マリーとトムの物語
死ねと。暗に告げられた、わたくし。
父親の手腕が滑り、城中の勢力図が大きく塗り替えられたのです。先の王太子妃としての確たる未来を勝ち得ていたわたくしでしたが。栄枯盛衰。この日がやってきました。
婚約破棄でしてよ。ごちゃごちゃ申し立てをせずに捏造された罪を背負うなら、家名を残そうと慈悲の大盤振る舞いを持ちかけられましたので、仕方なく乗りました。
わたくしは一族の存続と引き換えに、手切れ金代わりの金貨をほんの小さな革袋にひとつだけ与えられ、身分剥奪、戸籍抹消の上、貧民街に追放されたのです。
名無しのマリーになりました。
チャリン。ゴミゴミとした路地裏にて革袋がわたくしの前に投げられました。そして無言で立ち去る兵士の皆様方。直に閉門の鐘が鳴り響くであろう時間に。
煤けた建物と建物の間から見上げる空は、美しいすみれ色をしています。流れる白い雲は名残の紅色にほんのり染められております。この時刻ならば、わたくしは薔薇の花びらを散らした湯に浸かり、夜会に行くべく用意をしている頃に。
「朝ならば、ここから出れる方法もありましたのに」
ゴロツキと呼ばれる御方様に良いように扱われ、娼館へと売り飛ばされろ。との思し召しなのでしょうか。この運命に同意してくれと泣きついてきた、血も肉も涙もない肉親と、この先身内になるはずだった王族の皆様。情けなくて涙も出ませんでした。
「危ないと知った時より、貧民街について情報を取り寄せ調べ上げて来ましたけれど」
酷い場所です。この一角は元々は街の中心部、それなりの身分の者達が住んでいた地区。なので建物はそれなりに頑丈な創りですし、足元は補修をされていませんが石畳です。
ずっとずっと昔に城が今の場所に移転したことにより、ここは打ち捨てられ、いつしか流れ者達が住み着き、貧民街になったとのこと。ハンカチで鼻を抑えておかなければ息が出来ない程の悪臭が、路地裏いっぱいに広がっています。
「さて。困りましたわね」
カア、カア! つんざく様に鳴く夜つげの鳥の声が降って降りてきました。それに覆いかぶさる様に野太い『雄』を大っぴらにアピールをするような声が、ぐるりと革袋を片手に握りしめ、ハンカチで鼻を覆うわたくしを取り囲みます。
「ククク。べっぴんの上玉だな。オイ、親方に知らせろや」
来た。貞操の危機が早くもやって来ました。上玉と耳にし、やはりわたくしは美しかったのですね。なんとなくホッとしました。
「貴様のようにねじ曲がった醜い性根が、そのまま顔に出ている醜い女とは結婚をしたくない」
そう言われたのです。醜いを2回も言われたのです! 順風満帆の時には、私の側で咲く美しく気高き、一輪の薔薇の花とか、輝く瞳は夜空の星のようだとか、散々讃えられておられましたのに。同じ口から飛び出た言葉に対し、これには些かへこみました。
ヒヒヒ。下卑た笑いとわたくしを値踏みするように投げつけられる視線は、着の身着のままのドレスを透かし、柔肌を直に見られている熱を感じます。
ドキドキと。胸が痛いほどに鼓動が跳ねます。上手くやらないと、わたくしがここで、惨めに犯された挙げ句、宿に酒代として売り払われ、そこでボロ雑巾になるまで因業な女主に客を取らされ、非業の死を遂げる運命がぱっくり口を開け、わたくしを飲み込もうとしているのがわかります。
出来ればそんな運命からは逃れたいのです。なのでわたくしは、先の運命を切り開く為に夜な夜な考え、練り上げた計画通りに動きます。
「ほん、べっぴんだな」
来ました。親方と呼ばれる輩が……。ヒゲモジャの顔に鋭い眼光、頬に太刀傷がくっきり。親方と呼ばれるだけあり、少しばかり小綺麗な鼠色の胴着。不躾にわたくしの手首を握ろうとしてきましたので。
「無礼な!」
パンッ、とハンカチを持つ手で、音立て振り払います。奇襲になるかしら。貴族の女は子羊かうさぎの様に大人しいと下々の界隈には、そう流布していますから。
「へぇ」
面白そうに親方の目が歪みます。
「城から追い出された姉ちゃんはお前か」
「そうでしてよ!」
ツーン! と思いっきり高飛車に返します。
「なんだっけな? 王子のコレに嫉妬して、とんでもねぇ事やらかして、放り出されたって話を聞いてる」
してません! とんでもない罪を捏造されただけなのです! あの場の事が思い出され、怒りでふるふるとしてきました。そうなるとは聞いておりましたが、よりもよって男娼を買っていたやら、賭博場に出入りをしていたとやら。淑女としてのわたくしをぐじゃぐじゃに貶める、破廉恥極まりないほら話を皆の前でされたあの時!
