第5話 第二の故郷にて 1
生まれ故郷の紅葉村から地元に戻った勇翔は高校3年生らしく勉学に励んでいたが、心の隅にかかるもや―毎日のように見る夢の謎―を晴らせないでした。
野球部のチームメイトだった大庭洋輔のアドバイスを受け、夢を見るに至った根本的原因を探るべく、同じ悩みを抱える妹の陽咲とともに、幼少期の画像を漁っていると、その写真に同じく野球部チームメイトの一人であった水田舞莉によく似た姿を認める。
気付いたと同時に、ピンポンとなるインターホン。
前進を促す合図が鳴ると同時に、困難へと立ち向かうための背中を押す拍子木が鳴り響いた。
第5話 第二の故郷にて 1
屋外を歩く人々がハンカチを手放す日は程遠いようで、真夏の暑さがダラダラと停滞しながらも日めくりカレンダーは1枚1枚、着実にめくられていく。
一方、屋内で勉学に励む高校三年生も額に汗を浮かべるが、それは暑さによるものか、はたまた受験を控える中での全国模試の成績表に由来するものか。
勇翔らの通う鎌倉大学附属高等学校はその名の通り大学附属高校であるものの、学年の全員がエスカレーター式での進学を希望する訳ではない。
現在の鎌倉大学は母体がもともと女子大学で、公立化に際して男子の受け入れを始めた経緯があり、その名残で文学部、社会学部、観光学部、教育学部、家政学部が設置されている。
理系進学を志す学生は受け皿が乏しいこともあってか外部進学が基本となっており、大学附属高校に通っているとはいえ、大学受験事情は一般的な高校三年生と左程変わりはないと言える。
「いまいち身が入ってないようでこの成績、実に許せん」
昼休みのひと時。
学年全体で受験した全国模試の成績表が午前中に返却されたこともあり、周囲に僅かな焦燥が見え隠れする中でも、勇翔は特に変わらず飄々とした様子を見せていた。
野球部のチームメイト―大庭洋輔―によるイタズラで成績表を奪い取られたが、志望校欄に光輝く『A』判定の文字に洋輔は目を背け、力無く膝から崩れ落ちた。
「人の許しも得ずに奪い取った挙句にその態度か、解せんな」
「その余裕の1割でも分けて欲しいんだよ。俺はこっから成績爆上げさせないと、志望校なんて夢のまた夢なんだから」
大学進学後も硬式野球を続ける意志のある洋輔は、夏の大会終了後に野球の強豪大学のセレクションを受験したものの不合格だったらしく、一般入試で希望大学に合格した上での硬式野球部入りを目指している。
あまり勉学が得意でない洋輔が一般受験に必要な学力を身に着けためには、それ相応の努力が必要であり、幾千万とバットを振った手にはペンだこができる程、ボールペンが握られていた。
「夢、ねぇ...」
勇翔はポツリと呟くと、洋輔のことなどお構いなしに窓の外へぼんやりと視線を向ける。
「何だよ、呆けちゃって」
洋輔は大きな弁当を平らげると、ボンヤリと外を眺める友人を尻目に英単語帳へと目を通す。
高校入学以降は生活のほぼ全てを部活動に捧げてきた彼にとって、志望校合格を目指すためには勉学に勤しむための時間を1秒とて無駄にはできない。
「いや、俺は随分と長い間、夢を見続けてきたんじゃないかって思えてさ」
「何だよ急に、老け込んだジジイみたいなことを言い始めて。.野球部のことを言っているのか?確かに、傍から見れば鳴かず飛ばずの中堅校だった俺たちが春の甲子園に出て、夏の大会も激戦区の神奈川で惜しい所まで行けた。練習は大変だったけど、夢みたいな経験はできたとは、俺も思うぞ」
「それはそうなんだが...」
勇翔が言いよどむ様子に、洋輔は英単語帳から目を離し、訝しむような視線を向ける。
「急にどうした、何か変なもんでも食ったか?」
「至って健康だ」
言葉こそ強がるものの表情はどこか冴えず、気付けば小学生以来の腐れ縁となっている洋輔でも久しく見たことのない弱りように感じられた。
「まぁ、お前が大丈夫って言うならいいんだろうが、何か悩んでいるなら言ってみろよ。飄々としているように見えて、受験を控えたストレスかもしれんぞ。口に出すだけで、何か変わるかもしれない」
「......それもそうだな」
勇翔は小さく溜め息をついてから、ゆっくりと口を開く。
生まれ故郷の紅葉村から帰ってきてから1ヶ月以上が経過したが、ふとした拍子に不鮮明な記憶が瞼の裏に蘇り、勇翔はその内容に困惑していた。
見慣れたはずの紅葉村の風景、その中に"見覚えの無い"白髪の少女がポツンと立ち、笑い掛けてくることもあれば、突然涙を流すこともある。
