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どうやら私は助かったらしかった。イマイチ状況を飲み込めないが、とりあえず中途半端なズボンは腰まで戻しておいた。目の前には相変わらず幽霊がいるようだった。
「あの、目を開けていただいても大丈夫ですよ。」
「え?ああ。失礼。」
言われて、私は目をゆっくり開いた。するとあの幽霊が目の前に、あと少しで抱き合ってしまいそうなほど近くに来ていた。慎重に首を動かして見上げてみると、あの不気味な顔が私を見下ろしていた。なんど見ても反射的に驚きそうになるが、この幽霊は恩人で、少しとはいえ言葉を交わしてしまった。私達はお互いを何も知らないが、もうあまり失礼な振る舞いは避けたい関係性だった。
「あの、どうもありがとう。助けていただいて。」
「気にしないでください。それと……あと二回まばたきお願いできますか。」
「え?ああ、はい。」
幽霊の注文通り、瞼を二回パチパチ。目の前で幽霊が消えて現れた。
「そのままで!目は閉じないでください。」
この幽霊は何も説明をしてくれないが、断ることのほどでもないので目を開けた状態を維持する。一方で幽霊は、私らの足元にある桶を持ち上げ、二人の間まで動かした。
「このイルカと僕、最小公倍数は六です。覚えておいてください。今がまさに六回目なんです。」
「ええ?最小公倍数?」
やけに押しの強い幽霊だった。幽霊というのは、この世にまだ未練がある奴がなるものらしい。コイツのように、まともな会話のできない奴で未練がましいのが居るとは驚きだ。全部を自己満足で終わらせていそうなのに。
「最小公倍数です。僕が二回、みゅーちゃんが三回。だから六回です。まばたきの回数と僕らの関係は知っているのでしょう。」
「……あー、そういうこと。やっと分かったぞ。ちょっとすみません。目が乾いてきた。」
私はまばたきをするのに一度断りを入れて、六回瞼を動かした。幽霊の言う通り、まばたきをするたび視界の中で、イルカと幽霊がなんども点滅していた。そして六回目でついに、両者が同時に姿を現した。
「うん。話が早くて助かります。ところで、ここのトイレ狭いし移動しませんか。お話があるんです。」
「ああ。トイレは一人で入る場所だからね。あと窓は光と空気を入れるためにある。」
どうやら、失礼な振る舞いを避けようとしていたのは私だけだったようだ。お構いなしの幽霊は、私の言葉に相槌だけうって、ずけずけとリビングの方へ行ってしまった。ふと気になって背後から幽霊の足を見るが、この部分はまばたきの回数と関係なく透けて見えないようだった。