第8話 光明を探して 2
極限状態でも大学受験で志望校の合格を勝ち取る非凡さを見せる勇翔は、舞莉のアドバイスが活きたのかグングンとその力量を伸ばしていた。
一途に己の力量を伸ばすことにのみ集中する勇翔の姿を心配した五味は、所属した硬式野球部同期との集まりに行くよう強く促す。
振り返るべきチェックポイントを、間違いなく確保するために。
振り返るべきチェックポイントを、人に与えるために。
第8話 光明を探して 2
大学入試で志望校の"合格"を勝ち取った時節から、勇翔は修練にもより一層の熱を込めるようになった。
懸案事項が解消されて精神的な余裕が生じたのが確たる要因だが、勇翔自身が元来持つ非凡さとの掛け合わせにより、もはや天井知らずとも言えそうな加速度的成長として、周囲に驚きを与えるに至っている。
性格柄、野球部でもユーティリティーとして扱われがちな存在だったが、本来は一つのことに集中して取り組むことに真価を発揮する”特化型”としての才覚も、勇翔の成長に繋がっているのだろう。
「お前、友達と遊んでいるか?」
そして、周囲の驚きは時折、おせっかいとも言える心配としてその化粧を塗り替える。
高校の前日。
翌日に卒業式のリハーサルを控えた日も、陰陽局に出向いた勇翔は五味を相手に修練に務めていた。
「......いえ、それよりもやるべき事があるので」
大学受験を終え、勇翔を含む同級生たちはそれぞれの新生活に向けた準備に取り掛かっている。
中には、既に新たな生活を始めている者さえいた。
「そのやるべき事の後のことを心配しているんだ」
五味は嘆息して修練の終了を指図すると、勇翔は目に見えた反抗を示す。
「まだやれますよ」
成長こそ著しいものの、戦力として用いられるかは怪しい状態―舞莉に言われた通りの即席―に過ぎないのもまた事実だった。
「どんな道を歩むにせよ、前を見て進むためには振り返る先も必要だ。ゲームで言う所の、チェックポイントだと思ってもらっていい」
「でも――」
「誘われているんだろ?」
五味が不敵な笑みを見せ、勇翔の手荷物を指さす。
確かに、所属した硬式野球部の同級生で集まる予定があるのは事実だが、五味が何故そのことを知っているのだろうか。
「......あの人か」
考えること刹那、悪戯な表情を浮かべる元幼馴染の姿が脳裏に浮かぶ。
舞莉ならば勇翔の関係者のスケジュールを知っていてもおかしな話ではない(最も、関係が希薄な存在でも知っていそうなのだが)。
「まぁ、想像の通りだろう。思う所はあるかもしれないが、ここは彼女の気遣いに従ったらどうだ?あくまで、一人の先達としての提案だ」
「拒否権はないんでしょ」
勇翔は降参とばかりに諸手を挙げると、小さく会釈してから修練場を後にする。
「......あいつにはこうやって、声を掛けてやれる人は傍にいるだろうか」
その背中を見送る五味から、深い溜息が漏れる。
脳裏に浮かぶ後姿へ修練場に霧散する程度の声で呼びかけるが、彼女は想像の中ですら振り返ることはなく、表情を見せることは無い。
「当然だな」
五味は自嘲気味に苦笑すると、自身の修練に集中した。
当日連絡になったことを謝罪しつつ参加の意思を伝えると、幹事役を買って出た大庭洋輔からは即座に承諾の返答が得られた。
集合場所には洋輔が既に到着しており、勇翔に気が付くと大きく手を振り合図する。
「他はまだ来ていないのか。当日連絡になって悪かったな」
「メッセージも貰っているし、わざわざ口でまで言わなくていいよ。そもそも最初からいるものとカウントして、来ない可能性を考慮しないまま予約してたわ」
「出欠連絡の意義をお前は知っているのか?」
「お前以外の全員から参加連絡が入っていたんだから、1人のどうこうなんて誤差だろ」
あっけらかんと語る大庭に、勇翔は毒気を抜かれたように苦笑する。
思えば、中学野球部で出会って以来の腐れ縁で、彼とすごした部活動の現役時代はいつもこうだった。
「久し振り~」
「やっぱり集合場所に早く来るのは必ず2人なんだね~」
集合時間が近付くにつれ、少しずつメンバーが集まってくる。
その様子は端から見る限り、とても”野球部”とは思われないだろう。
