第7話 闇の果て
田舎は夜が早く訪れ、冬は厳しい。
ネオンが煌めき、密閉性が高く空調のよく効いた都会に憧れが無い訳ではないが、焔室茜音は紅葉村で一人、暗く先の見えない日々に精神をすり減らしていた。
夢の中で繰り返される"鵺"との戦い。
自分の意志でコントロールできる環境ですら勝つことのできない怪異を前に、茜音は諦めに近い感情を抱きつつあった。
全てを遠ざけて選んだ道。
暗夜行路を進む先に寄り添おうする想いに、茜音は気付く余地はなかった。
第7話 闇の果て
夜は暗い方が好きだ。
都会の夜は街灯の光が眩く、すぐ近くに人の気配を感じさせる喧騒に好ましさは感じられない。
田舎の夜を照らすものは、夜空の星月の瞬きのみ。
日常に変化が加わるとすれば、季節ごとに異なる演奏を虫の合唱団が聞かせてくれるくらいだろう。
最も、茜音自身は前年の修学旅行まで村の外に宿泊した経験がなく、ほとんどがテレビドラマから連想した"都会の夜"の情景にすぎないのだが。
「......暗いなぁ」
しかし、最近は夜闇の深さと静けさを憂う機会が、心なしか増えたようにも思える。
同居人のいない自宅は静寂に包まれ、倹約を兼ねた節電もあってか、室内は生活感を感じさせる程にどことなく暗い印象を感じさせる。
高校の吹奏楽部を引退して以降、それぞれが目指す進路に向けて突き進む級友からのメッセージがスマートフォンを賑わす機会は徐々に減り、朝一番のアラーム以外、軽妙な音が聞かれる機会がない日もある。
「はぁ......」
持ち合わせている幸福を全て吐き出すくらいの深い溜め息が、暗闇に霧散する。
目の前に広がる漆黒の景色は、まさしく自らに待ち受ける運命そのものなのではないだろうか。
先々はまるで見えず、ただひたすら手探りに—もしくは、闇雲に―足を踏み出す他、選択肢を得られないでいる。
「宮内庁陰陽局からの協力申し入れ......どう返答しよう」
先日に届けられた書面へ視線を移し、再び内容を確認する。
古くから一定の協力関係のあった超常現象へ対応する国家機関に対しては、未だ何らかの回答すらできていない。
これまで紅葉村の住民が基本的に自力で克服してきた試練だけに、外部組織の実力と介入行動にはそもそも懐疑的である。
「ありがたい話ではあるけど、これは"私たち"が果たすべき役割。他所の助けを求める訳にはいかないよね」
今の自分に、進む道を照らす太陽は存在しない。
幼い頃より定められていた運命に寄り添ってくれるだろう月さえ遠ざけた今、雑多な星々の明かりは弱々しく、まるで頼りになりそうにない。
「ごめんね」
茜音は書類をゴミ箱へ捨てると、パジャマに着替え布団に潜る。
「今日も終わった。そして、たぶん今日も――」
茜音は目を閉じ、呼吸を整える。
どんな状況においても寝付きが良い体質を恨めしくも思いながら、茜音の意に反して意識は夢の中へと沈んでいった。
茜音は"目を覚ました"感覚と同時に、眼前に映る景色が"夢の中"であることを把握する。
服装は着替えたばかりのパジャマから動きやすく模られた専用装束に代わっており、視界に移る景色は分厚い霞に包まれていた。
「またかぁ......やっぱりね」
勇翔との決別から暫く、茜音は待ち受ける試練に打ち勝てるよう、自身に課した修練をより厳しいものへと切り替えていたが、その同時期より、まるで起きていると錯覚してしまうほど鮮明な夢を繰り返し体験するようになった。
本当の起床後も当初は朧気に、次第にはっきりと思い起こされるようになったこの夢は、結末こそ微妙な差異があるもの、シナリオの大筋に変わりはない。
「そろそろ」
眼前の景色にかかっていた霞がじきに晴れ、やがて異形の姿―"鵺"―が現れる。
似通ったストーリーを何度も経験することで、この後の展開は嫌でも分かってしまう。
「......来なさい」
茜音の呼びかけにまるで応じるかの様に、"鵺"は自分目掛けて吶喊してくる。
その身を翻してかわすと同時に"瀑"と書かれた術札を取り出し、長い歴史の中で先祖が"水鏡"から習得した攻撃術をもって、怪異の後方から反撃をしかける。
「押し流せ!」
