第2話 焔室と火室 2
墓前へ挨拶を済ませた勇翔と陽咲は、宿泊予定の茜音宅でくつろぎの時間を過ごす。
茜音は陽咲の制服を借りて、もしもの世界を過ごす自分に想いを馳せる。
幼馴染み3人で時間を共有する中、陽咲は茜音の様子が普段と異なるよう、違和感を覚え始めていた。
第2話 焔室と火室 2
茜音の住む家は、焔室神社の敷地の一角に位置している。
本殿や拝殿の規模と比べれば可愛らしくも見えるが、それでも勇翔らの自宅と比べれば遥かに大きく、部屋数も多い。
「それじゃあ、迷惑をかけるんじゃないぞ」
「分かっているよ」
壱成と別れた兄妹は宿泊予定の客間に荷物を置いた後、居間に移る。
「お疲れ様」
「いや、それはこっちのセリフだよ。毎年、ありがとうな」
神職装束から赤を基調とした作務衣姿に着替えた茜音が、お盆の上に湯呑と急須を載せてやってくる。
神職が禅宗の装束を身に纏っているのは場違いかもしれないが、若者感覚では雰囲気さえ合っていれば左程の違和感ではない。
「言ってくれれば手伝ったのに」
「いいよ、気にしないで。今日はお手伝いさんもいないから、ここには私たちだけだよ」
「なら、尚更だけど手伝うよ!」
この広い家に住むのは、焔室家当主の茜音だけ。
村長を始めとした村の有力者は一族に連なる者ではあるものの"焔室"ではなく、遠縁の親戚であっても同居はしていない。
「あの巫女さんは?」
「社務所で事務作業をしているだけだから、仕事が終われば帰っちゃうよ」
広い屋敷を管理するために手伝いを雇っているが、基本的な家事全般は茜音が自立して動けるようになって以降、手を借りる機会も減っている。
特別に何かをする訳でもないが、とりとめのない話に花を咲かせ、時間はあっという間に過ぎ去っていく。
1人で過ごすことが多いためか、同世代の2人と過ごす時間に茜音も上機嫌な様子だ。
「茜音ちゃん、私の制服着てみない?」
兄妹は着替えることなく、制服姿のまま過ごしていた。
2人の姿をぼんやりと眺めていた陽咲が不意に立ち上がり、悪戯な表情を浮かべて茜音へ唐突に提案する。
「えー...でも、何か悪いし」
「いいよいいよ、別に気にするようなことじゃないし、減るもんでもない」
「それなら、まぁ、陽咲がいいなら...」
チラチラと勇翔の様子を見ながら、
「はい、決まり!それじゃあ着替えるから、兄ちゃんはさっさと出て行って」
「何でだよ!」
くつろぎの時間を奪われ、勇翔は廊下に放り出される。
「全く...」
立派な屋敷とはいえ古い作りの家屋は壁が薄い。
特に聞き耳を立てていたつもりはないが、キャイキャイと姦しい2人の声だけならまだしも、布の擦れる音が嫌でも聞こえてしまう。
思春期の男子としては、少々刺激的な状況だろう。
「入っていいよ~」
赤い作務衣姿の陽咲がひょっこり顔を出し、仏頂面の兄を室内へ招き入れる。
「じゃじゃじゃじゃーん」
「......どう、かな?」
白ブラウスにチェック柄のスカートに身を包み、茜音が照れくさそうな表情を見せる。
彼女の通学している北信州総合高校の制服はセーラー服らしく、着慣れない気恥ずかしさがあるのだろう。
もともと整った顔立ちで、学年で人気ランキングを組もうとするならば高確率で上位に食い込めそうな程の"美少女"であることに加え、彼女ならではの身体的な特徴も合わさり、シンプルな構成の制服姿は茜音の持つ神秘的な雰囲気をより際立たせた。
「......いいんじゃないか?」
妹やクラスメイトなどで見慣れた制服も、着用する人が違えば新鮮な衣服に見える。
マジマジと見つめる訳にもいかず、勇翔は視線の先を落ち着ける場所を見出せないでいた。
「よーし、2人並んで写真を撮ろうよ!」
当事者どうしの気恥ずかしさなどお構いなしといった様子で、陽咲が茜音の背中を押して強引に2人の身体を近付け、自身はスマートフォンを構える。
