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燃焼試験

 コロリョフはキエフ工科大学の技官で、ロケットを制作する"キエフ航空宇宙協会"(КАКА)の事実上の指導者だった。


 "キエフ航空宇宙協会"は建前ではキエフ工科大の学生サークルである。元々あった人力グライダー飛行クラブに幻滅したコロリョフが、学生として在学中にもう一つのグライダー飛行クラブ、キエフ惑星間飛行クラブの母体を作ったのが始まりだ。彼はオデッサの海岸で開かれる大会では自分の設計したグライダーで準優勝までしていた。

 その後コロリョフは技官として就職すると、今度はロケットづくりを始めたのだという。


「実験開始まで、まだしばらくかかると思う。

 スタニスワフ、ちょっと点火器を外してちゃんと動くか確かめて欲しい。アイザック、君はワーリャの相手をしてやってほしい。何か悩んでいるらしいのだが、君なら何か助けになってあげられるんじゃないかと思う。頼むよ」


 エンジンを据え付けた架台の奥に誰かいると思っていたが、もう一人のロケット狂のおっさん、ワレンチン・グルシュコだ。軍研究所の研究者だと名乗っていたが、それにしてはここで見かける頻度が多すぎる気がする。


 コロリョフはどこからともなく人材と予算、資材を集める才能を持っていた。そもそもレムらも何故かキエフ大学まで来ていたコロリョフに一本釣りでスカウトされたのだ。


   ・・

   ・・


 5ヶ月前の9月、入学当初のことだ。


 キエフ大学の履修申込書の受付期間はやけに短く、そのため新一年生であるレムは期間の初日にキエフ大学を訪れていた。

 入学に当たってセレモニーのようなものは無いと聞いていた。朝一番に大学を訪れて、それから履修やら単位やら、それまであまり縁のなかったあれこれの説明を受けると、履修申込書を提出してその日は終わりだった。


 その後、校舎を出て通りに向かうところに銀色のロケットの模型と、そしてコロリョフがいたのだ。彼は学生を勧誘しようと熱心に声をかけていた。

 ロケットは実験に使った本物という触れ込みだったが、今にして思い出せばあれは8割方ただの模型だった。空力翼の試験モデルに厚紙の胴体を付けて色を塗っただけの代物だ。


「ここの、空力舵のサーボは本物ですか」


 そう聞いたレムに、動作確認済みの本物だと請け合った男は、レムの名を聞くと、


「なんと、西ウクライナ最高の天才じゃないか!」


 知られていたとは。レムはずっと神童として生きてきて、でもここキエフではどうかと内心びくびくしていたのだ。だが、ここでも天才扱いされる感触を掴んで、少し心が浮き立ったところに、


「今度は東ウクライナで一番の天才だ!すごいぞ!」


 それがアジモフだった。


 スタンフォード-ビネー知能指数(IQ)検査で180を出したと言うと、大抵の人はレムを見る目が変わる。特別な人間、天才だと。

 小さな頃ギムナジウムで1年飛び級して以来、天才と呼ばれることは周りより1歳年若いレムの絶対の生存戦略だった。


 しかし、アジモフは知能指数検査で200近い数値を出していた。そして二番目というのは、その待遇において本物の天才じゃないのだ。


   ・・

   ・・


 キエフに来たことの最大の収穫はアジモフだったと、今のレムなら断言できる。

 知能指数検査の数値で張り合ったところで、ここキエフでは誰か他人が気にする訳でも無い。そういう事柄に熱心だった親たちの元をせっかく離れたのだ。いちいち気にするべきではない。

 そもそもレムにしてもアジモフにしても、この地上で最も頭が良いという訳では無いのだ。大学にはレムより、アジモフより頭のいい奴がゴロゴロいた。


 リヴィウのギムナジウムでは、そういう本当に頭のいい連中に張り合って頭を良く見せなければならなかった。最終学年ではクラスメイトに、本当に英語が読める奴がいた。レムは彼に張り合って、ほぼ丸一年英語が読めるふりをしてきたのだ。

 そういう点はアジモフも同様のようだった。レムは後ろめたい秘密を共有できる友達をようやく得たのだ。


 それにアジモフの世間知らずや、特定の科目でてんで低い点数などを見ると、ちょっとだけレムの内心の優越感がうずく。アジモフの本気の頭の良さ、記憶力と稲妻のような計算の速さを知ってはいたが、それとこれとは別だ。

