第9話 再会の時 2
陰陽局が宿泊する、静かな紅葉村で最も寂れた地区に、轟音が鳴り響く。
舞い上がった土煙が晴れると、轟音の発信源には焔室茜音が立っていた。
茜音は五味と対峙し、陰陽局が紅葉村から即刻退去するよう求める。
その最中、茜音の視線が、自身を"焔室茜音"と認識している勇翔の視線と交錯してしまう。
第9話 再会の時2
静かな村の、特に寂れた地区に突如として鳴り響いた爆音、そして舞い上がる土煙。
それらが拡散しきると、発信源に立つ年若い女性は右手からどこからともなく炎を発現させると、その焔を即座に圧縮し、漆黒の段平を形成する。
虚ろな瞳から送られる視線同様、切っ先は眼前に立つ五味へと向けられ、どう見ても友好的な挨拶をできる状況ではなかった。
「随分な挨拶方法じゃないか。寝起きドッキリにしても、質が悪い」
「あなたたちが村に入ったことも昨日の夜の段階で分かっていた。責任者と話したくても、こう数が多いのでは見つけ出すのも厄介だし、衆目の中で私の考えを伝える必要があった」
「なるほどね、問題解決に来た集団の宿泊所周辺で騒ぎの元を作れば、その連中が集まる......考えたな。そちらの希望としても対話が必要という認識で間違いないかな?まずは、刃を降ろしてもらえると、心休まるんだがな」
五味は短く嘆息して両手を上げる
「話すも何も、私の要件は済んでいる」
一方の茜音はまるで応える気などないとでも言うかのように、姿勢を寸分たりとも変えなかった。
「なら、こちらが話しても問題ないな」
五味は両手を上げたまま前へ一歩出ようとするが、茜音が刀を持つ力を強めるのを確認し、踏み出した右足を元の位置に戻す。
「陰陽局の立場として、事象に対して再三に渡る申入書への明確な回答を得られず、かつ現地での対応のみでは不十分と判断される状況ならば、管轄する公的機関として強制的な介入に踏み切るのも無理はないだろう。申入書にも、強制介入の可能性については、その旨を記載してあったと思うが」
「それは私も認識しています。あなたたちがそう判断したからこそ、紅葉村に来たのだろうとも認識している」
「なら――」
「だが、来たところで何ができるというのか」
まるで苦虫を嚙み潰したような表情で、茜音は言葉を吐き捨てる。
「そのような気遣いは不必要……いえ、"おせっかい"だと申し上げている」
「"おせっかい"で結構だ。それが公僕として、そして私個人としての役目だ」
五味の表情が一時、緩んだように勇翔には感じられた。
集団を束ねる責任者から、まるで駄々をこねる子どもを見守る親のように。
「……申入れには心より感謝する。だが、これは村の総意です。お引取り願いたい」
茜音は多少なりとムキになりつつ、村を実質束ねる長としての威厳を残しながら、慇懃無礼な態度をいくらか和らげる。
「村の総意、ね」
側から見れば、むしろ五味の態度の方が大人気ないと言えるのではないか。
「なら、水鏡は何故、我々を受け入れたのでしょうな?」
五味は悪戯な笑みを浮かべ、あえて挑発するような物言いをする。
これではどちらが悪役か分からないではないか。
「……っ!」
茜音から非難の視線が舞莉の両親へと向けられるが、2人は気まずさから視線を逸らす—―ような真似はしなかった。
「裏切りは水鏡の血なんですね。裏手から余所者を招き入れるだなんて、村の伝承を私の代で再現されるとは思いもしませんでしたよ」
茜音は精一杯の嫌味を吐くが、水鏡夫妻が動じることは無い。
「茜音ちゃん、1人で背負う必要なんてない。口には出さないだけで、みんな君を支えたいんだ」
「必要がないと言っています!」
茜音は声を張り上げ、段平を構えなおす。
「いいでしょう、引かないと言うならば実力で排除します。この1年、全てを捨てて修練を積んできた証をお見せします」
「やってみるといい」
五味の返答を合図に茜音は駆け出す。
低い姿勢で進む彼女に対し、五味まるで防御するつもりがないようだった。
振りかざされた段平は五味に触れる寸前で止まり、茜音は苦渋の、五味は余裕の表情を浮かべる。
「どうした、排除しないのか」
「――何故、防御姿勢をとらない?」
「子どもの我が儘を受け入れるのも親の勤めだ。もっとも、君に親らしいことなど1つもできていないがな」
「……あなたが私の親だったのは、母が死んだ時までです」
2人の会話を聞いて、勇翔は合点がいく。
五味と交流する中で時折、親しい者の雰囲気を感じる機会があった。
男女と世代の差こそあれど、血の繋がりがあると言うならばそれも納得できる。