「はい、チーズ」
シャッター音とともに、高校3年生ながらどこか初々しい雰囲気の2人の時間が、スマートフォンの中へと切り取られる。
「どう?」
陽咲の問いかけとともに、悠久の時間から切り取られた一場面は、ここではないどこかでの"IFーもしもー"を2人に連想させる。
「不思議な感じだな」
「でも、こうでなくても似たような"世界"もあったのかもしれないね」
「パラレルワールドか」
勇翔が山間の小さな村を離れず、共に日々を過ごしていたら。
茜音が村の慣習に縛られず、勇翔のように村から離れていたら。
「陽咲、この画像...」
「もちろん、すぐに送るよ!」
「......ありがと」
陽咲はすぐさまスマートフォンを操作し、茜音に画像を送信する。
「俺も――」
「兄ちゃんは5千円ね」
「有料かよ!!」
兄妹の賑やかなやり取りの影で、茜音は送られてきた画像を眺める。
2人で同じ制服を着て登校する、ここではないどこかでは可能性のある"もしも"の場面。
「こんな"世界"、あって欲しかったな」
スマートフォンの画面が暗転し、反射により自身の顔が現れる。
訪れなかった"今"を過ごす自分を、茜音は寂し気な笑みで出迎えた。
衣装はそのまま、勇翔と茜音はそれぞれ互いのことをチラチラと見て様子を伺うものの、何らかのアクションを起こすことができないまま穏やかな時間だけが過ぎていく。
「茜音ちゃん、お手洗い借りてもいい?」
不器用な兄に痺れを切らし、陽咲は満面の笑みで茜音へと振り返る。
「もちろんだよ、場所は分かるよね?」
「分かると思う」
体操の演技宜しく陽咲はくるりと身を翻し、勇翔の肩をポンと叩く。
「ま、頑張りなよ」
「......うるさい」
「さっきの画像と合わせて1万円くらい請求しようかな」
「......ありがとうございます」
勇翔の弱々しい返事を面白がってか、陽咲は廊下に出るとスキップを踏んで遠ざかっていく。
陽咲なしでいざ2人きりとなると、どのように話題を振っていいものか悩んでしまう。
「なぁ」
「何?」
茜音が身体をかがめ、顔を覗き込んでくる。
白髪の隙間から垣間見える紅い瞳にじっと見つめられ、勇翔はその特異さに引き込まれるような感覚を覚える。
「いや、何かって訳でもないんだけど」
「......ふふ」
茜音は堪えきれずにクスクスと小さく笑い、姿勢を変えて体育座りのポーズをとる。
「何だよ」
「いや、勇翔は昔からあまり変わらないような気がして」
「子どもの頃から成長してないと言われているようで、何か複雑だな」
勇翔は何とも言えないような表情を見せ、頭をポリポリと掻く。
「成長していないとは言ってないよ。身長だって私より小さかったのに、こんなに大きくなったじゃない」
「身長かよ」
「うーん、何というかなぁ......」
茜音は体育座りで合わさった両膝に額を当てて俯き、言葉を探すように「うんうん」と首を横に振りながら唸る。
一瞬の沈黙の後、横に振っていた首の動きが止まり、茜音の顔がゆっくりとあがる。
少し憂いを帯びた表情からどの様な言葉が発せられるのか、勇翔は茜音の口が開く瞬間を静かに待った。
「これは私の願望かもしれないな」
「願望?」
「うん、願望」
茜音はすっと立ち上がり、縁側に出て庭を眺める。
「どういうこと?」
勇翔も立ち上がりって歩み寄ろうと踏み出すのと同時に、茜音が振り返る。
「勇翔はそのまま、私の知っている勇翔のまま変わらないでいて欲しい」
茜音の声は少し悲し気にも聞こえたが、どんな表情で言葉を発していたのかは勇翔の位置からは逆光で窺い知ることはできない。
「変わらないでいる?」
勇翔は茜音の言葉の真意が分からず、疑問符を表情で表現する。
「勇翔と会う毎年の夏は、私にとって自分が自分であることを見つめ直す時間だと思っているの。閉鎖的なこの村で分厚く塗り固められた人生を生きる私を、目まぐるしく変わる外の世界で過ごすようになっても変わらず接してくれる、"大切な人"」
