正義の天秤
俺は、釣り天秤に御印のペンダントと金の塊を吊り下げる。
そして水を張った水槽に沈めた。
当然のことながら、天秤は釣り合っている。
「ケイよ……そりゃあ、同じ重さの物なのじゃから釣り合うのが当たり前じゃろう?」
「まあ、見てて下さいよ……これからが面白いところです。」
一旦吊り天秤を水から出して、今度は模造品のペンダントと金の塊を吊り下げる。
「まあ、これも釣り合っていますよね。」
「そうじゃのう。これも水に沈めるんじゃな?」
「そういうことです。では、どうなるか見ていて下さいね。」
水に沈めた瞬間に、模造品のペンダントの方が上昇した。
フォラスが感嘆の声を上げる。
「な……何じゃと!? どういうことなのじゃ……水に沈める前は釣り合っていたのに、これほど明確に違いが出てしまうとは……」
「さきほどの水の溢れる量が鍵なんですよ。同じ重さでも、軽ければ軽いほど水が溢れる……つまり、水の中でそれだけ金属ごとの重さが影響するってことですね。ですから、天秤にこうやって顕著に影響するわけです。ちなみに、中が空洞だったり沈める際に空気が物に付着していると、この手段は使えないので気をつけて下さいね。」
「確かに言われてみればそうなんじゃが……これが世に知れ渡ると、あまりにも大きな影響が出てしまうのじゃ……一度ルキフェル様に相談せねばならぬぞい。」
「金貨に銀を混ぜたらすぐに分かったりしますしね……しかも、魔法の使えない一般人でも出来るとなると、ミカエル様の功績とするのが大変でしょうね。個人的にはミカエル様が、『人間の思いを汲み取ってクロノス側全体に《正義の天秤》の魔法をかけられた』って感じにすれば、すんなりと話が通るかもしれないと思っています。」
「確かにそうかもしれぬな。じゃが、ケイよ……お主は、本当にこれをクロノスに教えても良いのか?」
「先方の要求には十分応えている内容ですし、特に平和には影響しないと思うのですが……なにか問題があるのですか?」
フォラスが逡巡したような顔を見せたが、すぐに表情を笑顔に戻した。
「いや……儂が欲張りすぎただけなのじゃよ。あまりにも凄い知識だったので、魔王軍で独占したいと思ってしまっただけのこと。気にしないで欲しいのじゃ。」
(必死で何かを隠しているようだ……俺とアリシアに言えないことがあるのか?)
訝しげな顔でフォラスを見つめると、彼は逃げるようにすっと消えてしまった。
アリシアは吊り天秤を見ながら嬉しそうに言った。
「私達の常識が一遍にひっくり返るくらいの発見でした。本来であれば、ケイの名が歴史に刻まれるはずなのですが……本当に良かったのですか?」
「別に、それで上手く地上の平和が維持されるんだったら良いんじゃないのかな。俺は君と幸せに生きて行ける世の中が出来れば、それで良いと思っているんだけどね。」
「ケイは今回の件でも大きな功績を立てたし、そう遠くないうちに私達も結婚できるかもしれないですね。」
アリシアとの結婚が具体的に見えてくるかもしれないと思うと、俺の中で色々な期待が膨らんでくる。
「そうだね……そうすれば……」
(あんなことや……そんなことが!? もう……待ち遠しくてたまらないよ!)
アリシアが真っ赤な顔をしながら俺に告げた。
「なんと言いますか……全部、顔に出ていますよ?」
「えっ!? いや……その……俺としては、それだけ君のことが魅力的と言うことで……」
アリシアは、そんな俺を見て思わず笑いながらしなだれかかってくる。
「ケイって、頼りになるときとお茶目なときの差が本当に激しいですよね。私……そういうところも大好きですよ。」
「そ……そうかな? 俺もアリシアのことが大好きだよ。」
俺は彼女と一緒にソファーに座りながら、とりとめのない話をしながら穏やかな時間を過ごすのだった。
* * *
数日後、フォラスと共に俺達は例の領事館風の建物でベネディクトと会談をする。
今回はベネディクト一人だけが座っていて、吊り天秤と水槽を持ってきた俺達に会釈をした。
「ロゼッタ様は公務で忙しいため、今回は私一人で対応させて頂きます。早速ではございますが、ケイ様がどのような解決法を見出して下さったのか楽しみにしておりました。きっと前回同様、素晴らしい案をお出しになるのでしょうね。」
「結構地味な手段なのですが、効果は保証しますよ。」
「ご謙遜を……それでは見せて頂きますね。」
俺は吊り天秤に金の塊と御印のペンダントを沈めたときと、金の塊と模造品を沈めたときの違いをベネディクトに見せる。
彼は驚きに満ちた顔で、椅子から立ち上がって叫んだ。
「まさか……このようなことが!? こんな……こんな単純なことで、偽物を見分けることが出来てしまうなんて!」
しばらく興奮気味だったベネディクトは、冷静さを取り戻したのか静かに首を振った。
「確かに、これはとんでもない発見です。ですが……これでは誰でも出来てしまうため、ミカエル様の功績とすることは厳しいのではないでしょうか?」
俺は微笑して彼に告げる。
「そうですね。ですが、この原理が誰でも出来ることだとしているのは、今この場にいる我々だけです。つまり、人間達はまだこの原理に気づいていないということになりますよね?」
「なるほど……貴方は恐ろしいお方ですね。この原理をミカエル様が生み出したということにするのですね。」
「そういうことになります。ミカエル様が人間の思いを汲み取って、《正義の天秤》という魔法を地上に賜れたとでも吹聴されればよろしいのではないでしょうか。民達は、ミカエル様の偉大さにひれ伏すことになると思いますよ。」
ベネディクトは一瞬目を見開いたが、すぐに笑顔になって俺に提案した。
「ケイ殿は慧眼の持ち主ですね……出来れば、名誉司教を授与したいのですがよろしいでしょうか?」
フォラスが慌てて俺を見る。
俺はベネディクトに静かに頭を下げた。
「《正義の天秤》はミカエル様が成された偉業です。俺を名誉司教に叙任してしまうといらぬ誤解を招くことになるでしょう。それに、以前お話ししたとおり俺の心はルキフェルの元にあります。異端者の俺が名誉司教の職を頂いては、ベネディクト様にご迷惑がかかるものと存じます。」
少し残念そうな顔をするベネディクトに俺は告げる。
「ですが……個人的な交誼を結ぶのはかまいませんよね? 俺としてはベネディクト様みたいに理知的で話が分かる人と知り合えたことが、今回の件で一番嬉しいことでしたからね。」
「それはこちらとしてもありがたい申し出です。今後、このような場で会うときについては双方の立場を気にせず、忌憚なく意見を交換致しましょう。」
ベネディクトは、席を立つと俺に近づいて手を差し出した。
「クロノスでこのようなことをすると、周囲の有象無象が五月蠅く騒ぐのですが……今は個人的な繋がりを求めたいと思いますので、誠意と思って頂けますでしょうか?」
俺は笑顔で席から立ち上がって彼の手を握った。
「もちろんです。これからもよろしくお願いしますね。」
ベネディクトに金の塊などの一式を渡した後、俺達は館を退出する。
それから程なくして、クロノスではミカエルが《正義の天秤》と言う魔法をもたらして、御印や硬貨の不正を無くしたという偉業が大々的に発表された。
人々はミカエルの偉大さに畏敬の念を示し、改めて天界と人の王に対して忠誠を誓うのであった。