「そうだな。真昼を失った俺はお前とこの村から逃げた。失う恐怖に耐えられなかった事実を否定しない。こうして後ろ盾がないことには足を踏み入れることすらできないことが、親として情けないことを百も承知しているが、事は1人の我が儘だけで済ませられる話ではないのも分かっているのだろう。どうなろうとも、せめて事の顛末を我々にも一緒に見届けさせて欲しい」
茜音は五味から視線を外し、刀を降ろす。
特に意味もないだろうが、逡巡するかのように自身を取り囲む局員に送る視線には、確かに感情の揺らぎが見られた。
「――っ!?」
そして勇翔は、その揺らぎが困惑を経て怒りに変わる瞬間を見逃さなかった。
二神勇翔と焔室茜音の視線が間違いなく"交錯"した。
茜音は切り捨てた想い人から"焔室茜音"だと認識されていることを感じ取ると、瞬間的に拳を握り締め、五味を文字通り殴り飛ばす。
華奢な身体からは想像のつかない破壊力に、取り囲んだ面々が思わずどよめいた。
怒りに満ちた表情のまま無言で段平を振り上げる茜音に対し、五味は無防備な姿を曝したままだった。
先ほどまでの"どうせ振り切ることはできない"という余裕はなく、むしろ"何をされても全て受け入れる"といった様子だった。
「くそっ!」
その状況を見て、勇翔のとった行動は単純だった。
何らかの術式で強化された膂力を抑えることは難しいだろうから、迎え撃つしかない。
馬鹿の一つ覚えで習得した歩法で地面を蹴り、出来得る限り最大の力を圧縮した黒刀を形成しながら2人の間に割り込む。
振り下ろされた茜音の段平と迎え撃つ勇翔の黒刀がぶつかり合い、ジリジリと音を立てる。
「久し振りだな、茜音」
「――っ!」
互いの表情が間近で確認できる距離にまで近付いたことで、2人は間違いなく再会した。
膠着状態を打破すべく、茜音は一旦距離をとる。
もちろん次の一手に行動を移すためだが、自身の動揺を抑える側面もあった。
「私の"朧"が破られるなんて、陰陽局にそれほどの術者がいたってこと?それにしても、反射的に力を緩めたとはいえ、勇翔が受け止められるなんて」
「(あれで力を緩めていたのか...)」
茜音の漏れ出た心の声を聞きながら、勇翔は震える両腕を見て苦笑いする。
見た目からは想像もつかない一撃を受けた両手両腕はまるで力が入らず、とても二撃目には耐えられそうもない。
そもそも、立っているのもやっとといった程に力を使ってしまったようだ。
なまじ冷静さを取り戻しつつある茜音が更なる暴挙にでることはないだろうが、万が一が発生したらどのように対処しようか。
「私が誰だか、認識できているんだよね?」
茜音からの質問に、勇翔は首を縦に振って応える。
「この村のことは?」
「全て思い出した」
「――っ!」
茜音は非難の視線を五味に送り、五味はそれを甘んじて受け入れる。
「何で来たの」
「一緒に戦うためだ」
「頼んでないし、ぽっと出で戦える訳がない」
「理解している。現に、さっきのでもう限界近いし」
「分かっているなら、今すぐに帰って!」
「断る」
「何でっ!」
矢継ぎ早のやり取りを経て、2人は黙り込む。
「私は勇翔に、今の世界で生きる日々を続けて欲しかった。この"村"に生まれた"運命"に縛られず、自由に生きて欲しかった」
先に想いを吐露したのは、茜音だった。
内側に閉じ込めていた感情が、涙に姿を変えてボロボロと溢れて来る。
「ありがとう、そして、ごめん。俺がここに来たのは、俺の想いが変わらないからだ。事実を知った上で見て見ぬふりをすることだって当然できた。それでも、俺は茜音の隣に立っていたい、一緒にいたい思いが上回ったんだ」
勇翔の言葉は、確かに茜音の耳へ届いていた。
「わからない」
茜音は呟くように、弱々しい言葉を出す。
「わからない」
右手に持つ段平に力が入り、黒い刀身から炎が溢れ出る。
「分からない!」
小さな子供が駄々をこねるように茜音が段平を大きく振るうと、火焔をまとった斬撃が勇翔めがけて真っすぐに飛ばされる。
「(かわせない)」
勇翔は瞬時に迎撃の姿勢をとる。
残っている全ての力をぶつければ、何とかなるかもしれない。
短期間ながら身に着けた全ての力を黒刀に集中させ、タイミングを合わせて斬撃にぶつける。
斬撃は炎となってその場に広がり、その場の酸素を消費しつくして霧散する。
外環境でなければ、低酸素状態になりかねない状況だった。
「あっぶねぇな!」
「ご、ごめん!」
勇翔の抗議に、茜音は思わず素直に返答する。
強がりこそ見せていたものの、やはり地は素直な性格は変わっていないようだ。
「......おっつ」
力を本格的に使い果たしたのか、足元が覚束ない。
地面へ崩れ落ちそうになる勇翔の身体を、茜音が抱きしめるように支える。
「ありがとう」
勇翔の謝意に、茜音は別の返答をする。
「――ここにいれば、死ぬかもしれない」
茜音は勇翔の身体に顔を埋め、表情を見せようとしない。
「どんなことがあっても、最後まで足掻いてみせるさ」
