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4月

 自慢気な表情でアジモフはそれを渡してきた。

 表紙には鉛色の肌の男を背後から掴むロボット、"アスタウンディング"の3月号だ。表紙タイトルの下にサイエンス・フィクションと書かれていたが、以前からそうだったか覚えが無い。


 何で3月号をアジモフが持っているかと思ったら、自分で買ったのか。

 去年末あたりからアメリカ製のものは何でも倍くらい値段が上がっていたから、これも結構な値段と手間がかかっている筈だ。傀儡国認定されて以来、アメリカからウクライナへの正規の輸出というものは無くなってしまっている。これはドイツやフランスからの迂回輸入だ。

 パラパラと捲った限りでは掲載されていたのはいつもの常連の作家たちで、出来も知れたものかと思ったのでアジモフに返そうとしたら、最後まで見ろと言う。

 そして見つけた。読者からの手紙。


 "まずはつたない英語をお許しください。貴誌をウクライナで毎月楽しく読んでおります。ナチに脅かされる日々において、私にとって貴誌とSFは欠かすことの出来ない酸素のような存在です。

 さて、皆様にとっては遡った話になると思いますが12月号、E.F.ラッセル氏の……"


 え、書いたのか、送ったのか、コレ。

 アジモフの文章は掲載され、そして編集長の返事が、アジモフの現状に同情的な、励ます言葉が付されていた。


「でさ、書いたんだけど」


 そう言って、別の紙の束を渡してくる。綺麗にタイプされたその一番上にあるのは、


 "宇宙のコルク抜き I,アシモフ"


 書いたのか、SFを。

 全部、英語だ。文法上のミスも見たところ無いように見えるが、そもそも英語は読めても書けるほうではないレムには判断がつかない。

 感想を言うべきか。いや、今それより気になったことがある。


「やっぱり、アメリカか」


 ウクライナの情勢はどんどんキナ臭いものになっていた。

 デモを煽っていた新聞"首都報知"の編集長が変死体で見つかり、ウクライナ中央ラーダ議長のスキャンダル騒動はよくわからないうちに辞任騒ぎになり、そしてウクライナ共産党の幹部三人が、集まっていたところを爆殺された。


 いつの間にか治安警察というものが出来ていた。法的には去年末に根拠法が成立していたらしい。治安の悪化状況において指定の機関は法の定める強権を執行できる。スパイの容疑さえあれば逮捕状無く逮捕できるし、財産も強制収用できる。スパイに関連した事件では機密を保つためにあらゆる情報を秘匿できる。

 情報を秘匿できるという事は、勝手に殺して勝手に葬り去ることができるという事だ。


 爆殺事件の犯人を捜す名目で、治安警察は共産主義者狩りをしていた。

 共産主義者同士の仲間割れだと爆殺の原因を決めつけつつ、国家転覆を目論むスパイの陰謀として共産主義者を逮捕していた。どのくらい逮捕したのか、機密扱いで情報が出てこないから推測すらできない。

 治安警察の対共産主義者戦略は完璧にうまく決まったらしく、ドゥマ広場に貼られる共産主義者たちのアジビラは日を追うごとに少なくなっていた。

 治安警察は印刷機を回転謄写機も含めて片っ端から使用禁止にしていたから、新聞はナチシンパの"ウクライナの光"紙以外はもう二週間も出ていない。連中の新聞には"治安はどんどん良くなっている"としか書かれない。

 おかげで分裂したキエフ大学幻想文芸サークルも、どちらも会報を出せていない。

 ラジオは去年末に国営にされて、今では定期的に民族の敵に対する憎悪を煽るようになっていた。


 次はユダヤ人だ。それはもう誰の目にも明らかだった。

 ユダヤ人の所有する企業が相次いで"国有化"されていた。南ウクライナではユダヤ人たちの集団農場(キブツ)が襲われていた。

 こうなってはユダヤ人たちはウクライナを脱出するしかない。


「僕はそう言っているんだけどね、父はパレスティナをどうしても望んでいるらしくてさ」


 さて、どこへ行くか。ポーランドはユダヤ人を受け入れていたが、ドイツが攻めてくるのは時間の問題であり問題外だ。ソヴィエトもユダヤ人を受け入れてくれるだろうが、最後の手段になるだろう。共産主義だからという訳では無いが、大まかに言って貧しくなるのは避けたい。

