなく進行方向へと向き直す。
ミサンガをつけた左手を挙げて何か呟くと、洞窟内のあちこちで明かりが灯され、進む道が現れる。
「(スイッチがない?)」
茜音が電気のスイッチを付けたとばかり思っていたが、立ち止まっていた場所にはそれらしい器具がなく、明かりは全て電球ではなく蝋燭に灯された小さな火だった。
「ここは現世と常世を繋ぐ狭間とされている。でも、行き着く先に黄泉はなく、2人が目の当たりにする光景は全て現」
茜音が淡々と言葉を紡ぐその様子は、これまで見せたどの姿よりも暗く、そして冷たく感じられた。
仕掛けのないマジックをさも当然のように見せつけられた挙句、幼馴染が初めて見せる雰囲気に呑まれ、兄妹の思考は少しずつ混乱し始め、鼓動が高まっていく。
「(この先に何があるんだ?)」
視界に映る景色の限り、反対口までそれ程距離が離れていないにも関わらず、途方もなく長い道程のように感じられる。
出口の先は暗く、内部からは何が存在するのか把握することは叶わない。
「着いたよ」
茜音に続き、兄妹は洞窟から足を踏み出すと同時に背後では明かりが全て消え去り、漆黒の空間へと塗り替えられた。
「茜音、ここに何があるんだ?」
勇翔が意を決し、茜音の背中に問い掛ける。
洞窟を出た先の"常世"は山間にポッカリとあいたような空間で、周囲を囲う木々はまるでなぎ倒された痕跡が見られる。
足元には石畳が敷き詰めらて、どこか異様な雰囲気に包まれているような感覚からか、自然と心拍数が上がる。
「覚えていない?」
茜音の冷たい返答に、勇翔は首を傾げる。
「覚えているも何も、ここへは初めて来たはずだ。知らなくて当然だろ?」
「.......そうだね、むしろ覚えていないことが分かって安心したよ。陽咲は来たことがないけれども、勇翔はあるよ」
「え?」
勇翔は辺りを見渡して記憶を辿るが、残念ながら手掛かりと成り得るものを見出せない。
「いや、やっぱり――」
「兄ちゃん、あれ」
陽咲が指差した方向を見遣ると、3人の立つ場所から反対側に位置する一本の大木、その根元に鎮座する祠が兄妹の目に飛び込んでくる。
「光っている?」
先程まで暗闇に紛れていたそれは自ら紅く怪しい光を放ち、この地に何百年も根付く巨木に巻かれた注連縄と、そこから吊るされた紙垂が明らかとなる。
「やっぱり、"今でも"見えるんだね。......それは当然か」
茜音の台詞じみた独白の後、茜音はワンピースのスカートを翻し、右脚レッグホルスターから"炎"と一文字書かれた札を取り出す。
「......お前の様子がさっきから"おかしい"のは、あの光る祠が原因なのか?」
「心配しないで、私は"おかしく"ないよ」
しばらくの沈黙の後、星空を隠していた雲が晴れ、視界が少しだけ明るくなる。
「着火」
小声で言葉を発すると同時に、洞窟出口から巨木に向かって2列に並んだ松明に火が灯り、辺りがボンヤリと照らされる。
兄妹は唐突に火が灯されたことに驚くと同時に、視線の先で何かが動く気配を察知する。
「兄ちゃん」
「......何だ、近付いてくる?」
祠から放たれる光を遮るように巨体が暗闇より現れ、ゆっくりと近付いて来る。
松明により照らされた姿が視界に入ると、兄妹はその"存在"を認め、言葉を失った。
「キメラ?」
勇翔は統一感のないその姿に、漠然とした気持ちの悪さを覚えた。
頭部は猿に似て、興奮からか鬣が逆立っている。
四肢は虎に似て、爪は切れ味の鋭い鎌のよう。興奮で逆立つ胴体の体毛は先端が針のように鋭く尖っている。
尾は蛇に似て、胴体とは別の意思で動いているようにも見えた。
「鵺......?」
勇翔はその異形の姿を、フィクションで見たことがある。
日本古来より伝承される妖の一種であり、翼を持たずに空を飛び回り、夜闇に気味の悪い鳴き声をあげ、人々を悩ませていたとされる。
「うっ、くっ」
勇翔がその名を口にした途端、何かが突き刺さったかのような痛みを頭に感じ、思わず顔をしかめる。
脳裏に浮かぶ断片的な映像の中に、眼前の異形の姿が浮かび上がる。
「俺は、ここを知っているのか......?」
