第1話 第一の故郷へ 3
かつての故郷―紅葉村―に到着した勇翔は荷物を預け、茜音とともに"水鏡神社"へと向かう。
姉のように慕った存在―水鏡海美―の墓標に手を合わせた後、2人は二神一家が宿泊するロッジへと向かう。
いつも通りの夏を、いつもと違う夏へ。
変化を求める子に対し、親はいつまでも変わらぬ安泰を心から祈っていた。
第1話 第一の故郷へ 3
ロートルの車列が数本の着発線を持つ構内の端、ひっそりと位置するホームへゆっくりと滑り込み、長時間に渡る登山がようやく終了する。
完全に停車し、少しずつ解放されていくブレーキから発せられる緩解音は、老体に鞭打ち苦役を強いられたロートル車の深い溜め息にも聞こえる。
荷物室から日用品などが積み出されるのを横目に、一同はホームに降り立った。
「ホント、うちに泊まらなくていいんですか?」
「いつもお世話になってしまっているからね。毎度毎度というのも、悪いと思って」
例年では茜音の住む焔室神社で厄介になることも多いのだが、今夏は村のやや外れに開設されたロッジを予約している。
近年の秘境ブームに便乗してか、珍しく"村"の資本が投入されずに開業した施設で、壱成の友人が経営しているらしい。
食料品を完備していることもあり、"グランピング"の一歩手前とでもいったところか。
「別に、気にしなくてもいいのに。結局、1泊はするんだし」
茜音は口先を尖らせ、不満をアピールする。
「迎えに来てもらえるはずなんだけど、どこにいるかな」
「"車"ですか?」
「その予定だよ」
村内の移動は専ら徒歩か自転車であり、車の台数は極めて少ない。
そもそも僻地―所謂、陸の孤島―で運送手段が乏しく、農業に勤しむ一部の住民が軽トラックを所有している程度である。
紅葉村駅との距離がある分、アクセス向上を図るために移動手段を確保するのも、秘境の地で宿泊施設を経営する上では重要なのかもしれない。
「相変わらず、人が少ないな」
「もう夕方だしね、この時間で外に出ている人は普段からそこまで多くないよ」
駅の改札口を出ると、閑散とした駅前広場に出る。
最盛期は鉱山労働に従事するべく多くの坑夫が移住してきたこともあり、村内の交通結節点としての役割のあった紅葉村駅とその駅前は大いに賑わいを見せていた。
坑夫の多くは中心地である火室地区に居を構えたが、それでも用地が足りず一部は対岸の水鏡地区にまで生活範囲を広げていた。
鉱物資源の運搬用に鉄路が敷設されたことに加え、潤沢な電力があったことから2地区は電車が往来しており、赤見坂方面から見れば紅葉村駅、そして当時は設置されていた水鏡駅で2段階のスイッチバックを行い、赤見坂方面へと向かう本線と平面交差の後に鉱山口へと坑夫を運んでいた。
村の玄関口とはいえ、"ド田舎"の紅葉村駅構内にいくつかの着発線が残るのも、麓へ鉱物資源を満載した貨物列車を送り出していた名残である。
「ほんと、ここに来るたびに思うけど、私たちの住んでいる街とは別世界だよね」
「日本の本土で一番人口の少ない"村"だし、むしろ日本の原風景だと思って欲しいかな。これでも、人口は殆ど減っていないんだよ」
最も、閉山後は人口が一気に流出し、古くから居住していた村民とその縁者だけが残る現在では、当時の活気を慮ることは極めて難しい。
「やぁ、久し振りだね」
少し離れた位置から、2人が親し気に手を振りながら近付いてくる。
「鷹木さん、しばらく世話になるよ」
「こちらこそ。"お客様"として精一杯、おもてなしさせてもらうよ」
鷹木夫妻はロッジの経営者兼管理人で、壱成の大学時代の友人だと勇翔らは聞いている。
「宮司様ではありませんか、こんにちは」
「こんにちは」
夫婦は茜音の存在に気が付くと、"目上"に対し恭しく礼をする。
対する少女は、やや無愛想にも思える態度で返礼した。
「それじゃ、荷物は父さんと陽咲で持っていくから、予定通りといこうか。遅くならないようにな」
「分かった。終わったら連絡するよ」
「あぁ、水鏡の皆さんによろしく」
勇翔の荷物を受け取った父と妹、鷹木夫妻の背中を見送ると、茜音が腕時計を確認してから勇翔の肩を叩く。
「私たちもそろそろ駅に戻ろう。"水鏡"行の便がそろそろ出ちゃう」
「そうだな。逃したら戻れなくなるだろうし」
勇翔は任された残りの荷物を手にすると、先を進む茜音の後を追う。
陽が傾き始め、山間の小さな村に差し込む光は徐々に陰りを見せる。
西日に照らされた山肌は赤々と煌めいていた木々をより強く色付け、風で枝葉が揺らぐとさながら燃えているようにも感じられた。
紅葉湖—紅葉村の中心に位置する堰止湖―を挟み、村の中心となる"火室"の対岸に"水鏡"の集落がある。
山中の僅かに開けた区画の最深部に"水鏡神社"が位置し、神社を守るよう周囲に民家が散らばっている。