 その点パレスティナはゼロからの出発になるが、ユダヤ人コミュニティが発達しているので相互扶助が期待できるのだ、というのがアジモフによる説明だった。


 アジモフ本人の希望は勿論アメリカへの移住だ。

 アメリカは東欧からの移民を締めきって久しい。ただ、近年の迫害によってアメリカの世論はユダヤ人難民の移民受け入れに寛大になっている。

 しかし、


「二万五千人の割当枠が七万五千まで増えたって話をしたんだけど、ここキエフに三十万人のユダヤ人がいて、ナチスに脅かされている地域には全体で数百万人はいる訳だから、移民枠なんて一瞬で埋まってしまう筈だって」


 冷静に考えればアジモフの父親の言うとおりだ。

 そこでドアをノックする音がする。ドアを開けると、アジモフの2つ年下の妹、マーニャだ。


「父さんたちは?」


「先に行ってろ、って」


 アジモフは隣の部屋の方向を指さし、


「メンデルは寝てるから、起こしちゃだめだよ。あと」


「明かりはつけるな、でしょ。わかっているから」


 アジモフの妹も小さな弟も眼鏡を掛けていて、父親も黒縁のごつい眼鏡をしていた。母親にはまだ会っていないが、この分なら賭けても良いが、きっと眼鏡を掛けている筈だ。


 レムはアジモフら一家を自分の寄宿先に匿っていた。

 ポグロム(ユダヤ人迫害)は今まさに始まっていたとしてもおかしくなかった。


 まだ直接的にはアジモフらユダヤ人に危害が及んでいる訳では無い。しかしもう時間の問題だ。


 昨日からラジオは、警察がユダヤ人を保護するということは全くない、多くの場合は逆であろうという内容を流していた。気を付けて聞いたものは、言及されているのが"警察"であり"治安警察"では無いことに気が付いただろう。これは警察がもう完全に治安警察に組み込まれた印だった。

 もっと直接的にはそれは、ユダヤ人に対する暴行、略奪、その他諸々残虐な行為に対するお上のお目こぼしの承認だった。

 市街地には妙な浮ついた雰囲気が漂っていた。何かの祝祭日だと言われたら信じていたかもしれない。


 レムの寄宿先は操車場の向こうの木造二階建てで、廊下は隙間風が吹き込むぼろ家だった。実際にはこの建物は母屋の離れで、ポーランド人学生があと1人同じ建物に住んでいた。

 キエフ大学は操車場を走って渡ればあと1キロほどの近くであり、おおよそ便利な立地であるとは思っていたが、市街地とは離れた寂れた場所である。

 レムは大家から、空き部屋の掃除を時々やることを請け負っており、その為に合いカギを所持していた。

 アジモフにそれを話すと彼は親に話し、いざという時に備えて、とりあえず子供たちをレムの管理する空き部屋に避難させていたのだ。


 嫌がらせによく使われる祝祭日、過越しの日をうまく乗り越えたことで、ユダヤ人の中には、何とかなるのではないか、と考えるようになった人が多いようだった。

 何といってもユダヤ人はこのキエフの人口の三分の一に及ぶのだ。隣人の三人に一人はユダヤ人である街で、そんな恐ろしいことが起こるなんて、とても考えられない。

 そう思った者が多くても仕方あるまい。


 だが、ナチの考え方は計画的で、考え抜かれたものだった。


    ・


 レムの部屋は二階で、窓の外は操車場のおかげて東に開けたものだった。夕方の日差しは弱く、室内には明かりが必要だったが、まだ夕方のうちだ。

 そのずっと東北の眺望、あれは夕日を受けたものにしては、あまりに赤く思える。

 黒い煙が立ち上るのが見える。

 ポグロムが始まったのだ。


 窓辺に近づいたアジモフは、すぐに事態を察した。


「両親を迎えにいってくる」


 待て。レムは呼び止めた。ユダヤ人である君が行くのは危ない。


「幸い、君のお父さんにはこないだお目にかかったから、何とかなる」


「いや、そもそも、僕の家を知らないだろ」


 レムは不承不承それを認めたが、やはりアジモフを一人で行かせるわけにはいかない。

 二人で行こうと決める。アジモフが妹に説明しに行っている間に、レムはロケットの作業をするときに着ている作業着を引っ張り出す。帽子もだ。

 戻ってきたアジモフに、上だけでも着るように言う。アジモフは黙って帽子もかぶる。


 暗い操車場を渡りながら、アジモフは話す。


「ずっと考えていたんだ。三十万人もいる僕らをナチどもはどうするのかってね」


 軍隊を動員して相手してもちょっと大変な人数だ。僕らがもし武器でも持てば、下手をすると僕らのほうが勝つかも知れない。

 じゃあ連中はどうするか。無傷で僕らを無力化するにはどうするか。

 隣人に襲わせるのが一番だって、きっと考えた奴がいた筈さ。そこで何が起きようとナチの連中は痛くもかゆくもない。そうして僕らがすっかり打ちのめされたところで、ナチ共は僕たちの市民権を奪い、ゲットーに閉じ込めてしまうだろう。


