第9話 再会の時 1
大学入学後も学業と修練に勤しみ、時間はあっという間に過ぎていく。
前期試験の最終日、試験終了と同時に勇翔は帰宅することなく、一路紅葉村を目指す。
約1年、連絡を取ることを許されない想い人は、いまどうしているだろうか。
再会したとして、いったいどんな表情で、どんな言葉をかければいいのか。
道中で答えのない押し問答を繰り返しているうちに、一行は紅葉村へと到着する。
第9話 再会の時 1
1年前の自分は、1年後の自分がどのような姿になっていると想像していただろう。
無事に志望校へ合格しており、専門性の高い勉学に勤しみつつサークル活動では引き続き野球を気楽に楽しむか、他の競技に浮気するか、はたまた全く異なるジャンルに飛び込んでいるか。
アルバイトはどうだろう。
思い浮かべる「彼女」に会うためと懐を豊かにし、時間を見つけては学割と鈍行列車を使ってかつての故郷を訪れ、想い人との逢瀬を楽しんでいるだろうか。
実際は不鮮明な未来のことよりも、直前に控えた夏の県大会でベストを尽くす算段ばかりを立てていたような気もするが、それでも良く言えば想像できる範囲で、悪く言えば妄想の域で自身の将来に想いを馳せなかった訳ではない。
青春真っ盛りのスポーツマンだからといって、甘酸っぱさを求めていけない決まりは無いし、むしろそれが活力に繋がることだってある。
現に「いい所を見せよう」と眠っている力を無意識下で開放していたらしく、自身がオスとしての生物学的本能に忠実だったことが恥ずかしながら証明されている。
「よし、試験終了だ」
教壇に立つ教授の声とともに、張り詰めていた空気が弛緩する。
大学院生が務めるティーチングアシスタントが答案用紙を回収し終わると、教室内は喧騒に包まれる。
この日は前期試験の最終、かつ最も受講生の多い(受講が2回目以上の学生もいるため)講義であり、解き放たれた解放感はひと夏の想い出づくりへ、早くも関心を移していた。
「よぉ、二神はこの後、何か予定あるか?前期試験の打ち上げ行こうぜっ!」
「すまん、俺は早々にバイト三昧の夏休みと決めたんだ」
「つまらん奴だなぁ、大学1年生の夏は1度きりなんだぜ?」
「留年したらいくらでも経験できるさ」
「そりゃそうだが、この講義だけは勘弁願いたいね。てか、もっと楽しまなきゃ、彼女1人もゲットできないぞ~」
「あぁ、それもそうだな。バイト先で見つけるよ」
「他大学か、それもアリだな。もしかして、近くの女子大の学生とかもバイト先にいるのか?今度、紹介しろ!」
大学で新しくできた友人を適当にあしらい、教室を後にする。
「バイト先で見つける、か。"見つける"訳じゃなくて"いる"が正しいけど、あながち間違ってはいないか」
「やれやれ、解放感から気が緩んでいるんじゃないかね?」
何の気なしに発した言葉に苦笑していると、目の前にやや呆れた様子の女子大生が勇翔のことを待ち構えていた。
「これからは名物教授の厳しい講義以上の緊張感を持ってもらわないといけないから、気を緩めている余裕なんてないよ」
「分かっていますよ、"水鏡"先輩」
高校のみならず大学―学部学科は異なる―や"職場"でも先輩となった元幼馴染に、勇翔は言葉遣いこそ丁寧語だが砕けた態度を示す。
ただ高校の先輩である"水田舞莉"に接するならば、以前のように運動部ならではの上下関係で接するのだが、元幼馴染としての記憶が戻っただけでなく、この半年間、嫌でも顔を突き合わせていると、先輩後輩としての一定の緊張感など気付いた頃には消え失せてしまっていた。
「あれ、珍しい取り合わせだ」
同窓生で言えばもう1人。
キャンパスだけでなく、勇翔とは学部学科を同じくする桐生琴音が同じ試験会場から出てきて、顔見知りの2人に近付いて来る。
「バイト先が同じだけじゃなくて、今日はシフトも一緒なんだ。私も最後の試験がついさっき終わったから、折角だし一緒に行こうと思ってな」
「2人って、野球部の頃からそんな仲良しでしたっけ?まぁ、バッテリー練習で組んでるのは時折見ましたけど」
舞莉は野球部で捕手を務めており、投手としての練習に取り組む勇翔のパートナー役を務めることもしばしばあった。
「まぁ、我らが老夫婦と比べれば大した仲じゃないけどね。そういう琴音は、テスト明けの解放感をどこに持って行くんだ?」
「私もバイトしながらですけど、サークル活動ですかね」
琴音は大学入学後、吹奏楽サークルではなく別の音楽ジャンルの世界に飛び込んでいた。
「箏だっけ?」
「そうだよ。漢字は違うけど自分の名前にも入っているし、一度やってみたかったんだ」