勇翔が独白する姿を茜音はジッと見つめていたが、彼自身はそれに気が付かない。
「2人は下がっていて、絶対にそこから動かないでね」
茜音は一歩一歩ゆっくりと、闇夜から現れた異形の物に近付いて行く。
彼女の背中から溢れ出る只ならぬ雰囲気に、兄妹は息を飲む。
「ごめんなさい、2人と会わないまま別れる手立てもあったのに、私の我が儘のせいで"一時的な記憶"とはいえ怖い思いをさせてしまう。本当にごめんなさい」
「......一時的?」
勇翔は投げ掛けられた言葉に首を傾げるが、当の本人は気にすることなく想いを続ける。
「2人から見て私が何か隠しているように見えただなんて、想いもよらなかったな。やっぱり、私には隠し事ができないみたい」
茜音の声は明るく勤めていたものの、時折震えているようにも聞こえた。
「あれは勇翔の言う通り"鵺"で間違いない。紅葉村の守り神にして、祟り神」
「何だってそんなのがここにいるんだ、あれは絵巻物の中の存在だろ」
「でも、これは現。現実だよ」
空想上の存在が目の前にいるとは思えないほど、茜音は落ち着いているように見える。あくまで、兄弟の見る限りではあったが。
「この鵺は、おとぎ話に出てくるのとは違う。遥か昔からこの地に鎮座する――」
鵺が茜音の言葉を遮るように雷鳴のような咆哮をあげ、真っ直ぐ吶喊してくる。
「下がって!」
茜音の言葉で我に帰った勇翔は、今まさに自分たちの方向へと吹き飛ばされてくる松明の存在を認め、最悪の事態を避けようと隣で棒立ちになっている陽咲を抱きしめる。
「伏せて!」
勇翔は茜音の声と共に、陽咲に覆い被さるよう地面に身を伏せる。
茜音は"炎"と書かれた新しい札を取り出し文字に向かって息を吹きかけると、文字から勢いよく豪火が現れ、松明は瞬く間に消失する。
「......熱がある、現実なのか」
勇翔は身体に感じる熱量から、眼前の出来事がフィクションでなく現実であることを認識する。
「"現"だって言ったでしょ!」
茜音が"刀"と書かれた札を一振りすると、炎と共に漆黒の日本刀が現れる。
自身に向かって飛びかかって来る鵺の懐に入り込み一太刀浴びせると、特徴的な白髪と白いワンピースが"返り血"で赤く染まる。
茜音は"慣れっこ"とでも言うように怯むことはなく、続いて"狼"と書かれた札を鵺に向け投じると、札は溢れ出る炎とともに狼へと姿を変えて襲い掛かる。
反撃に転じようと体勢を切り替えつつあった"鵺"は狼に足元を噛まれ、"痛み"に苦しみながらバランスを崩して地面に突っ伏す。
茜音は札を立て続けに取り出して鵺の周囲に展開させ、大規模な術式を発動させる。
「火蓋」
茜音の言葉に合わせて焼失すると同時に巨大な炎塊が鵺の上に現れ、真っ直ぐ落下する。
激しい熱に悶え苦しむ姿は、目の前の鵺が夢幻の存在でないことを、まざまざと感じさせる。
「俺が見せられているものは、何なんだ。鵺って、いったい何なんだ?」
「鵺は、この村の真の支配者」
「支配者......?」
勇翔の独白に、茜音は炎に包まれる鵺の様子を注意深く監視しながら僅かに振り返り、静かに応える。
表情は炎の逆光で兄妹からはよく見えず、感情の機微は分からない。
「この村の住人にとってはこれが日常。かつて住民だったあなた達2人、当然、ご両親も」
茜音は"燉"と書かれた札を取り出し、意識を集中させる。
「焼き払え」
低い声色と共に、これまでとは比較にならない火勢が鵺を含む一帯を焼き尽くし、開かれた空間はまるで昼間のような明るさとなる。
鵺の苦しむ悲鳴は轟音にかき消され、火勢が収まるとその巨体は黒く焼け焦げた姿として再度現れる。
茜音が手に持った漆黒の日本刀を軽く一振りすると、重厚な刀身が僅かな火の粉を放つと同時に一瞬にして消え失せる。
それと同時に鵺"だった"巨体は徐々に亀裂が入り、"村の支配者"は跡形もなく灰となって崩壊した。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
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