 今のところはナチ共の思った通りの展開だろうね。アジモフはそう締めくくった。


 線路伝いに北へ向かう。転車台を超え、長い貨物車両の影を歩き、飛行場通りまで誰とも出会うことなく辿り着いた。

 飛行場通りを東に、キエフ工科大前のいつもの道を超え、しかしリヴィウ通りに差し掛かると、明らかにおかしな連中が闊歩している。一人は毛布らしきものを引きずっている。毛布の後ろには、どうやら略奪品らしき品が乗っている。


 アジモフの案内に従い、林の間の道を進む。起伏のあるちょっとした丘が連なるのを超えて、眼下にポジール地区を眺める場所まで来た。坂を下ればちょっとした広場があって、その先が事実上のユダヤ人街区だった。

 そのポジールのあちこちで火の手があがっている。既に日も暮れて、具体的にはどこが燃えているのかわからない。


 広場のあちこちに人が固まっている。形のばらばらなソファが集められたところにいる人たちは焚火を囲んで酒盛りをしているようだ。真ん中のテーブルには略奪品らしき酒瓶が並んでいる。ソファも勿論略奪品だろう。きっと多分重くて持ち帰るのを諦めたのを集めたのだ。


 何やら演説をしている男もいる。金庫らしい台の上に立って、スラブ民族の歴史らしいものをがなると、時々棒のようなもので台の下の人を叩く。台の下の男は背を丸くし頭を抱えて暴虐に耐え続けている。

 レムはアジモフの手を引いてその場を離れた。


 宝石店の窓は全て割られ、ビロードのカーテンはあらかた引き裂かれていた。

 すれ違った暴徒は、手に割れた酒瓶を持っている他はまったく普通の市民のように見えた。普段の街路で出会ったように、路地で手を振りあってすれ違う。


 路地裏はガラスの破片が散らばっている他は平和に見えたが、開かれた窓から覗く室内は例外なく荒らされた後だった。

 大きな建物が燃えていた。アジモフがシナゴーク(公会堂)だと教えてくれる。路地に倒れている人がいる。近づこうとするアジモフをレムは制止した。


「家へ行くのが先だ」


 促されるとアジモフは顔を伏せて、歩き出す。

 入り組んだ街路の奥、割られた植木鉢や引き裂かれたシーツを乗り越えると、思ったより静かな空間があった。だが、地面には濡れたものが引きずられた跡がある。血か。


 アジモフの家は荒らされていたが、誰もいなかった。しかし、玄関のドアの裏側に白いチョークで何か書いてあって、ああヘブライ文字か。


「移動したってさ」


 無駄足か。

 裏路地を歩きながら、どう帰ろうかと思案した。


    ・


 戻ってみると、アジモフの両親は先にレムの寄宿先に無事に着いていた。ボートでドニエプル河沿いに下って、要塞の手前でボートを降りて歩いてきたのだそうだ。

 思った通り、アジモフの母親も眼鏡をかけていた。


   ・


 ポグロムはその後も半月ほど散発的に続き、その間アジモフの一家はレムの寄宿先に隠れていた。

 新聞は不逞民族勢力によって破壊活動が行われていると煽り続け、ポグロムは郊外のユダヤ人狩りに変わっていた。


 片っ端から共産主義者を逮捕することで、民族主義者政党であるウクライナ人民団体は議会で多数派となり、何でも法案を通せるようになっていた。

 改憲がおこなわれ、選出された総指導者(ヘーチマン)に立法権をはじめありとあらゆる国会の議決を必要とした権利が付与された。国会は次回の開会を無期限に延期とされた。

 

