2月
「会合はもう終わったのかい」
キエフ大学8号館から5号館の間の歩廊、降る雪に見とれているところで、背後から声を掛けられた。
振り向くまでもなく、アジモフだ。
人を苛つかせるジョークが得意な一歳年上の東ウクライナきっての秀才、黒縁眼鏡をかけひょろっとした世間知らずのユダヤ人、そして今やレムの親友。
「正規の部分は終わったから、良いんだ」
毎月の活動報告と会計報告、些細な人事の承認、それがキエフ国立大学幻想文芸クラブの正規の会合の内容の全てである。会則にはそう定められている。
勿論本題はその後のお喋り、議論、益体の無いあれこれである筈なのだが、先月アジモフがクラブ会員資格を剥奪されてから、レムはそういう活動から距離を置くようになっていた。そもそも今日の人事の承認内容も、書記だったアジモフの後任の選出だったのだ。
「長居をしても良かったんだぜ」
そう言うアジモフに、鞄を叩いて見せる。
「そうしてこいつを持ち出さなくても良かったんだぜ」
父のお古の医者用革鞄を開いて、黒くけばけばしい表紙の雑誌を取り出して見せる。
反応はてきめんだった。
「12月号だ!」
表紙のイラスト、真ん中に浮かんでいるのは多分、脳味噌に違いない。電極を繋がれたそれに、赤いテスラコイルからの放電が浴びせられている、まったく意味不明のイラストの上にタイトルが"アスタウンディング"と斜めに格好をつけて並んでいる。
そもそもアメリカのパルプ雑誌"アスタウンディング"を文芸クラブの購入リストに押し込んだのがアジモフだった。そのけばけばしい表紙には購入停止の動議がされていたが、"ドク"・スミスの新しい連載"銀河パトロール"に魅了された数人の会員が熱烈に購入を支持するに至っていた。
奪うように雑誌を受け取ったアジモフはパラパラとページを捲ると、すぐに目次を見つけた。
「あるぞ!」
勿論あるだろう。"銀河パトロール"第四話。大反撃から独立レンズマンへの転身、全くわくわくするような展開だ。実はそこだけ既に読んでいる。レムの英語の限られた読解力でも夢中になって読むことができた。
アジモフはそのまま雑誌を読みながら歩き始めた。足元は雪を被ったところを器用に避け、ページを捲りながら、レムのことなど忘れたかのように歩き始めたが、ふと気が付いたように振り向いた。
「さぁ、どっかストーブのあるところに行こう」
やれやれ。
・
大学を出てすぐ、植物園の向かいにあるカフェ"アヴィニョン"に行こうと言うレムの提案に対し、アジモフは駅前の食堂へ行こうという。つまり2キロは歩くことになる。
カフェというのはレム自身も格好をつけた提案だとは思ったが、労働者向けの安食堂というのは、はっきり言って気が進まない。子供を大学に送り出す家というのは、基本的には上流階級に属しているものなのだ。
しかし、リヴォフの親元から出て寄宿する身では、安く済むというのは魅力的だ。
そしてレムは、この友人が何事につけてもお金を倹約しようとするのを知っていた。大半の大学生のように演劇にうつつを抜かすことも無く、市電にも乗らず、毎日ポジールのユダヤ人街から歩いて大学まで通ってくるのだ。
アジモフはただのケチではない。文芸クラブの書記に立候補したときに気が付いたのだが、それはクラブの備品のタイプライターを自由に扱うことのできるポジションだ。
アジモフは自分のタイプライターを手に入れるつもりなのだ。それは金策だけではなく、練習まで計画に入っているのだ。レムはまだそんなところまで自分の創作計画を進めていなかったから、内心忸怩たる思いをしていた。
医者にはなるつもりはない。作家になるのだ。将来の進路についてレムの気持ちは固まっていた。しかし、まだ親にこれを告げる勇気は無かった。
対して、同じように親に医者になるよう期待されていながら、作家になろうか科学者になろうか決めかねているというアジモフには、そういうフラフラした態度にも関わらず、その両方とも実現させてしまいそうな勢いがあった。
雪は幸い止んだようだった。アジモフは歩きながら雑誌を読み続けている。足元はいかにも危なっかしいのに、今もレムの前を歩いているのだ。
・
落ち着かない席だったが、ボルシチの味も、水餃子の量も満足できる内容だった。
「"アスタウンディング"は編集長が変わってから、どうもすごく良い感じになっている」
