第11話 歩む日々に想いを馳せる
紆余曲折を経て、幼馴染たちは元の縁を取り戻す。
失った干支一回りを超える時間は帰ってこない。
取り戻すことはできなくとも、手にできた時間を大切にすることはできる。
それぞれの想いを胸に、時間は更けていった。
第11話 歩む日々に想いを馳せる
朝一番こそバタついたものの、勇翔たち陰陽局一行の紅葉村2日目は予定通り、というよりむしろ、村を取り纏める焔室の同意を得られたことで、想定以上の成果を収めることができていた。
持ち込んだ機材などを水鏡地区から勇翔たちが前年夏に宿泊したロッジへと移動させ、拠点を一気に設営する。
茜音からの協力を得られなかった場合は表立った支援が難しく、"鵺"による災厄を水鏡地区に拠点を構えたまま対応する必要があったため、不測の事態が生じた際の現状把握に問題が生じる恐れがあった。
「堂々と動くことができなかったからね。全く、これまでの苦労は何だったんだか」
そう言ってぼやくのは、二神家にはすっかり馴染みの存在となった鷹木だった。
夫婦は陰陽局が情報収集と後方支援を円滑に進める上での地盤作りを目的に送り込んだ先遣隊で、生業としていたロッジ経営は名目上の隠れ蓑にすぎないらしい。
最も、もともと持ち合わせた趣味が高じた部分も大きく、言葉ほど苦労している様子は感じられない。
「勇翔くんたち、今日はどこに泊まるんだ?水鏡に戻るのかい?」
「いえ、今日は兄妹で茜音の家に――」
勇翔が少しだけ照れた様子を見せると、鷹木はニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる。
朝の一件は既に伝え聞いていたようで、出会って早々に手荒な祝福を受けた。
「君たちがまた一緒に時間を過ごせるようになってよかった。これは、餞別だ」
おもむろに差し出された小さな包みを視認すると、勇翔はプルプルと震えはじめる。
「なんだ、初心だな」
「いや、急にこれはっ!」
「もう子供でもないだろ~」
鷹木の揶揄いにアタフタしていると、荷物をまとめた陽咲がひょっこり顔を出す。
「兄ちゃん、どうしたのー?」
勇翔は受け取った包みを見られないようポケットにしまい、何事もなかったかのように振舞う。
「何でもないよ。準備は?」
「できてる~」
「分かった、じゃあ行こうか」
「ほーい」
勇翔は動揺を悟られないよう平静を装い、陽咲を伴いロッジを後にする。
ふと振り返ると同時に、鷹木が満面の笑みでサムズアップを見せ、勇翔は何も見なかったように正面へと向き直す。
不意にポケットに手を入れた際、指先に”餞別”が触れる。
勇翔はできる限り奥へと押し込むと同時に、深い溜め息が漏れ出した。
前年までは当たり前のように訪れていた場所でも、立場や気持ちが変わればこうも緊張するものなのだろうか。
これまで鳴らす機会のなかった古いドアチャイムをわざわざ押し(当然、押すまでにも無駄に時間をかけたのだが)、扉が開かれる時をソワソワしながら待つ。
「キッモ......」
陽咲から怪訝な視線を送られたタイミングで家の中からドタドタと音が聞こえ、収まると同時に引き戸の玄関がガラガラと音を立てる。
「お、お待たせ...」
出迎えた茜音はエプロンを着けており、鼻をくすぐる香りから察する限り、どうやら夕食の支度をしていたようだ。
すったもんだの上で元の鞘に収まった幼馴染たちは、離れ離れになっていた時間を少しでも取り戻そうと、焔室神社敷地内にある茜音の家に泊まる約束となっている。
「ようやく来たか、遅かったね」
台所からは先に到着していた舞莉、改め涼音が顔を覗かせる。
「随分と寂しい冷蔵庫だったせいで荷物が嵩張ったから、手伝って欲しかったな」
家の冷蔵庫には若者4人分の胃袋を満たす食料が足りなかったようで、涼音はわざわざ水鏡地区に宿泊する陰陽局のメンバーの下へと引き返し、食材を分けてもらったらしい。