 例えばアジモフは電磁気学はさっぱりだった。本人曰く混乱するのだという。

 対して電気はレムの得意技だ。高圧電流は最近のお気に入りで、テスラコイルも作ったことがある。


 レムは引き抜いたプラグの電極を注意深く調べる。ただの自動車用の点火プラグで、例によってコロリョフがどこからか寄付してもらったという奴だ。まだ箱一杯新品があるのをレムは知っていた。

 電極に黒い煤の付着は無い。電極の間隔の大きさも問題ない。しかし、試験回路に繋いで電圧をかけると、飛んだ火花はどうもすこし頼りなく思えた。

 レムは黒いベークライトのテスタ-を奥の工作棚から持ち出すと、昇圧回路の絶縁を調べ始めた。回路のコンデンサ函は前もって外してある。

 一番ありそうだったのはコイルの絶縁が弱くなったパターンだった。だがコイルの絶縁は一次側、二次側ともにしっかりしたもので、更に配線を遡ったレムは、工科大の誰かが作ったと思しき発振回路のはんだ不良を発見した。

 電気半田ごてを借りてきて接続を直すと、点火器の火花は以前の通りしっかり飛ぶようになった。


 自分の仕事を終えたレムが腰を伸ばして辺りを眺めると、アジモフとグルシュコの二人は小屋の隅に固まったまま、そんな処に、メェロフだっけか、コロリョフの仲間の一人がやってきて撮影機の用意が出来たと言う。


「よし、向こうの準備が出来たんで、こっちの試験準備をしよう。

 みんな集まってくれ、試験台を外に出すぞ」


 エンジンが載った試験台はがっちりしており、つまり重い。

 他にやってきた者を加えて6人がかり、とはいっても2人はタンクや配線を持っていて、重い角アングルを溶接した架台を持ち上げるのは4人ほどでしかない。

 少しづつ、持ち上げては少しずらし、少しずらしての繰り返して、ようやく5メートルほど動かすと、今度は小屋の入り口あたりに土嚢を積み始めた。


 レムはその間に点火器の準備をする。

 点火器はロケットには搭載せず、発射台の付帯設備となる。重量は気にせず設計したものだ。つまり重い。

 その重い点火回路を試験台のそばに持ってきて、配線をやりなおす。長い点火信号線はその端を小屋の中に引っ張り込むが、その前に点火試験だ。問題無し。


 先端に点火プラグを結わえた木の棒を木の三脚に固定し、木の棒の端を三脚を抱えたまま試験台のロケットエンジン、そのノズルの中に挿入していく。

 木の棒にあらかじめ線が引いてあり、線がノズルの縁に合うところまで棒を挿入すれば、それで設計通りのポジションだ。

 三脚を泥の上に固定し、鋼線を弄って棒の高さを微調整して、棒がちょうどノズルの中央に来るようにする。出来たらもう一度動作試験だ。暗いノズル中に電気火花がぱっと光るのが見えたら、問題無し。

 点火信号線を小屋の中に引き込むと、準備完了だ。


 アジモフはグルシュコと液体酸素の充填中だ。これがなかなか難しいという。

 タンクも配管も、ちょっと寒い天気とはいえ常温、マイナス152度の液体酸素から見れば充分に高温だ。配管に流し込まれた液体酸素はその端から気化してゆく。

 その気化した酸素の圧力が、液体酸素の流入を阻害するのだ。

 そのために液体酸素は、タンクの下部からポンプで圧力をかけながら注入する必要がある。ポンプは小さな手動の歯車式で、既に真っ白な霜で覆われていた。ポンプの木のハンドルを革の手袋をして掴むと廻してゆく。

 タンクの外側、その真ん中あたりに白い霜の線がある。そこまで液体酸素がタンクの中に注入されたのだ。


 小屋の中では温度計測用の熱電対の配線がホィートストンブリッジの端子に繋がれてゆく。

 エンジンではエタノールと液体酸素を燃やす。ただ燃やすだけと言っても良いが、そこで三千度以上の高熱が発生する。ノズルから出てくるとき燃焼ガスは音速を超える。

 金属製のエンジンは三千度の燃焼ガスに晒されれば溶けてしまう筈だが、そこは巧く、水冷と同じ方式で冷やして溶けないようになっている。ただ使うのは水ではなく、燃料のエタノールだ。これでエンジンは飛びながら燃料で冷却できることになる。