術札から大量の水が溢れ出し、体勢を切り替えようとしていた"鵺"へ激しい飛沫とともにぶつかり合う。
相剋の関係にある攻撃術式は、例え不得手な属性だったとしても一定の効果を発揮する。
「......まだ!」
衝撃により飛び散った水滴を細かな刃へと再構成し、まるで弾丸のような速度で切っ先を"鵺"の体表に突き立てると、暴風のような悲鳴が夢空間を震わせる。
「相性は伊達じゃない......まぁ、ここはあくまでも夢の中。私がそう思いたいだけなのかもしれないけれど」
茜音はこの夢の場をどの攻撃手段が"鵺"に対して"自信を持てるか"、実践する舞台として前向きな捉え方をしている。
高度な術式ほど精神力の強さが求められ、攻撃対象へ臆するようなことがあれば、例え高位の攻撃術であったとしても破壊力は減じてしまう。
茜音は夢の場を自身の意志に基づいてある程度のコントロールが可能なことに気が付いて以降、過去の交戦経験や文献等の記録から想定される"鵺"の力を予測し、"鵺"を具現化した上で修練の場としての活用を図っていた。
もっとも"丙午"年における"鵺"の情報は少なく、あくまでも茜音の想像の範疇にすぎない事実に変わりはない。
「夢でまで、こんなんじゃっ!」
そして、自身の夢の中という圧倒的有利な状況ですら、"鵺"に決定打を与えることはできていない。
どんなに強力な術式を放っても、"鵺"の動きは鈍りこそするものの倒すことはできない。
何をもって"鵺を倒す"と言えるのか、茜音自身が理解できていない。
当人がそれを自覚している事実に、ただただ歯痒さだけが胸を締め付ける。
「――!?」
思考の逸れた一瞬の隙を突かれ、"鵺"が視界から消える。
気配のする方向へ視線を送ると、体勢を整え、強靭な脚力をもってその巨体を自身に向け、正しく吶喊しようとしていた。
この後の展開を、綾乃は"分かってしまう"。
ある時は、その身を深く切り裂かれた。
ある時は、その身に風穴を開けられた。
ある時は、四肢のいずれかをもぎ取られた。
ある時は、その巨体に身を押し潰された。
最近では、この世界における自身の最期を悟った瞬間、"今回はどのパターンだろう"と考える余裕すらできてきた。
「せめて、一矢報いたい...!」
茜音は"狼"と記された札を取り出して、炎で模られた狼を"鵺"へと放つ。
以前、夢の中で死亡すると、脳が"自分は死んでしまった"と誤認して現実でも死亡してしまう可能性があるという記事を見たことがある。
最初は致命傷を受けるその瞬間に現実で跳ね起き、"傷を負った"認識のある身体を隅々まで確認したことさえあった。
最後まで生きる覚悟、生き残る希望を持ち続けなければ、自分は夢の終わりと共にこの世を去っていたかもしれない。
炎の狼を食い破った鵺が、眼前に迫る。
「(あぁ、あの鋭い牙が私の身体を噛みちぎるのか)」
茜音は瞬時に理解する。
夢の中とはいえ、眼前に迫る異形の巨体に恐怖心を感じないことなどはない。
自然と瞳を閉じ、"あぁ、今回もダメだったか"と諦めの感情を抱いてからしばらく経っても、痛みが全身を駆け巡ることはなかった。
今回は傷を受ける前に現実へと引き戻されて、あるいは朝を迎え身体が起きただけで、どうせ見慣れた天井が視界に入るのだろうと、恐る恐る目を開く。
だが眼前には、古ぼけた木製の天井ではなく、焼け野原と化した夢世界が在り、自身を正しく引き裂こうとしていた"鵺"は、茜音から距離をとった位置で同世代くらいの青年と対峙している。
青年が漆黒の刀を両手で構え"鵺"に斬りかかる様子を、茜音は呆然と眺めていた。
「このパターンは、初めてだ......」
これまで、夢の中では常に1人で戦ってきた。
茜音はこの夢の世界では、自身の力だけで生き抜く覚悟を決めていた。
にも関わらず、現実には眼前に闖入者があり、その存在に茜音自身は安堵している。
闖入者の出現は、自身の胸の内に秘められた現実逃避を表しているのか、はたまたゴミ箱へ捨てた申し入れ書への未練か。
「......心の弱さかな」
自嘲気味な笑みを浮かべていると、"鵺"は青年をかわして茜音へと進路を取る。