(こいつら全員、無一文にしてから断頭台に送ってやる)
と決意をいたしました。せいぜい、マナーがなってないと大勢の前で、かの令嬢をけなしたとか、あざ笑ったとか。愛がないとか。その程度だと思っておりましたのに。
「まぁ、どうだっていいっちゃことよ。心配しなくていい。お前はこれからいい事して、それでめでたく罪滅ぼしよ」
「いい事って、何なのですの?」
解っていますが、聞き返します。
「俺をほんの少し楽しませた後、こいつら全員の酒代になるのさ。グハハハハ」
その破天荒なオーラを放つ今迄、接したことがない豪快な笑いに惹き付けられるわたくし。ここで怯んではいけません。乙女の純潔を守る為、密かに立てた計画を果たすため、親方に立ち向かうわたくし。
「ハンッ、安く見られたものですわ! わたくしを上手く使えばもっと稼げますのに」
たったそれだけでいいなんて、安っぽい親方なのでしてよ。煽るわたくし。生意気な、ヤッちまえ親方! 当然ながら手下達が喚きます。
「身代金か?」
「違いますわ」
即座に否定。怪訝な顔をする親方にわたくしは、金貨の袋をチャリンと鳴らすと。
「わたくしのお頭の中にあるのですわ、金儲けの方法が。ここは貧民街、貴方方は人殺し盗賊、人攫い、流れ者の吹き溜まり。貴族から請け負う汚れ仕事もこなす、なんでも来いの男の中の男達が集う地区、この計画を実行出来れば」
ゴクリ。息を呑む様子が手にとるようにわかります。ひとまず言葉を区切り、男達を見渡た後。
「面白い事になりましてよ。ですから」
にっこりと笑みを浮かべます。
「ですから、なんでい」
「わたくしに、しばらく時間を下さいな。話を聞いて駄目と判断をされたら、売り払おうと手籠めにしようとご自由に。これは当座の資金ですわ、親方」
どうせなら大袋が良かったのに。手切れ金としては最低レベル、かっこ悪いですわ。ドケチですわね。ぼやきつつわたくしはチャリンと小さな革袋を、親方の足元に投げつけました。頼りない響きと共に着地。
「親分、クソ女の話なんか聞かんでも」
ビリビリとした緊張が場を支配します。醜いからクソ女になってますわ。怖いのを堪え、精一杯虚勢を張り、男共に負けないとばかりに睨めつけます。
じっと値踏みをするように見つめる男の視線に耐えつつ、産まれて初めて心底、性根を入れて神に助けを求めた祈りを捧げます。
「わかった、話を聞く。こっち来い」
哀れに思われたのか、神に捧げた願いはしっかと届き叶えられました。
☆☆
親方の名前はトム。わたくしの打ち明け話を聞いて、眉間にシワを寄せると、猛獣が獲物に襲いかかる表情とはこの事か。とばかりの形相になり、ボヤきました。
「嬢さんの話はわかった。そういう事か、ったく腐ってらぁ、変わんねぇ。はぁぁ、わかったみんなに相談してくらぁ。しかしここで暮らすんならまずは喋り方だな」
「わたくし、なにか変ですか?」
「貴族と俺らとは違え。堅苦しくてかなわん。お母に倣え」
わたくしは親方の家で、同居しているお母様に手伝って貰い、渡された衣服に着換えると、身が軽くなった気がしました。布地には重いばかりの刺繍も飾りのビーズも縫い取られてませんから、おまけに裾短で取り回しがとても楽。
ヒールの靴も脱ぎ捨てペタンとした不格好な短靴に履き替えます。ああ! 何て自由なのでしょう!
