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ヴァルトフルスの奇跡

 司祭は教本を手に取ると、俺達に教義を始めた。


「これは遠い昔から語り継がれている人間と天界の歴史である……」



 * * *



 今より遙かなる昔、天界におわす尊い方は人間を地上に作りたもうた。

 恐ろしい魔物や粗暴な竜族が人間を襲う中、天界は人間を救うべく天使達を使わした。

 だが、人間を救うはずだった天使長ルキフェルは、堕天して魔王となり、人間の脅威となる。

 世界が闇に包まれて人間達の命が風前の灯火となる中、人々は天界に一身に祈りを捧げ続けた。

 祈りは天界に届けられ、そして真の人々の救世主としてミカエルが降臨する。

 彼の者が振るう正義の刃は闇を切り払い、ルキフェルは東の果てに逃げ去り講和を結ぶ。


 こうして世界は二分され、魔王が住む国と人間が住む国に分けられたのだった。

 世界に平和がもたらされ、人間に安寧がもたらされる。

 人間の世界には、天界からの恩寵により澄んだ水が川となって大地に流れ、木々は生い茂り森となる。

 畑には豊かな作物が実っていき、大いに人間の世界は富にあふれた。


 だが、努々(ゆめゆめ)忘れるなかれ……

 天界への畏怖と感謝を忘れた時、恩寵は失われる。

 

 川は涸れ、森は失われて岩と砂の荒れ地と化す。

 そして、作物が育たぬ死の大地と化して人々は飢えて死ぬことになるだろう。



 * * *



 司祭の教えを聞いたアリシアが何か言いたげな顔をする中、俺は彼に丁寧に礼をする。


「なるほど……天界の恩寵により人の世界は幸せに暮らしているわけですね。非常に興味深い教義を聞かせて下さりありがとうございます。」


 司祭はアリシアと異なり、真摯に対応する俺に問いかける。


「隣にいる堕天使は私の教義について不満があるようだが、そなたは何とも思わないのかね?」


 俺は首を振って彼を真っ直ぐに見つめて答える。


「それが真実かどうかが重要なのではありません。何を元に人間が天界を信じているのかをしることが重要なのです……ただ、司祭様は精霊という者についてどう考えているのかを知りたいと思います。」


 司祭は目を見開いたが、少し悩むそぶりをして尋ねる。


「それを聞いてどうする気かね? 私の教義の矛盾点でもついて、堕落させようというのなら無駄なことだと言っておくぞ。」


「いえ、そのようなことをするつもりは全くありません。ただ単純に、その教義を具現化したいと考えているだけなのです。」


 俺は司祭に、荒れ地となった協定の場所に聖なる錫杖を打ち立て、その地を再び恩寵のある地にしたいことを伝えた。

 司祭は驚きながらも、警戒を解かずに問いかけた。


「確かに、それが本当の話ならばこの地に人が戻り、人々は天界を尊ぶことになるだろう。だが……そんなことをして、ケイ殿に何の見返りがあるというのだ? まさか、私の教義について感動して人間のために働く気になったとでも言うのか?」


「俺の元いた世界では《衣食住足りて礼節を知る》と言う言葉があります。人が飢えることにより、さらに争いが増えるくらいなら、それを無くして双方が平和に生きる方が、俺にとっては都合が良いんですよ。」


 司祭は逡巡していたが、最終的には俺の言葉を信じることにしたようだ。


「ケイ殿の熱意に負けた。だが、不穏な行動をすればミカエル様と教会が魔王軍から宣戦布告を受けたこととするので、忘れるでないぞ。それと、本件の結果については大司教様に報告させてもらうが、よろしいか?」


「もちろんです……むしろ、他の荒れ地も同様に変えていければ良いと俺は思っています。大司教様へ腹の内全てを明かして、信じてもらえるように尽力致します。」


 そこまで話したところで、司祭が俺に手を差し出した。


「ケイ殿の本心は分からぬが、昔はここは自然で溢れており、人々が幸せに過ごしていた。それを取り戻せるのであれば、私も嬉しいと思っている。」


 俺は彼の手を力強く握って頷いた。


()()()()()()()()()()()()俺も願っています。人間が天界を尊び、自然と精霊と共に幸せに過ごせしてくれることを切に願っています。」


 司祭に丁重に礼をして俺とアリシアは、荒れ地へと向かう。

 彼女は少しむくれた顔をして俺に訊ねた。


「いくら何でも酷すぎです……事実が思いっきりねじ曲げられているじゃないですか。ケイはあの教義を聞いて何とも思わなかったんですか?」


 俺は真面目くさった顔をしてアリシアを諭す。


「そうだね……人間側に都合良く解釈はされていると思う。だからこそ、これからの俺のやり方をアリシアにもしっかりと見ていて欲しい。《右手で握手して左手で殴り合う》ことも必要な時がある。建前ではお互いに協調しながらも、実をしっかりと取りに行くんだ。」


 アリシアは小さく頷くと、俺をじっと見つめた。


「ケイは私の本質を見極めた上で好きだと言ってくれました。だから、私は貴方のことを信じてます……どんな風に事が運ぶかを楽しみにしていますね。」


「そう言ってくれると嬉しいよ。さて、オベロンの方はどんな感じで動いてくれているかな……って、ものすごく仕事が早いなぁ!?」


 錫杖の周辺二十メートルに背丈の低い草木が生い茂り、泉からは澄んだ水が弱々しくだが湧き出始めている。

 少しずつだが水が小さい川となって砂漠に浸透し始め、砂を土へと変えていく。

 世界を生み出すような神秘的な光景に、俺達は思わず息をのむ。

 オベロンが俺達に気づいて、微笑しながら問いかけた。 


「ルキフェル様の加護があるとはいえ、完全な荒れ地からだったので、精霊達の成長に時間がかかりそうだ。ケイの方は上手くいったかね?」

 