 エタノールを使う利点は多いとコロリョフは言う。


「事故が起きた時に、水をかけて消すことが出来るというのが一番大きいかな」


 コロリョフは安全にかけては慎重だった。

 エタノールは水溶性だ。灯油やガソリンでは水をかけても弾かれて消火できないが、エタノールは違う。それに、化学式で綺麗に表すことのできる特性の良さも魅力だという。

 煤が出ないとも聞いていたから、それも利点なのだろう。対して灯油は煤が出る。

 実家の石炭ストーブに比べたらコンパクトな灯油ストーブはたいした煤も出ないから、灯油なら良いのではないかとも思っていたのだが、燃料タンクに満タンの燃料を燃やしきった後に出る煤はやはり大量になるのだろう。 


 エタノールはおおよそ水に特性が近いから、初めは水を使って実験して、そのあとでエタノールに切り替えて実験ができる。そして今では実際に飛ぶロケットのタンクと同じ配管で冷却は廻るようになっていた。

 エンジンは配管の塊だ。制御はそれぞれの配管に取り付けられた油圧制御バルブでおこなう。特に液体酸素の極低温でも動作するバルブは特注品だ。


「本当はボールバルブが最適なんだが、残念ながら我が国の工業水準ではプラグバルブがせいぜいというところだ。それでも使えないより遥かにましではあるのだけどね」


 コロリョフと二人で液体酸素用のバルブを分解して、油分を完全に除去する作業をしていた時に聞いた言葉だ。油がバルブの中に少しでも残っていたら、油が凍ってバルブは廻らなくなるだろう。


 バルブの駆動に使う油圧の制御はドイツのアスカニア社製の自動回路で行われる。ロケットの慣性誘導装置もアスカニア社製のものをベースにしたものだが、今日は多分どこか暖房の利いた暖かい室内にあることだろう。今日は出番が無いのだ。


 人が集まり始めた。かなり離れたところに数十人くらいいるのが見える。見物人たちは、去年やらかしたという爆発事故に懲りて近づかないのだそうだ。

 記録係が試験台や周辺の状況をチェックして、いちいち記録してゆく。試験ではレムの出番は無いからチェックの対象ではないが、念のために点火班のそばにいる。アジモフが土嚢の後ろに隠れているのが見える。


「第5回、大型エンジン燃焼試験を開始する」


 コロリョフが宣言すると、誰かがトランペットを吹き始めた。試験開始を周囲に知らせるために、特に音が響きやすいトランペットの奏者を呼んで吹かせていると聞いた。

 何かの曲の一節なのか、終わるとそこで、ストップウォッチのカチンという音を聞いた気がした。


「30秒前」


 液体酸素の極低温が相手だと、燃料の点火にはそれなりのエネルギーが要る。レムの点火器は充分な高電圧と電流を供給する筈だったが、さて。


 シュー、と何か気体が洩れるような音がする。エンジンを冷やすために液体酸素を流す、予冷という手順だ。エンジンが液体酸素の温度まで冷えないと、液体酸素は燃焼室の手前で気化してしまう。これは大事なシーケンスだった。

 白煙が試験台を囲むが、あれは煙ではない。極低温の配管に触れた大気中の水蒸気がつくる霧なのだ。


「10秒前」


 バルブが幾つか開いて、エンジンの冷却配管を満たしてゆく。耳をすませば、冷えた配管が収縮してたてる小さな音も聞こえたかも知れない。


「5、4、3、2、1、点火」


 轟音。


 バリバリという響きは音というより、振動だ。


 点火回路はうまく動いた。

 ガスバーナのトーチのように青く輝くガスがエンジンから延びる。ガスはその中に規則正しい模様を作っている。噴射されるガスが吹き飛ばした雪が、遥かグラウンドの向こうで立ち昇る白煙になっていた。


 まだ燃えている。


 エンジンで一番弱いのはノズルの根元、スロートだ。そこでガスの圧力は最大になり、超音速になる。最も高温に晒されるのもここだ。

 エンジンは外側ケースは鋼製だが、燃焼室側、中身は柔らかく融点も低い銅だ。その熱伝導率の良さを買って使っている訳だが、もしエタノールによる冷却が間に合わなければ一発で死ぬ部分だ。そうしたならば、起きるのは爆発だ。

