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私はキッチンから鍋敷きと鍋を机に運び、幽霊が桶の中のイルカを鍋へと移し替えた。
「ほんとうだ。生き返ったみたいに泳ぎだした。でも、ほんとうに水に移したときは元気にしていたんだよ。」
「それは多分、まだ生きていたころの記憶がよみがえって、一時的に元気になっていたのだと思います。」
「なるほど。ところで、あなたはお湯に浸からないで大丈夫なの?あなたも幽霊でしょう。」
「あー。僕は大丈夫ですよ。」
そう言って幽霊は少し自分の袖をまくって見せた。腕には貼るホッカイロがびっしりと貼ってあった。
「おお。かぶれそうだな。」
軽い雑談のおかげでこの場が少しずつ和み、私と幽霊はやっと本題に入ることができた。幽霊曰く、このイルカはペットであり、今日は落としてしまったペットを探し回っていたらしい。
「だからですね、みゅーちゃん、イルカを返してほしいのですよ。」
幽霊の要求はしごくまっとうであった。いちいち断っているのが可笑しいくらいだ。私はもちろん、二つ返事すら追い抜かして、イルカを引き渡そうと手が動き、鍋の取っ手を掴んだときには、すでに幽霊の目の前にまで運び終えていた。
取っ手から親指が離れようというその寸前、私はちょうど目が乾き、もう五回のまばたきに入ろうとした。しかし二回目のとき、それはちょうど幽霊が見えず、イルカだけが見えるタイミングである。イルカの灰色の肌が、水面から空気にさらされ、ナスのような光沢と細かく揺れる蒸気を放っていた。私はまばたきと幽霊の関係、このイルカの好む環境を知っている。ましてや飼い主は幽霊であり、法に頼る術がない。私が将来幽霊にならないためにも、いまここでイルカを飼い始めるべきだろうか。
思考は思考、癖は癖でおのおの勝手に動く。思考の裏のまばたきのたびに、イルカが消え、居らず、現れると、幽霊が現れ、消え、現れた。
「すみません。こんなことのために長居してしまって。」
「いや全然。……そうだ。」
私はふと思いついて席を立った。そしてキッチンに置いてあった、電気ポットを幽霊の前に持ち出した。
「これ持って行っていいよ。そのイルカが最初に泳いでた場所なんだ。もしかしたら気に入っているかも。」
「あ、お気持ちは嬉しいのですが、この子のおうちはもうありますので。」
「え、ほんと……。」
情が乗ったうえでの贈り物を幽霊に断られ、私はしばらく目をつむることにした。