「この服は?」
「嫁のだ。早くに死んじまったがな。嬢さんに似て金の髪がきれいでよう、恋女房だったんだ。娘と一緒に死んじまった」
結い上げる事もこの先無いだろうと考え、長い金の髪を半分ばかり切り、後ろで束ねた姿を見てしょぼくれる親方の姿。代わりにお母様が教えてくれました。
「貴族の家で殺されちまったんだ、あたしの自慢の嫁と孫だったのに、マリーや、これらみんな、売っちまってもいいかい?」
「売れるのなら何でもどうぞ。ドレスも靴も要りませんわ。そうですか……」
お悔やみ申し上げますとでも言おうか、それとも元貴族として、お二人に謝罪すべきか言葉尻が迷子になります。
「いんや、いいって事よ。それより嬢さん、その。金儲けの方法は上手くいくんかい? 話を聞きゃ、かなりヤバいと思うが」
「マリーです。ウフフ、怖気づきましたか? ここから離れる事にも。でも飢える人々を助ける事が出来ましてよ」
「上手く行きゃそうなる、上手く行かなきゃ縛首だぞ?俺らは、住処を変えてるからええが、一蓮托生とばかりにここを焼き払うだろう、奴らは」
界隈の人々の事を案じたのか、迷う様子の親方。あら、案外肝っ玉が小さいのか、それとも猛獣みたいな顔に似合わず、誠実で優しいのか。意外な一面を垣間見ました。
「ハンッ 情けない。おみゃ、それでもあたしゃの息子なのかい? 孫を殺されたと聞いた時に言ってたのは、大嘘だったのかい? 嫁の仇を取ってやると言ってただろうが」
切り落とした髪を丁重に集め束ねながら、お母様が叱咤をかけました。
「運が向いてきたんだよ! マリーが持ってきたんだ、乗らないでどうするんだい!」
「でもなぁ、あれから何年も経ってるし、お母達が危ない目に合うんわな……」
「でも、もしもつぅんなら、あたしらがやってやるよ! こう見えても若い頃は、金儲けのためなら、おみゃ並みに、何でもやってきた! 鍬だって振れっぞ、少しばかり練習すりゃ、刀位振れっぞ!」
あら、お母様がやる気満々ですわ。わたくしも剣術はほんの少々習った程度、もっと鍛え上げなくてはいけません。
「お母様! ありがとうございます」
「マリーや、おみゃをみていると、死んだ嫁や孫が帰ってきたみたいだよ、あたしゃ、やるよ!」
お母様!、マリーや! ひしっと抱き合うわたくし達。
「知らないこと教えて下さいな」
「んだば、まずは喋り方だな」
はい、わかりました。そう言うと堅苦しく話すなと叱られます。そんなわたくし達を見ていた親方は、仲間と相談してくる、そう言い残すと外に出ていきました。
☆☆☆
どうしてわたくしの手は直ぐに破れて、血が出るのでしょう。軟弱にも程があります。木刀を振ったその日、お母様に倣い、灰汁とシャボン草で洗濯をしただけで、赤剥けになるのです。
「手を出せ」
ボロ布を見つけ出し、不細工に巻いていたのを親方に見つかりました。
「大丈夫です」
「水仕事もしたことないお嬢さん育ち、無理するな」
知っている風に笑いながら言うと、ポケットから軟膏を取り出し、わたくしの両手のひらに塗り込めるます。ダンスでもないのに、異性に触られる事にドギマギ致します。
「アイツも一緒になった時は荒くれ仕事で、ピーピー泣いてな。こうやって傷薬を塗ってやったんだ」
「奥様ですか?」
「おう、娘と屋敷を出ようとして、あっさり死んじまった」
ポツポツと語る彼の言葉に、私と同じ髪色をしていた彼女に持っていた疑問をぶつけます。金髪銀髪、濡羽色は貴族王族の髪色なのです。稀に市中にも産まれ落ちる事があると聞いてはいますが。
「貴族のお産まれでしたの?」
返事はありません。手慣れた手付きで布切れを巻いていく親方。