「1人暮らしなんだから、仕方がないじゃない」
「私だって1人暮らしだ」
コンロに並ぶ2つの鍋。
片方は見るからにオシャレな、もう片方は独創的な名も無き煮込み料理が入っている。
「何を作ったの?」
陽咲が鍋を交互に覗き込む。
「ビーフストロガノフ。じっくり煮込めていない、即席版だけどね」
「......ぽ、ポトフ」
どこか得意げな涼音に対し、茜音は苦し紛れにそれらしい名前で対抗する。
肉類や野菜の鍋煮込み料理なら、あながち間違いではない。
「ポトフって魚入れたっけ?そもそも肉入ってないし。これじゃ、ブイヤベースじゃね?」
茜音の作品をベン図で表現するならば、十分条件であっても必要条件を満たしていない範囲となるだろう。
「文句あるなら食べんな!」
勇翔の野暮な指摘に、茜音は全身で不満を表現する。
その後方では、涼音と陽咲が「やれやれ」といった表情を浮かべていた。
「すまんすまん」
勇翔は苦笑を浮かべて受け流し、茜音はその態度を見て2、3の追撃を試み、涼音と陽咲はその様子をニヤニヤしながら見守っている。
そんな他愛のない日常を真に取り戻すために、この幼馴染たちは干支一回り以上の時間を費やしてしまった。
せっかく手にしたこの日々を永続的に続けたい。
今この場で浮かべる表情はそれぞれだが、裏に秘めた想いは共通していた。
夕食後の片付けは二神兄妹の担当。
その後は田舎ならではのチャンネル数の少ないテレビ番組などには目もくれず、幼馴染たちは他愛のない話に花を咲かせた。
いざ顔を合わせた時に何を話せばいいのかなど考えていたが、杞憂だったようだ。
無理に畏まるようなこともなく、駄弁るという表現が適している。
後から振り返れば、高校の卒業式前のタイミングで久しぶりに集まった野球部の同級生たちとも同様だった。
途中、それぞれが風呂に入りながら、スナック菓子を広げて雑談に興じる時間。
「――眠い」
無限に続くかと思われた時間は、陽咲が睡眠欲に負けて終了した。
パタパタと優しい音が耳に入り、勇翔は眠りの底から復帰する。
ふと窓の方向に視線を向けると古びた窓の隙間からカーテンがなびき、東の空には地平を背にした三日月が昇り始めていた。
「......何か飲むか」
勇翔は喉の渇きを潤そうと身を起こす。
隣にある茜音の部屋には女子3人が布団を敷き詰めて雑魚寝で眠っており、物音を立てないように部屋を出る。
階段を下りるべく部屋の前を通った限り、少なくとも夜中まで"女子トーク"に興じている気配はない。
人様の家で冷蔵庫を物色するものいかがなものかと思うが、そこは勝手知ったる幼馴染の家、ということで目を瞑ることにした。
「麦茶泥棒」
耳元にくすぐったいウィスパーボイスを感じて振り返ると、冷蔵庫からの僅かな光を浴びて輝く特徴的な白髪が目に入る。
薄着で多少なりとも目のやり場に困ったが、暗がりでもあるし視線は誤魔化せているだろう。
「変態、観覧料とるよ」
「何でだよ」
前言撤回。
女性が男性からの視線に敏感なのは本当のようだと、勇翔は一つ賢くなった。
「――すまん、起こしたか?」
勇翔が"泥棒"と言われた麦茶の入ったコップを差し出すと、茜音は何も言わずに受け取り口をつける。
自身が部屋の前を通ったことで気配が変化する様子は感じられなかったし、寝起きで機嫌が悪い様子もない。
「気にしないで、眠れてなかっただけだから」
コップの中身を飲み干したところで、少々ぶっきらぼうな言葉が返って来る。
「......そうか」
「ごめん、言葉尻がきつかったね。気にしないで」
勇翔の困惑する様子に気が付き、茜音が素直に謝罪する。
「......ここ1年、眠るのも怖くて億劫だったんだ」
「怖い?」
「そう」
