計量スプーンと料理本2
突然背後に現れたフォラスに俺は驚き、叫び声を上げてしまった。
「おわあぁぁぁぁ!? 爺、なんでここに居るんだよ!」
「つれない奴じゃのう……お主が困っていると思ったから、こうして出向いてやったのじゃぞ? むっ……お嬢様?」
アリシアがわなわなと震えながら、フォラスに問いかける。
「まさか……私の料理風景とか、全部見たわけじゃないでしょうね?」
フォラスは、野菜炒めを一口食べると笑みを浮かべて答えた。
「あの黒焦げのボヤ騒ぎの時は、儂も助けに入ろうと思ったのですじゃ……じゃが、この野菜炒めは美味しいと思いますぞ。愛の力と言う奴でございますな。ばっちりヒルデ様にそのご様子は送っておきましたぞ。」
アリシアがすっと右手に魔力を集中させていく。
俺は必死になって彼女を羽交い締めにした。
「待つんだ、アリシア! こんなところで魔法をぶっ放したら、厨房が吹っ飛んじゃうよ。」
「止めないで下さい……私の黒歴史をお母様に見られた以上、また揶揄われるに決まっています。ならば、フォラスにせめてもの制裁を与えるのが筋というものでしょう。」
アレトゥーサがアリシアの肩を優しく叩いてフォラスの前に出る。
彼女は怖い笑みを浮かべながら告げた。
「ここって実家ではあるんだけど、私の職場でもあるのよね。フェンリルに糞爺が亜人の領域で許可も無く盗撮した上、親友の彼女をいじめてると報告したらどういう風になるか……貴方なら分かるわよね? もう提出したものについては仕方が無いけど、次は無いと思っておいて。」
「くっ……正論じゃが、儂としても仕事なのじゃよ。『ケイが新しいことを思いついたら報告するように』と、ルキフェル様より厳命を受けておるのじゃ。あの黒焦げの料理を作るお嬢様が、まっとうな野菜炒めを作ることが出来るようになる。これほど解りやすい成果はないじゃろう?」
「まあ……それについては否定しないわ。私だって、びっくりしちゃったんだから。でも、それとこれとは話が別なの。私の大事な友人が貶められるようなことをされたら、黙っていられないのよ。」
アレトゥーサの言葉を聞いたアリシアの表情が明るくなった。
「大事な……友達!? アレトゥーサは私のことをそう思っていてくれたのですね!」
呆気にとられたアレトゥーサの手を握ってアリシアは嬉しそうに俺に言う。
「ケイ……私、アレトゥーサに親友だって言ってもらえたんですよ! とても素敵なことだと思いませんか。」
アレトゥーサは少しの間固まった後、思いっきり笑い出した。
「私の方はお見合いの後からずっとそう思っていたんだけど? 友達でもない人に、厨房を貸して料理を教えたりなんてしないわよ。」
「そうだったんですね。アレトゥーサみたいに素敵な方と友達になれていただなんて、とっても嬉しいです。」
すっかり毒気を抜かれてしまったアレトゥーサに、俺は声をかける。
「アリシアのことは俺からもよろしくお願いするとして、計量スプーンとカップの製造についてはフォラスにお願いすることにするよ。料理の手順書も大事なんだけど、地上中で計量する物の大きさが一緒であることが鍵だから、そこら辺を纏められそうなのは悔しいけどこの糞爺様の力が必要なんだよね。」
フォラスが好々爺のような顔をしながら頷く。
「そうであろう、そうであろう……ケイは儂の重要性をよく分かっているようじゃ。して……どんな感じの物を作れば良いかのう?」
俺はアレトゥーサに書くものを借りると、五グラムの水を入れられるスプーンと、十五グラムの水を入れられるスプーン、そして、目盛りを付けたカップのデザインを紙に書き上げた。
「大体こんな感じですね。秤を使わなくてもすぐに必要な量を入れるので、こういった形状にするわけです。」
「今更こんなことを聞くのはどうかと思うのじゃが……料理は誰でも出来るもんじゃろう? これを標準化することによって、どのような効果が期待できるのかのう?」
「主に人型の者に有効な手段となりますが、料理の基本を作り出すことによって、応用を容易にするという文化面のメリットと、栄養の偏りをなくすことによって健康面での向上が望めます。それに、経済的な面でも、料理の手順書に載っている食物が売れるというメリットがあると思いますよ。」