「柔らけぇ、綺麗な手をしてるな」
ドキドキ。ヒゲモジャ、猛獣みたいな顔から意外な言葉が出てきました。この様な扱いを受けたことのないわたくしは、頭に血がのぼり倒れそうです。
「よし、出来た。グワハハハ。俺は昔働いていた屋敷でな、家畜番だった。そして嫁は髪の色は美しかったが醜女でな、家族からゴミみたいな扱いをされてたお嬢さん。でな、恋仲になり、攫ったんだ。ろくでもねぇ屋敷から」
「どうして殺されたのですか?」
湧き上がる疑問をそのままに投げました。どうしてかはわかりませんが、どうしても全てを聞いておきたかったのです。
「嫁は醜女だったが、娘はべっぴんだった。まだ7つだった。どこで見つけられたのか、知んねえ。ある日、西のお偉いさんが兵隊を連れてやってきた。貴族のお嬢様を攫った悪党の住処を焼き払うと、そういうんだ。だから嫁は娘を連れて行っちまった。俺とお母を守る為に。その頃は村に住んでてな、何も出来ん村人だったんだ」
噂話で聞いたことがありますわ。その話は……、酷い事だったのです。変態好色爺とわたくし達の間で後ろ指をさしていた、西の領主が若い娘を手に入れたとかなんとか。母親は醜女だけど娘は綺麗なので、親娘で屋敷に引き入れたとか、なんとか。
「顔の傷はその時に?」
胸が締め付けられました。
「お母じゃないが、鍬を振り上げた時にな。村からはお母諸共、追い出された。そしてここに来て生きるために何でもやってきた、酔いどれ貴族を襲って金や剣を巻き上げたり、な。あー! 湿気った話は終わりでい!」
この傷薬はよく効く。話を切り上げくしゃりと笑う親方。わたくしは熱くなる胸を、目頭を堪える事を、堪えることに、それだけで精一杯。
不意に大きな手が、ポンと頭の上に置かれました。慰める様に、くしゃくしゃと撫でられました。
☆☆☆☆
手の皮がほんの少し丈夫になった頃。わたくしが私に変わった頃、口調が砕けて、貧民街も独りで歩ける様になった頃。少しずつここでの、ないない尽くしの暮らしにもなれ、諸々な計画も少しずつですが進んでいます。
「クソ不味い、芋ゴリゴリだな」
「すみません……」
初めてひとりで作ったスープでした。私が今、ママンと呼ぶお母様が仲間と共に、一足先に貧民街を出て新しいアジトへと向かった日、教えてもらった通りに作ったはずの夕食。
ああ、スープひとつまともに作れないとは、なんて情けない私。美味しいと言ってほしかったのに、確かに木の匙が辛うじて刺さる芋のスープは、クソ不味いのです。
「まあいい、食えりゃ」
「ふぅぅ。情けない、旦那様の為に作ったのに」
ぶほぉぉ! 突然むせだす彼。私は驚き慌ててガタピシのテーブルの上に身を乗り出し聞きます。
「どうしたの? むせる程に不味い?」
「ゲフンゲフン、いや、その。だ、だ旦那様っつうのは」
「どう呼べば? この前、そろそろ親方呼びはやめろとか、言ってたから」
キョトンとしてしまいました。硬い黒いボソボソのパンの欠片を器に入れます。ふやかして食べるとなかなかに美味なのです。
「だ、旦那様はやめろ」
むせて苦しいのか、真っ赤になりスープを高速回転で匙を掻き回す彼。私はパンの欠片をすくい、口に運びながら少し考えて。
「じゃぁ、貴方とか」
「ひゅぅぅ、あ、貴方も駄目だ」
即座にダメ出しを喰らいました。
「んと、じゃぁ、ママンに教えてもらった、お前さん」
「ぎゃふん! お母、マリーになんてこと教えんだ! やめろ」
天板の上の彼の分のパンを掴むと、口に放り込みます。我儘です。呼び方が無いと不便なのです。モゴモゴモゴモゴ、パンに膨れた口を動かすと、ヒゲモジャが合わせて踊るよう。
