第1話 第一の故郷へ 1
都心から新幹線で1時間半強、そこから在来線に乗り換えて約30分、そこから山岳鉄道に乗り換えて更に30分の山岳地帯に位置する、人口が400人にも満たない小さな村。
二神勇翔はまるで異世界とでも言えるかつての故郷を夏休みの時期に決まって家族で訪れており、この夏も例年通りの旅路を経て最後の中継点に到着すると、そこには毎夏の通り、幼馴染の焔室茜音が待ち構えていた。
勇翔は変わらぬ様子に安堵しつつも、変化を求めてある決意を秘めていた。
第1話 第一の故郷へ 1
短い列車から眺める車窓は、毎年夏の恒例となっている。
その都度、常に新しい表情を見せる景色に飽きを感じることはなく、訪れる度に自然と新鮮な気持ちになる。
「兄ちゃん、どうしたの?」
少し表情が緩んでいただろうか。
妹から名前を呼び掛けられた青年ー二神勇翔ーは、慌てて気持ちを引き締め直す。
「いや、何でもない」
勇翔は淡白な返事を返すと、旧型車両に特有の錆びて滑りの悪くなった下段の窓を開け、清々しい風を車内に迎え入れる。
彼と彼の家族が向かう目的地は、都心から新幹線で1時間半強、そこから在来線に乗り換えて約30分、そこから山岳鉄道に乗り換えて更に30分の場所―紅葉村―である。
紅葉村は人口が400人にも満たない小さな村で、長野県北部の山岳地帯に位置する。
麓と繋がる県道は非常に遠回り、かつ整備が行き届いているとはお世辞にも言えない狭隘な悪路であり、人の往来や物流は事実上の"村民専用鉄道"—村営紅葉山岳鐡道―に依存している。
外界とは隔絶された所謂"秘境"は勇翔にとって幼少期を過ごした故郷であり、父親の仕事の都合で首都圏に引っ越して以降も、毎年のお盆休みの時期に決まって訪れる避暑地となっていた。
仕事の忙しい"シングルファザー"、加えて祖父母も最寄り駅から電車で3駅の場所に住んでいることもあり、物心ついて以降、家族で遠出する機会はこの秘境旅しか思い当たるものはない。
「まもなく"赤見坂駅"に到着いたします。降車予定のお客様は、お支度をしてお待ち下さい」
駅名の元となった"赤見坂"の地名は仰ぎ見る山々に落葉広葉樹の一種であるカエデ、ヤマザクラ、ナナカマド、ミズキといった落葉前に葉を鮮やかな赤色に変化させる木々が群生しており、古くはかの有名な偉人もその景色を詩に詠んだと言われる程で、秋口には紅葉を楽しむ観光客で賑わいを見せる。
とは言え、勇翔が訪れるタイミングは全くもって"季節外れ"であり、過疎の進む田舎町の駅では日常的な乗降客は限られる。
「兄ちゃんさ、連絡きてる?」
「確認してみる」
2歳年下の妹ー陽咲ーがスマートフォンを操作し、紅葉村に住む幼馴染からのメッセージが届いていないか確認するが、表情から察する限り、どうやらまだ連絡がないらしい。
「アナログ派だからなぁ」
陽咲は画面を眺めながらボヤく。
人口の少ない田舎では全員が顔見知りのようなものであり、高校入学までコミュニケーションを高性能な通信機器に頼る必要がなかったために操作は不得手、更には当人のアバウトな性格も相まりメッセージを送ったとしても返信は実に遅い。
ポケットから自身のスマートフォンを取り出し、特に期待を込めることなくメッセージアプリを確認すると、幼馴染の名前が新着メッセージとして一番上に表示されていた。
―焔室 茜音―
1憶を超える人々の住まうこの国において、ただ1名のみ名乗ることを許された奇姓を持つ少女からはただ一言「赤見坂で待つ、覚悟せよ」とだけ記されていた。
「......何をだよ」
「ん、どうしたの?」
「あぁ、俺の方にメッセージが入っていたわ。"赤見坂で待つ、覚悟せよ"だってさ」
「......何を?」
「さぁな」
勇翔は自然に緩んだ表情を見られないように窓の外に目線を移す。
人口が少なく、同世代のいない幼少期を過ごした勇翔にとって、物心がつく前から互いが互いに唯一の遊び相手であった。
生まれながらのマシュマロのような白い肌と真珠のように輝く美しい白髪、加えて朝焼けのように希望に溢れた紅い瞳が特徴的な少女とは、遠く離れた土地で過ごすようになって以降も文通などで交流を途切れることなく続け、性別を越えた友情を育んでいた。
「で、兄ちゃん。今年こそビシッと決めるんだよね?」
「......うるさい」
最も、少なくとも片方は友情の先へと進めたい想いがあるようだが、発することができるか、発することに成功しても受け入れられるか、答えなど知る由もない。
「これまでの茜音ちゃんを見る限り、いけると思うんだけどな~」
兄を茶化しにかかる妹を無視し、車窓に再び目を向ける。
まるで見計らっていたとでもいうタイミングで電車は駅直前のトンネル区間に入り、車窓は漆黒に染まる。
あたかも"一寸先は闇"とでも言われているようで、勇翔は溜め息が漏れそうになった。
電車はトンネルを抜けてすぐに減速をはじめて暫くすると、利用客数にはまるで見合わない大きな構内を持つ駅に到着する。
勇翔らの乗った2輌編成の電車が長いホームに踊り込み、肩身を狭そうに中央部へちょこんと停車した。
「あっ!」
荷物をまとめてホームに降り立つと、陽咲が歓声を上げて駆けて行く。
「茜音ちゃんいたよ、兄ちゃん!」
勇翔が妹の進む先を見遣ると、誰もいないホームにポツンと立つ少女に目が止まる。