茜音は食卓の椅子を引いて座り、勇翔もそれに倣う。
先ほどまでの和気あいあいとした場面で語らなかったここ1年の日々を、茜音は勇翔に話し始めた。
自ら選んだ孤独の日々。
進路の談義に沸く同級生たちを脇目に帰路につき、村に戻れば修練の日々。
所属した吹奏楽部の引退前には休日に市街地へ繰り出すこともしばしばあったが、山間部の厳しい冬も相まり、友人たちとの交流からも足は遠のいていく。
夜眠れば、夢の中でまで"鵺"と対峙し、幾度となくその身を裂かれ続けた。
「そう思えば、眠るのも億劫になるでしょ?」
自嘲気味な笑みを浮かべる茜音の特徴的な赤い瞳。
生き生きと話していた時には気が付かなかったが、その下にはぼんやりとクマができていた。
「夢の中に勇翔が出てきて、"鵺"をぶった切ったこともあったんだけどね。虫のいい話だって、その時の私は心の中の僅かな希望にすらできなかった」
茜音は勇翔を視界の中心に捉え、ジッと見つめる。
「でも、勇翔は来てくれた。私の決心は何だったんだって思いも当然あったけど、それ以上に嬉しさを、希望を感じることができたよ」
先ほど見せたものとは異なり、茜音は自然な笑みを浮かべる。
口から飛び出したこそばゆい言葉も、どうやら本心から出たもののようだ。
「俺の夢にも茜音は出てきたよ。—―手を差し出して名前を読んだら、驚いて逃げられたけどな」
「何それ」
「まんまだろ」
「......そうだね」
2人は苦笑しあい、薄明かりの中で浮かぶ互いの表情を確認する。
どちらも硬さのない、前年以前の関係性に戻ったと心底思えた。
「大変だったでしょ、これまで」
「あぁ、世界が違いすぎたよ。思うようにいかないし、何度も挫けそうになったさ。マンツーマンでいろいろ教えてくれた先輩にもたくさん相談してな」
「先輩って、涼音?」
茜音はキョトンとした表情で確認を入れ、勇翔は頷いて応える。
「もぅ、この状況で"他のオンナ"の名前を出すとは」
「......すまん」
ふざけて剥れる茜音に、勇翔は佇まいを直す。
「悩んだときに言われたんだ。『高尚なことなんて考えずに、脳裏に浮かんだ女のためだけに力を使う事だけを考えるといいさ』って。確かにゴチャゴチャ考えるよりもただひたすら単純に考えて、だからここまで来られた。茜音の横に立つために」
今伝えられる、素直な気持ち。
それをできる限り、分かりやすい言葉で表現した。
「そっか、頑張ってくれたんだ。......私のために」
茜音は自分で言って照れたのか、プイと視線を背ける。
「心の拠り所があるって、人にちょっとでももたれ掛かれるって、こんなにも素敵なことなんだ」
茜音の細い右腕が、食卓の向かい側から真っすぐ伸び、勇翔の頬に触れる。
「絶対に、失いたくない」
勇翔は茜音の手を取り、やさしく握る。
「傍にいさせてくれ。茜音が倒れそうになったら、俺が支えてやる。俺のできる限りで、お前と歩む未来を掴み取ってやる。そうさせてくれ」
茜音は恥ずかしそうに視線を逸らそうとするが、大きく息を吐きだしてから、再び視線を交錯させる。
「よろしくお願いします」
勇翔は椅子から立ち上がって向かい側に歩み寄り、茜音を抱き寄せ唇を重ねる。
柔らかな感触が、より鋭敏に感じられる。
唇は人で最も優れた皮膚感覚だと、勇翔は体験的にまた一つ賢くなった。
この日の夜のことを、2人は忘れることはないだろう。
互いの存在を心身ともに間近で感じられた経験は、記憶のど真ん中にどうにも忘れようのないものとして、その領域を確保した。
柔らかな朝日が窓から差し込み、閉じた瞼に日差しが当たるのを感じて茜音は眠りの井戸から引き上げられる。
「......おはよう」
隣にいる勇翔は、穏やかな寝顔を見せたまま起きる気配がない。
「ぐっすり眠っちゃって」
勇翔の頬を指先でいじくり、ささやかな悪戯を仕掛ける。