「でしたら、トム」
私がそう呼ぶと、何という事でしょう。フュフグエ? 蛙が踏みつぶされた時の様な、誠に奇妙な叫び声をひとつ上げ、天を仰ぐと椅子ごと後ろに倒れてしまったのです。
「キャァァァァ! どうしましょう、パンを喉に詰めてしまったの?」
立ち上がり、慌てて倒れた彼の側に駆け寄ります。真っ赤になりピクピクしています。きっと硬いパンを大口に、入れたからに違いありません。
「飲み物!」
思いつき、何時もの酸っぱい葡萄酒が入ったマグを手にすると彼の元へ。大丈夫だと起き上がる、彼の手に渡します。グビグビの飲む喉仏を眺めてひと安心。
「ふう、気をつけて下さいな。トム」
そう注意しただけですのに。
「ヒュググゥ! ぶふぉぁぁ!」
盛大にむせて葡萄酒を辺りに撒き散らすと、そのままきゅぅぅと目を回してしまいました。
「キャァァァァ! 大変なのです! まさか葡萄酒に毒が!」
私は大慌てで外に助けを呼びに行ったのです。
☆☆☆☆☆
準備に時間がかかりました。大っぴらに動けば、役人の目につくからです。私はそういう事には詳しいのです。私が剣術を習う事に、走り回っても目を回さない体力をつける事に、読み書き計算を貧民街の皆に教えたり。
戦う仲間が貧民街を密かに離れ、森の中にアジトを築き上げたり……、時間をかける事に越したことはありません。
「なんでぇ、城下の金持ちの屋敷から先に襲わないのか?」
トムと仲間達と作戦を練り上げて行きます。
「先ずは西の領主の牧場を狙いましょう、良い馬がたんと集められてますからね。馬を手に入れれば、平和ボケの騎馬兵なんてへのかっぱ。王族に献上する馬もほぼ、西の領主のもとから出されていたはずです、そこからかっ攫いましょう」
地図を広げその地に消し炭で○を入れる私。
「馬かぁ、久しぶりだ。馬乗れるもんは手を上げろ」
トムが西の領主と聞きくと俄然やる気を出し、皆を見渡し言います。
「おう! これでも下級兵だったからな、乗れるぞ」
「俺も乗れる! 馬丁をしていた」
胡乱な輩が次々に挙手をします。
「西の領主は悪い噂も多い、なので野盗に襲われたとしても、城下からかなり外れた土地でもあるし、それほど警戒はされないでしょう、馬をなるべく沢山、手に入れて機動力をつけましょう、そして少し潜みます」
「隠れるのか?」
「ええ。トムは領主を殺したいのでしょう? 野盗はひとつ大きな仕事をすると、しばらくは動かないものです。その間に準備を整えましょう、上手くいくと仲間がもっと集まるかもしれない」
クスクス笑いながら私は唆す様に言います。
「でもなぁ、何をするのにも金がいる、マリーの金貨はもう残り少ない」
トムの言葉に私は明るく返しました。
「大丈夫です。あのクソ変態好色ジジイは、金も宝石もガッポガッポ、変態桃色館に溜め込んでいるという話を聞いていました。何かしらは手に入るはず」
「するとその金で、貧民街のみんなに飯を腹いっぱい、食わせれっか!」
トムが至極まともな言葉を、集まる皆に出したのですが。
「うひゃひゃ、姐さん!口が悪くなったなぁ」
「姐さんの口から、クソ変態、クソ、ヒヒヒ」
「親方が夜な夜な教えてんだよ、なあ、親方」
それには触れす、仲間が大喜びで私の言葉を取り上げ、囃し立てるのです。何なのでしょうね。最近、私はみんなに『姐さん』と呼ばれるんですよ。
「ちげっし、お前らが教えるんだろが!」
ゴチン! 夜な夜なの彼に、げんこつを落としたトム。
☆☆☆☆☆☆
黒染めの外套をすっぽりとかぶる皆と私と親方のトム。追い出された時の手切れ金の金貨の一部で、買い求めた布地。ママンが貧民街の女の皆が、心を込めて縫い上げてくれた代物。
