第2話 焔室と火室 1
勇翔らが到着した翌日。
二神一家は茜音の実家である焔室神社を訪れ、幼少期に死別した母の墓前を訪れる。
第2話 焔室と火室 1
夜が明け、朝陽が東の山陰から顔を覗かせる。
太陽を待ちわびていた木々は朝陽を全身に浴びて眠気を覚まし、赤々とその身を燃え上がらせる。
「忘れ物はないか?」
「大丈夫」
朝食を済ませた二神家一行は宿泊しているロッジの鍵を閉めると、鷹木夫妻の運転する車に乗り込み、焔室神社を目指す。
紅葉村での旅程2日目、勇翔と陽咲は焔室神社での用事を済ませた後、そのまま宿泊する約束になっていた。
「いつ見てもデカいなぁ」
「ホントだよねぇ」
紅葉村の規模の小ささから考えればに広い境内は、この土地に根強く残る神社の影響力を示しているようだ。
「いらっしゃい」
到着時間を正確に把握していたのか、社務所からタイミングよく茜音が現れる。
焔室神社宮司としての役割から、茜音は赤色ベースの神職装束に身を包んでいる。
「おぉ、決まってるね」
「茜音ほどじゃないさ」
対する勇翔と陽咲は普段から見慣れた高校の制服に身を包んだこともあって特別感はなく、むしろ日常感を漂わせてしまう。
夏服では特に指定されていないが、冬服では共通して指定のブレザーとネクタイの着用が義務付けられており、兄妹は夏服姿に揃ってネクタイだけ着用していた。
「いやぁ、カーディガンを持って来ておいて正解だったよ。やっぱ、山の上は涼しいねぇ」
陽咲が半袖ブラウスから露になった腕をさすり、高校でも使っている長袖カーディガンを羽織る。
「勇翔は大丈夫?」
「まぁ、部活で慣れているからな。暑いのも、涼しいのも」
「さすがは野球部だね。もとい、ゴキブリ」
「おい」
対する勇翔は、こんがりと日に焼けた両碗を惜しげもなく見せていた。
「式年祭でもないのに、わざわざ申し訳ないね」
壱成は喪服に身を包み、茜音に申し訳なさそうな表情を見せる。
「私がしたいだけですから、お気になさらず。"私の母"もお世話になった人です。すぐに向かいますので、お墓の前で待っていて下さい」
茜音は小さく会釈をすると、パタパタと小走りに社務所の中へと入っていった。
二神一家は参拝を済ませ、神社奥にある墓地へと進む。
「久し振りだね、陽子さん」
慣れた足取りで向かった先に、手入れの行き届いた墓石が静かに立っている。
水鏡神社で見たものと同様、母の名は脇に置かれた墓誌に寄せられていた。
「いつも綺麗にしてもらっているんだね」
火室家代々、海美と同様にその末席に記載された"陽子"の文字をなぞり、壱成は寂しそうな表情を見せる。
壱成が仕事でこの地を訪れた際に出会い、同い年ということもあって意気投合して後に結ばれ、この地に居を構えて共に時間を過ごした日々は、遠い過去となりつつある。
「12年か...」
現に、物心が付くか付かどうかの年頃だった陽咲は、母のことを殆ど覚えていない。
勇翔の記憶も日々新しいものが積み重ねられ、母の面影は朧気になってきている。
「子ども達もこんなに大きくなった。陽咲は勇翔と同じ高校に入学したよ...まぁ、勇翔は次の春で卒業、いよいよ大学受験だ」
婿入りによる結婚、そして死別後に籍を抜き別の地で暮らす今、同じ墓標の下に眠ることは叶わないだろう。
せめて妻のすぐ傍で過ごしたい思いもあるが、子育てを済ませ、親の面倒を見終えた頃に人里離れた山間の小さな村へ移るのも、相当なハードルである。
ならばせめて、脚を運べる内にたくさんのことを話しておきたいのかもしれない。
「......お待たせしました」
表情を隠す装束の巫女を1人連れ、正装の装束を整えた茜音が姿を現す。
ゆっくりと歩み寄る姿、墓標の前で祭祀を奏上する姿は、とても同い年の18歳とは思えない凛々しさを見る者に与える。
村内に絶大な影響力を与える程の威厳は、伊達ではないのかもしれない。
「私はこのまま、先祖の墓標に奏上しますが...」
一連の儀式を終えると、茜音はちらりと様子を伺ってくる。
茜音の言う"先祖の墓標"とは、墓地の中心に立つ一際大きなものを指し示している。
決定権を持たない兄妹は、父の考えを静かに待った。
「勇翔と陽咲は一緒に行きなさい。父さんはもうしばらく、ここにいるよ」
「分かった。茜音、行こう」
「うん」
この1年の出来事を伝えるのに、所謂"墓参り"の時間はあまりにも短い。
いつも妻の眠る墓標の前に長居する父の姿は、兄妹にとって馴染みの光景だった。
「私は殆ど覚えてないけど、お父さんはお母さんのこと大好きだったんだね。生きていたら、どんな感じのお母さんだったのかな」
「んー、優しく笑っているような印象が強いかな。怒ったり、焦ったり......そんな顔は殆ど見たことが無かったかな」
「いやいや、勇翔はしょっちゅう怒られて泣いてたじゃない。悪戯したり、言う事を聞かなかったりで」
「えっ」
「記憶をいいように改竄しちゃだめだよ。兄としての威厳なんて、そもそもないじゃない」
神職としての威厳をどこかに置いたことを棚に上げ、茜音はにこやかな表情を見せる。
最も、後ろから巫女に注意され、すぐさま威厳の仮面を被り直す羽目になったのだが。
「......それじゃあ、もう一踏ん張りしましょうか」
そうこうしているうちに、最も大きな墓標の前に辿り着いた。
「えっと、茜音ちゃんの"焔室"が本家で、お母さんの"火室"が分家なんだよね?」
「そうだ。いい加減に覚えろよ」
「だって、読み仮名が同じで分かりにくいんだもん」
儀礼を進める茜音の背を眺めながら呟かれた陽咲の疑問に、勇翔が短く応える。
歴史の積み重ねが長く続く小さな集落だけに、地区の名称はそれ即ち一族を指し示し、紅葉村には火室と水鏡に連なる者が大半である。
火室一族の中で最も力を持つ者が"焔室"の名を受け継ぐに値するとされ、世代交代の折りには血族であっても親子関係でないことも稀ではなく、"焔室"の名は現代の制度で言えば養子縁組で受け継がれたことも多い。
表現としては火室一族の"本家"ではなく、"宗家"との呼称が正確なのかもしれない。
「茜音ちゃんのお母さんのことは、覚えているの?」
「あぁ、母さんの従妹になるんだったかな。名前は...」
勇翔は脳内に保管された記憶を少しずつ手繰り寄せる。
「......そう、焔室真昼さんだ。」
「真昼さん?お昼のど真ん中で、真昼?」
「そう、その字で合っているよ」
勇翔は雲一つない空を見上げる。
「今日みたいな青空のように清々しく、太陽のように活力に満ち溢れた人だったよ」
祭祀を奏上する後ろ姿を眺めながら、勇翔は故人に思いをはせる。
記憶を辿る度に微笑む表情しか見せなかった"母2人"だったが、この日ばかりはどういう訳か、寂しく悲しそうな表情を浮かべていた。
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