箏は木製の大きな胴体に13本の絃が強く張られ、柱と呼ばれる凡そ三角形の支柱で絃の振幅を調整して音階を作り出す、日本の伝統楽器の1種である。
「吹奏楽部では大人数の中の一人だったけど、箏の世界ではいつもアンコンみたいに少人数で舞台に上がるから、ただ音楽ジャンルが違うだけじゃない刺激があって新鮮なんだ。夏休みの終わりの方に合宿もあるんだけど、今から楽しみ」
「熱中できるものを見つけたのは素晴らしいことじゃないか。ただ、たまには”元相棒”も構ってやらないと」
「え?」
「わざわざ親にねだって買ってもらったんだろ?フルートから嫉妬の感情を向けられても知らないよ」
嬉々として語る後輩へ、舞莉は吹奏楽部の先輩としてそれっぽく揶揄う。
「あー、それもそうですね......折角だから、合宿にも持って行こうかな」
「そうするといいさ。何も放っておくことはない、どんな経験だって活きないことはないんだからさ」
「そうします。それじゃ、私はサークル棟に行きますね。二神くんも、またね!」
「あぁ、また」
正しく"ワクワク"とした感情を背中から醸し出しながら、琴音の姿はキャンパス正門と反対側にあるサークル棟へと消えていく。
「それじゃ、私たちも行こうか」
「――はい」
日常との別れ。
勇翔は本来迎えたであろう生活に背を向け、自ら茨の道へと足を踏み出した。
バイト先。
勇翔と舞莉が琴音に対してそう表現した宮内庁陰陽局の正面玄関前には、複数の中型トラックが荷台を満載にした状態で車列を組み、待ち構えていた。
「遅かったな」
五味は2人の姿を認めると、開口一番に嫌味を漏らす。
荷物を積込む労が原因だろうが、言葉のトゲほど悪意は含まれていなかった。
「時間内です。それに、これでも最速ですよ」
「大学のテストだったら、解答終了した段階で抜け出せるだろ」
「見直しと振り返りは重要です。ケアレスミス1つが大きく響くことだってあるでしょう」
「そりゃそうだな」
五味は大きく伸びをすると、最前列に位置するマイクロバスを指さす。
「お前らの荷物も積込み済みだ。準備は整っているから、出発しよう」
「やれやれ、お花ぐらい摘ませて欲しいものだね」
舞莉はわざとらしく肩をすくめ、陰陽局の中へと入っていく。
それ程の時間を要さずに戻ってきた彼女が乗り込むと、五味の合図とともに車列は本拠地を後にした。
陰陽局の車列は関越自動車道を進み、藤岡ジャンクションから上信越自動車道へと入る。
マイクロバス2台と中型トラック4台が走行車線を悠然と走る姿は自衛隊ほどの威容こそないものの、同一組織であることの規律性を周囲に醸し出していた。
一行は途中のSAで適宜休憩を取りながら北上する。
長時間の運転を要する場合は4時間ごとに合計40分以上の休憩を取る運転計画の作成が求められており、公官庁の一組織としては律義以上に遵守する必要があるのだろう。
道中の過ごし方は人それぞれ。
資料を入念にチェックする者もいれば、気晴らしの雑談に華を咲かせる者、熟睡する者、ほとんど何も考えずに外を眺めている者。
「(普段は新幹線を使うから、少し新鮮だな)」
勇翔は間違いなく最後の類いに含まれるだろう。
鉄路での移動ならば見ることのない、または瞬間的に過ぎ去ってしまう風景は、踊らない程度に勇翔の気分を高揚させた。
車列は最寄りのインターチェンジで下道に降り、一路紅葉村を目指す。
普段ならば間違いなく山岳鉄道で向かう道のりだが、一行は整備の行き届いていない山道を進み、水鏡地区から紅葉村に入る予定となっている。
これは機材搬入の便による部分も大きいが、第一に焔室茜音に申し入れを棄却されたことがネックとなり、焔室の息のかかった山岳鉄道の活用が憚られたことに起因する。
勇翔は茜音による申し入れ拒否に当初驚きこそしたものの、同時に納得もする。
決心もさることながら、他を巻き込まず内々で処理すべきという覚悟に、自身を紅葉村から遠ざけた彼女の想いを強く感じていた。
「(ならば、今の自分の行動はあいつの想いを踏みにじるものではないか)」
乗りなれたローカル線の車両が進む様子を眺めながら、勇翔は茜音の姿を脳裏に浮かべる。
彼女は今、どうしているだろうか。
記憶を封印されている"てい"を取らねばならず、茜音と連絡を取ることは当然できない。
再会した時、自分はどんな表情を見せるべきか、そしてどんな表情を向けられるのか。
逡巡する勇翔をよそに、車列はほとんど利用されていない紅葉村への山道へと入っていった。
紅葉村に住む、あるいは訪問する人々がどうして山岳鉄道を優先して利用するのか、まざまざと感じさせられた1時間だった。