私、絹地に色糸で刺繍は刺せるのですが、極太の針を扱い、厚い布地を断ち、運針は無理でした。糸が粗末になるし、解いて縫うをすれば布地が傷むからやめろと、ママンに叱られたのです。
「お前には出来る事がある、読み書き計算、馬にも乗れる、剣もやっぱうまい、城下にも貴族の屋敷にも、城にも詳しい、皆にそれらを教えるんだ、そのほうが時間の無駄にならん」
時は金なり、得意な事をすりゃええ。ママンの持論です。私は胸が熱くなりました。かつて蝶よ花よと暮らしていた屋敷では、美しさだけがもてはやされ、私がどんなに勉学に励み努力をしても、知らぬ顔をされていたのです。
「生きて帰ってこい、ママンをこれ以上さみしくさせないでくれ」
縫い上げた外套を私に着せかけながら、そう言ってくれたのです。わたくしだった頃、あの日あの時。真反対の言葉を家族と信じて疑わなかった人々にさらりと、命じられたのです。
外套の手触りを感じ、トムの側で思いが溢れます。様子が変わった私に大丈夫かと聞いてきた彼。木立の中、闇に紛れる私達。ヒゲモジャの下の心配顔が、見えないけれど、くっきりと見えた気がしました。
「さっきからしゃがんで何をしてたの?」
私は気持ちを切り替え聞きました。
「ああん? 字の練習をちょっと。な」
字の練習? その言葉に少し驚きます。
「マリーによ、教えてもらったんで、ちいっと読み書きできる様になってな、街のクズ拾いで何か書いてあるの読んだり、火事場の片付けなんかで、運良く半焼だと残ったんが、まれにあったりしてよ、知ったんだ」
周りの皆もうんうん、俺たちゃお貴族様みていに、ちょい勉学してんだぞ。と声が上がりました。
「これからやることは、俺たちみたいな、底っ面のモンが腐った世の中を正すんだろう。『天誅』ちゅう、言葉を書いてやろうと思ってよ、みんなと決めたんだ、すまねえなマリー、謀反になるだろう、この先お前の家も、知り合いも、城も。何もかも焼いちまうかもしれん」
「いいのよ。ごめんなさいトム。私、そういう事を考えていたの。最初に面白い事になると言ったでしょう、昔の家族も知り合いも、婚約者も何もかもめちゃくちゃにしてやりたかったの」
酷いことを言われ追い出された社交界を思い出すと、今でも『わたくし』が許せないと、心の中で叫びます。
「いいってことよ。俺らみたいな貴族に何もかも全部取られちまったもんが、お前の計画とやらに乗らないわけがねえだろ? お母が言った通り、マリーが運を持ってきてくれたんだ!」
トムの言葉とそれに同意をする仲間の声が、熱く私の身体の中を駆け回りました。私は彼の太く硬い腕に手を伸ばすと、ピットリと身体を寄せました。暗さが私に自由に動けと背を押してくれた様です。
「ふふふお! な、何やってんでぇ、そんな事はな。終わってから、ゴニョゴニョ」
また真っ赤になっているのでしょう、猛獣みたいなヒゲモジャの顔が。
「終わってからお楽しみってか? いいねぇ親方!」
「お楽しみってなあに?」
仲間の声にわざとおぼこを装い、身を硬くしている彼に聞きます。
「し、ししししししらねえ! そ。そろそろ夜更けの鐘の音の時間だろうが! しゃんとしろ!」
腕を振り解くトム。だけど直ぐに私の手を握り締めて来ました。大きくてゴツゴツとしてて、熱くてガサガサの手触り。
「無理するな」
そう、真剣な声。
「うん。トムも」
そう、返しました。
「帰ろうな、お母のところに」
ぎゅっと握りしめられた手から伝わる熱さと優しさは。
生きろ。と、暗に私に告げていたのです。
終