如何に邪魔者が現れたと言えど、怪異が標的とする対象は変わらないらしい。
眼前でわが身に迫る"鵺"の動きから、目が離せなくなる。
「(何故だろう、"この鵺"に引き裂かれた私は、そのまま死んでしまうかもしれない)」
自分の周囲を流れる時間が緩やかなになるとともに、茜音の脳裏に"死"がよぎる。
眼前に迫る化け物は、例え"救世主"とでも言える存在が現れたところで倒すことができないと心が気付くこと。
それは正しく、茜音にとって"鵺"との戦いの中で生き残る希望を見出せなくなったのと同意だった。
「......会いたかったな」
自身がポツリと言葉を紡いだ僅かな瞬間、闖入者が目にも留まらぬ速さで自身と"鵺"との間に割り込み、その怪異を一刀両断する。
この夢の中で初めて"鵺"が倒される光景を、茜音は瞬きせずに目を見開いて焼き付ける。
「勇翔......?」
目の前の青年の後ろ姿に見覚えがあり、ただただ唖然としてしまう。
見慣れた姿よりいささか逞しく成長した青年は呼びかけに応じて振り返り、何か言葉をかけようしてきた。
しかし、足元が不意に崩れ去り、茜音は奥底へと吸い込まれてしまう。
茜音は言葉を聞きとることができないまま、深い闇に呑み込まれていった。
茜音は自身の意識が覚醒したことを、視界に見慣れた天井が映ったことで認識した。
普段なら、布団から出て身支度を整える頃には夢の中での疲労感は薄れたが、この日限りはいつまで経っても気怠さが残っている。
「全く、いったい何を見てるんだか」
夢の中で自分を救った青年の背中はよく見知った人物であり、多少なりと身なりが変わったところで間違えるわけがない。
「勇翔だったな」
起床時間を知らせようとアラームを鳴らすスマートフォンを確認し、メッセージアプリのトークルームを確認する。
それまではそこそこの頻度で交わされていたやり取りも、夏のあの出来事以来、更新は止まったまま。
勇翔のスマートフォンの連絡先リストにも自身の名前は残っているだろうが、その人物に関する認識が薄れた状態ならば"私"だと判断できず、メッセージを送ってくることはあり得ない。
「私は、何を期待しているんだろう」
高校の制服に着替えて朝食をとり、身支度を整える。
洗面所の鏡に映る自分の顔を見ていると、何だか情け無い気持ちになった。
綾乃は右腕を大きく拡げ、自分の頬を目掛けて勢いよく振りぬくと、予想以上に大きな音が部屋に響く。
右頬は赤く染まり、耳はジンジンとする。
「いってきます」
誰もいない家からの返事は当然ながらないが、茜音はなかなか扉を閉められないでいる。
夢のせいで、今の自分に誰かが寄り添ってくれているのではないかと、心の奥底で期待しているようだった。
「都合が良すぎるよ、茜音」
自分へ言い聞かせるように、精一杯の低い声を出す。
紅葉村との繋がりをほぼ断った今、"世間一般"で生きる勇翔が自分を助けに現れるなど、まさしく"夢"でなければあり得ない。
「あー」
右頬で熱く模られる紅葉に一筋の冷たい航跡を感じ、茜音は自分が涙を流していることに気がつく。
自身が切り捨てた大切な相手に"また会いたい"と願ってしまう実感が、夏以降耐え続けた孤独の寂しさを増大させ、我慢を利かなくさせた。
「――ふぅ」
その場に蹲り、どれくらいの時間が経過しただろうか。
自分の心を落ち着けるまでに、そこそこ時間を掛けてしまった。
山を降りるための時間には融通が利くが、赤見坂の駅から先はその限りでは当然なく、このまま玄関で立ち止まっては学校に遅刻してしまう。
「私は、大丈夫だ」
自分に言い聞かせるように言葉を吐き捨てると、想いを断ち切るように玄関の扉を閉め、鍵をしっかりと掛ける。
弱さが分かったのだから、それを克服すべく強くなればいい。
茜音は大きく息を吐き出すと、雑念を振り払うように、駅へ向かって駆け出した。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
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