それもそのハズ、集まるのは男子の若人に限らず、女子が相当数含まれることがその原因だろうが、少なくとも地元の人間にそういった違和感を覚える者はいようはずがない。
勇翔ら鎌倉大学附属高校硬式野球部の特色として、男女合同で部活動を行っている点が挙げられる。
運動能力で大きな差がつく中学生以降、男女は同一競技であっても公式的に別活動として扱われることが専らで、女子選手が男子大会への参加資格すらないことも一般的である。
しかし、鎌大附属硬式野球部は当時の連盟規程外の私設大会へ女子部員を選手登録したことに端を発する一連の騒動により男女合同による活動へ舵を切り、最終的には特例規程の適応をもって混合チームによる選抜高校野球大会への出場という大成果を収めていた。
その中心人物として、キャプテンを務めた勇翔が含まれるのは間違いない。
「お、めんごめんご!」
「悪い、遅くなったか?」
それ以上の原動力となった人物こそ、同校初のプロ野球選手となった楓山珠音と、トップリーグの隠し玉指名として一部で話題になった土浦浩平のバッテリーに他ならない(最も、珠音は独立リーグ扱いの女子プロ野球なので、正確な身分で言えば厳密には異なるのだが)。
珠音はその快活さそのままにポニーテールをヒョコヒョコと動かしながら、浩平はさながら重厚な戦車が前進するかのように駆けて来る。
「これでみんな揃ったな。今日は契約金をたんまりと貰った浩平の全額奢りだ。もう稼いでるし、これからもたくさん稼ぐだろうからな」
「キャンプで実感したけど、頭で考えていた以上にプロの世界はレベルが段違いだよ。契約金はイコールで退職金みたいなものって、スカウトも言っていたし、残念ながら貯金一択だよ」
一年一年が勝負となるプロスポーツ選手はチームに所属するとはいえ、それぞれがライバル同士、個人事業主の集合体にすぎない。
一般企業の正社員のように退職金や企業年金があるわけではないので、自分の生涯にかける金銭はその時々で稼がねばならない。
「おいおい、そんな弱気じゃ困るぜ~。俺たちにたくさん夢、見せてくれよ!」
「ほら、みんな揃ったんだから行くぞ」
軽口を叩く幹事に変わり、呆れ顔の勇翔が先頭に立って予約した店舗へ向かう。
キャプテンを務めた経験がそうさせたのだろうが、今の勇翔にはこの気怠さが心地よく感じられた。
成人年齢の引き下げに伴い、高校3年生の身分を有する勇翔らも"大人"の仲間入りこそしているが、飲酒は20歳からで変更はなく、認められていない。
ステレオタイプの社会人ならばアルコール無しで語らい合う行為は時間があまりにも長尺に感じられ、親しい仲だとしても退屈になってしまうこともあるだろうが、"呑みにケーション"の経験をそもそも持たない世代ならば関係がない。
久し振りに集合した同級生たちは身近な過去を懐かしみ、直近の愚痴をこぼし合い、未来への希望と不安を溢れさせた。
「私の原点は、やっぱりここだな」
そろそろ会もお開きというタイミングで、間違いなく同期の中心であった珠音がポツリと漏らす。
「どうしたんだよ、急に」
同じテーブルにつくのは勇翔のほかに土浦浩平と大庭、珠音と同じく甲子園のグラウンドに立った女子選手の伊志嶺まつり、野球部現体制を立ち上げるに至った立役者の一人にして大学でも勇翔の同級生となる桐生琴音の5人―正しく部活動の中心人物―だった。
「どうしたんだ、藪から棒に」
グラウンド上のプレイにおいて中心的存在がプロ入りを果たした珠音と浩平なら、縁の下の力持ちとしての中心はキャプテンを務めた勇翔に違い無い。
勇翔の疑問に、珠音はにこやかに答える。
「これからたくさんのことを経験するだろうけど、何かある度に振り返るとしたら高校生活、とりわけ野球部での日々になるだろうなと思ってね。チームに合流してキャンプを経験したからこそ、実感できたよ」
プロ野球選手となった珠音と浩平は、2月のキャンプインと同時に同級生に先駆けて"社会人"の仲間入りを果たしていた。
「女子野球の世界で今のままでもまるで通用しない訳じゃないと思うけど、チームメンバーも、練習試合で対戦した他チームの選手たちも野球が大好きで、野球をもっと上手くなりたくて、毎日の練習を頑張っているのが分かった。そんな様子を見ていたら、ウカウカできないよ」