「この地の司祭については了承をとりました。後日、大司教と会談出来そうなのですが、この結果を見れば彼らの態度も大分変わると思いますね。」


「あの頭が固い宗教家を懐柔するとは……恐れ入るよ。神殿の方の建設はどうするつもりかね?」


「フェンリルに頼んで亜人を動員したいところですね。今からだと少し時間がかかるかもしれな……ひゃあぁぁぁぁぁ!?」


 不意に耳元に息を吹きかけられた俺は、涙目で振り向こうとする。


「酷いじゃないか、アリシ……ぐふっ!?」


 頬にブスリと指が刺さる感じがして、俺は確信した。


(出やがったな……糞爺)


 予想の通り、フォラスが笑みを浮かべながら俺の肩を叩いた。


「ルキフェル様から聞いたぞい……こんな面白そうな話を儂に黙って進めるとは酷いではないか。」


「管轄外のことに手を出したら、大目玉を食らっちゃうんじゃないですか?」


「お主も脇が甘いのう。儂のロランはフェンリルの副官じゃ……あやつを通じてフェンリルに人足の準備をさせるように頼んでおいたわい。」


 俺は思わずフォラスの手を取って感謝した。


「そうでしたか……ありがとうございます! 神殿の建立に亜人が関わることを、今回の件の大義名分にしたいと思っていたので助かりました。」


「むぅ……また、ケイはよからぬことを企んでいるようじゃのう……一つ聞かせてくれぬか?」


「単純なことですよ。魔王軍が無償で何でもやり過ぎると、人間側からなにか裏があるのではないかと思われてしまいます。都合がよいことに、俺が人間の勇者と賢者を引き抜いたことでミカエルが悪印象を持ったという事案があるから、これを利用したいんですよね。例えば、人間と魔物の愛の証である亜人が神殿を建立することで、人間側への心証を良くしたい……みたいな感じで。」


「なるほど……表向きにはケイが生じさせた人間との軋轢の解消を目的としておきながら、裏で精霊の保護という実利も取りに行くわけじゃな。お主は本当に悪魔として有能じゃのう。」


「その褒め方は、俺が悪の道に手を染めているようで、嬉しくないです……」


「そうかのう? 儂としては最大の賛辞なのじゃが……」


 アリシアが優しげな顔をして俺の腕に抱きつきながら告げた。


「ケイにはお父様のように立派な悪魔になって欲しいですから、私としては悪魔として有能な方が嬉しいですよ。」


「そ……そうかな? じゃあ、俺しっかりと立派な悪魔になれるように頑張るよ!」


 俺とアリシアのやりとりをみて、フォラスは呆れたような顔をする。


「まったく……ケイは単純じゃのう。まあ、それもお主の良いところなのかもしれぬな。」


 アリシアの柔らかい感触に頬を緩めながらも、俺はフォラスとオベロンに神殿の建立についての相談と、作業スケジュールの策定を協議する。

 フォラスとオベロンはしっかりと頷きながら、作業についてのすりあわせを行い、俺達は神殿の建立に取りかかるのだった。


 神殿の建立は、フェンリルが相当な数の人員を送ってくれたのもあって、予定よりもかなり早く完成した。

 周囲の泉や草木は、まだ再生したばかりという印象もあるが、逆にその方が自然な感じがする。


(さて、一度司祭と街長を呼びよせないといけないな)


 俺とアリシアは街に赴き、司祭に神殿が完成して、自然が戻りつつあることを伝えた。

 俺の話を聞いた司祭は目を見開いて叫んだ。


「本当にそのような奇跡が起こったというのか!? この目で見なければとても信じられぬ! 街の者を連れて行くので、案内してくれ。」


 俺達と共に司祭と街長を初めとする者達が神殿に到着すると、彼らは涙を流して喜んだ。


「まさか……再びヴァルトフルスに自然が戻るとは! これは夢ではないのだな。」


 俺は優しく彼らに話しかける。


「天界をこうして讃えることで、恩寵がこの地に戻りました。司祭様の教本に書かれていたことが、まさしく体現したということですね。あの境界が成された土地は神域だったのです……それを開発したことで天界の怒りに触れて、恩寵が失われたのではないかと俺は考えています。」


 司祭は俺の言葉に頷く。


「我々は天界の信徒でありながら、神域を穢してしまったのだ。その結果、ヴァルトフルスは教義のとおりに荒れ地と化してしまった。だが、こうして再び神殿を建立して天界への畏怖と感謝を思い出したことにより、恩寵が復活したのだろう……我々は深くこれを反省して、二度と神域を穢さすことなく、天界を崇め祀ることを誓おうではないか。」


 街長を初めとした民達は俺達に平伏する。


「なんとお礼を申して良いか……死の荒れ地と化したヴァルトフルスに再び恵みをもたらして下さった恩を、私達は一生忘れません。」


 俺は後ろで作業をしていた亜人達の方を見ながら彼らに伝えた。


「俺はきっかけを作ったに過ぎず、殆どの作業は亜人の職人がしてくれたんです。人間と魔物の仲立ちとして彼らは平和を築きたいと思って神殿を建てた……それを知ってもらえれば俺は十分だと思っています。」


 俺の言葉を聞いた民達は、亜人達に対して口々に感謝の言葉を述べる。

 亜人達は若干戸惑いながらも、彼らの言葉を快く受け入れるのだった。


 ヴァルトフルスの奇跡は、あっという間にクロノス中に知れ渡る。

 教会側はこの事態を重く見て、魔王軍に大司教との会談を申し込むのだった。

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