 エンジンの中でスロートが赤熱するのを想像する。まだ終わらないのか。


 轟音はいきなり終わった。

 燃焼試験は無事終わったのだ。


    ・

    ・


「……すごかった」


 帰路の二人から出てきた言葉はほとんど、これに類する程度のものだった。

 見たものに圧倒された気がする。本物を見たのだ。

 レムは昔見た映画"月世界の女"を思い出していた。あれに出てきたロケットは、昔は立派に見えたが今思うとちゃちなミニチュア模型だった。


「グルシュコと話したんだけど、あのエンジンを30も並べれば人間を宇宙に飛ばせるんじゃないかって。勿論三段か四段式だけど」


 アジモフがとんでもない事を言う。30台のエンジン!

 想像すると凄まじいが、しかし、想像できる。


「当分は無理だろけど、でも、書けると思う。凄いのが書けるぞ」


 何といっても、凄いものを見たのだから、そう言うアジモフにレムは聞く。


 書く?


小説(ファンタスチカ)だよ。今度こそ書き上げるんだ」

セルゲイ・コロリョフ С.П.Королев

1907年1月12日ソ連、現ウクライナのジトーミルにて生まれる。母方が裕福な家庭で、母の離婚のあと再婚相手と共に家族でオデッサに移住する。実父は教師で、当時は教師の息子の授業料を免除する制度があったため、再婚相手ではなく実父のコロリョフ姓を名乗ることとなる。

革命と第一世界大戦の時期をオデッサで過ごす。1922年になってオデッサに学校が再建されそこに通うが、それは建築学校だった。ソ連建国直後に広がった航空ブーム、グライダー熱にコロリョフはのめり込み、モスクワの空軍アカデミーへ進むことを望んだが、とりあえず1924年キエフ工科大へ進む。大学グライダー部に失望したコロリョフは自作を試みる。1927年モスクワ高等技術学校に進み、在学中に航空設計局に就職、1931年に結婚した。同年ロケット動力機に興味を持ったコロリョフはロケット開発団体GIRDを旗揚げする。


1933年トハチェフスキー元帥の提案でGIRDとGDLは合併、RNII(反動推進研究所)が発足する。その後大粛清に巻き込まれるかたちで1938年逮捕、裁判ののち有罪とされ東シベリア端のコリマに送られた。これは先に逮捕されたグルシュコの供述のせいだという説がある。1945年V-2のコピー生産のために収容所から解放されドイツに派遣され、その後のソ連の弾道ミサイル開発の指導者となる。

1957年に最初の大陸間弾道ミサイル、同年人類最初の人工衛星を打ち上げ、1961年最初の人間を宇宙へ送った。月への有人着陸を目指していた1966年1月14日没。



ヴァレンティン・グルシュコ В.П.Глушко

1908年9月2日ソ連、現ウクライナのオデッサにて生まれる。15歳頃から宇宙に興味を持ちはじめ、1923年からツィオルコフスキーと文通をしている。1925年レニングラード大学に進学、但し奨学金が途絶えて1928年に退学となった。執筆中だった論文が認められ、翌1929年ソ連の国立ロケット開発機関GDLに研究員として就職する。グルシュコは液体エンジン開発を提案し、グルシュコをチーフとして開発が始まる。


1933年トハチェフスキー元帥の提案でGDLとGIRDは合併、RNII(反動推進研究所)が発足する。その後大粛清に巻き込まれるかたちで1938年逮捕、しかし能力を認められ収容所内設計局で開発を続けた。1945年V-2のコピー生産のために収容所から解放されドイツに派遣され、その後のソ連の弾道ミサイル用ロケットエンジン開発の指導者となる。

1974年、コロリョフ亡き後のソ連宇宙開発の指導的位置を得る。1989年1月10日没。



 コロリョフとグルシュコの間の関係は1960年頃に完全に決裂し、コロリョフは新規ロケットのエンジンにグルシュコのエンジンを使わず、グルシュコはコロリョフ以外に盛んに自分のエンジンを供給していきます。グルシュコは自分のエンジンを使わないロケットについて中傷する密告のような手紙を何通も書いており、大粛清の時、やっぱりコロリョフを売ったんじゃ……と疑ってしまいます。

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