 治安法も改正されて、共産主義者と一緒に、"別項にて指定する特定の民族"もその対象に含められることになった。その別項には今のところユダヤ人しかいない。

 指定の民族は、居住地の制限のほか、居住地外の就業も移動も許可制になる。その際許可証は常に携行しなければならない。

 居住地に指定されたポジール地区に続く街路に門が設けられ、地区は閉鎖された。


 治安警察はユダヤ人に対する暴行をやめるよう呼びかけ、ユダヤ人を保護すると言い出したが、それを本気にする者は少なかった。少なからぬものが国外脱出を試みた。しかしビザも移住許可も無いのに出国することはできない。


 残ったユダヤ人たちはポジール地区に詰め込まれた。アジモフの一家もポジール地区に戻った。以前の五倍の人間を詰め込まれた街は高級商店街から不潔なゲットーに姿を変えていった。

 ポジール地区だけでは収容できなかったユダヤ人たちは、キエフの北の荒れ地に収容施設が作られてそこに押し込まれた。

 今やユダヤ人全体が公民権を停止されていた。


 アジモフは学生の資格を停止され、それきり会えなくなった。

#ウクライナについて 1/2


 1917年、ロシア帝国は崩壊し臨時政府が現れ、直後にウクライナに支配的な独立政権、ウクライナ中央ラーダが誕生しました。これはウクライナの独立を目指す民族主義者や社会主義者、共産主義者、文化、職業団体など広範な勢力の調整の場でした。

 ロシアでは10月に共産主義者が政権を握り、このソヴィエト政権はドイツと講和に向けて交渉を開始すると同時に、ウクライナ中央ラーダに対しては敵対しましたが、ウクライナ中央ラーダはドイツと独自に講和してドイツ軍の支援を仰ぎこれを退けました。

 しかし1918年11月ドイツは降伏し、第一次世界大戦は終わります。ドイツ軍は現地で武装解除、解体されましたがそれは表向きで、ウクライナ共和国軍として再編されたドイツ軍はソヴィエト軍および干渉勢力を退けました。


 ウクライナ中央ラーダは戦後ドイツに様々な支援をおこないましたが、その実態についてドイツに国家を乗っ取られた傀儡国家であるという見方が広がり、多くの国で独立国との承認は1920年代末までずれ込みました。ちなみにこの時期日本はウクライナに多くの人員を派遣し、その調査の結果が満州国建国に生かされています。


 ウクライナは1933年のナチス政権掌握以降、次第にドイツの支配下に置かれるようになります。1938年に中央ラーダが事実上機能を停止すると、多くの国がウクライナをドイツの傀儡国とみなして国家承認を取り消しました。中央ラーダはウクライナ版の総統、国家総指導者ヘーチマンを選出すると解体されました。

 ドイツは同年オーストリアを併合し、更にズデーテンを併合すると、ヒトラーはチェコスロバキアを丸ごと併合してウクライナと接続する回廊を手に入れようと考えるようになります。1939年チェコスロバキアをドイツの保護国としましたが、これはハンガリーと緊張を高めることとなります。

 同年ハンガリーにクーデターが起き、新政権はドイツのウクライナとの接続回廊を脅かすこととなります。この事態に対してドイツはルーマニア軍と共にハンガリーに進駐、ハンガリーを傀儡国としました。


 1941年9月、ドイツによるポーランド侵攻によって第二次世界大戦は始まりました。ソヴィエトはこれに一方的に参戦し、ドイツは即時に東方と西方、二正面の大規模戦闘を余儀なくされることになります。

 これを予想していなかったドイツは日独伊三国同盟の締結を呼びかけたものの、ドイツの勝利の可能性が高くないことを理由に日本はこれに参加しませんでした。従来ドイツは対ソヴィエト戦争の計画を比較的遠い将来に置いており、軍事同盟の必要性を強く感じていなかったのですが、これは裏目に出ることになります。

 1942年4月、まず西方に決着をつけるべく開始されたドイツの対仏戦は大成功を収めますが、一方でウクライナではドニエプル河まで戦線を撤退させることとなりました。以降敗戦までドイツは遂にドニエプル河を超えることは出来ませんでした。1944年春にはワルシャワ正面までドイツの戦線は後退することになります。

 同年イギリスおよびカナダ、合衆国合同軍が欧州に上陸し、欧州西方に再び戦線が構築されることになります。同年末にはソヴィエト軍はドイツ国内に侵攻、1945年2月、ドイツの降伏によって第二次世界大戦は終結しました。


 以降ウクライナはソヴィエトに統合され、分割されたドイツの東側、新たに影響下に置いたポーランド、ルーマニア、ハンガリー、チェコスロバキア、オーストリアにソヴィエトは共産主義政権を樹立させ、事実上の傀儡国としました。

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