自身のことを"大切"と表現され、勇翔は照れくさそうな表情を浮かべる。
「小説とかで都会の喧騒で暮らす登場人物が、変わらない田舎の長閑な土地に暮らす人に言いそうなセリフみたいだ。ポジションが逆だけど」
「かもしれないね。でも、たとえ田舎暮らしの定まった道だったとしても、自分が本当にその道を進めているのかが不安になる時はある。勇翔は私にとって、必ず振り返ることのできるチェックポイント、そんな存在なの」
逆光で陰る表情を見る限り、茜音の表情は冴えない。
変化の無い日々を過ごすことに、鬱屈とした思いを抱えているのだろうか。
「......外に出るつもりはないのか?」
小さな村で絶大な影響力を誇る神社の宮司がその立場を捨てるなど、"紅葉村の常識"から見れば許されることではない。
現に壱成はこの村の生まれではないが、母―陽子―との結婚により移り住み、死別により離れている。
紅葉村にかつて住んでいた1人としてとんでもないことを言っている自覚はあるが、あくまでも現在進行形で外界に住む一個人としての意見を投げ掛ける。
「全てを投げだして......そんなことを考えたことも当然あるけど、私にはここでやらなければならないことがあるからね。残念だけど、それはできないよ」
茜音は勇翔の脇を抜け、廊下へと出ようとする。
ちょうどすれ違う瞬間、これまで逆光でよく見えなかった茜音の表情が少しだけ明らかになる。瞳は潤み、涙が僅かに流れ落ちた跡を見て、勇翔は少しだけ動揺する。
「勇翔のおかげで"外"の時間を少しでも体験することができた。少し違う世界の自分を想像することもできた。私にはそれだけで十分、お母さんや海美ちゃんが経験できなかったこともできた訳だし」
茜音は不意に立ち上がると、"うん"と伸びをする。
「どうした?」
「ううん、何でもない。このまま制服を借り続けているのも陽咲に悪いし、着替えて来るね」
「お、おぅ」
廊下へ通じる扉が閉められ、勇翔は部屋に1人になる。
居間は静まり返り、赤く染まった枝を揺らす庭に吹き込んだ風の音が、とてもよく聞こえる。
「途中まではいい感じの雰囲気だったと思うんだけどな」
呆然と立ち尽くす勇翔の足元で、陽咲がお茶をすする。
「いつの間に!」
お茶請けとして差し出された紅葉型に形作られた饅頭を一口で頬張ると、陽咲は勇翔の姿を見上げる。
「もうちょっと積極的に仕掛ける努力があってもよかったんじゃない?」
「......うるせぇ」
勇翔もその場に座り、饅頭を頬張る。
「脈無しではないと思うけどなぁ......」
「お前、どこから見ていたんだよ」
「最初から最後までだけど」
勇翔は飲みかけていたお茶を吹き出し、むせ返る。
「トイレは!?」
「そんな見え透いた嘘に引っかかるとは...。こんな面白いものを見逃さない手はないでしょ」
勇翔の顔に脂汗が光る。
「てか、そんなことはどうでもいいの」
陽咲は勇翔の非難を遮ると、真剣な表情を見せる。
「茜音ちゃん、何かを隠している様な気がする」
「隠している?」
「うん、そう思う。どこか物憂げな感じだし、思わせぶりな言葉も多い。何か、気付いて欲しそうな雰囲気を出している」
陽咲がいつになく真剣な表情を見せる。
同年代の女性どうし、通じるものがあるのかもしれない。
「......何を?」
「それが分かったら、人間関係なんて苦労しないでしょ」
陽咲は腕を組み、首を傾げる。
「それもそうだな」
勇翔は嘆息し、割り当てられた湯呑に茶を入れる。
特に茶柱が立つ様子もなく、細かい茶葉が散らばった出涸らし茶は、ほんのり苦く感じられた。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20725774