スライムの森
村長と女性が村に戻る中、俺とアリシアは森に入っていく。
アリシアが俺をじっと見て微笑んだ。
「ケイはとっても良い人なんですね。あの女性の方がとても喜んでいましたよ。」
――良い人か……
* * *
俺にとって、女性からのその言葉にはあまり良い思い出がなかった。
俺がいた品質管理の部署は女性が殆どで、既婚の女性は産休や子供が熱出したりとかするから、独身の俺が結構フォローすることも多かった。
あと、労働組合の幹部もやっていたから分かるんだけど、残業代出たとしても(俺の会社は全くでなかったが)保育園の延長保育料とかの方が高いから、小さい子がいる人はみんな定時で帰って、残った俺が出荷対応のために彼女らの検査を引き継いで残業する。
(これはまあ、仕方がないかなと思うんだ。)
俺が同じ状況でも、残業するほうが馬鹿だと考えるさ。
なんせ、残業代なんて出ないんだから、残業して働くほど給料が減るという矛盾が生じる。
そりゃあ『何が悲しくて、会社の都合で残業させられて、金まで失わなければならないの?』とでも言いたくなるもんだ。
でもさ、独身の若い娘さんが頻繁に『今日は絶対帰らないといけない用事がある(訳:合コン)』とか言って、俺にその残りを全部押し付けた挙句、上辺だけの笑顔で『ケイさんって、本当に良い人ですよね(笑)』とか言われても、まったく心に響かないんだよ。
それをよく示す事実として、俺の友達から貴重な合コンのお誘いがあった時、必死こいて定時までに相当余裕ある形で仕事終わらせていたのに、逆に自分たちの仕事押し付けた挙句に、いきなり予定入れて帰っていきやがったからな。
そのおかげで俺は……
合コンに遅刻した上、なんか一つだけ空いている微妙な席を押し付けられて、延々とその前の席にいるメンヘラっぽい女性から、リスカ自慢を聞かされるという≪闇のゲーム≫に参加させられてしまった。
結局、何が悪かったのかは知らないが、俺はそのメンヘラにしばらく付きまとわれた挙句、合コンには呼ばれなくなったという悪手を打つことになったのだ。
(都合が良いお人よし……決まってそういう奴は、良い人どまりなのさ)
* * *
アリシアは、そんな俺のことを純真そうな顔で見つめている。
彼女を見ていると、今までのような上辺だけの言葉とはどうしても思えず、自然に笑って礼を言うことができた。
「アリシアにそう言ってもらえると、なんだかとても嬉しいよ。」
彼女が優しく俺に笑いかけながら頷く姿を見ると、過去の嫌な思い出がすっと抜けるように消えていった。
さらに、俺はそれで冷静になったようで、森の中に違和感を感じてきた。
(これって……あの異空間の時に発した力と同じ感じがする)
そう、空を飛ぼうとした時に感じたあの力、それを周囲にひしひしと感じるのだ。
「なあ……アリシア、この森って魔力に満ち溢れている感じがしないか?」
「確かにそうですね。おかしいですね。ここには、そんな魔力を発するような魔物はいないはずなのですが。」
「いや、魔物というか木々や草花から魔力を感じる気がするんだよ。」
「そういえば、草木に強力な魔力が蓄積されているようですね。これだけ高い魔力になると、ここにいるスライムは草木を食べることが出来ないと思います。」
俺は、改めて森を見渡した。
(植物の形自体はそう変わっていないように見えるが、明らかにおかしい)
木々には葉が茂っていて、地面にも草と満月花と見られる花が生い茂っている。
それ自体は全く問題ないのだ。
(だが、明るすぎるな)
満月花も含め、森全体が光っているようで、かなり明るいのだ。
魔力の影響とでもいうのだろうか?