そもそも身に覚えのまるでない記憶だが、繰り返し見るからには何かしらの意味があるのだろう。
自分自身が見果てぬ夢の続きを探し求めているのか、それとも少女が自分を思い出して欲しいと現れるのか。
不鮮明な情報が断片的に繰り返し思い起こされる日々に、勇翔はモヤモヤとした感情が渦巻いていた。
「...って具合だ。すまんな、取り留めのない話で」
「夢だからな。取り留めがあっても困る」
洋輔の言う通りだろうか、口に出すことでいくらか気分は和らいだように思える。
「そもそも、地頭のイイ奴の思考回路なんて分からんし、俺の考えがアドバイスになるかどうかなんて想像もつかないんだが――」
洋輔は柄にもなく真剣な表情で前置きを入れ、言葉を続ける。
「――これは俺なりに気の効いたことを言っているつもりだ。俺は夢の続きを見たいし、叶えたいと思っているからこそ、今もこうやって受験勉強にも頑張れているんだと思う。ここを乗り越えれば、プロ野球の舞台に立つ夢だって実現できるかもしれないってな。お前はよく分からんから悩んでいるのかもしれんが、上手く思い出せないとはいえ同じような夢を見続けているってことは、それは思い出さなきゃいけない、あるいは実現しなきゃいけないことじゃないのか?なら今を受け入れて、是が非でも思い出して、夢を続ける努力をすべきなんだと、俺は思うぞ」
いつになく真剣な面持ちの友人に、勇翔は呆気にとられる。
「お前、そんな真面目なことを言えるんだな。中学以来だが、初めて知った」
「真剣に答えたのにそれはないだろ」
「すまんな。だが、おかげで気分も少しは楽になったよ」
「なら、俺の大変貴重な勉強時間と脳ミソの容量を使ったんだ。ちょっとくらい成績よこせよ」
「欲しいのなら、奪い取るくらいじゃないとな」
勇翔は洋輔から模試の成績表を奪い返すと、自身もまた参考書へと視線を落とす。
心が晴れやかになったおかげか、視界に入った情報は脳内へとすんなり収まった。
今を受け入れ、夢を続けるための努力をする。
洋輔の言葉は勇翔にとって実に心強い言葉になったが、大学受験勉強の傍らでいざ行動しようにも何をすべきなのか分からず、時間だけが悪戯に過ぎていった。
「何か進展はあった?」
「そう言うお前は?」
「こんなことを聞くんだもの、何かあると思う?」
唯一の状況変化と言えば、同じ悩みを抱えていた同志に巡り合えたことだろうか。
その同志こそ、他ならぬ妹―陽咲―である。
事の発端は、陽咲が所属する体操部の出来事だった。
「まだ残っていてよかった。今日は塾の無い日だったよな?」
放課後に野球部の元チームメイトたちと図書室で受験勉強に励んでいた勇翔だったが、クラス担任も務める野球部顧問の鬼頭から呼び出されて保健室に向かうと、そこには足首を負傷した妹の姿があった。
「どうした」
「てへへ、ちょーっちミスっちゃって」
原因を聞いてみると、1年生ながら体操部のエース格となっていた陽咲としては珍しく、ケアレスミスとのことだった。
「"ちょーっち"じゃないわ。最近の二神さん、どこか集中力を欠くことが多かったじゃない。体調もあまりよくなさそうだし、何かあったの?」
「大丈夫、大丈夫ですって。最近、ちょっと寝付きが悪いだけですよ」
付き添っていた女子体操部顧問はエースの不調を心配するが、当の本人は気を遣わせないよう笑みを見せる。
「という訳だ。親御さんには連絡を入れてある。勉強中にすまんが、家まで付き添ってくれ。本人は大丈夫と言って聞かないんだが、ヒョコヒョコ歩く姿を見ていたら、周囲も安心できんからな」
「もー、大袈裟なんですから。ほら、大丈夫で――っつ~」
陽咲は座らされていた椅子から立ち上がり飛び跳ねるも、足の痛みに顔をしかめる。
「捻挫だ。応急処置はしたが、痛みが引かないようなら、早めに病院へ行った方がいいだろう」
「分かりました」
勇翔は妹を引き連れ、高校を後にする。
高校生になってまで兄妹仲睦まじく登下校を共にすることなどほとんどないが、わざわざ距離をとる程の不仲でもない。
「それにしても、陽咲まで寝付きが悪いとはな」
覚束ない足取りの妹を気遣いながら、勇翔はポツリと漏らす。
「"まで"ってことは、兄ちゃんも?」
「あぁ」
普段の兄妹なら、他愛のない内容としてここまでで会話も終了しただろう。
「(笑われたっていいさ)」
だがこの時ばかり、勇翔は生意気盛りの実の妹からいじられることを承知で一歩踏み込み、自身の夢見について言葉を続けた。