麦わら帽子を被って大きな日傘を畳んだ状態で片手に持ち、ノースリーブの白いワンピースからは、服と殆ど変わらない白い腕が露わになっていた。
「久し振り。......と言っても、今年は春以来だから5ヶ月ぶりだね、勇翔」
妹を伴って歩み寄る少女の聞き心地の良いハキハキとした声が、勇翔の鼓膜を小気味良く刺激する。
身体と服装の特徴に加え、麦わら帽子の左右両側にアクセントとして装飾された緑色の羽も相まり、その姿はさながら季節外れの"雪うさぎ"のようだった。
「久し振りだな、茜音」
勇翔に返答した"雪うさぎ"こそ「焔室茜音」その人。
微笑みかける幼馴染の少女と過ごす今年の夏休みがこれからの人生を大きく変えることになるなど、白球を追い掛け続けた日々に別れを告げたばかりの勇翔が考える余地など無かった。
紅葉村は休火山に分類される迦具山の中腹、かつての噴火により流出した溶岩と山体崩壊による土砂によって河川が塞き止められて成立した堰止湖の畔に位置し、近代に至るまで外界とは積極的な接触がなく現在でも古くからの慣習が色濃く残り、迦具山をご神体とした山岳信仰はその代表格と言える。
村民は2つの集落―「火室」と「水鏡」―で生活し、火室地区に人口の8割が集中しており、外界との実質的な玄関口となっている紅葉村駅を始め行政機関や学校など村の主だった公共施設の全てが設置されている。
中でも、集落の最奥に鎮座する"焔室神社"が信仰の中心であり、村の行政は現在に至っても宮司の影響力は絶大であり、事実として歴代の村長だけでなく、紅葉山岳鐡道を始めとした村営事業の運営責任者も焔室家に連なる者が務め続けている。
「そういえば、また身長伸びた?」
それら実質的に村の全てを統括する宮司にして当代の焔室家当主は、字面からにじみ出る威厳などまるで感じさせることなく、勇翔と自身の頭頂部へ愛用のミサンガ3本―赤、橙、水色の三色―を付けた左手を交互に動かし、背比べを始めていた。
なお、本来は神職としての国家資格を得られる年齢ではないが、焔室神社が閉鎖環境で長く歴史を重ね、且つ神社本庁の包括下にないことから、世間で一般的でない"人事"が成立している。
「身長?」
「そ、身長。直接会えるのは大抵一年経ってからだし、"あれー、こんなに大きかったっけかなー?"って思っちゃうんだ。今回ばかりは5か月振りだけど、やっぱり大きくなったような気がするんだ。もしかして、私が縮んだ?」
「まだ婆さんになるには早すぎるだろ」
質問の主である少女は勇翔の背後に回り込むと、背中合わせになる。
「この村にいた時は私の方が大きかった時もあったのに......。あーもー、男の子だなぁー」
「いつの話をしているんだよ」
茜音が何かを言っているようだったが、勇翔は背中合わせの状態で彼女に自分の心臓の鼓動が伝わらないかが心配で仕方がなく、気の利いた返答ができないでいた。
「確か、去年から1cmは伸びたかな」
一刻も早く"触れ合い状態"を解消したかった勇翔は、茜音が正面になるように向き直すし、わざとらしく胸を張る。
「何だよ、嫌味かよー」
拗ねたような声を出し、茜音は口を尖らせる。
「私なんて中2から伸びてないんだよ!」
彼女の身長は160cmちょっとだから、女子としては平均身長から少し高いくらいだろう。
「2人とも、仲が良いのは微笑ましくていいんだが、あんまりノンビリしていると列車が出発する時間になってしまうよ」
「あぁ、ごめん」
「おじ様、お久しぶりです」
苦笑を浮かべる父―壱成―に諭されると、勇翔は足元に降ろしていた荷物を背負い、茜音はペコリと頭を下げる。
紅葉村にいた頃から家族ぐるみの付き合いで、父親としても茜音は身近な存在である。
「兄ちゃん、シャキッとしてよね。サポートしたくてもできないよー」
「うるせぇ」
脇から小声で揶揄う陽咲は自身の荷物をさりげなく勇翔に手渡すと、先導するように先を進む茜音をスキップで追いかける。
いつからか仄かに抱き続けていた茜音への恋心をこの夏に告げるべく、勇翔が湯を湧かしそうなほど顔を真っ赤にして陽咲に協力を求めると、彼女は小一時間ほど笑いこけてから申し出を了承した。
「気付いていないと思っていたの?バレッバレだよ!!」
以降、事あるごとにぞんざいな扱いを受ける羽目になったことから、勇翔は若干の後悔を滲ませていた。
「こんなんで大丈夫なんだろうか......」
「ほら、早く乗って!そろそろ列車を"出しちゃうよ"!」
出発を間近に控えた列車から茜音が身を乗り出し、大きく手を振っている。
紅葉村の村民は列車のダイヤを漏らさず把握しており、麓での用事がある場合、村に戻る列車を待たせることはない。
一般客など滅多にいないため、周囲を見渡して"茜音の見知った顔がいなければ"、定刻より前で無ければ限りいつでも出発できる。
「分かってる!」
時計を確認すると、定時を2分程過ぎていた。
世間一般ではあり得ないことだが、今この瞬間は茜音の意志が信号機となっている。
「いいよー」
勇翔は荷物を抱え小走りで列車に乗り込むと、茜音が運転手に合図を出す。
空気圧で乗降扉が閉まると、ロートル車の短い車列はゆっくりと動き出した。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
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