少しなかり寝顔が歪んだものの、眠りから覚める程の刺激にはならなかったようだ。
昨晩(といっても、日付は跨いでいる)の出来事を思い起こす。
勇翔が衣服のポケットから"餞別"なるものを取り出そうとした時、何かを察した自身は不要であると甘く囁いたことを皮切りに、色々とやらかしたような記憶が呼び起こされる。
まだ寝起きでんやりと働かない頭脳でも、恥ずかしくて仕方がない。
「ちょっと"まずかった"か――まずった?」
壁に掛けられたカレンダーを確認した直後、その行動をした自分に素直な驚きを感じ、細かいことを気にしても仕方がないと首を大きく横に振る。
「そうか、私はこれからも絶対に生き続けたいって、自然に思えているんだ」
この1年の日々を振り返れば未来のことなど考えている余裕はまるでなかったが、眼前の幼馴染は過去を共有し、これから歩む日々に希望をもたらした存在となった。
「ありがとう」
当人が起きていないのは残念だったが、茜音は心の底から言葉を伝えることができた。
「まったく、悩みなんてなさそうな寝顔だこと」
幸せそうに眠る口を塞いでやろうと企て、ゆっくりと姿勢を屈ませる。
眼前に勇翔が近付くにつれ、距離と反比例するかのように鼓動が加速する。
「兄ちゃん、朝だよー、起きろー!っていうか、茜音ちゃん知らない――?」
陽咲が乱雑に扉を開け、朝から賑やかな声を出す。
茜音の臨界に達しようとしていたエンジンに衝撃が走り、それは正しく文字通り心臓が止まりそうな程だった。
「あっ......」
慌てて起き上がり、出入口に立つ陽咲と目が合う。
茜音は滝のように汗が吹き出すのを感じつつ、陽咲の目線が自身の顔でなく、全身に注がれていないことに気が付く。
「な、ナイスバディ......」
陽咲の言葉と羨望の視線を受けて初めて、自分が"肌着すら着ていない"状態であったことを思い出す。
彼女が扉を開いた直後に飛び込んできた光景は、見ようによっては今にも"痴女"が実兄に襲い掛かろうとしている様子に捉えられてもおかしくはない。
「ごゆっくり、"お義姉ちゃん"!」
陽咲が満面の笑みで扉を閉め、声にならない歓声を上げながら階段を駆け降りていく様子が音で伝わってくる。
茜音はすぐにでも追いかけて多少なりとも釈明したいところだったが、一糸まとわぬ現状がそれを許さなかった。
「――幸せそうに眠りやがって」
それなりの騒ぎがすぐ傍で起こったにも関わらず、熟睡する勇翔が恨めしい。
茜音はこの先に待ち受ける追及にどう言い訳するか一通り悩んだ後、腹いせに勇翔の額へ思いっ切りデコピンをかました。
時間は常に一定のリズムを刻みながら進む。
地球上に存在し続ける限り、即ちそれは宇宙空間に飛び出して高速移動でもしない限り、不変とされている。
一方、個々人の感じる時間の長短は、記憶年数の割り算により左右されるという。
1年を振り返った時、経験した時間が10年と20年の人生では、分母の値が大きく異なり、それ即ち感覚的な時間の長短となるそうだ。
丙午を迎えるまでの僅かな時間、勇翔と茜音はほとんどの時間を共に過ごした。
もちろん、同年代の男女が今まさに過ごしているような華やかな時間とは、明らかにかけ離れていることは確かだろう。
ある時は共に修練を積むべく刃を交え、ある時は打合せで紛糾することもあり、ある時は持ち寄った楽器で馴染みの"名無し"を奏でた。
運命の時は迫り、スケジュールは分刻みの過密さと言っていい。
それでも、休憩中の何気ない時間や食事時間など、限られた中でも1秒たりとも無駄にする訳にはいかなかった。
たとえ、どんな事態に見舞われたとしても。
たとえ、どんな最後を迎えたとしても。
決して後悔しないために。
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