「珠音なら余裕じゃないのか?」
高校野球とはいえ、男子の中で対等な勝負を繰り広げていた珠音からすれば、プロとはいえ女子野球の世界で苦戦することもそれほど無いよう、端からは思える。
それでも、本人の実感は異なるようだった。
「気を緩めることなんてできないよ。男子の中で高校野球を経験したこと自体はアドバンテージかもしれないけど、そこに頼ってばかりじゃ、私自身の変化もないだろうね。そんな自分は成長しないだろうし、プロ野球選手としては誰からも応援してもらえない。ただのパンダ、ずっとパンダのままだよ」
珠音の言葉からは決意が滲み、瞳は真っすぐ前方を捉えていた。
彼女は一連の騒動の中で多くのメディアに取り上げられ、実力以上の注目を集める存在だった。
時に彼女は自らを動物園で視線を集めるパンダに例え、その檻を壊すべく必死にもがいてきた。
「変化するためには楽しいばかりじゃなくて、たくさんの辛い経験もするかもしれない。センバツの前に鬼頭先生に言われたんだ。"君は立ち止まってはいけない。君を支えてくれた人のためにも、これから君を支えてくれる人のためにも、そして君が支えたいと願う人たちのためにも"って。それから必ず来る立ち止まりたい時、振り返りたい時に、その場所を作れている人は強いって。私が立ち止まって"振り返る"としたら、野球部で過ごした時間だろうな」
「――振り返る」
珠音の言葉と、五味から投げかけられた言葉が重なる。
「チェックポイント、ってことか?」
「そうだね、そんなイメージ。公式戦に出られるように必死だった日々、出られるようになるため、それ相応の努力を重ねた日々。私の我が儘にたくさんの人を巻き込んで事を成し遂げた事実は、この先の方が長い人生でも誇るべき3年間だと思う。自信を持って言えるよ」
気付けば、元チームメイト全員が珠音の言葉を聞いていた。
共に事を成した力強い仲間たちの存在は、高く羽ばたこうとする彼女の背を常に押し上げ続け、それは今も変わらない。
「これからは、私の活躍を通じて人を勇気づけられるような存在になりたい。辛いことがあっても、私の頑張りを見て元気を分けてあげられる存在になりたいな。私になれるかな、キャプテン」
珠音の視線が、勇翔を捉える。
時に迷い、弱々しささえ見せることさえあった彼女の瞳は今、自信と希望に満ち溢れているようだった。
「なれるさ。俺たちはこれからもチームメイトだし、珠音や浩平のファン第1号だよ」
キャプテンとしての勇翔の言葉に、チームメイトたちが揃って頷く。
「よっしゃ、頑張れそ。ね、浩平」
「あぁ、絶対に活躍してみせるよ。みんなの分もね」
翼を拡げ、今まさに飛び立とうとする2人の姿は、場所も立場も違うとはいえ、心の支えになっているように見える。
投手と捕手、野球部時代から言われていた通り、まさしく長く支え合った老夫婦のようだった。
「また、集まろうな」
会場を後にして、最寄り駅でそれぞれが帰路につく。
勇翔は瞼の裏で、茜音の姿を思い浮かべていた。
彼女は今、振り返るべき時間も何もかもを捨て、ただひたすらに災厄へ立ち向かおうとしている。
その姿はもがき苦しんでいた頃の珠音と似た部分があるかもしれない。
元チームメイトと異なる点があるとすればただ一つ、その歩みを支えられる人がいないことだろう。
「俺が――」
彼女に振り返る思い出を与え、未来へ進む歩みを支える。
その双方を担えるのは自分しかいない。
「俺が茜音のチェックポイントにならないで、誰がなれるんだ」
自身こそ、茜音の隣に立つことができる存在である。
自身しか、彼女の隣に立ち続けられる存在はいない。
『高尚なことなんて考えずに、脳裏に浮かんだ女のためだけに力を使う事だけを考えるといいさ』
脳裏に元幼馴染の甘言が反芻され、その言葉にまんまと従おうとする自身のワガママさに、勇翔は思わず苦笑する。
振り返りの機会を与えてくれた先達への感謝は、勇翔の中に確かな自覚を芽生えさせた。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20971677