「......どうして?」
「それが俺の意志だからさ。自分がしたいことを、やり通したい」
「そんな子供じみた理由で——」
「そうかでもないさ。それに成人にはなったけど、まだ大人になれたつもりはない」
「......堂々と言える台詞なの、それ?」
「言えるさ!」
勇翔は精一杯の力で茜音の華奢な身体を抱きしめると、「ひゃい」と小さな声が漏れだした。
「都合の悪いことから目を逸らすのは大人のやることだろう。俺もお前も、自分の想いに素直に従うあたり、まだまだ子供だよ。それに、俺はこれを我が儘と言われたっていいさ。子供っぽく存分に我が儘を突き通して、自分が欲しいものを勝ち取ってから大人になってやる!」
勇翔は茜音に言葉を発するタイミングを与えず、勢い任せに言い放つ。
「俺は茜音がさっき言った『運命』ってやつから、お前を勝ち取ってみせる!」
「え、な、えぇ!?」
衆人環視のもと、どこから見てもプロポーズとしか思えない台詞を受け、茜音の顔が真っ赤に染まる。
緊迫さが緩み、どちらかといえば微笑ましい雰囲気が場を包む。
「体勢こそ情けないが、状況を鑑みればよくやった!パパはOKだぞ!」
「うるさい!」
父に茶化され怒る娘。
険しい様子で塗り固められた化けの皮はとうに剥がれ、茜音の雰囲気はすっかり元通りになっていた。
一連の騒ぎに蹴りが付いたという段階で、広場に気の抜けた声が明瞭に通り抜ける。
「いやー、お見事お見事。あの混乱を和やかに収めるとはねぇ~。弟子の成長ぶりに涙がちょちょぎれますな。もっとも、力配分にまだまだ課題があるね。まぁ、けっこう、けっこう」
取り囲む局員の輪を抜けると、身なりをそれなりに整えた舞莉が拍手をしながら近付いて来る。
「遅くないですか?」
「めんごめんご」
思えば、この場に重要な役割を果たすべき役者が1名足りなかった。
「――えっ」
そんな彼女を勇翔は苦笑しつつ呆れ顔で、茜音は驚愕の表情で迎える。
「海美ちゃん...?」
「そうでないことは、君が一番よく分かっているハズだよ。私はその妹の方さ」
かつてこの村で時間を共有した幼馴染3人が揃う。
茜音の自然な反応を見る限り、現れた舞莉の姿はやはり年の離れた姉の姿に酷似しているようだ。
「こうやって私たちが顔を合わせるのも十数年振り、ずいぶんと久し振りだね」
「急にいなくなって、本当によかっ――あれ?」
茜音は舞莉の姿を見て感極まる――直前で何かに気が付く。
「どうして、どうして私は、あなただと認識できるのに、あなたの下の名前が分からないの?」
茜音は舞莉の肩を掴んで揺らす。
「今は"舞莉"ということになっているから、そういうことにしてくれ。私の名前が分からないこと、茜音なら察しがつくだろ?」
茜音は小さく首を縦に振り、勇翔は溜め息を漏らす。
「朧......それも極めて限定的な範囲に作用するものね。いつから?」
「やっぱり、まだ完全には解いていないんですね」
「君は気付いていたようだね」
「TPOは大事だからね」
舞莉は茜音へと向き直し、頭を下げる。
「謝罪する。君が怒りをぶつけるべきなのは君の父親でも私の両親でもなく、全て私であるべきだ」
「――え?」
舞莉は姿勢を崩すことなく、言葉を続ける。
「まず、君に"朧"の術式をかけているのは察しの通りで私だ。"いつから"という質問には、私が紅葉村を離れる直前からと返答しておこう。次に"鵺"に対する戦力として組み込むため、茜音がかけた勇翔と陽咲の"朧"を解術するよう提案し、実行したのも私。その後の修練を担当したのも私だし、"鵺"への対処を強行するよう求めたのも私、陰陽局を水鏡地区から紅葉村へ迎え入れたのも私の入れ知恵だ」
茜音が段平を持つ右手へ僅かに力を込める。
舞莉はそれを確認して身体を起こすと、小さく深呼吸する。
「全ての咎は、水鏡の力で見た未来を実現するために村を捨て、君の想いを土足で踏みにじった私が負うべきだ。煮るなり焼くなり、好きにしてくれていい」
茜音は大きく深呼吸すると、勇翔を開放して舞莉へ向き直す。
「おっ、ちょっ!」
力を使い果たしていた勇翔は当然のように、その場に力なく倒れこんだ。
「水鏡でも高位の実力者のみが使用できるという、未来視の力だね」
舞莉は頷いて肯定する。
「ほとんどそれしかできないけどね。あの日、お姉ちゃんやおばさんたちが倒れ、全ての咎を受け入れると決めた日から、私はそれに従って生きてきた」
舞莉は語り始める。
普段、飄々とした様子の彼女が神妙な面持ちで語ったのは、孤独に過ごした贖罪の日々だった。
Pixiv様にも投稿させていただいております。
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