外界より道路で紅葉村を目指す場合は村の玄関口となるが、陽当りが悪い上に閑散としていて、来る者に寂しい印象を与える。
2つの集落は平地ならば徒歩20分程度の距離に位置しているが、両集落を結ぶ道は起伏に富み、行き来は相当な苦労を要する。
加えて、対岸といっても船を寄せることに適した地形がなく、現在でも人の行き来はかつて敷設された鉄路を有効利用し、モーターカーによる定期便の往来が主となっている。
なお、村民ならば無料で利用できるが、村民以外は一律100円の乗車料金を徴収している。
「間に合って良かった」
路線バスの小型車―約7m―くらいのトロッコ車輛に乗り込んですぐ、モーターカーのエンジンが唸りを上げ、列車がゆっくりと動き出す。
モーターカーが後背に位置するために推進運転となるが、機関士は何の不都合もなく慣れた手付きで愛車を運転する。
「誰もいないな」
車内に他の客はおらず、貸切状態である。
「普段は学校帰りの子どもたちが乗り込むけど、今は夏休み中だからね」
紅葉村立紅葉小中学校の全校生徒は26名。
内、水鏡集落からの通学者は5名だが、住人にとって大切な生活の足であることに変わりはない。
「村の仕事が終わる頃に合わせた紅葉村駅18時発、それに合わせて火室に戻る便があるから、私たちはそれに乗せてもらうよ」
基本的には水鏡集落の住民の生活に合わせた運行スケジュールとなっており、事前に申請しておけば定期便の他、21時までなら任意の時間に有料運行される。
「もう12年か」
ガタゴトと小さく揺れる車列がトンネルの中に差し掛かり、ひんやりとした空気が車内へと流れ込む。
「どうしたの、急に」
「いや、俺がここから引っ越したのが小学2年の終わりだろ。中学に入る前の記憶がどんどん薄れてきているのが正直なところだけど、それより前のことなのに、まだ鮮明に思い出せるよ」
「......そうだね」
記憶の積み重ねは足し算だが、思い出として収納する都度、割り算で整理されて上書き保存されていく。
人生の積み重ねが増えるほど一つ一つの経験が時間的尺度で薄れるため、思い返そうにも映像や音声が朧げになってしまう、という意見もある。
「気付いたら年上になっちゃったね」
茜音がポツリと言葉を発すると同時に、列車がトンネルから出る。
西日は既に山影に隠れ、夏にも関わらず早くも薄暗く僅かな街灯が灯り始めた集落が車窓から見えてきた。
「宮司様、お帰りは戻りの便でいいんだよな?」
「はい、予定通りで」
旧水鏡駅に到着し、2人は誰もいないホームに降り立つ。
鉱山開発の最盛期には水鏡集落にも抗夫の居住施設が造成されていたが、こちらには煌びやかな商店街や居酒屋などはなく、居住者数を除けば当時から殆ど変わらない。
「勇翔、行こうか」
2人は静まり返った集落の中央通りを進む。
道路脇の水路には集落周辺の各所の湧き水が流れ、その音だけが心地よく耳に飛び込んでくる―余談だが、紅葉村の特産品の一つはこの湧き水を活用した水ワサビ栽培である―。
「くしゅっ」
太陽光も陰り、気温も下がってきたように思える。
上着を羽織っていたとはいえ、薄着の茜音には肌寒いのかもしれない。
「貸そうか?」
勇翔は鞄から上着を取り出し、茜音へ差し出す。
茜音はそれを受け取ると、いそいそと羽織り暖をとった。
「おぉ、気が利くねぇ。オシャレなんて滅多にしないから...慣れないことをするもんじゃないや」
「女子として、そこは"オシャレは我慢"とか言う所じゃないのか?」
「都会やちょっとした地方都市ならそうかもしれないけど、ド田舎じゃ通用しない概念だね。生きていけないよ」
冬季は厳しい寒さに包まれ、普段から寒暖差や天候の変化が激しい北部山中の村の住民として、茜音は至極真っ当な意見を述べているように思えた。
「さ、着いた...って、わざわざ言わなくても分かるか」
限られた土地にあるこじんまりとしている"寂れた"集落だけに、目的地までの距離は極めて近い。
鳥居をくぐり、水鏡神社の境内に入る。
村の中枢となっている焔室神社とは異なり、宮司の住居を兼ねた社務所では"御守"などの授与は行われておらず、本殿と拝殿も小規模で質素な作りとなっており、あくまで"土着住民の拠り所"といった雰囲気を感じさせる。
2人は参拝を済ませると、すぐ裏手の墓地に向かう。
「久し振りだね、海美ちゃん」
複数並ぶ墓標の中、一際大きな墓石の前に立つ。
墓石は綺麗に磨かれており、日頃からの手入れが行き届いている様子が感じ取れる。
先祖代々が祀られていることもあり、一般的な墓石のように埋葬された人物の苗字等は彫られておらず、個々人の名は別途設置された墓誌に寄せられている。
水鏡家代々と彫られた文字列の末席に、2人の目的の人物の名が記されていた。