国道として登録されているものの道路状況の極めて悪い道を"酷道"と表記するならば、一応は県道として登録されているこの山道は"険道"と記せば正しく表現できていると言えるのではないだろうか。
「おしりいたい」
部活動を"一身上の都合"により休部し、部活顧問から本気の涙を流された陽咲が、座席と大臀部の間に手を挟みながら溜め息をつく。
舗装こそされているものの整備の怠った路面は凹凸や陥没がそこかしこに存在し、山道に突入した途端に身体は上下左右に大きく振られるなど、乗り心地は劣悪と化した。
夏とはいえ薄暗い視界の中、一部崩落した法面に細心の注意を払いながらも中型車で登坂を完遂した運転手たちも、どこかぐったりとした様子に見える。
「......皆様、ようこそお越しくださいました」
そんな一同を迎え入れたのは、勇翔や茜音が幼少期に時間を共に過ごした水鏡海美の両親であった。
紅葉村の一員であり、同時に焔室神社に類さない唯一の立場は健在であり、茜音が申し入れ拒否をする以前より五味はコンタクトを取っていた。
「ただいま」
珍しいことに、やや緊張気味な様子で舞莉が顔を出す。
詳しくは聞かなかったものの、舞莉は小学生の高学年からは陰陽局職員を"叔父"と偽って村を離れている。
それ以来、特に実家へ連絡を入れることなく大学生にまでなってしまっており、申し訳なさからか「顔を合わせるのが気まずい」としきりにぼやいていた。
「――舞莉かい?」
舞莉の顔を見た途端、水鏡の両親は大きく目を見開き、安堵の表情を見せる。
「うん」
「お姉ちゃんそっくりになって...」
母に抱き寄せられた舞莉はどこか恥ずかしそうな雰囲気を見せつつ、年老いた両親の感触に頬を緩めていた。
両親は愛娘の感触に名残惜しさを覚えつつも、自身の役目を果たすべく五味に向き直る。
「改めまして、遠路ご苦労様です。現水鏡家当主として、皆様を歓迎いたします」
「ありがとうございます」
陰陽局を代表して五味が返礼する。
飄々とした面が目立っているが、局員を束ねる立場としての姿は正しく様になっていた。
「古びてはおりますが、空き家を整備して仮宿舎とできるようにしております。ご活用ください」
「ご準備いただき、ありがとうございます。ありがたく使わせていただきます」
「舞莉、今日は私たちと一緒に過ごしてくれるかい?これまでの話を聞かせておくれ」
「――うん」
局員と別れ、舞莉は水鏡神社の社務所へと荷物を持って向かう。
その様子は普段の様子とは異なり、年相応―またはそれ以下―の娘にしか見えなかった。
長時間の移動―ましてや運転手でない―だったが、さして動作や頭を回転させた訳ではないにも関わらず、身体に疲労が蓄積していたようだった。
人間とは動物の一種に過ぎず、その分類の通り自らの意志で"動く"ことが基本である。
かえって狭い空間内で行動を制限されることは、身体に負荷をかける行為なのかもしれない。
その証拠とでも言うのか、勇翔は夕食を摂り風呂に入ると、まるで吸い込まれるかのように布団に潜り込んだ。
「お子ちゃまかっ!」
朝食を摂るべく現れた寝癖頭の兄に、陽咲は呆れ果てた視線を送る。
「大学の試験から直行だったんだから、仕方が無いだろう」
勇翔はもっともらしい言い分で、食卓に並ぶパンを手に取りかじる。
もちろん嘘ではないのだが、さらに言えば茜音と顔を合わせた時にどんな言葉をかけるべきなのか考えるだけで、心理的な疲労を蓄積させていたことの方が大きいだろう。
「(考えても仕方がないことなんだろうけどな)」
まだ眠気で胡乱な頭脳が終わりのない議論を始める前に、自分にそう言い聞かせる。
窓から見える対岸の火室地区を眺めた後、目を覚ますべく顔を洗おうと洗面所へ向かう。
しかし、高地の冷たい水が勇翔の顔に触れ、意識を強制的に覚醒させることはなかった。
突如として爆音と熱気が水鏡地区を震わせると、陰陽局の職員は慌てて宿舎を出て、もうもうと土煙の立ち上がる表の広場へと集まる。
「どうした!?」
五味の疑問に応えられる者はおらず、皆が揃って土煙の中で微かに見える人影からの回答を待つ。
「――去れ」
土煙が徐々に晴れるとともに、"明らかに不慣れな"低音の声が静かに空気を震わせる。
「お前たちの来る場所ではない。ここから...紅葉村から、去れ!」
現した姿は年若く、しかし心身ともに疲れの滲んだ様子を見せている。
「......茜音」
見紛うことなきその姿へ、聞こえない程度の声量で名前を呼ぶ。
まるで雰囲気の異なる想い人の様子に投げかけられる言葉など、勇翔は持ち合わせていなかった。
Pixiv様にも投稿させていただいております。
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