鬱蒼と茂る木の幹が淡い光を放つ中、その根には淡緑色に発光する拳大のキノコが群生している。
そして、地面には青色に輝くゼンマイのような草と、白色に煌めく花が生い茂っているのだ。
(なんというか神秘的な光景だな。おっ……あれがスライムかな)
森の奥からスライム達が、淡い白色に光りながら這ってきた。
大きさ的にはボーリングの玉ぐらいの大きさのようだ。
アリシアが不思議そうな顔で、光るスライムを抱きかかえる。
(まさか……まさか、こんなところでポロリが!? やはり神は俺をお見捨てになられなかった)
――だが、神は昼寝でもしているかのように働かなかった。
俺の期待に添うような”嬉しいサプライズ”が発生することはなく、スライムはなすがままにアリシアに撫でられた。
(まあ、そうですよね……そもそも俺は堕天使だし、神の慈悲なんて期待しちゃいけないよな)
しばらくスライムを撫でまわした後、アリシアは少し緊張した面持ちで俺に話しかける。
「どうやら、この子達は体内に魔力を取り込んでいるようですね。」
俺はすぐにその理由に気づいたが、スライム達はそれを肯定するように、川がある方向へ這って行く。
そして、スライム達は川の岸に流れ着いた野菜の端材に我先にと取り付いて、美味そうにそれを溶かし続けた。
俺はスライムたちの様子を見て、笑みを浮かべてアリシアに話しかける。
「やはり野菜の端材が関わっているようだな。」
アリシアが不思議そうな顔で俺を見る。
「どういうことでしょうか? 野菜の端材にスライムを進化させるような効果があるのでしょうか。」
「村長が言っていたよな。《マジックリーキ》には滋養強壮と魔力の回復効果があるって。スライムの体内であれが分解されて、魔力が体内に残ったんだろうさ。」
アリシアが納得したような顔で頷く中、俺はさらに説明する。
「あのスライムが地面を這い回ったせいで、≪マジックリーキ≫を取り込んだ魔力入りの体液があちらこちらに残ったんだろう。後は、それを養分とした草木やキノコが魔力を吸収しながら成長していったのだろうね。」
俺は、そこまで説明したところでスライムたちが、畑や人を襲わなければならない理由についても確信することができた。
「スライムたちは、ひもじい思いをしていたんだな……」
アリシアがハッとした顔になってスライムたちを見つめる。
「そうですね……あの森は今や、魔力が強い植物しかないような状態です。そうなると、スライムにとって激辛の食べ物しかないってことになっちゃいますものね。その結果、畑にある《マジックリーキ》や麻などの繊維を食べるしか生き延びる道がなくなってしまったんですね。」
俺はスライム達を憐れむように見ながら告げる。
「こうなっては、自然にこれを解決するのは相当難しい話になった。森を元に戻すのにも多大な時間が必要となるし、かと言って王都の指示となれば≪マジックリーキ≫の栽培を止めさせるわけにもいかない。」
アリシアが少し怒ったような顔で、俺に聞いた。
「でも、これって元々悪いのって人間のほうですよね。協定は破っているし、あんな端材を川に流してスライムを変えてしまう……あまりにもひどすぎるとは思いませんか?」
俺は、アリシアを見て昔の自分を見ているような気持ちになった。
(そういえば、俺にもそんな頃があったな……)
ひたすら純粋で、真っ直ぐに物事を見て、正しいと思うことを相手にぶつける。
――だが、それでは人は動いてくれなかったのだ。
だから俺は、色々人の立場でものを見て、上手くいくような折衷案を出すようにし続けたのだ。
(だけど……)
俺は、アリシアの肩を優しく叩く。
「アリシアが怒るのも仕方がないことさ……その気持ちを忘れずに、今回は俺のやり方を見ていて欲しいんだ。」
アリシアが不思議そうな顔をする中、俺は彼女にお願いをする。
「すまないが、フォラスを呼んではくれないだろうか。彼に相談したいことがあるんだ。」
彼女は俺の表情を見て、何かを察したのだろう。
静かに頷くと、空間に穴を開き……
なぜかそこからではなく、俺の耳元からフォラスの声が聞こえた。
爺は俺の耳にフ~っと息をかけて、優しげに声をかけてくる。
「おお……ケイよ。もう寂しくなって、儂のもとに帰りたくなったのかのう?」
いきなりの不意打ちに、俺は思わず叫んだ。
「いやあぁぁぁぁ!? ジジイ怖いぃぃぃ。」
フォラスが膨れっ面で俺に文句を言う。
「悪魔を召還しておいて、何を怯えておるのじゃ。そもそも、ケイが来てほしいと願ったからここに参上してやったのに……なんじゃ、その失礼な態度は?」
「爺の出現の仕方が悪いんだよ! もっと普通に出てくることはできないのか?」
俺のツッコミにフォラスは悪戯っぽい表情をした。
「そういうのが、お好きだと思っておったがの?」
(爺……いつか覚えていやがれ)
糞爺の傍若無人さに俺が歯軋りする中、アリシアは毒気を抜かれて大笑いするのだった。