フォラスは満面の笑みを浮かべて頷くと、俺の肩を叩いて囁いた。
「ケイの考え方は実に面白いのう。商人の考え方も混じっておるから、損得勘定もしっかりとしておるわい。儂は早速ルキフェル様に報告して、その《計量スプーン》の試作にとりかかろう。」
俺が微笑して頷くと、フォラスはすっと煙のように消えて居なくなる。
それと入れ替わるようにして、フェンリルの声が聞こえてきた。
「愛しのアレトゥーサ、今帰ったぞ。腹が減ったから何か作ってくれないか?」
(新婚とはいえ、フェンリルも中々情熱的な言葉を使うなぁ)
俺は生暖かい笑みを浮かべながら、フェンリルに野菜炒めを持って行く。
フェンリルはびっくりした顔をして椅子から転げ落ちそうになった。
「ななっ……なんだ!? ケイが来ていたのか。今日はどうしたんだ?」
「『愛しのフェンリル』、そんなに驚かなくても良いじゃないか。とりあえずこれを食べてみてくれよ。」
フェンリルは怪訝な顔をしながらも、むしゃむしゃと野菜炒めを食べていく。
「シンプルだが、食感も良いし上手いと思うぞ。それで、これがどうしたっていうんだ?」
俺はフェンリルにアリシアの料理のことや料理の標準化について説明をする。
彼は納得したような顔で頷いた。
「なるほどな……誰でも料理が出来るようになるっていうのは凄いことだな。この前の神殿や神域の件もそうだが、ケイは本気で地上を変革する気になったってわけか。」
「いや……そこまでのことは考えていないんだけど、折角の良い機会だからやってみようかと思っただけのことなんだよ。」
「お前らしい考え方で良いと思うぞ。アレトゥーサのことなら、しっかりと手伝わせるから任せておくんだな。」
頼もしげな表情で俺の肩をバシバシ叩くフェンリルに、厨房から出てきたアレトゥーサがピシリと言った。
「フェンリル! また手を洗わずに食事したわね。今からでも遅くないからさっさと洗ってきてちょうだい。」
フェンリルが目を剥いて反論し始め得る。
「アリシア様が作ってくれた野菜炒めが美味しいうちに食べようとしただけじゃねえか。そんなガミガミ言っていると、顔にしわが出来ちまうぞ!」
「なんですって!? そんなことを言うなら、今日のつまみを作ってあげないし、一緒に寝てもあげないからね。」
「くっ……それを持ち出すのは卑怯じゃねえか! ケイ、気をつけるんだぞ……結婚というのは忍耐と根性が必要だ。」
(フェンリルはしっかりと尻に敷かれてしまっているようだな)
親友がしっかりと飼い慣らされてしまっていることに、女性の恐ろしさを感じながらも二人の仲が睦ましさを微笑ましく思った。
「俺の顔に何か着いているのか?」
訝しげに俺の顔を見るフェンリルに、俺は思わず呟いてしまう。
「つまみを作ってくれる上に、毎日一緒に寝るのか……俺も早くそうなりたいもんだなぁ。」
俺のつぶやきを聞いたフェンリルが、飲み物を吹き出した。
「ばっ……馬鹿野郎が! 毎日じゃねえよ。俺が仕事や打ち合わせで遠く行っているときはもちろん別だ……まあ、水晶球でおやすみの挨拶はさせられるが。それに、俺じゃなくってアレトゥーサが一緒に寝たいと言うから仕方なく……」
アレトゥーサが顔から火が出そうなくらい真っ赤な顔になりながら言い返す。
「馬鹿言ってるんじゃないわよ! あんたって本当にデリカシー無いんだから……いつも布団に先に潜り込んで、『お前が来ないと寂しい』なんて可愛いこと言ってるのは誰なのかしら?」
「お前だって俺が一日家を空けただけで、ごちそう用意して『やっぱり《フェン》がいないと寂しい』なんていつも可愛いことを言ってるじゃねえか。」
(えっと……これは自慢なのか?)
フェンリルとアレトゥーサの無自覚での熱々新婚生活を聴かされて、生暖かい目で彼らを見守る中、アリシアが感動したような顔で二人に声をかけた。
「やっぱり、お二人は本当にお互いのことを好き合っているのですね! 私もこんな風な結婚生活を送りたいです。」
フェンリルとアレトゥーサが一瞬固まった後、声をそろえて叫んだ。
「「そういうことじゃない!」」
アリシアはそんな二人のことを見て、無邪気にころころと笑うのであった。