アジモフはひととおり読んでしまうと、そう結論したようだった。
編集長が変わったことなんて、全く気付かなかった。とはいえ、たかがパルプ雑誌である。同じ幻想小説誌でも、ロシアの"若者のテクノロジー"誌みたいに、科学技術記事と"真面目な"科学小説が一緒に載っている形式のほうがずっと上等に思えた。
そう思っていたのが顔に出ていたらしい。
「レム、君は以前言ったよね。ウェルズ以来、科学小説には見るべき進展は無いって。金星の怪物をデラメーター光線銃でやっつけるだけの安物ばかり。
でも、そういう状況を変えようという動きはちゃんとあるんだよ。文学的にも思想的にも大きな進展がきっと近いうちにある筈だよ」
パルプ雑誌の小説批判は、実のところアジモフの書く文章が下手糞なのをすごく遠回しに皮肉ったものに過ぎない。それをアジモフは気づかず、言った言葉そのままに解釈しているのだ。
いたたまれない気分になる。
お茶の残りを飲み干す。
「しかし、"アスタウンディング"のどこに、"銀河パトロール"のどこに文明批判があるっていうんだい」
レムの言葉に、アジモフは思ってもみなかった言葉を返す。
「文明批判ばかりが科学小説の書くべきものとは決まっていない筈だ。うん、何でも書いて良い筈なんだ」
例えば……と言いかけて、そこでアジモフは口ごもる。
「例えば、何だい」
しばらくウンウンと唸ったあと、小さな声で言う。
「ちょっと今は思いつかないけど、可能性は色々ある筈なんだ」
・
それからレムとアジモフは更にペレモヴィ通りを2kmほど歩いた。脇を市電がドロドロの雪を跳ね飛ばしながら走ってゆく。
アジモフとの話題は自然に国際情勢を巡るものになった。
ウクライナ共和国は危なっかしいバランスの上に成立した国だった。
先の大戦で、ウクライナの民族主義者と共産主義者たちは奇跡的に手を取り合って独立を目指し、更に幸運にもウクライナ全土で事実上の支配者であったドイツ軍の支持を取り付けることができた。
1918年当時、ブレスト=リトフスク条約の勝利に係わらず、既にドイツの敗北は明らかになりつつあった。
ドイツ人たちが、ウクライナ民族主義者と共産主義者たちの中央ラーダを支える気になったのは、戦後を見据えたものにほかならない。既に東部から西部戦線への兵力の移動は間に合うまいという読みがあったせいでもあったが、ドイツ人たちはここに自国勢力を温存するつもりになったのだ。
以降、列強の干渉に遭いながらもウクライナ共和国政権は、ソヴィエト、つまりロシアのヴォルシェビキ政権の武力に対抗し、残留ドイツ軍のおかげで東ウクライナで戦線を膠着状態に保つことが出来るようになった。
その代償は飢餓に苦しむドイツへの食料輸出、そして移民の受け入れだった。
1920年からの干ばつは、ドイツからもたらされた化学肥料によって大きな農業生産の落ち込みには繋がらなかった。大地主から解放されたウクライナの農地は化学肥料と機械化と、そして乾燥したステップの農地化によって一挙に耕作地と生産量を増やしていた。それも主にドイツからの資本と人員の受け入れによってなされたものだ。
今ウクライナが国境を接するのがソヴィエトとポーランド、そして離れていたが影響力の大きなドイツがウクライナの情勢に絡むわけだが、最近の問題は主にドイツにあった。
ナチ政権が成立してこの5年、情勢は悪くなるばかりに思えた。
「ヒトラーが戦争をしたがっているのは今や問題じゃない。問題はそれがいつかだ」
そしてその目標はポーランドだ。ヒトラーの東方へ生存圏を広げる旨の主張は良く知られており、その主張を実力行使で実現しようとするのも確実と思われた。
連中の言う東方生存圏とは即ちウクライナのことである。ヒトラーはポーランドを侵略し、ウクライナとの連絡を確保しようとするだろう。ウクライナの民族主義者たちの中でもタチの悪い連中、ウクライナのナチシンパ共はその時を今か今かと待ちわびている。
レムにとって、ポーランドは複雑な感情を抱く相手だ。大戦中に故郷リヴォフはその支配者が二転三転し、そしてポーランドが支配者であった時もあったのだ。先の戦争の成り行き如何によっては今頃ワルシャワの大学に通っていたのかもしれない。
「ヒトラーの脅しを真に受けすぎだよ。
ヒトラーも馬鹿じゃあない。ポーランドはイギリス、フランスの同盟国だ。戦争になれば当然二国も参戦する。そうなれば新たな世界大戦だ」