水鏡海美
最も若齢での逝去が墓誌に記された、本来は水鏡家当主にして水鏡神社宮司となっていたであろう女性の名前である。
およそ干支一回り離れており、もはや"海美ちゃん"でなく"海美さん"と呼ぶべき年の差だろうが、同世代の少ない紅葉村では快活な性格の彼女が幼年世代の良き遊び相手であり、同時に憧れの対象でもあった。
外界と断絶された閉鎖的な社会での名士ということもあり、似た環境で育った茜音と仲の良かった勇翔にとっても、尚更である。
「ほんと、もう12年か」
持参した花と線香を供え、2人は故人を偲び、手を合わせる。
髪の合間から見えた茜音の瞳は、水平線に沈みかける夕陽のようにも見えた。
「茜音ちゃん、勇翔くん、いらっしゃい。毎年来てくれてありがとう。声を掛けてくれればよかったのに」
社務所の戸が開かれる音とともに壮年の老夫婦が小さな遺影を持って現れる。
こちらへ歩み寄る姿は、少しずつやつれていっている様にも見えた。
「時間も少し遅くなってしまったので、悪いかと思いまして」
「そんな、気にしなくていいのよ。海美もきっと喜んでいるわ」
当時の時間を切り取った遺影は、相変わらず快活な笑顔を見せていた。
「あの、おばさん、これを......」
勇翔は地元銘菓の鳩型サブレが入った紙袋を手渡す。
「ありがとう、あの子もきっと喜ぶわ。よかったら、お供えしてもらってもいいかしら」
「もちろんです」
老夫婦に連れられ、2人は社務所兼住所に入る。
勇翔は仏壇にサブレを備えると慣れた手つき蝋燭に火を灯し、鐘を鳴らして合掌する。
赤見坂駅で茜音と再会する瞬間。
トンネルを抜けて紅葉村の景色が見える瞬間。
海美の眠る墓標と仏壇に手を合わせる瞬間。
勇翔はこれらの瞬間、紅葉村に来たことを改めて実感する。
「定期便の時間もあるし、そろそろ行こうか」
「そうだね、長居する訳にもいかない」
老夫婦に別れの挨拶を済ませると2人は再び小さな列車に乗り込み、紅葉村駅を経由して父親の待つロッジへと向かう。
夕陽は山影へと完全に隠れ、行きには肌燃えるよう赤く煌めいた山肌の木々も、その輝きを潜め静かに眠りについた。
鷹木夫妻に迎えられた2人は車へ乗り込み、ロッジへと移動した。
「おかえり」
「もー、遅い!お腹ペコペコだよ!」
「予定通りだが!?」
ロッジに到着した頃には具材の前処理と火起こしまで完了した状態となっており、後は2人の到着を待つだけという状態だった。
「挨拶できたか?」
「あぁ」
壱成の問いに短く返すと、勇翔は手荷物を割り当てられた部屋に置き、身支度を整える。
バーべキューが開始されると、壱成は鷹木夫妻とアルコールの力も借りて和気藹々と談笑している。
「大人はこういう時に、ズルイと思う」
「同感」
勇翔と茜音はその光景に呆れつつ、少し羨ましいとも思っていた。
海美の墓参りを済ませた後は、いつも気持ちが臥せってしまう。
「でも、いつまでもしみったれているのも良くないよね。私はよく覚えていないけど、海美さんに笑われちゃうよ?」
こういう時、陽咲がいつも賑やかしてくれるおかげで、気持ちが少々晴れやかになる。
「それもそうだな」
勇翔がゆっくりと立ち上がる。
「先に逝ってしまった人の分まで飯食って楽しまないと、後々あっちの世界で会った時に悔しがらせられないからな」
「そうだね、楽しみにしているよ」
茜音が何やら寂しそうな表情をして、こちらを見てくる。
「何だよ、俺より先にお空に登る気か?平均寿命で考えたら、俺の方が確実に先だろ」
「......それもそうだね!」
そう言うと、勇翔の眼の前で焼かれている肉を奪い取り、そのまま口に頬張る。
「おい、俺が育てた肉だぞ!!」
「隙を見せた方が悪いんだよ。勇翔ってゴキブリ並みにしぶとそうだから、長生きしそうだなって思っただけだよ」
「あ、分かる〜」
茜音へ気を取られている内に、陽咲も勇翔の大切に育てた肉を奪い取る。
「おいこら待て、お前らの中で俺の認識はゴキブリなのか!」
「黒い」
「足速い」
「黒いのは日焼けしているだけ、足が速いのは練習の成果だろ!」
取り止めのない話で、子供席も活気が湧いてくる。
「やっぱ、あぁでないとな」
「そうだね」
賑やかな様子を、大人たちは微笑ましく遠目に見守る。
我が子がどんなに大きくなっても、親から見れば子供であることには変わらない。
「例え、もう直ぐ見られなくなる光景だったとしてもな」
3人はアルコールで緩む表情を引き締め直し、この瞬間が少しでも長続きするよう心から願った。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
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