内容を語り尽くした後に確認した妹の表情は、嘲笑でなく驚愕。
「兄ちゃん"も"、同じ夢なんだ」
陽咲は小さく呟くと、自身が直近に悩まされる不鮮明な記憶について説明し始める。
時折フラッシュバックすることや、伝え聞いた夢に現れる情景の様子は正しく、勇翔のものとほぼ一致している。
同じ高校に通う兄妹とはいえ、ここまで近しい内容で悩むことがあるだろうか。
認識の一致した2人は以降、時間を見つけては原因究明に臨むこととなった。
しかし、物事の進捗とは勉学や部活動程ままならないものである。
勉学の成果は"試験"として定量化さる。
その内容は学習指導要領として体系化された教育プログラムの内、指定された範囲からの出題が基本とされ、部活動も当人の技量は結果として明確に現れる。
だが、そもそも不明瞭な事象への取り組みだけに、決定的な手掛かりを得られない状況では、ただやみくもに進むことしかできない。
運動部に所属経験のある兄妹としては、さながらイップスやスランプに陥って出口を見出せない感覚に近い。
「――ん?」
だからこそ、一筋の光と成り得る情報に、勇翔の視線は釘付けとなった。
「どうしたの?」
「この写真...」
思えば、父親の壱成が新しいもの好きであったのが幸いして、自分たちの写真はフィルムがまだ主流だった幼少期の頃からデジタルカメラで撮影され、今もデータとして大切に保管されている。
夢として現れるならば視覚情報だろうと、空き時間に自宅のハードディスク内に眠る写真データを漁っていると、幼少期に住んでいた紅葉村での一幕に目が留まった。
「この白い髪の女の子、夢に出てきた子なんじゃないかな」
「うーん......夢だとぼやけているから、ハッキリとは分からないけど......」
一つ一つ画像を送ると、その多くに白い髪の少女が写り込んでいるのだが、肝心の名前や自分たちとの関係性がまるで思い出せない。
「何でだ、こんなにも一緒にいた形跡があるのに」
思わず感情的になったのか、勇翔はノートパソコンを操作するマウスを乱暴に扱うと、その衝撃で画像がいくつか進んでしまった。
「えっ......」
偶然表示された画像を、勇翔は思わず目を見開く。
「どうしたの?」
「どうして、この人が写っているんだ?」
幼少期の兄妹と共に、干支一回りは離れているだろう女性の姿が、画面上に映し出されている。
その容姿は、本来この時代にこの姿ではない人物とそっくりだった。
「知っている人?」
「知っているも何も、この人は――」
勇翔の声を遮るように、"ピンポーン"とインターホンの古めかしい音が鳴る。
そして、訳もなく加速する鼓動を急かすように、あるいはその考察が正解であることを示すかのように、呼び出し音がもう一度、勇翔の耳に飛び込んでくる。
「――はい」
「水田です」
二神家のインターホンにはカメラ機能が付いておらず、訪問者は当人が名乗るか、直接応対しないことには誰か判断できない。
「...今、出ます」
スピーカーから出る声色と"水田"の名から、想像できる人間は1名しかいない。
勇翔は立ち上がり、小走りで玄関へ向かう。
「やぁ、久し振りだね」
「お久しぶりです」
玄関を開くと、目の前にはにこやかな表情の女性が意味もなく仁王立ちしている。
「えっ――?」
「お、そちらが噂の二神妹か、初めましてだね」
脇から顔を出して驚く妹に、女性がケラケラとした口調で声を掛ける。
驚くのも無理はない。
先程まで写真データとして見ていた人物と瓜二つの姿が、目の前に現れたのだから。
「――水田先輩、今日はどうしたんですか?」
女性の名前は"水田舞莉"。
前年まで鎌倉大学附属高校に在籍し、勇翔らと部活動で時間を共にした、どこか不思議な雰囲気を持つ掴み所の無い人物である。
「アポなしで来て悪いね。そろそろ"出番"かと思ったから。さて、積もる話ができただろうから、君たちに不都合がなければ上がらせて貰ってもいいかな?」
拒む言葉が出て来ないことを知っているかのように、舞莉は承諾の言葉を受ける前から二神家へと足を踏み入れる。
本来ならば不躾な行為だろうが、意気揚々と歩を進める彼女の足音は、停滞を打破するために打ちなされた拍子木の合図のように感じられた。
Pixiv様にも投稿させて頂いております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20848643