それにアメリカも参戦するかもしれない。アジモフは楽観的だった。
アジモフにはもっとずっと悲観的なる理由がある筈だった。
ヒトラーとそのナチ共は、3年前にユダヤ人のドイツ公民権を停止して以来、いやそれ以前からもずっとユダヤ人の迫害を叫んでいたのだが、今や近代国家がおこなうものとは思えない迫害を繰り返すようになっていた。
迫害されたユダヤ人たちはウクライナにも逃げてきていたが、残念ながらウクライナは安全の地では無かった。民族主義者の新聞は反ユダヤ感情を掻き立て、ユダヤ人と取引するものを非難し嫌がらせをするようになっていた。
ユダヤ人であるアジモフを大学の幻想文学クラブから除名したのも、そういう流れからだった。元々ウクライナにはユダヤ人を迫害するポグロムの暗い伝統があった。多民族協力の理想の元で墓場に葬られていた筈の反ユダヤ主義は蘇り、今や街路を大手を振って徘徊していた。
レムは考える。
ヒトラーは馬鹿ではないだろうが、決して平和を望んでいる訳では無いだろう。
血が流されるところに平和は無い。恐ろしい話だったが、世界はナチスの暴虐に目を瞑っているだけであり、平和は既に終わっており、つまりもう戦争なのだ。
アジモフが楽観的でいるのは、その精神が楽観を望んでいるからだ。だが、世界が暗くなろうという時に、一人の楽観的精神が一体何の役に立つだろうか。
・
キエフ工科大学の前に横たわる公園を抜け、構内を横切り、グラウンドの向こうを目指す。
敷地の端の荒れ地に小さなコンクリートブロックの小屋が建っている。足元が泥だらけになるが構わず歩いてゆく。
小屋の裏に自転車で牽引する台車が雪をかぶっていた。液体酸素のデュワー瓶を運ぶのに使っている台車だ。つまり液体酸素は運び込まれていて、そしてしばらく経っている。
小屋のドアに向かったところで、中から30歳台ほどの男が出てきた。一抱えほどの電線を抱えていたが、男はすぐにレムらを認めた。
「おお、来てくれると思っていたよ!天才諸君!」
二人をロケット作りに誘った張本人、コロリョフだ。
スタニスワフ・レム Stanisław Herman Lem
1921年9月21日現ウクライナ(当時ポーランド領)のリヴィウにて生まれる。1940年にルヴフ医科大学に入学、戦中は自動車工などをしていた。戦後はクラクフに移住。ヤギェウォ大学を1948年卒業。
1946年から短編小説を書き始めるが、最初はミステリや詩であり、SFはその後だった。1947年科学論研究員の研究助手となる。この時期にルイセンコ学説を批判したことで強い批判を浴びている。1951年の長編SF「金星応答なし」で共産圏で広範な人気を得て専業作家となる。
1953年に結婚。この時期にサイバネティクスを強く支持したことでまた批判を受けている。長編SF「エデン」は1959年、「ソラリス」は1961年、「砂漠の惑星」は1964年に発表された。存在しない本の書評集「完全な真空」は1971年に書かれた。
2006年3月27日没。
アイザック・アシモフ Isaac Asimov
1920年1月2日ソ連、現ロシアのペトロ-ヴィッチにて生まれる。1923年アメリカに一家で移住、1928年にアメリカ国籍を取得する。1935年15歳でセス・ロウ・ジュニアカレッジに入学、1939年にコロンビア大学大学院化学過程に進んだ。
アジモフの最初に投稿した短編「宇宙のコルク抜き」は1938年6月に完成した。しかし最初に雑誌に売れたのは3作目の「真空漂流」である。最初のロボットもの「ロビイ」は1939年5月、「夜来たる」は1941年3月、「ファウンデーション」は同年9月に書かれた。
1942年に結婚、同年フィラデルフィア海軍工廠へロバート・A・ハインラインと共に技術者として勤務、終戦後すぐに徴兵されるが9ヶ月で除隊となる。
1948年化学博士号を取得、その後はボストン大学に在籍しながら執筆活動をおこなう。1992年4月6日没。
"アシモフ"は移民としてアメリカに入国した際の綴り間違いに起因するもので、発音はアジモフが近く、本作ではこれを採用している。
アイザック・アシモフとスタニスワフ・レムは実際には会うことはありませんでした。それどころかアシモフは、レムをアメリカSFファンタジー作家協会から除名する運動の急先鋒を務めています。